くらし情報『元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「“戦争は絶対ダメ”と言えるように」』

2019年6月24日 16:00

元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「“戦争は絶対ダメ”と言えるように」

’44年(昭和19年)10月、那覇は大空襲を受け、焼け野原に。沖縄戦は、すぐそこまで迫っていた。

「いよいよ敵が沖縄に上陸する。今日かぎりで学校は閉鎖するので看護要員として軍に協力せよ」

’45年(昭和20年)3月23日、校長は、島袋さんら学生を一堂に集め、そう訓示を述べた。島袋さんは、師範学校3年生で17歳。すでに学校では、包帯の巻き方やギプスの当て方などを教わっていた。

その夜、島袋さんを含む222人の女学生は、18人の教師に引率され、一晩かけて、歩いて南風原の沖縄陸軍病院に向かった。もんぺ姿で頭巾をかぶり、肩から救急カバンをかけた。


「このときは、まだ戦争の本当の恐ろしさを知りませんでした。敵も病院には攻撃しないだろうし、1週間もすれば戻れるだろう、と。林間学校に行くみたいな気分で、『いよいよ国に奉仕ができる』と意気込んでいたんです」

陸軍病院といっても、土を掘って作った壕の中に、ベッドを何台も並べただけの場所だった。

「はじめは、水をくみに行ったり、おにぎりを配ったりするのが仕事でしたが、4月1日、米軍が沖縄本島に上陸してしばらくすると、血や泥だらけの負傷兵が、どんどん運ばれてきて、その看護に追われました」

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