くらし情報『長野智子、仕事との両立にもがき続けた不妊治療8年』

長野智子、仕事との両立にもがき続けた不妊治療8年

長野さんは日本では数少ない、ニュースの現場を知り、現場を語ることができる硬派の報道キャスターだ。

長野さんがフジテレビに入社したのは’85年。もともとやりたかったのは報道の仕事だったが、翌年、配属されたのは報道とはかけ離れたバラエティ番組『オレたちひょうきん族』。山村美智子さん、寺田理恵子さんに続く3代目ひょうきんアナになった長野さんは、休むヒマもない忙しさに追われるようになった。

’89年、27歳で商社員と出会い、翌年にはスピード婚。結婚したらいまのままの仕事は続けられない。そんな思いの末に、長野さんは寿退社する。退職後は、フリーでアナウンサーを続けた。
夫のNY転勤が決まったのは32歳の冬だった。

「夫は『日本に残って、仕事を続けていい』と言ってくれましたが、私は本気で報道に向き合うなら、これが最後のチャンスと思った。覚悟を決め、ゼロから挑戦する自分を選ぼうと思ったんです」
レギュラー番組をすべて降りて、NYへ渡った。ニューヨーク大学の大学院でメディア環境学を専攻。同時に子どものことを考え始めた。

「NYにいる間に子どもをつくりたいなと、漠然と考えていました。

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