2019年10月28日 11:00
新朝ドラヒロイン“モデル”女性、長男の白血病で決めた覚悟
それで『親子そろって献体しよう』と提案してん。賢一くんも快諾してくれて、病室で2人で申込書にサインした」
日中、信楽で作陶し、夕方には名古屋の賢一さんの病室を訪れる、そんな毎日が続いた。神山さんは息子の足を洗ってあげてから、眠りにつくまで子守歌を歌って聞かせるのが日課となった。前年暮れに発足した骨髄バンクからは、賢一さんに適合するドナーが現れたという連絡はなかった。
「間に合わないのは、もうわかっててん。息子もわかってたと思う。だけど、誇りを持てることが大事やから。賢一くんな、死ぬ間際に笑ってこう言わはった。
『これで、あの子たちは助かるよね』って」
’92年4月21日。賢一さんは神山さんの子守歌を聞きながら、旅立っていった。31歳だったーー。
賢一さんは同じ陶芸家として、母も一目おく才能の持ち主だった。
「でも、男としてはどうかな。人前でニコリともせん、偏屈やった」
神山さんはこう言って笑った。母子は最後の病室で、泣かないこと、言うべきことはちゃんと言っておくこと、などなどいくつか約束を交わしていたという。
「とくに、私が気にしたのは恋人のこと。
もし、そういう女性がいるなら、隠さず言うてくれ、伝えたいことはちゃんと伝えたるから、そう話しててんけどな……」