2019年11月4日 11:00
ANA客室乗務員で45年 通算飛行時間3万750時間29分での出会い
機材は懐かしの日本製プロペラ機・YS-11だった。
「天候が悪くてなかなか着陸できず、上空を旋回して長いこと待ってから降りたんです。その晩、機長らと食事に行くと、その席で機長から『じつは、あそこで降りられなかったら、もう燃料がなかった、着陸しブレーキ踏んだときは足が震えてたよ』って告げられたことがありました」
29歳のとき、大宅さんに会社から声がかかる。
「アメリカに行ってみないか?」
シアトルのボーイング社などでの訓練の誘いだった。国際線就航に向けての準備の一環だったのだ。さらに’85年、国際線スタートのための11人のプロジェクトメンバーの1人に選ばれ、香港のキャセイパシフィック航空に派遣された。現地の訓練所で1カ月にわたって、国際線ならではの高い食事サービスのスキルの特訓を受けたという。
そして、’86年7月。
いよいよANAの国際線が就航。直前の結団式では総勢約270人のCAが集まった。1人ずつ名前を呼ばれ立ち上がり、最後は全員で「がんばりましょう!」と気勢をあげた。そして第1便の当日……。
「出発前、ANA成田支店でブリーフィングを行って。終了後に客室部全員に見送られてバスに乗り込み、ターミナルに向かいました。