高嶋ちさ子父語る忠夫さんとの絶縁理由【2019ベストスクープ】
も、その次女のちさ子さんも、密葬に参列していませんし、弔問にも訪れていないのです」
忠夫さんの自宅と弘之さんの自宅は東京都の同じ区内にあり、自動車なら10分もかからない距離。かつては両家で頻繁に行き来もあったという。ちさ子自身は、かつて週刊誌のインタビューで次のように語っている。
《家が近所だということで、小さいころは、しょっちゅう遊びに行ってました。政宏君や政伸君ともよく遊んだなぁ》(『アサヒ芸能』’98年1月15日号)
ちさ子が『チョコレート・ファッション』というユニットでCDデビューしたのは’95年。当初は“高島忠夫の姪”“政宏・政伸兄弟のいとこ”などと紹介されることも多かった。
「しかし、ある時期から、ちさ子も、政宏・政伸も、お互いのことを公の場でいっさい話さないようになったのです」(前出・芸能関係者)
はたして確執の原因は何だったのか?ちさ子の父・高嶋弘之さんを本誌は直撃取材した。
「確かに昔は家も近かったですし、頻繁に行き来をしていました。
兄貴と花代さんは夫婦で『ごちそうさま』の司会を務めていたでしょ。番組の収録が地方であったりすると、政宏と政伸の兄弟をうちで預かったりしていました」