2020年2月24日 11:00
突然失禁、母が認知症に 松島トモ子語る「老老介護は恩返し」
速い、速い。とても追いつけません。だから私、夜は母の部屋の前に布団を敷いて、洋服を着たまま寝ていました」
それでも、松島さんは自宅介護を続けた。そこには、ずっと松島さんを守り、4歳でデビューしてからもつきっきりでマネージャーを務めてくれた母への思いがあったからだという。
松島さんは、45年に旧満州の奉天(現在の中国・瀋陽市)に生まれた。
「奉天は、三井物産の商社マンだった父の赴任先でした。母も、三井物産の社員の娘で、幼い頃は香港のイギリス系女子校で学んだお嬢さま」
そんな両親の元に生まれた松島さんは、なに不自由ない生活を送るはずだった。しかし、45年4月。
父に召集令状が届く。松島さんが誕生する、わずか2カ月前のことだった。
「父は、私が生まれるのを心待ちにして、戦地から何通も母にはがきを送っていたそうです。最後に届いたはがきには、〈待っていてくれ!必ず無事でいてくれ〉と書かれていました」
父が出征してから3カ月後、日本は敗戦――。「ソ連が進駐してくるなか、母は生後1カ月の私を必死で守ったそうです。でも、待てど暮らせど父は帰ってこなかった。翌46年5月、突然決まった引き上げ。母は私を抱きかかえて、ぎゅうぎゅう詰めの屋根のない“無蓋列車”で奉天を出発。