大川小の津波被害から生還「人を助けるため警察官になりたい」
自分は裏山に行くと思っていたんですが、実際は『(河川堤防の近くの)三角地帯に行きます』と言われたんです」
移動開始直後、教頭に「津波が来たので早く移動してください」と言われ、小走りに進もうとしたが……。
「砂煙がパーッと上がるように波がこぼれ、飛行機の轟音のような音がした。自分は踵を返して走って山に登ろうとし、3~4メートルほど登ったあたりで首になにかがぶつかり、気絶してしまったんです」
哲也さんは失神したが、山の斜面で体が半分ほど土砂に埋まった状態で救出され、山で住民や市職員らと合流して夜を明かした。亡くなった祖父、母、妹には、次のような思いを抱いている。
「祖父は『地震が来たら、山さ逃げろよ』が口癖でした。地震直後、自分もその言葉が頭をよぎっていたんです。母は一度校庭に引き取りに来てくれたんですが、忘れ物を取りに自宅に戻ったのが、生前に見た最後でした。自分がヘルメットを渡そうとしたら『あんたがかぶってなさい』と押し戻された。
あれがなければ自分は助からなかったかもしれない。妹は、生きていれば18歳。でも自分の中では、あのころの9歳のままの姿で変わらないんです……」
震災から9年たって、変わってきたこともある。