コロナ中に焼死 とんかつ店主零していた弱音「実家に援助を」
“お客さん第一”の経営方針でした」
妻といっしょに誠心誠意守ってきたとんかつ店だったが、緊急事態宣言を受けて、4月中旬から臨時休業していた。弱音を吐いたことのないというAさんに異変が生じ始めたのは、そのころだったという。前出の居酒屋店店主は言う。
「コロナの影響で経営に不安を感じていたのか、最近のAさんのフェイスブックには『実家に援助を頼むことも、期待できるかな』といった記述もありました」
また地元商店街の振興組合理事長の大野裕之さんは次のように語る。
「火災があった4月30日の午後3時ごろ、Aさんのお店に、区から割り当てのあった消毒用アルコールを届けたんです。すると『コロナも長引きそうですし、もう店を閉めることにしました』と……。実は翌日の5月1日からとんかつ店を再開するはずだったので、どうしたのかと思いました。やはり気が動転していたのでしょうか。
翌日のために仕込みをしていましたが、元気がない様子でした」
Aさんはこの商店街振興組合の副理事長も務めていた。
「商店街では’05年から、夏に一斉に打ち水をおこなっており、それを模倣するほかの商店街も多かったのです。Aさんはその提唱者として幾度も取材を受けています。