2020年7月6日 11:00
「助産師として私が救う」16万超の中絶される命を守る決意
子供心に、助産師さんっていうんは特別な存在なんやな、と思ってましたね」
憧れを抱き勉強を続け、永原さんは見事助産師に。病院で働き始めた永原さんの仕事は常にめまぐるしかった。
「しばらくして、先輩で開業している助産師さんから『自宅出産の妊婦さんがいるから、手伝って』と声をかけられたんです」
出向いたのは神戸市内のごく普通の一軒家。日常の家族の営みのなかで、陣痛がはじまり、ひざ立ちの姿勢をとった妻は、夫に抱きかかえられながらお産に臨む。いよいよ、となると、上の子供たちが父母のもとに集まり、そして、新しい家族が生まれてくる瞬間を皆が笑顔で迎えて……。
「これこそが、お産の原点やな」
感動に浸っていると、先輩から思いがけない言葉を告げられた。
「これからは、あなたに任せるから。あなたが主でやったらいいわ」
やがて、口コミで自宅出産の依頼が次々に舞い込むようになった。
そこで、永原さんは勤務していた病院を辞め、自らの拠点を立ち上げることを決意する。93年、「マナ助産院」を開業したのだ。それから27年。これまでおよそ2千200人の赤ちゃんを取り上げてきた。
誕生の喜びに誰よりも触れてきた永原さんだからこそ、心を痛めていることがある。