山口達也 ベース手放していた…TOKIOの思い出封印現場を目撃
前出の知人は言う。
「自業自得とはいえ、再び飲酒による過ちを起こしてしまったことにとてもショックを受けています。事件から少しして、再度通院して、断酒に向けた治療も受けているそうです」
山口元メンバーはTOKIOではベースを担当し、かつては「週に2回はサーフィンに行く」と公言していた。前出の山下院長は、冒頭の“断捨離”が“治療”の一環であった可能性を指摘する。
「アルコール依存症の治療で大切なことは、自身の安全地帯を増やしていくことです。そうした観点から、彼がサーフィンや楽器の趣味を継続することは治療として有効です。
しかし、もし趣味の仲間達と一緒にいることが、逆に彼の飲酒の機会を増やしてしまうのであるなら、主治医がいったんその趣味を棚上げするよう指示した可能性はあるでしょう」
山口元メンバーがTOKIOの証しであったベースを封印した裏には、“原点”に立ち返ってやり直したいという思いがあったようだ。「ギターをやっていた城島茂さんとベースの山口さんが出会ったことで、『バンドをやろう』とTOKIOが結成されました。
山口さんのベースはグループにとっての原点なんです。長瀬さんも’18年に山口さんが騒動を起こした直後、ファンサイトで『自分たちが精魂込めて作った楽曲も、ベースの音がなくなったら曲ではなくなってしまう』とつづっていました。