なぜ『ひょうきん族』は伝説の番組に?専門家語る時代的背景
『ひょうきん族』で活躍した山田邦子(左)と司会を務めた初代「ひょうきんアナ」の山村美智子(現・美智)
住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代におなかがよじれたお笑い番組の話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
’81年にスタートした『オレたちひょうきん族』は『笑っていいとも!』や、その前身番組『笑ってる場合ですよ!』とともに、フジテレビが’80年代に掲げた“楽しくなければテレビじゃない”というキャッチフレーズを体現し、もり立てた伝説的番組。世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)はこう語る。
「当時、関東地方で漫才を見る機会はお正月番組など数少なかったのですが、’80年代の漫才ブームによって身近な存在になりました。そんな潮流をうまく引き込み、B&Bやツービート、紳助・竜介、さんまさんなどを起用したのが、『ひょうきん族』です」
牙城は『8時だョ!全員集合』(TBS系)だ。
「『全員集合』は毎週土曜、1時間近くの生放送だったため、放送事故が起きないよう、いかりや長介さんという絶対的リーダーのもと、セットも含めて作り込まなければ成立しない番組だったそう。