2021年9月28日 15:50
コロナ禍の保健所の過酷さを後世に 79歳女性映画監督の奮闘
宮崎監督がこの映画を撮るきっかけは、現場の保健師から「この大変な状況を記録しておきたい」と相談があったことだった。
「最初に、帝京平成大学ヒューマンケア学部の工藤恵子教授のところに保健師の方から相談があったんです。東日本大震災でも阪神大震災でも、そこでどう保健師が関わったかというのをリアルタイムで映像に収めているものはほとんどない。でも、記録することで課題が明確になり、対応策を考えることもできるのではないか、と。
保健師の方たちが“自分たちでカメラを回そうか”という話も出たそうですが、ちゃんと撮っておいたほうがいいだろうと、話を聞いた工藤さんが私にメールをくれたんです。それが去年の5月。コロナがまだよくわからないなか、緊急事態宣言が出て町から人が消えて、最初の頃でした。
私も正直言うとすごく怖かった。
もし自分がコロナに感染したらという思いがありました。でも同時に、ずうっと映像を作ってきた者としては、これを記録することの大切さを感じていて、メールをいただいてから私はすぐにこの話に乗りました。怖かったんですけど、今のこの状況を見ておくというのは私にとって使命というか役割というか、これは記録映画を作ってきた者としてはとてもいい話だと思ったのです」