2021年12月30日 06:00
仁科貴語った 父・川谷拓三さんの『仁義なき戦い』秘話と北野映画出演に涙した理由
川谷さんといえば、斬られ役、殺され役の大部屋出身の俳優。しだいに演技力を認められ、映画、ドラマで活躍。ちなみに仁科の名前『貴』は、川谷さんが7年ほど付き人をしていた鶴田浩二さんが名付けたのだという。
そんな川谷さんの出世作となったのは『仁義なき戦い』シリーズや、ドラマ『前略おふくろ様』(‘75年〜’77年・日本テレビ系)だ。
「オヤジは東映の京都撮影所に入るために、15歳で京都撮影所の門を叩きますが、年齢制限が18歳以上だったので、約2年間、祇園の氷屋で丁稚奉公していました。氷の配達には自転車を使っていて、相当な脚力が鍛えられたようです。それが活かされたのが『仁義なき戦い』。梅宮辰夫さんがピストルを打つと、ビックリして跳び上がるシーンなど、すごいジャンプ力なんです」
幼い時から父の出演作品を見ていたという仁科。
「もとは京都で暮らしていたのですが、『前略、おふくろ様』の出演を機に、オヤジが東京に単身赴任しました。父親不在の家庭だったため、母から『立派な役者なんだよ』と、オヤジの出演作品を見せられていたんです」
■菅原文太さんに「殴って」直談判
なかでも印象に残っているシーンは、ドラマ『ダウンタウン物語』(‘81年・日本テレビ)。