「苦しみも人生の栄養」乳がんに2度の離婚、南果歩を救った寂聴さんの言葉
あったら、あなたが晩年の私を演じなさい』とも言われていました。ぜひ剃髪してからの先生に挑戦してみたいです」
■「一隅を照らす、これ国宝なり」ーー天台寺責任役員・千葉康行さん(77)
「寂聴さん晋山(新しく住職になる者が初めてその寺に入ること、’87年5月)のときには毎日のように、京都から大量の荷物が浄法寺町(現・岩手県二戸市)の役場に届きました。
当時は車で天台寺まで登るのが容易ではなかったので、布団、仕事机、資料の書籍、立派な屛風、台所用品……、子供たちへのお土産の大きな白い象までが役場に山積みになって、職員たちが『まるで花嫁が来るみたいだ』と、目を丸くしてました。
当時の天台寺は、賽銭箱に入っているのは木の葉だけ。電気代が払えなくて止められていたような貧乏寺にあきれた寂聴さんが、1千万円もの大金を役場に寄付してくれたのには、たまげましたね。そのとき寂聴さんが、『見合いで仲人に騙されて、結納ももらわないのに、嫁入り道具と持参金を持ってきたようね』と、笑っておっしゃったのが、いまでも忘れられません」
天台寺の名前を全国に知らしめた青空法話。そのスタートから千葉康行さんは司会を務めた。