「苦しみも人生の栄養」乳がんに2度の離婚、南果歩を救った寂聴さんの言葉
「晋山の1カ月後には青空法話の記念すべき第1回がありました。境内に大急ぎで玉砂利を入れ、28軒の檀家が当日の早朝から集まって、そこにゴザを敷き、お客さまを待ちました。
寂聴さんと私たちは『100人か200人来てくれればいいね』と息を呑んで待ち受けていました。そうしたら午前中から続々と善男善女が御山(天台寺の立つ山を地元の人々はそう呼びたたえる)に登ってきて、午後の会と合わせると1千人もの方がいらしてくださったのです。そして秋の例大祭法話には全国から貸切りバスで参拝者が集まりました。人口8千人の町に、なんとその数1万人!
急きょ大型バスの駐車場や休憩所を造ったら、県道と御山の間を流れる安比川に架かる橋が落ちてしまいました。コンクリート製の橋に架け替え、参道の石段を修復して、寂聴さんが京都から持ってきた紫陽花を植えて……、小さな町はもう大騒ぎです。私たち檀家は休むことなく勤労奉仕の日々が続きましたけれど、誰一人として不満はもらしませんでした。
法話の司会をさせていただいておりましたので天台寺での法話は30年近くすべて聴いています。そのなかに《一隅を照らす、これ国宝なり》という天台宗開祖・最澄の教えが何度も出てきました。