「苦しみも人生の栄養」乳がんに2度の離婚、南果歩を救った寂聴さんの言葉
思わず手を握ると、いつもと変わらない柔らかな手で、お顔も本当にきれいで、穏やかでした。
最後にお話ししたのは10月末でした。先生が私を見て、『明日、退院するからね』と、いつになく弾んだ声でおっしゃって、私が『先生、待ってますよう』と、笑い返したのが最後でした。
もう先生はいらっしゃらないと思うと、何だか全身から力が抜けて、寂庵に通うのがつらくなってしまいました。でも亡くなった数日後、道場のご本尊・観世音菩薩の前にお骨が帰ってきたのです。
戒名にあたる法名は『(ひへんに華)文心院大僧正寂聴大法尼』、遺影は先生が気に入っていた、写真家の篠山紀信さんが撮ったものです。
天台寺にご自分で用意なさった墓所は、12月から翌年の春まで積雪が解けません。それまでお骨は道場に祭られていますから、それをお守りすることが堂守の私の役目かな、と思いいたりました。
いまは毎朝道場に通ってお花と線香を替え、精進料理のお供え膳を上げ下げしています。お味噌汁、野菜の煮物、漬け物、先生のお好きだったお豆などをお台所で用意していると、『いつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう』という先生の声がどこからか聞こえてくるような気がして……、あとからあとからいろいろなことを思い出すのです。