ギネス認定の87歳DJ純子さん「年齢まったく気にしない」77歳からスクールに
「いつも彼のパーティは徹夜になるから無理だと思って。みんなはもったいないって言うけど」
大舞台より優先したのは、アドリアンさん。純子さんは、いつしか彼の東京のお母さん的存在になっていた。
「アドリアンはいまも日本にいて、日曜にはご飯に誘ってくれます。親孝行のつもりかな」
■脳溢血からも復活し、歌舞伎町に舞い戻った
純子さんの自宅は、店から自転車で7〜8分の距離にある瀟洒なマンションの1室だった。玄関を入ってすぐの廊下に、いきなりパソコンとターンテーブルが置いてある。ノリのいい音楽が流れていた。玄関先の壁には、ラメやラインストーンがちりばめられたDJ衣装やキャップが掛けられている。
「このパソコンで選曲して、CD-Rに焼きます。あとはDJプレイの練習で、曲のつなぎを考えたり、逆回転を練習したり」
パソコン画面には、準備中のセットリストなのか、さまざまなアーティストの名前が並んでいた。
「アヴィーチー!最新ですね。シンディ・ローパー、懐かしい」
と言うと、即座に最新の音楽情報が返ってくる。
「アヴィーチーはトップDJでもあったのに、20代の若さで亡くなって、残念。シンディは逆に、いまのお客さんには新鮮みたい。