泉ピン子語ったえなりかずきの“共演拒否”騒動への思い「悪口を言われても気にしない」
その後、50歳で禁酒禁煙をしたのは、犬を飼い始めて、当時は窓が開かないリビングだったから、犬が肺炎やがんになっちゃかわいそうと思って。たばこと一緒にお酒もやめました。だから、あのときの禁酒禁煙はまだ終活の準備じゃなかったの。
ただ自分は飲まないけど、今もうちのワインセラーには、来客用に1本10万円ほどのワインが40本もある。すべては飲み尽くせないだろうから、これも終活で売るしかないと思うけど、ねえ、ワインってどうやって売るの?」
■断捨離しつつも大好きな宝石は捨てられない。でも終活だって、迷い迷いでいいじゃない!
「還暦過ぎて、東京から熱海に引っ越してきたのが63歳前後。もうこのころには、自分がしっかり仕事をできるのは70までと思っていたから、すごく焦ってたわよ。終活は、やっぱり、橋田先生を看取ったことが大きかった。
実は、その直後に親友も亡くしていて。先生のことで落ち込んでたときに元気づけてくれたのが彼女で、ご近所だったから、『ピン子ちゃんの介護は、私がするから』なんて言ってくれてた。その私より年若い相手が、まさか先生の納骨からわずか2カ月後に突然亡くなるなんて、誰が思いますか?それで私、今まさに終活の最中で、クローゼットの段ボールから片づけてるんだけど、やたら部屋が散らかっちゃってさ(笑)。