2022年10月2日 06:00
子ども食堂を作った宮津航一さん 養親や周囲の人たちに育てられた“恩返し”
と伝えた。
だが、頭ごなしに詰め寄ったりはしない。美光さんはニコニコ顔。
「夏休みは楽しかったか?そうか、あんまり面白くなかったのか。だったら今度の日曜日に、すごいとこ知っとるけん、来るか?」
大きな滝つぼがある自然豊かな国有林に連れ出し、鉄板で作った焼きそばを振る舞った。
おなかがふくれると心がほぐれ、少年は美光さんに悩みを打ち明け始めた。3人の中の一人は、母親が精神疾患を抱えており、共に生活するのは困難で、ホームレス状態。公園のベンチで眠り、コンビニで廃棄される消費期限切れの弁当でしのいでいた。
「16歳ですよ。年齢よりも小柄で小学生くらいに見えたけん、店に来たときは、150円の学焼きも、キャベツやら肉やらたくさんサービスしてやってね」
ある夜、店を後にしようとする16歳の少年を見かね、泊まるよう声をかけた。みどりさんが語る。
「でも、遠慮するんですね。それでその子が扉に手をかけた瞬間、ドーンと体が吹き飛ぶくらいの雷が鳴って、ザーッと大雨が降りだしたんです。主人も『ほら、神様が泊まっていけ、言うたやろ』と説得して。その日から4年半、ウチで生活したんです(笑)」
■児相から最初に里親になることを相談されたのは、予想外の幼い、3歳の航一さんだった
その少年が、近くの児童相談所(児相)