2022年10月2日 06:00
子ども食堂を作った宮津航一さん 養親や周囲の人たちに育てられた“恩返し”
平穏な生活を送っていたが、2年前の5月に、美光さんが大病を患った。みどりさんが振り返る。
「夫はよくしゃべる人なのに“今日はしゃべらないな”という日がありました。手のかかる子を預かったりしよったけん、精神的な疲れがあったと思い込んでいました」
翌日、美光さんも自分の身に起こった変化を自覚した。
「電話で、仕事の日程を調整したかったのに、『えーと、えーと』と言葉が出なかったんです」
言語をつかさどる脳の中心部の脳梗塞だと診断された。幸い早期発見でき、すぐにリハビリに取り組んだが、今でも後遺症として会話が途切れたり、会話の途中で言葉が出なくなったりしてしまう。
「人間、何があるかわからないと痛感。それで航一が高校を卒業してから養子縁組する予定を、高2に前倒ししたんです。
5人の実子たちにとっても、航一は家族同然だから自然な成り行き。争うような財産なんてないけん、誰も反対しませんよ(笑)」(みどりさん)
家庭裁判所に養子縁組を申し立て、認められたのは’20年12月25日のことだった。家族にとって最高のクリスマスプレゼントとなり、翌年の1月に手続きを終了。
たった一人の名前しか記載されない単独戸籍だった航一さんの戸籍に、養父母の名が加えられた。