2022年10月2日 06:00
子ども食堂を作った宮津航一さん 養親や周囲の人たちに育てられた“恩返し”
にお好み焼きの出前をしていたことから、職員と美光さんとの交流が生まれ、美光さんは里親になることを勧められる。
「児相から、里親になれば、16歳の少年にかかる生活費のような持ち出しはなく、養育費や医療費も公的に助成してくれると聞いたけん『やります!』と二つ返事で承諾しました」
専門里親の登録をし、それからしばらくして、思いもよらぬ連絡が来た。
「未就学児ですが、いいですか?」
本来なら、非行に走る子どもを対象にする専門里親制度に登録していた美光さんだったが、児相から最初に里親になることを相談されたのは、予想外の幼い子ども。「どうする?」という美光さんに、みどりさんは迷うことなく「小さい子なら、かわいいに決まっとるたい」と受け入れを決断した。その子どもが航一さんだった。
■高3のとき養子縁組。でも「家族って戸籍でのつながり、血のつながりばかりじゃない」
美光さんはお好み焼き店を’10年に閉じて、’11年に開設したファミリーホームの運営に専念することに。
航一さんは両親の愛情を注がれ、明るく、まっすぐに育った。
中・高6年間は陸上部に所属し、100メートル走では県内2位に入るほどの有望選手として活躍した。