2022年10月30日 06:00
文学賞より売れると評判の“新井賞”創設の書店員 39歳でストリッパーデビューした理由
一方、あの地元で、うちの小学校だけ先進的というか、中学から私立に上がる子が多かったんです。私は小学校からブラスバンドで基本的に楽器はなんでもできたので、中学はピアノで入りました」
相変わらず、はた目には優等生に見られていたかもしれない。
「成績は学年で2番くらい。教科書の下に隠して谷崎潤一郎やボーイズラブを読んでいたのは、授業がつまらなかったから(笑)」
14歳のころ、そんな彼女を夢中にさせるものと出合う。
「GLAYをテレビで見て、ハマりました。すぐにライブに通う楽しみも覚えて。ナマのステージは、ときにボーカルやバンドの音が外れたりもします。それまで親しんでいたクラシックではありえないんですが、あの粗削りな感じに、もうグッときてしまって」
高校では、理不尽な校則について黙ってはいられなかった。
「『茶髪はダメ』で水色にするんですが、今度は『色はダメ』で、脱色したり(笑)。スカートの丈の長さも、なぜダメなのかという説明に納得がいかないと、先生にも理詰めで反論する、イヤな生徒だったと思います。単純な好奇心から吉原の最高級ソープの面接に行ったのもこのころ。鼻で笑われて帰されましたが」