鈴木砂羽 憧れすぎた宮沢りえに“ちょっと怖い”手紙を手渡した新人時代
人前でスポットライトを浴びて演じた経験は大きなもの」
舞台の上では積極的だったが、ふだんの学校生活はインドア派、1人でいることが多かった。
「両親が画家ということもあって、絵を描くのが好きでした。漫画も好きで、一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』(’81年~、集英社)や池野恋先生の『ときめきトゥナイト』(’82~’94年・集英社)を読んでは、キャラクターを描き写していました。クラスの友達はジャニーズに夢中でしたが、私は『魔法の天使クリィミーマミ』(’83~’84年、日本テレビ系)にどハマり。再放送やレンタルビデオで何度も見返し、魔法の力を借りて東京に行ってアイドルになる女の子を主人公にした『ラブリードリィ』というオリジナルの漫画を描いたほどでした」
高校卒業目前の’90年代初め、砂羽さんは進路に迷っていた。
「モダンバレエを続けたことが表現をする自信になっていたし、高校時代に自主映画を製作した経験から、演技の勉強をしたいと思ったんです。憧れの桃井かおりさんや樋口可南子さん、安田成美さんとゆかりのある女子美術大学を目指し、当時はそんなに難易度が高くなかった短期大学部の服飾デザイン系の学科に入学することができました」