くらし情報『ウクライナから決死の脱出 ソ連で生きてきた日本人男性の平和への願い』

ウクライナから決死の脱出 ソ連で生きてきた日本人男性の平和への願い

そして妻亡き後、息子と暮らした日々もつかの間、ヴィクトルさんも21年に病死してしまう。

その後、日本に住む妹から「お兄さんも独りになったのだから、永住帰国したらいいのに」と、日本への帰還を促されるようになった。

それでもウクライナには妻子の墓もあり、妻の親戚たちもいる。なによりこの年で日本に帰っても日本語がおぼつかない――。

技師としての仕事は12年に引退、その後は地元の修道院で働いた。技師のキャリアを生かし管理や修繕などを請け負い、シスターたちの信頼も得られていた。このまま妻の親戚や孫たちのそばで生きることしか生きるイメージが湧かなかった。

■英捷さんは心臓疾患を抱えながら、孫やひ孫たちとポーランドへ脱出
しかし22年2月、ロシアによる侵攻が英捷さんの運命を変えた。


「街の噂で警戒感は高まっていましたが、まさか本当にロシアが侵攻してくるとは。私はまったく予想していませんでした」

市内の集合住宅2棟が爆撃され、破壊された残骸を目にした。その数日後の22年3月5日、「インナとソフィアとともに避難してくれないか」と、孫のデニスさんに促され、その妻インナさんとひ孫のソフィアちゃん、そして大学生の孫ヴラーダさんとも合流し日本への緊急避難を決意。

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