世界最高齢アプリ開発者・若宮正子さん(88歳)銀行員時代はそろばんができない「お荷物」行員だった
昭和29年に高校を卒業して就職したのが三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)だった。
「私は空気が読めない、というか、空気を読まないダメ行員でしたね」
そもそも女性の求人が少なかった時代、当時花形だったデパートの初任給が7千900円、それに対して三菱銀行は8千200円だった。どうせなら月給が高いほうがいいという理由で銀行を選んだ。
「当時の銀行の業務は、機械化もコンピューター化もされていなくてすべて手作業。計算はそろばん、お札は指で数え、お客さんの通帳に名前を書くときは、インクとペン……。江戸時代とほとんど変わりません。私は生まれつき右手があまり動かないこともあって仕事が遅かった。『まだ終わらないのか』と先輩から叱られることも多く、落ち込む日々。
まあ、よく辞めさせられないで済みましたね」
自らを“お荷物”だったと話す若宮さんだが、時代が味方する。まず、銀行に電動計算機が導入され、そろばんを使わなくても計算ができるようになった。さらに紙幣計算機が入ってきて、指で紙幣を数える必要もなくなった。
銀行はどんどん機械化が進んだ。さらに……。
「コンピューターが初めて銀行に来たときのことはよく覚えています。