泉房穂「一生立てない」障害のある弟を連れて母が心中未遂…10歳で明石市長を目指した壮絶過去
「ひどい話やけど、それがまかり通っていた時代。医者は見殺しにするようにと言うので、親父とオカンはいったんは承諾したそうです。でも弟の顔を見て『嫌だ、この子を死なせることはできん』と思い直し、自宅に弟を連れて帰ってきました。
実は、弟が生まれる前年(’66年)にも母親は身ごもっていたんです。ところがこの年は60年に1度の丙午。隣近所が『男を不幸にするからろせ』の大合唱で、性別もわからないまま堕胎させられた。だから弟に関しては、たとえまわりから白眼視されても『障害があってもええ』と腹を決めたんです」
泉には、心に刺さったトゲのような母親の言葉がある。
「私が6歳のとき、2歳の弟の障害者手帳に『一生起立不能』と書かれた日に、オカンは世をはかなんで弟と無理心中を図ったんです。
でも死にきれず、私を『お前がおるから死なれへんかった、お前のせいや』と怒るわけです。理不尽なオカンですわ、大好きやけど。私と似て口が悪くて、思ったことを言ってしまう。足が速くて勉強もできた私に『お前が2人ぶん取って生まれてきたから弟は歩かれへんのや、半分返せ』と。返せと言われても返されへんがな……」
それから泉の両親は「絶対歩かせる」