草刈正雄 初めて語る亡き母の教え「年を重ねるほど素直に…」
「中学のころから新聞配達をしていました。高校は定時制だったから、授業の後に野球の練習をして、その後にスナックのバイトへ。本の訪問販売もしていました。大変でしたが、それもいい経験だったなと思います」
そして17歳のときに、アルバイト先のスナックのマスターの勧めでモデルの仕事を始めることになった。
「僕がモデルになるため上京するときには、母はまったく反対しませんでした。内心は行かせたくなかったのかもしれませんが、『好きにしていいよ』と背中を押してくれました」
上京した草刈は、1年後に東京へ母を呼び寄せたという。
「母は、仕事もやめて僕と一緒に東京で暮らし始めました。この道で食べていけるかどうかという状況でしたから、正直“賭け”でしたね」
その不安とは裏腹にモデルを始めて3カ月後、資生堂のCMに大抜擢。
それがきっかけで、俳優の道がひらけた。
「僕の結婚を機に母とは別々に暮らすようになったのですが、母が体調を悪くしてから亡くなるまで15年ほどは同居していました。