西陣織伝統工芸士、パリでのショー実現させた“亡夫との約束”
1男1女をもうけた。そして、結婚から6年後、京都の俊男さんの両親との同居を始めた。
「結婚して専業主婦だった私は、子育てが一段落したら、何か仕事をしたいとずっと考えてました。将来はオーダーメードの小さなブティックをやりたくて、最初は洋裁の学校に行って資格を取ろうと思っていたんですが……」
ここで姑の横槍が入る。「西陣に来たんやから、西陣の仕事せな」と。そこで小玉さんが見つけたのが先述の、つづれ織りの会社のパート募集の張り紙だった。採用がきまり、仕事を続けていたが、実家の事情でわずか1年半で退職してしまう。だが、ここで俊男さんが「1年半も織ってたなら、独り立ちできるやろ」と無茶ぶり。
早々に独立を果たすことになる。
ここから徐々に、小玉さんはその本領を発揮する。好奇心旺盛で、実験と発明が大好きな小玉さんは、つづれ織りのさまざまな可能性を独自に追及していく。「はつり目」というつづれ織り特有の隙間を利用してリボンを結びつけた帯や、あえて緯糸を織り込まず、透かし窓のように後ろの絵柄が透けて見える帯を企画し、織り上げ、コンクールでは賞も取った。