『刑事7人』のウラに“凄腕”女性プロデーサータッグの存在
当時は、男性と同じお給料で同じ仕事ができる職場はまだ珍しく、“記念受験”のつもりでした。受かったからには現場でバリバリ働こうと思っていたのですが、最初は秘書室に配属されて」
三輪「私は’92年入社です。小学生のとき、朝礼を生中継する放送クラブの活動をしているうちに『テレビ局に入りたい』と思うようになって。それに『3年B組金八先生』をはじめ、山田太一先生の作品やトレンディドラマなどが、ずっと好きだったんですよね。入社してから3年は宣伝部勤務で、その後、希望がかない、制作部に異動となりました」
その後、内山さんは’94年、三輪さんは’97年にドラマ部に配属される。
内山「すでにそのころ、他局には華やかなトレンディドラマをつくる女性がいたけれど、うちのドラマ部は、事務を除くと私1人――。寂しかったです。それに毎クール毎クール、ドラマのAP(アシスタントプロデューサー)を泥のようにこなしていました」
三輪「そして私が’97年にドラマ部に異動して、班は違ったけど、なぜか2人で飲みに行きましたよね」
内山「女性が来てくれたのが、すごくうれしかった。