貧困と暴力からNYと娘を守る!日本女性の現地警察の決意
いつ父が帰ってくるかと、つねに怯えていました」(京美さん)
立ち上げた建設会社の経営に失敗、父親が大きな借金を作ると、家には連日のように借金取りから電話がかかってきた。家まで直接、押しかけてくることもあった。高校2年生のとき、依然として借金の完済が遠い父親に、知り合いがこう吹き込んでいたことを聞いた。
「娘さん、もう大人なんだから、体で稼がせたらどうだ?」
その瞬間、家出を決意した。京美さんは高校を中退。神奈川県川崎市で暮らす母方の叔父を頼った。
「当時の私はダンスが好きで。そして、歌手のマドンナや、アメリカという国にもすごく憧れていたんです。
叔父の暮らす神奈川にはたくさん米軍の基地や施設がありました。基地や米軍住宅、米兵が集うクラブに出入りしているうち、軍の施設に就職できたんです」
10代後半から20代を、米軍基地内の食料品店などで働いて過ごした。給料を少しずつためながら、いつかアメリカに留学する日を夢見た。そして28歳の春、京美さんは在日米軍・キャンプ座間所属の米陸軍通信兵、ジョエル・ガイさんと知り合う。