歌手AIの母・バーバラ植村さん“ハーフ差別”の過去明かす
と呼ばれる地域の小さなホテルの管理人として、住み込みで働いた。
「スキッド・ロウはホームレスが多くて、酔っぱらいが多くて、ヘロイン中毒の人が多くて。道端で普通に人が寝てる街。汚くて、サイテーな場所(笑)。そこで私は5歳から15歳まで育ったの」(バーバラさん・以下同)
母・ジョバンナさんは、ホームレスも、黒人も、メキシコ移民も差別せず、いつもニコニコと挨拶する人だった。
「でも、私はハーフだから、日系人からも、白人からも差別されたね」
スキッド・ロウに隣接するリトル・トーキョーの日系人学校には「ハーフだから」という理由で入学できなかった。短期的だが、高級住宅地の白人学校に転校した小5のときも、最初は歓迎し、仲よくしてくれたクラスメートたちが、父親が日系人とわかった途端、手のひらを返した。
「誰も挨拶を返してくれない。
私が近寄ると、それまで楽しそうにおしゃべりしていた友達が、みんな急に逃げていった。好きだった男の子も私を無視。すごく悲しかった」
第二次世界大戦の記憶が、人々の心に鮮明な時代だ。