くらし情報『羽生結弦が語った夢「3年後に日本のスケート界を変える」』

羽生結弦が語った夢「3年後に日本のスケート界を変える」

休まずに、です。お母さんもずっと付き添っていました。お母さんは、結弦の心の支えであり、彼の考え方や精神力の根本になったと思います」(都築さん)

中学1年の3月、泉DOSCが「アイスリンク仙台」と名称を変え、営業を再開する。

’11年3月11日。高校1年生だった羽生は、期末試験を終え、昼ごろからアイスリンク仙台で練習していた。そのさなか、東日本大震災が発生する。羽生にとって2つ目の大きな試練だった。ライフラインはすべて止まり、自宅は全壊指定。
一家は、小学校の体育館に4日間、避難した。

ようやく電話がつながるようになると、由美さんは横浜の都築さんと連絡をとり、「結弦をそちらで練習させてもらえないでしょうか」とお願いした。そして3月20日、横浜へ移動した羽生は練習を再開する。 

「震災直後の結弦は不安定な状態でした。震災は彼の心を傷つけた。そのなかで競技に向き合える環境をつくることが急務でした。ご両親も心配だったでしょう」(都築さん)

羽生自身もこう話している。

「生きていくだけで精いっぱい。

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