恩師が語る羽生結弦の不屈「僕に不可能の文字はない!」
に通った間柄。仙台時代には接点はなかったが、東日本大震災後のアイスショーで、同じリンクを滑った。
「あのころ羽生選手は東神奈川にいて、すごい数のアイスショーに出ていました。お客さんの前で、緊張感をもって滑る経験を積んで、練習時間も練習場所もない逆境を克服したんです。彼はマイナスをマイナスと考えていなかった。どうしたら、できるのか。そればかりを考えていました」(本田さん)
《逆境はプラスだ》という考え方が、彼のなかに芽生えたのは、このころだ。泉DOSCで、羽生を指導した都築章一郎さんは言う。
「アイスショーが、リハビリになったと思います。横浜のリンクで練習して、ショーで確かめる。その半年間でした。震災で、生と死について、強く感じたと思うし、それを乗り越えて、競技している。結弦は、天真爛漫に動いていた少年時代より、強い信念をもってスケートをするようになりました」(都築さん)
最後に、数々の危機を乗り越えてきた羽生を見て本田さんは思う。
「『不可能という文字はない』それは、羽生選手の生き方」
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