「久保田早紀」引退から34年――被災地で歌う『異邦人』に感じた音楽の力
そんななか、’11年3月11日に東日本大震災が起こる。久米さんは、母親としての切ない思いから、すぐに行動を起こす。
「うちと同じ年ごろの育ち盛りの子供を持つお母さんをニュース映像で見て、自分なら、子供に食べさせたい、着させたいと思うに違いないと考えました。同時に聖書の『自分のしてほしいと思うことを隣の人にもしてあげなさい』という一節を思い出し、すぐに仙台出身のゴスペルシンガーの岩渕まことさんに連絡して『東北応援団LOVE EAST』を立ち上げました」(久米さん・以下同)
教会ならではのネットワークを通じて、まず若者ががれき撤去などで現地入りした。久米さんたち音楽関係者は国内外でチャリティコンサートを行い、’13年春には単身で宮城県の教会「気仙沼ホープセンター」で支援コンサートを行った。
「一緒に歌いましょう」
こんなときは懐メロが盛り上がることを、ふだんの活動からわかっていた。『上を向いて歩こう』「涙そうそう」、そして賛美歌も。どんな曲でも、一緒に歌えばみんな笑顔になり、こらえていた涙を流せた。
「音楽って、『ご一緒に』で時間も国境も宗教だって超えてしまいます。