元日テレ藪本雅子語る“過去の挫折”「毎晩浴びるようにお酒を…」
10代のころに芸能界入りしたものの、挫折した経験がある藪本さん。いわばリベンジとしてアナウンサーになったものの、自分の才能のなさに自信を失っていたという。
「それでも『話術が未熟な分体を張るぞ!』と、水着姿で熱湯に入ったり、求められることは何でもしたんです。注目されたかったですし、アナウンサーはみんな、周囲の期待に応えたい人が多いと思うんです。でも、結局、番組内での『いじり』をかわせず、いちいち真に受けて落ち込み、ここでも周囲に迷惑をかけてしまいました。自己嫌悪の極みで外に出るのも怖くなり、お酒と精神安定剤に頼りながら、なんとか仕事をしているような状態でした」
それでも、社会から排除されるのが怖くて作り笑いを続けていたという藪本さん。自分を完全に見失っていた――。
転機は’95年。
阪神・淡路大震災で現地取材を担当したことを機に、自ら企画、取材することにやりがいを見いだした。
「そんななか、ハンセン病問題に出合い、『本当の自分をわかってもらえない』という元患者さんたちの苦悩に心を打たれたのです。私はこの問題に取り組むべきだと思いました」