百恵さんが人知れず続けていた「義父母への献身介護」12年間
過去のインタビューで、友和は国立の二世帯住宅を建てた後に仕事が激減し、不安にかられたときのことをこう語っている。
《そんなときでも、うちの妻は腹が据わっていました。十万円なら十万円の生活、千円なら千円の生活をするだけだ、と言って。いい女房を選んだなとしみじみと感じたのは、あの時期でした》(『婦人公論』14年11月22日号)
義父母が元気なときも、介護が必要な高齢になっても、百恵さんはその状況に応じた生活を楽しもうとする人なのだろう。だからこそ、介護の苦労など微塵も見せずに淡々と自然体で続けている。
「だから、私たちも少しは助けてあげないと。ずっと任せきりでは、百恵も息が詰まっちゃうと思うのもあって。最近は何かと理由をつけてしょっちゅう行っています。
父の日や母の日は、必ず百恵や弟から『そろそろ集まらない?』って声がかかります。道路が空いていれば1時間半で着いちゃいますからね」
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