なぜ、主人公は歌うのか? 黒沢清監督が語る『旅のおわり世界のはじまり』
いま改めて思ったことですが、脚本を書いている初期の段階から、主人公には歌ってもらおうと思っていました。ミュージカルという言い方だとちょっと違うんですけど、ただ歌っている人を撮っているのとも少し違う。どこからか音楽が流れてきて、それに合わせて主人公が歌いだす。僕はこういうシーンが大好きで、なぜ音楽に合わせて登場人物が歌いだすことが、こんなにも気分の高揚を生むのか考えていたのですが、ひとつ言えるのは、流れてくる音楽というのは本来は観客にしか聞こえていない映画音楽で、主人公のいる場所では流れていないものです。ですが、それに合わせて登場人物が歌うということは、登場人物にもその音楽が聞こえていることになります。つまり、その瞬間、前田敦子がいる“あちらの世界”と劇場で観ている観客とが共通の音楽を聞いていることになる。ふたつの世界が結ばれるわけです。それが何ともいえない感銘を生むと思うんです。
たぶん、音楽が聞こえてきて主人公が歌う瞬間、主人公も観客も“私は孤独ではない”と思うのかもしれません」
孤独な状況に置かれた主人公が数々の出来事を経験し、危機的な状況をひとりでくぐり抜けて最後に歌いだす時、主人公の葉子と、それを観ている観客は孤独な状況からそっと抜け出し、そこに希望のようなものが出現するのではないだろうか。