くらし情報『『生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ』レポート 約30年ぶりの大回顧展が世田谷美術館で開幕』

『生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ』レポート 約30年ぶりの大回顧展が世田谷美術館で開幕

例えば、第1章「民衆へのまなざし」では、メキシコで先住民の集落を訪ねていた北川が、先住民文化を共有し、近代化する社会をたくましく生きる姿を描いている。また、1936年に帰国後も、近年公開されるようになった出征兵士を描いた作品などから、戦争で被害を被るのはいつも庶民だという批判精神が感じられる。

『生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ』レポート 約30年ぶりの大回顧展が世田谷美術館で開幕

中央左から《トラルパム霊園のお祭り》1930年名古屋市美術館、《ランチェロの唄》1938年東京国立近代美術館
『生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ』レポート 約30年ぶりの大回顧展が世田谷美術館で開幕

《トラルパム霊園のお祭り》1930年名古屋市美術館提供:世田谷美術館
『生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ』レポート 約30年ぶりの大回顧展が世田谷美術館で開幕

左から《鉛の兵隊(銃後の少女)》1939年個人蔵、《作文を書く少女(慰問文を書く少女)》1939年名古屋市美術館、《出征兵士》1944年東京都現代美術館
戦時下の日本。第3章「幻想と象徴」では、シュルレアリスムの非現実的・暗示的手法を、検閲を逃れる武器として用いた画家たちと響き合うような作品を紹介。1940年、国家行事として行われた「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」出品作《岩山に茂る》は、不毛の土地で粘り強く生きる植物を描いているが、時代への抵抗を潜ませているとも取れる。北川が戦争画の波に巻き込まれなかった所以を塚田に聞くと「欧米中心の時代に、進んでメキシコに行くという異色の経歴であり、帰国時は国内では全く無名の画家だったためではないか」

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.