【旅の途中の神様訪問】風情溢れる柴又の帝釈天で猛烈に幸せを願う
が一時期行方不明になってしまったことがありました。
ところが、今から約240年前にあたる安永8年(1779年)の春、本堂修理時に行方不明になっていた本尊が発見されたのです。本尊が見つかったこの日は、干支では「庚申(かのえさる)の日」でした。本尊が見つかった縁起の良い日であるとして、「庚申(かのえさる=こうしん)」がその後より「縁日」として定められました。
二天門までの参道。昔の風情が色濃く残る。
それからさらに後、日敬上人がこの帝釈天の本尊を背負って、飢饉や疫病に遭った江戸の人たちへ拝ませたところ、不思議なご利益を授かったそうです。
こうして、帝釈天の本尊への信仰が広まっていくなか、ちょうど同じ頃、「庚申待(こうしんまち)」という”庚申の日には体内の虫がその人の悪事を天帝へ報告するため、それを一晩寝ずに阻止するという”民間信仰が流行していたため、それが帝釈天本尊への信仰と結びつき、「庚申の日に帝釈天を参詣する」という風俗が今日まで受け継がれてきました。
現代でも60日ごとの庚申の日には「宵庚申」として帝釈天板本尊をご開帳し縁日として参道が多くの参拝客で賑わいます。
このような歴史を経るなかで、経栄山題経寺は江戸時代から、ご利益をもたらした御本尊「帝釈天」