また作家の無邪気な横暴ぶりを、芸術家の純粋さゆえと説得力をもって示すことができるのは、ウエンツの瑞々しい存在感ならではだろう。純粋さと表裏一体であるスコットの脆弱さをも怖れずに表現し、新境地を見せている。冒頭で「鏡のよう、僕たちは似てる」という歌詞がある通り、スコットの希有なきらめきを乱反射する存在が、濱田演じるゼルダだ。自身も華やかな存在でありながら、より大きな光に引き寄せられるようにスコットと結婚し、それが彼女の人生に苦しみをもたらすことになる。濱田は揺れ動く心情を魅力的かつ的確に表現。終盤、自立へともがき続けたゼルダが、晩年を過ごす精神病院でひとり見せた表情が胸に迫った。
舞台はショー要素の強い華やかな1920年代の様子と、"現在"である1948年の精神病院での芝居とが交互に進行。ベン役の山西はゼルダの言葉をノートにとりながら、舞台脇に出ずっぱりという辛抱役だ。
だがゼルダへの聞き取りを続けるうち、一介のゴシップ作家に過ぎないベンもまた、かれらの屈折した光に取り込まれてゆく。自分はいったい何者かーー。私たちすべての心の底にひそむ問いを、山西はそのさまざまな表情の変化で客席に投げかけてみせる。