ファッションという言葉の意味と正義の話《水曜のケセラセラ》
洋服は大好きなのだけど。「コレしておけばかっこいい、おしゃれ」とか「周りの“イケてる”空気を感じているから行動する」とか、そういうのは少し悲しい。自分の考えと意志を持って行動すべし、とよく言うけれど、それは少し違くて(私もよく行動あるのみと言っているけれど)行動しないという意志も大事なんじゃないかなぁ、と最近の空気を見ていて感じました。惰性からの拒否ではなく、意志としての拒否ならいいと思うのに、それすら許されない空気が漂っているというか。このモヤモヤを感じていた時、「"正義"が生まれる瞬間は恐ろしい」という言葉を見かけて「そうだ、これだ」と思いました。同調を求める空気というのは膨らめば膨らむ程、実態がつかめなくて恐ろしいんだと。同時に、洋服のファッションにおいて感じる恐ろしさもコレだったんだなと気づきました。
洋服であっても正義は生まれます。
極端に言えば今の流行でいうとガウチョは正義でミニスカは悪。正義とは結局、多数の意見ということなんでしょうか。そうしたら私のファッションは極悪非道かもしれません。根っからの天邪鬼という性格もあり、同調の空気がそもそも苦手なのもあるのですが(笑)最近の、特に若い子たちの熱気と行動力、「みんなもやってるじゃん、これやっとけばオシャレじゃん」