くらし情報『ト書き通りにいかない自由と、ト書き通りの不自由について【洒脱なレディ論】『山猫(Il gattopardo)』『カルテット』』

ト書き通りにいかない自由と、ト書き通りの不自由について【洒脱なレディ論】『山猫(Il gattopardo)』『カルテット』

ト書き通りにいかない自由と、ト書き通りの不自由について【洒脱なレディ論】『山猫(Il gattopardo)』『カルテット』
年度の変わり目というのは年末年始以上に、この国は悲喜交々があるようです。ふと自分の将来と世の中の流れに思いを馳せたり、そのなかでどんな幸せを手繰り寄せられたら幸せだろう、と急に不安になってみたり。そんなときは季節も時代も違うが、この映画をお勧めしたい。

“絶対的” だった価値観が変わる過程映画通が口をそろえて言う「彼ほどのスターはもう現れない」というアラン・ドロン、そしてタンクレディの婚約者として妖艶なフィアンセを演じたクラウディア・カルディナーレ。(先日発表された第70回目カンヌ国際映画祭のメインビジュアルを見れば、時代に左右されないその絶対的な美しさに同性だれど目がくらむはず。)ラストの圧巻の舞踏会シーンのエキストラは全員本物の貴族たち。自らも貴族の末裔という家系のイタリア映画の巨匠、ルチーノ・ヴィスコンティだからこそ描けた豪華絢爛な映像美。映画『山猫』が描くのは、1860年代のイタリア独立戦争に翻弄されたシチリア島のある貴族の「死」。
といっても、実際に誰かが命を落としたりという訳ではない。どちらかというと時代の変化に適応できずに存在そのものが置き去りにされるという意味での「死」

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