世界のHONDAも失敗が99%!「絶望は贈りもの」である理由
しかし、外側を変えられないときこそ、本当の意味でのチャンス。
なぜならそういう場合には、外側ではなく、自分の内側(心)を変えざるを得ないから。私たちの生きる真の目的は、内側(心)に変容を起こすことだという考え方です。
内側の変化こそ、本質的な変容(トランジッション)をもたらすもの。
たとえばそれは、過去の偉人たちも同じ。そこで本書では、彼らが絶望からどう復活したのかを明らかにしているのです。
■本田宗一郎は99%の失敗をして成功した
「私のやったことの99%は失敗だが、1%の成功のおかげで、いまの私がある」
これは、世界のHONDA(本田技研工業)の創設者である本田宗一郎の言葉。
「世界一でなければ日本一じゃない」と、宗一郎が率いるHONDAが世界を目指したのは、日本に不景気の波が押し寄せていた1954年のこと。
たった1台のバイクを輸出しはじめたばかりの段階であったにもかかわらず、世界一のバイクレースとして知られる、イギリスのマン島TT(ツーリスト・トロフィ)レースに出場すると宣言したのです。このとき、宗一郎は47歳。本田技術研究所として操業して8年目のこと。
世界のトップメーカーが出場するこのレースに優勝することは、世界一のバイクメーカーであることの証明になります。