40代になった私。それと同時に、自分の体形が崩れだしたのを、日に日に感じています。20代のときだったら、ごはんを食べなければ勝手に痩せていった体重。体形も食べた直後はおなかが出ていたけれど、次の日には元に戻っていました。ところが40代になるとそうはいかなくなり、だけど体形や体重が気になる……。そんな私が成功した意外なダイエット方法は?40代で気になり始めた容姿40代になってから、自分の容姿に対していろいろと気になりだしました。それは肌の衰えや、シミ、髪の毛のボリュームなどです。私が気になるところを夫に言うたびに、「気にならないよ」とは言ってくれますが、やはり気になるところはいろいろ出てきました。中でも1番気になるところは、体形が崩れだしたことです。特に、おなか周り、背中の肉が下がってきたように感じ、それと同時に、体重もなかなか減らなくなっていました。20代ならすぐに戻っていたのに…私は食べることがもともと好きで、良いのか悪いのか、食欲は20代のころと対して変わらず食べられています。しかし、運動量はかなり減ってしまい、体重や体形の変化は食べている量を考えたら、仕方がないのかなと思っていました。いろいろと試したダイエットこのままではいけないなと思ったので、食事量を減らしたり、ウォーキングをしたり、水を多めに飲んだりと、いろいろなダイエット方法を試してみました。しかし、どれもあまり成果は見られませんでした。そんな中で引っ越しのタイミングから専業主婦を2年していた私の仕事が決まり、ダイエットをしなきゃと思いながらも、仕事をもくもくとしていたところ、私の体重が徐々に減っていき、体形も少しずつですが締まってきたのです。そして最終的には、仕事を始めて1年で7kgほど減らすことに成功して、今では20代のころと同じ体重にまでなりました。まとめ何をしてもなかなか減ることがなかった私の体重。たった1年で20代のころと同じ体重になった私のダイエット法は、まさかの「仕事」でした。お金ももらえて、体重も減らせるなんて最高です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/さいとうみく(43歳)20代後半で長女を産み、その後5回の出産(うち1回は双子で出産)を経験。出産のたびに体の変化を感じながらも、誤魔化しながら子育てをしてきた結果、最近は身体のガタを感じ今後の子育てに不安を感じる40代。
2024年04月03日転倒して膝を強打し、人工膝関節手術をおこなった義母。頑張り屋の義母は、術後のリハビリにも積極的に取り組んでいました。しかし退院後、医師に「家でも横になって足を上げて休むように」と言われたにもかかわらず、昼間横になることに抵抗を覚える母は素直に応じず、そのせいでエコノミー症候群の危機が訪れるまでに……。義母の性格に寄り添った声掛けによって、うまく危機を回避した同居嫁の体験談です。人工膝関節手術を受けた義母、病院ではリハビリ優等生膝関節に痛みを抱えていた義母が、転倒して膝を強打し、入院して人工膝関節手術を受けることになりました。ちょうど新型コロナやインフルエンザなど感染症への対策で、面会は不可でしたが、義母はスマホのメッセージアプリが使えるので、手術後落ち着くと、リハビリから食事の内容まで入院生活の様子を毎日のように伝えてきました。「今日から歩行器。自分でトイレに行ける。うれしいわぁ」「食事は全部食べるようにしているよ。食べましたかって毎回聞かれるからね。今日も完食」術後の痛みは少なく元気な様子のメッセージに、私もひと安心していました。しかし、時折、勝気な性分の義母が頑張り過ぎているのではと感じることも。「いつも看護師さんに、リハビリの進みが早いと褒められたよ」「毎朝一番にリハビリ室に行くようにしていたら、療法士さんから○○さんは優等生ですねと褒められたわ」「同室のあの人は私より先に同じ手術したけれど寝てばかり。私、あの人には勝てそうやわ」褒められ、優越感を覚え、義母のリハビリ熱は加速。通常のリハビリメニュー以外に、できる限り通路を歩き回る、夜中もベッドの上でマッサージをするなど我流のリハビリにも励んでいるようでした。ただ病院内でもあるし、そう危険はないだろうと思い、私からは「ほどほどに頑張ってくださいね」とだけ返信していました。思うように頑張れない義母、いら立ちが発生入院から1カ月半後の退院時、義母が医師から受けたアドバイスは、「あまり頑張り過ぎないこと。ゆっくり休みを取りながらおこなってくださいね」というものでした。頑張りたい義母は不満そうな顔でしたが、私は適切なアドバイスだと感じました。言われなければきっと家に帰ってから義母は我流のリハビリに精を出していたはずです。退院後の義母は、リハビリメニューの通り、つえを使いながらの短いウォーキングと部屋の片付けをする以外は、居間の座椅子でテレビを見て過ごしました。義母は「動けると思ったけれど、家に帰ると意外と動けないものねぇ」と、気を落としていました。そのころ、手術した足が紫色に腫れ、痛がることも度々ありました。退院1週間後の診察で、医師は表情を曇らせました。「手術した足の静脈が細くなっている。血栓ができやすい状態、いわゆるエコノミー症候群の可能性が高いですね。ちゃんと休んでいますか?」義母は良くない状態だと告げられて、いら立ちました。「先生に言われた通り休んでいますよ! これ以上どう休んだら良いのですか?」「休むときは、横になって足を上げてください。足の下に何か添えて」「じゃあ、座ってテレビを見るとき、足を何か台の上に置けば良いのね?」「いいえ、心臓より足が高い位置でないと意味がない、必ず横になって寝てください」そんなやりとりで、退院後1回目の診察が終わりました。言い換えアドバイスで前向きな変化がリハビリを頑張りたいのに「寝てください」と言われ、義母は困惑していました。「私はあまり寝ないんよ」と、寝る時間が短いことを自慢にしていた義母です。昼寝の習慣もなく、日中に横になることにとても抵抗があるようでした。座ってウトウトする姿も見せたくない人なのです。「横になって休んでください」と言われても「私は平気だから」と聞く耳を持ってくれませんでした。しかしこのままではいつ血栓ができて命に関わるかわかりません。考えた末、言い方を変えて提案してみました。「お義母さん、横になって足を上げた状態でおこなう運動の時間を作ってみたらどうですか? こんなふうにベッドに寝転んで、足の下に畳んだ布団を置いて、20分間、手指の運動をしましょう」まず私が寝転んで実践。横になって、畳んだ布団の上に足を乗せた状態で、指のグーパー体操やゴムボールを握って見せました。「運動になるかどうか試してみては?」義母は「なるほどねぇ」とまんざらでもない表情。私は提案だけして、いったん外出しました。帰ると、すぐ義母が声を掛けてきました。「試してみたら、足がラクになる感じだったわ。このごろ手指の力がなくなってきたのも気になっていたから、3時間おきぐらいにおこなってみようかしら?」やった!と思いました。まとめ「寝る」という言葉を使わず、「運動」という言葉を入れたことで、義母のやる気にマッチしたようです。足の腫れも治まり、次の診察時には医師から「上等! 良い状態になりました」とのお言葉をいただきました。「先生の言いつけをきちんと守って、毎日3時間おきに必ず足を上げる運動をしているんですよ、私」義母は優等生に戻れた気分なのか、誇らしげに話していました。症状に応じたリハビリと、高齢者本人の気持ちや個性に寄り沿うような言葉掛けが大切だと感じた体験でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。著者/あさみ(55歳)平日はお勤め、週末は農業。夫、子ども、義父母と暮らしている。多忙でも趣味やスポーツの時間はなるべくキープ。育児、介護、町の行く末までいろいろ気になる。
2024年04月03日疲れからか、突然おでこと眉間に吹き出物が……。子どももいてエステに行くなどの時間もないので、自宅でも手軽にできるスキンケアを探してみました。そうして見つけた方法で吹き出物を改善することができました。その方法と試してみた結果についてお伝えします。突然、吹き出物ができた私子育ての疲れなのか、スキンケアの手抜きからなのか、おでこと眉間に吹き出物ができてしまった私。お金や時間があればエステサロンに行きたいものの、私にはお金も自由もありません。そんなとき、知ったのが「乳化クレンジング」です。クレンジングがあれば、おうちでエステ気分を味わえて、しかも角栓が取れてむき卵のような肌になるという方法なのだとか。そんな肌になるのかどうかはやってみなくてはわからないと思い、家にあるクレンジングで試してみることにしました。「乳化クレンジング」の方法とは使ったのは、比較的メイク落ちも良く、つっぱらないので愛用しているファンケルの「マイルドクレンジング オイル」です。まず髪が落ちてこないようにヘアバンドをつけ、メイクを落としておきます。次に乳化クレンジングをします。メイク落とし、乳化クレンジング、どちらも同じクレンジングを使います。メイクを落としたら、いざ乳化クレンジングを実践。クレンジングはたっぷり5プッシュ使います。目を避けた顔全体にのばし、両手の指先で小刻みに震わせ、ジェルクレンジングオイルを皮膚になじませます。場所を変えながら、おでこ、頬、こめかみ、顎、小鼻……。小鼻のあたりは人さし指で細かくらせんを描くように丁寧に。リンパマッサージではないので、「流す」わけではなく細かい振動を与えながら肌にクレンジングをただ、なじませていくだけの方法です。できれば5分すると良いそうです。1分ほどすると、汚れとクレンジングがなじんでいる感覚が。そして、3分ほどすると、小鼻、眉間、顎のざらつきがなくなってくる感覚があります。あくまでも、ごしごし洗いではなく、指先は細かく振動させて皮膚の上の汚れとクレンジングをなじませていくようにします。5分なじませたら、水かぬるま湯で乳化させてからしっかり洗い流して終了。クレンジングが白く濁ってきたら乳化できているサインです。これで、スッキリ!この方法で必要なことは、たっぷりクレンジングを使うこと。振動を与えつつ皮膚の上でクレンジングをなじませる時間は5分間取ること。注意点は、ごしごし洗いはシワの原因になるので避けるとのことです。あくまでも皮膚の汚れを細かい振動でクレンジングとなじませていくイメージです。結果は1週間で吹き出物が改善乳化クレンジングをしてみた結果は、1週間で変化がありました。なぜなら、吹き出物がなくなったからです。いつも、メイク落としをするときは多くて2プッシュ。メイクとなじんだらすぐに落としていたので、せいぜい2分程度。かなり短時間のスキンケアでした。今回の乳化クレンジングでは、メイク落としをした後、5プッシュもの量を使って5分間クレンジングをなじませます。5分間の乳化クレンジング途中で、角栓のざらざらした部分がなくなっていくのを感じ、「5分間は最低でもスキンケア時間をかけないといけないものなんだ」と実感しました。エステサロンに行かなくても、毎日のメイク落としの後に、5分間の乳化クレンジングのスキンケア時間をかけるだけ。それだけでも、エステのマッサージ気分が味わえます。吹き出物の改善ができ、肌のツヤも復活しました。お金もそこまでかからず簡単なので続けたいと思います。まとめ子育てをしていると、自分のスキンケアはおろそかになってしまいがちですが、そんな中でもきちんとスキンケア時間を取らないと、老化の第一歩につながりそうだと、今回、吹き出物ができて感じました。エステサロンに行くと値段も高く、家計にも響きそうです。そして、子どもが帰宅するまでの短時間でエステサロンに行って帰っても難しいもの……。そんなときは、自宅でできる乳化クレンジングをやって美肌に。いつものクレンジング料が使え、家でエステサロン気分を味わえるので、今度は、ちょっと高級なクレンジングを買って挑戦するのも良いかなと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/Kumiko3(43歳)夫と小学生2人の4人家族。Webライター。子育てしながらの仕事は想像以上に大変。アラサーよりも疲れやすく、美容院では肩凝りを指摘され、夕方にはエネルギー切れ。白髪も生えてきて、毎日イライラするのはもしかして更年期!?それでも身だしなみは整えて、目指せナチュラル若見えキラキラ美人!
2024年04月03日私の父は酒豪で、飲むと妙に明るくなって人に絡みます。私はそんな父が子どものころから苦手でした。お酒を飲めない夫と一緒になったのも、その影響が大きかったのだと思います。しかし、父にとってお酒の飲めない娘婿は気に入らない存在でした。お酒を飲めない夫にイラつく父私たち夫婦は、私の実家に近い場所に住んでいます。私が1人娘のためか、父母が寂しがるので、週に一度は夫と一緒に晩ごはんを食べに行きます。父はいつものように晩酌をしていて、毎回夫に「少しくらい飲め」と勧めるのですが、夫はアルコールに弱く、すぐに眠くなってしまうので、決して飲もうとはしません。「娘が結婚したら婿と飲むのが楽しみだ」と言っていた父は、夫から断られるたびにおもしろくないという表情をするのでした。そんな態度を取る父と一緒に食事をする夫が気の毒で、私は「無理しないで行かなくてもいいよ」と言いましたが、夫は「君と一緒に食事をするのが楽しみなんだろうから、週に一度くらいは」と笑ってくれました。父が倒れた夜ある晩、実家の母から電話がかかってきました。いつものようにお酒を飲んでいた父が腹痛で苦しんでいると言います。父は「救急車は呼ばないでくれ」と言うらしく、母はどうしたらよいかわからず私に助けを求めてきたのです。その様子を見ていた夫が、「僕が車を出す。お義父さんを病院に連れて行くよ」と、実家に駆けつけてくれました。病院で治療を受けた父はようやく落ち着き、翌日、念のための検査を受けに再び病院に行きましたが、異常なしとのことでした。父が夫を認めてくれた痛みに苦しみながらも、駆けつけた夫が車で病院に連れていってくれたことに、父は感謝しているようでした。「普段お酒を飲んでないから、車もすぐに出してもらえたんだな」と、今まで夫がお酒を飲まないことに不満をもらしていたことも反省し、夫に謝ってくれました。その日から、父と夫は今までよりも距離が縮まり、よく話をするようになったと感じます。私も、父が夫を認めてくれたことをうれしく思いました。夫はもともとお酒が飲めないのもありましたが、子どものころに仲の良かったいとこが飲酒運転の車にはねられたショックな出来事を経験しており、「自分は絶対にお酒を飲まないと決めていた」ことを後で話してくれました。まとめ父の世代は、職場の人たちとお酒を飲んで親睦を深める機会も多く、父はその方法でしか夫とのコミュニケーションの図り方を知らなかったのかもしれません。そんな父を否定せずにいてくれた夫を、私は尊敬しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/岡田朝子著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月03日年齢を重ねるほど、高い化粧品や質の良いシャンプーを使って髪の手入れをする人が多いようですが、今回紹介するのはその真逆。たった0円でできる美髪法。抜け毛が減り、ツヤやコシの改善にもいいという簡単なシャンプーの仕方です。私の体験談をお伝えします。あの一流芸能人もやっている「湯シャン」抜け毛が目立ち始め、髪にコシがなくなってきたと感じていたとき、ある雑誌で「湯シャン」という方法を見かけました。湯シャンというのはその名の通り、シャンプーもリンスも使わずお湯だけで髪を洗うというもの。シャンプーを使わないで、汚れが落ちるはずがないと読んだ直後は思ったのですが、ネットで「湯シャン」を調べると、福山雅治やミランダ・カー、タモリなど一流芸能人も実践しているというではありませんか! もう、これはやるしかないと思い、「湯シャン」をおこなってみました。「湯シャン」3日目、頭皮に変化が…方法は簡単でした。用意するものは、ブラシとタオルだけです。お風呂に入る前にブラッシング。後はシャワーで髪を濡らし、汚れを落とすだけです。初めて「湯シャン」をした日は、シャンプーをしたときの爽快感やリンスをしたあとのサラサラ感がないので違和感がありました。2日目も同じようになんとなく物足りない感じでしたが、ついに3日目に変化が……。湯シャンをしたときの頭皮の触り心地が明らかに違うと気付いたのが3日目でした。1日目、2日目はシャワーで流しても頭皮に皮脂が残っているように感じたのですが、3日目はシャワーを当てる前から頭皮がサラサラ、余分な皮脂がないのを感じたのです。「湯シャン」後も今までになかった爽快感で、明らかに頭皮が変わってきているのを実感できました。髪にツヤやコシが戻ってきたそれから1週間続け、頭皮の調子は絶好調。リンスを使わなくも髪にツヤやコシが出るようになってきました。抜け毛も少なくなり良いことだらけ。私の場合、スタイリング剤としてオイルを使っているので、髪に残ったオイルを取り除くために10日に1度はシャンプーだけ使うようにしています。「湯シャン」をおこなうになって感じたのは、余分な皮脂が出なくなったこと。夏も汗はかきますが、頭皮がベトベトすることはなくなりました。逆に冬は髪や頭皮の乾燥がなくなり、しっとりしています。まとめシャンプー、リンスを使わず髪をお湯で洗うだけの「湯シャン」。用意するものはなく、簡単な方法ですが、髪にも頭皮にも良いことだらけ。最初の1日間だけ違和感がありましたが、今まで自分で感じることができなかった髪や頭皮の感覚を知ることができてよかったです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/茂原 好子(43歳)8歳女児、6歳男児の母。出版社勤務を経て、出産を機に看護師資格を取得。病院に勤務したのち、看護師編集者に。
2024年04月03日男の子を育てながら在宅でマンガを描いている神谷もちさんが、友人の体験をもとに夫婦のすれ違いを描いたマンガ。夫・てつおさんに不満を感じ、つい不機嫌な態度で接してしまう妻・キリコさん。それに腹を立てたてつおさんが怒りだし、ついに両者の不満が爆発。激しい言い合いになりました。そこへ「いいかげんにしなよ!」と現れたのは……。仕事だけしていればいいってすごく幸せなこと娘から「いいかげんにしなよ。お母さん、私には言うのに、なんでお父さんには言わないの? お父さんは、なんで言われたことをやらないの?」と言われたキリコさんとてつおさん。娘はさらに「大人なんだから、ちゃんと仲直りしてよ!」と言い、部屋へ戻って行ったのです。キリコさんもてつおさんも、「はい……」としか言えませんでした。「子どもに言われるなんて情けない……」と……。てつおが「子どもに言われるなんて情けない……」と言うので、思わずまたキレそうになりましたが、「ごめん。落ち着こう」と言われ、私も冷静になりました。「俺も悪かったよ」と謝りつつ、「でもキリコは仕事が終わるのも早いから、家のことくらいやってくれてもいいだろ?」と言うてつお。「勘違いしていない? 私がやらなきゃどうにもならないから、仕事を早く終えているの」と反論しました。私だって何も考えず働きたい。でも、てつおはそれが当然って顔をして、協力してくれない……。「私が家事も育児もしているから、あんたは仕事に集中できるの。全然わかってないでしょ?」と冷静に伝えました。-----------------------「家のことくらい」とサラッと言うてつおさん。でも、仕事をしながらひとりで家事と子育てをやるのは、本当に大変なことですよね。せめててつおさんがそれをわかってくれていたら、キリコさんもここまで怒りはしなかったかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/神谷もち2019年、男の子を出産したアラフォーママ。現在育児をしながら在宅でイラストやマンガを描く仕事をしている。
2024年04月02日乳児の子育てに明け暮れた30代を経て、子どもがやっと幼稚園に入園。ひとりの時間を何年も前から待ち遠しく感じていたのに、40代に突入した途端に体の変調に振り回され、ひとりを楽しむ余裕がなくなりました。最初はそのことを夫に隠しながら過ごしていたのですが、夫に素直に話したことで気持ちが穏やかになり以前より生活しやすくなったので、それについてお話しします。朝起きた瞬間に決まる体調私の場合、調子の良い日と調子の悪い日が朝起きた瞬間に決まります。調子の良い日はさくさくと自分のしたいことに取り組めるのですが、調子の悪い日はずっと横になっていたい気分。予定があるときはどうにかこうにか自分を鼓舞してタスクをこなすのですが、そういう日は家事も必要最低限のことしかできません。前日の疲れが抜けなかったり、生理前だったり、理由がわかるときはまだ納得しながら過ごすことができます。しかし理由がわからないときは、もやもやしながらただただするべきことをなんとかこなす状態に。それが負の気持ちを助長し、「私って必要な存在なのかな」「なんでここにいるのだろう」と自己否定を繰り返してしまいます。子どもに八つ当たりしてしまうことも多くなっていきました。食生活を見直してみたものの…食生活を改善したら体調がすこぶる良くなったという話をママ友から聞いたので、まねできるところは私も取り入れてみようと思いました。具体的には、添加物がたくさん入っている調味料は避ける、市販のドレッシングを使わない、めんつゆは自分で作る。また、老化や肥満につながるGI値(食品が含有する糖質が体に吸収される度合いを示す値)が高いパスタや白米、パンなども控えるようにしました。しかし、頑張ってはみたものの、しなければならないことがかえって増えて自分の首を絞めることに……。子どもはそんな私を見て、「ママの作ってくれる料理なら何でもおいしいよ」と気をつかってくれましたが、私はどんどん追いつめられていき、おまけに特に体調が改善することもなかったため、食生活を変えることはやめてしまいました。体調について夫に打ち明けたところ…朝早く出社し夜遅くに帰宅する夫は、ジェットコースターのようにアップダウンする私の体調に気付くことなく過ごしていました。私自身も迷惑を掛けたくないので、土日は体調が悪い日も無理して体調が良いように装って過ごしていました。しかしある日、生理前のおなかの痛みがひどくて夕飯が作れない状態に。子どもには、冷凍庫にあるレンチンで済ましてもらい、夫には素直に体調が良くないので夕飯を作れなかったと話しました。夫は子どもからなんとなく私が体調に浮き沈みがあることを聞いていたようで、「無理しなくて良いよ」と。その日から、土日はごはんを作ってくれたり、洗濯をしてくれたり、進んで家事をしてくれるようになったのです。まとめ病院で診てもらっても健康診断でもハッキリした原因がわからない体の変化に振り回されていた40代前半の私。60代の友人に相談すると、「私もそういうときがあった。更年期ではないか」と言われ、ついに私も更年期が始まったのかと妙にふに落ちた部分がありました。今は、自分の体調に背伸びすることなく、その日の体調に合わせてできることをこなす日々です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/徳 衿唯(40歳)最近夫が「サウナー」になり、誘われるのでついていったある場所で「ロウリュウ」を体験。サウナの醍醐味を体感し、「サウナー」一歩手前な専業主婦。
2024年04月02日現在施設に入所している80代後半の父。2010年に初期のアルツハイマー型認知症と診断され要介護認定を受け、担当のケアマネジャーさんが決定し、デイサービス(利用者が自宅で自立した日常生活を送れるよう、食事や入浴などの支援が中心の介護サービス)の利用を開始しました。それから数年後、足腰が丈夫だった父の身に今後歩行が難しくなるかもしれないという事態が生じました。腰から足にかけてのしびれと痛みが強くなった父はアルツハイマー型認知症(脳の神経細胞が減り、脳が小さく萎縮することで症状が現れる認知症)と診断される前から首から肩、腰の痛みを訴え、近所の整形外科に通っていました。首と肩の痛みは元々の姿勢の悪さから、腰については2008年ごろに交通事故に遭い腰と足を強打した際に自己判断で治療を中断しており、その後遺症ではないかと家族は考えていました。幸いそのころはまだ足腰はしっかりしており、自力での歩行が可能で日常生活に問題ありませんでした。しかしアルツハイマー型認知症の診断から2年が過ぎた2012年ごろから、腰から足にかけて痛みが次第に強くなってきた様子で、同時にしびれも訴えるようになりました。それまでは病院で処方された湿布や飲み薬、年に数回ペインクリニック(神経ブロック:一時的あるいは長期間にわたり神経機能を停止させ痛みを軽減することを目的とした治療をおこなうクリニック)でブロック注射を受けて対処していましたが、それだけでは効果が薄くなってきたようです。何より困ったのが、エレベーターのないマンションの3階に自宅があることでした。階段の昇り降りがつらいようで、次第に生活に支障が出てきました。主たる介護者である母が「このまま歩けなくなって寝たきりになってしまったらどうしよう」という不安を感じ通院中の整形外科の医師に相談したところ、「一度精密検査を受けたほうが良いだろう」と総合病院へ紹介状を書いてくれることになりました。総合病院で検査、手術を決意総合病院へ行きMRIを受けたところ「画像で見た限りでは脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう:脊柱管と呼ばれる背骨の中にある神経の通り道が狭くなり、神経が圧迫される病気)だと思われます。対応はブロック注射で痛みを抑えるか手術となります」とのことでした。手術という言葉におびえた父は「手術は絶対に嫌だ!」と言い張り、数カ月様子を見ることとなりました。今にして思うと、そのころから父の様子が少しずつ変わっていたのです。体が思うように動かない上に痛みもあるためか、徐々に気力が低下し、表情が乏しくなり外へ出ようとしなくなりました。喜んで通っていたデイサービスに行くことも拒むようにもなり、要介護認定を受けて以来担当してくださっているケアマネジャーさんも抑うつ状態であることを心配し、少しでも前向きになってもらいたいと利用するサービスの変更などの対応を考えてくださいました。2013年8月、このままでは本当に動けなくなってしまうと手術を前提に検査入院をしました。その結果、脊柱管が細く狭くなる狭窄(きょうさく)は4カ所あり、全身麻酔での手術をおこなうことになりました。病院側からは、認知症がある場合、手術直後に注意や理解、記憶などの機能が急性に低下するせん妄状態となり一時的ではあるものの認知症の状態が悪化する可能性が高いこと、また手術をしたからといって必ず痛みがなくなるとは限らないとのことについて説明がありました。手術後の経過2014年3月に手術を受けました。手術後は、傷の痛みとせん妄による興奮状態で大声を出す、看護師さんに暴言を吐くなどの様子が見られヒヤヒヤしました。幸い手術は成功し、時々腰にしびれを感じることはあるけれど足にかけての痛みはかなり減ったとのことで2週間後に退院しました。退院後は父のほうから「歩いてみたい」と言い始め、つえを突きながら少しずつ歩行練習を始めました。また手術前にケアマネジャーさんより「今後使える介護サービスを増やすことを考え、要介護度の見直しをしてみましょう」と言われおり、再度要介護認定を受け、要介護度が要支援1から要介護1となりました。それまでは、リハビリがメインとなる半日型のデイサービスを週2回利用していましたが、使用できる単位数が増えたので、入浴介助もしてくれレクリエーションも充実している1日型のデイサービスを追加で週1回利用することになりました。実はこのころ、自宅での入浴が徐々に難しくなってきており、母の負担を減らす目的もありました。その後、体の状態が安定してくるにつれ精神状態も安定してきたことが目に見えてわかり、家族はもちろん父自身もホッとしたようでした。まとめ当時は、父の体のことが心配なのはもちろんですが、日に日に気力を失っていく姿を見ることが何よりつらかったです。体の痛みや自由が利かないことがどれほど精神に影響を与えるかを改めて考えさせられた出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ブルームーン(53歳)30代でシングルマザーになり、50代で再婚。
2024年04月02日加齢とともに印象が変わってきた目元周り。メイク崩れも気になるようになりました。そこで、私は眉毛とアイラインにアートメイクを施すことに。アートメイクをしてみて痛みはないのか? 色の持ちはどうなのか? アートメイクをしてみて感じたメリット・デメリットなどリアルな体験談を紹介します。アートメイクって?施術しようと思ったきっかけアートメイクとは専用の針を使い、眉毛・アイライン・唇などに色素を定着させる施術方法。昔はエステサロンなどでもアートメイクをすることができましたが、現在は医療従事者でなければ施術はできなくなりました。そのため、アートメイクは美容クリニックで施術するのが一般的のようです。年を重ねるごとに顔に汗をかきやすくなり、朝時間をかけてばっちり描いた眉毛も、夕方には消えかけて悲惨な状態……。そんなとき、たまたまテレビで知ったのがアートメイク。毎日のメイク直しも面倒だし、いっそのこと消えないアートメイクにしてしまったほうがラクかもしれないと思い、すぐさま近くで施術できるところを探しました。すっぴんとは思えない仕上がりに感動!早速近くで施術できるところを見つけ、まずは眉毛を、その後アイラインにもアートメイクを施しました。費用はクリニックによりますが、私の場合は眉毛で約9万円、アイラインで約6万円でした。初回は好みの眉毛の形や色などについてカウンセリングがあり、トータルでかかった時間は2時間ほど。まずペンシルで描いて眉毛のデザインを確認してくれるので、仕上がってから「思っていた形と違った!」ということはありませんでした。アートメイクは針で色を入れていくということで、私が一番不安だったのは痛み。痛みの感じ方には個人差があると思いますが、麻酔をした上で、眉毛を抜くときのように少しチクチクとする程度で我慢できないほどの痛みはありませんでした。眉毛とアイラインで各3回施術を受けて完成。きれいに整った眉毛とアイラインは大満足の仕上がりで、鏡を見てこれが自分のすっぴんなのかと感動! メイクの時間が減ってかなりラクになりました。施術後ですが、眉毛が少し濃く仕上がるので前髪を下ろして隠し、アイラインはまぶたがしばらく腫れぼったくなり仕事に行くのが恥ずかしかったのはちょっと苦い思い出です。眉毛が自然な状態になったり、まぶたの腫れがひいたりするまで1週間ほどかかりました。ダウンタイムが必要なので、連休など長期休みを利用して施術するとよかったと思いました。アートメイクの経過と施術の注意点アートメイクは消えないメイクですが、入れ墨やタトゥーのように一生消えないわけではありません。一般的にアートメイクの持続期間は1~2年ほどといわれていて、私の場合も1年経過したぐらいから徐々に薄くなっていきました。美容院で髪を染めるのと同じように、アートメイクも定期的にリタッチをおこなって長持ちさせていく必要があります。眉毛も細かったり太かったり時代とともに流行が変わるので、デザインや色を変えることができるのはアートメイクのメリットだと感じます。ちなみに日本でアートメイクをおこなう場合は医療機関で施術することになるので安全性は高いと思いますが、海外旅行のついでなどで気楽に施術をおこなうのは要注意のようです。費用はかなり安い半面、帰国後なかなか腫れがひかないなどのトラブルが起こった場合や、デザインが気に入らなかった場合に海外だとアフターケアをしてもらうのが難しい……。そういったいろいろなリスクも考えて、私は近くで信頼できるクリニックを選びました。次回アートメイクをする場合もそこでお願いしたいなと思っています。まとめ実際に眉毛とアイラインのアートメイクを体験してみて感じたメリットは、とにかくメイクがラクになったこと! 買い物に行く程度なら日焼け止めだけ塗ればすっぴんでも全然平気です。デメリットとしては施術できる場所が少ないこと、費用が高いこと、箇所によっては施術後のダウンタイムが必要なことなど。アートメイクも美容院のようにもっと気楽に通えるようになればいいのになぁと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ふじか(41歳)幼稚園に通う男の子をもつ専業主婦。 高齢出産だからこそ歳をとっても若く見られたい。 「脱おばさん」を目指してダイエットと美容に奮闘中。
2024年04月02日以前、私はセックス中の痛みに悩んでいました。セックスにおける快楽や満足度を減少させる性交痛について、私の対処法を紹介します。性交痛への対処法とは?セックスの際に痛みを感じていた私は、そのたびに気持ちが沈み込んでしまうこともありました。最初は原因がわからず、不安や焦りが募る日々でしたが、パートナーとのオープンなコミュニケーションを通じて、一緒に対処法を探ることにしました。自分なりにリサーチ性交痛について自分なりに調べてみると、セックス前に十分な準備をすることが大切であること、例えば前戯の時間をしっかりと取って体をリラックスさせることで、性交痛の症状を軽減できることを知りました。また、適切な姿勢の選択も重要のようで、体に負担をかけない姿勢を選び、痛みを最小限に抑えることが必要とのこと。快適なセックスライフがそこで私たちは十分な前戯の時間を設け、潤滑剤も使用することに。すると、悩んでいた性交痛が軽減したのです。また、ストレスや緊張を軽減するために、リラックスする時間を持つことも重要だと感じました。これらの対処法を取り入れることで、性交痛が改善され、より快適なセックスライフを送ることができるようになりました。まとめ性交痛で悩んでいた私ですが、セックス前の準備や適切なケアをすることで性交痛を改善できました。今後また性交痛に悩む日が来た際は、ひとりで抱え込まずに専門家の助言も受けてみようと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/山田ちこ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月02日男の子を育てながら在宅でマンガを描いている神谷もちさんが、友人の体験をもとに夫婦のすれ違いを描いたマンガ。夫・てつおさんに不満を感じ、つい不機嫌な態度で接してしまう妻・キリコさん。それに腹を立てたてつおさんが「何を怒っているんだよ」と怒鳴り、ついに両者の不満が爆発。激しい言い合いとなりました。ずっとこのままなの?キリコさんが「娘の面倒は私が見ている」と言うと、「大黒柱は俺なんだから仕方ない」とてつおさん。「こんなくだらないことで不機嫌になって『察して』を続けるのか!?」と言われて、キリコさんは「それくらい察してよ!」と叫びました。そのとき「いいかげんにしなよ。さっきからずっと同じ話だよ」と娘が……。「お母さんは『察して』しすぎ」と……。「お母さんは『察して』しすぎ。お父さんは察しなさすぎ」と言う娘のはるか。そして「お母さん、私には言うのになんでお父さんには言わないの? お父さんは、なんで言われたことをやらないの?」と聞いてきました。私とてつおが言い訳をしていると、「じゃあずっとこのままの? 私、嫌だよ。しっかりしてよ、大人なんだから。ちゃんと仲直りしてよ!」と言い、自分の部屋へ戻って行きました。私もてつおも「はい……」としか言えませんでした。-----------------------お母さんが「察して」と求めすぎ、お父さんは察しなさすぎと指摘するあたり、子どもは親が思っている以上に親のことをよく見ているのがわかります。娘のはるかさんが、一番大人だったようですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/神谷もち2019年、男の子を出産したアラフォーママ。現在育児をしながら在宅でイラストやマンガを描く仕事をしている。
2024年04月01日子どものころから痩せていて色白な私は、周りの人たちから「病弱なの?」と、よく心配されていました。しかし実際は、ほとんど病気をしない健康な子ども。20〜30代のころはそんな痩せた体形が嫌で太りたいと思いたくさん食べていましたが、まったく太りませんでした。ところが、40代になってからは……。人生最高値の体重40代になったころ、おなか周りや脚が太くなり、「体がなんとなく重いなぁ」と感じるようになりました。長い間使っていなかった体重計を出して乗ってみると、そこには今まで見たこともないような数字が。「やばい! 私の人生で最高に太っている! いつの間にこんなに太ったの?」と自分でも信じられず、体重計が壊れているのかと疑いました。しかし夫から「中年太りしてるね」と言われたことを思い出し、体重計の数値をしぶしぶ受け入れ、ダイエットを決意しました。ダイエット=運動それまでダイエットと無縁の体形だった私には、ダイエットに関する知識がまったくありませんでした。インターネットでダイエットについていろいろと調べるうちにわかったことは、「健康的に痩せるには運動。運動をして筋肉をつけると太りにくい体になる」ということでした。「運動」といっても出不精な私はジムに通うのは面倒くさいし、家の外に出てジョギングやウォーキングをするのは日焼けが気になる……と、頭の中で思いついた「運動」に気乗りしませんでした。家の中でできる運動は…「だったら家の中で運動をするしかない!」と思いながら、ぼんやりテレビCMを見ているとNintendo Switchの「リングフィットアドベンチャー」という体を動かしながら遊べるゲームが発売されていることを知りました。発売当初はかなり人気のあるゲームで入手困難でしたが、夫からのクリスマスプレゼントで無事GET。早速「リングフィットアドベンチャー」で毎日少しずつ運動を始めることにしました。普段から運動不足だった私にはキツイ内容でしたが、もともとゲームが好きなので楽しく毎日コツコツと「リングフィットアドベンチャー」をしつつ、体重・体脂肪率・筋肉量などのチェックもしました。まとめ約3カ月間続けた結果、体重は少し減少。体脂肪率は減って筋肉量が増えていました。見た目の変化はあまりありませんが、体が軽くなり体重が増えなくなりました。ここ最近はサボっているので、そろそろ再開して薄着の季節までに引き締まった体にしたいなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/吉野 詠美福岡県出身。専門学校を卒業後、技術系事務、経理、接客などの仕事を経験。趣味は、コスメ・メイク・スキンケアなど美容の探求、読書、アニメや海外ドラマ鑑賞、投資(主に外国為替取引)など。
2024年04月01日糖質の摂取量を気にするだけでできる「糖質制限ダイエット」に、46歳のときに挑戦しました。結果は、心身の不調の連続で効果なし。さらに遺伝子検査では、驚愕(きょうがく)する事態になりました。糖質制限ダイエットに挑戦これまで、さまざまなダイエットに挑戦してきましたがことごとく失敗。40代後半に突入し、代謝は落ちるばかりで体重も徐々に増加。自己流の食事制限では体重が落とせず、なんとかしなければと体形を気にする毎日でした。そのときに流行していたのが、糖質制限ダイエット。メディアでも頻繁に取り上げられ、ストレスなく続けられる、むくみが取れる、美肌効果が期待できるなどとても魅力的に見えるダイエット法でした。糖質オフ麺や糖質カットに特化した食材なども通販サイトやスーパーで手軽に購入できるため、挑戦しやすそうだなと興味を持つように。「たんぱく質の制限がないなら大好きなお肉はたくさん食べられるし、この方法なら私にも続けられるかも」 と、挑戦することを決心しました。体に異変が…めまいや無気力が続く糖質制限ダイエットでは、1日の糖質摂取量を70〜130gほどに抑えることが推奨されています。やるなら徹底的にしたい! そんな性格の私は「1日の糖質摂取量は70gを目指そう」 と決心。その日からは、グルテンフリー食材を中心に生活を始めました。糖質制限生活はすぐに体重の変化へとつながり、最初の1週間は絶大な効果を実感できました。「いつも3日で飽きてしまうダイエットも、これなら続けられそう」 と、評判通りのストレスの少なさにやる気は増すばかり。このまま糖質を制限する生活をすれば、さらに体重が減ると期待し、糖質制限ダイエットを続行しました。しかし、その後は体重の減少がストップ。さらには、寝つきも寝起きも悪くなり、めまいや立ちくらみ、無気力状態といった体の不調が出ていました。しかし、季節が夏だったため、「夏バテ気味だなぁ」 と自己判断。体重の変化もない状況でしたが、停滞期だと思い込み、ダイエットと体の不調が関連しているとは疑いもしませんでした。ある日、ダイエットをしていることは伝えず、体の不調があることを友人に相談したところ「更年期なんじゃない?」 とアドバイスを受けました。年齢的に更年期障害に当てはまる気がしたため、内科を受診することにしました。遺伝子検査で衝撃の事実が!内科を受診した結果、更年期障害だろうということで、ホルモンバランスを整える漢方が処方されました。「これで少しはマシになるかな……」 と、糖質制限ダイエットをしながらの通院生活の始まりです。体重は停滞したままでしたが、太ることはなかったので、糖質制限生活のおかげで現状を維持できているのでは? と思うようになっていました。しかし、体の不調は改善する気配なし。このとき初めて、糖質制限ダイエットが影響しているのではないかと考えるようになりました。次の受診で、主治医へ糖質制限ダイエットをしていること、そのころから体の不調が出ていることを伝えました。すると「糖質制限に不向きな体質の可能性もあるから、遺伝子検査をしてみたらどう?」 と進められ、実施することに。結果は、糖質制限ダイエットには向いていない体質であるという驚愕の事実が判明。更年期障害かもと疑っていた不調は、糖質制限生活をやめた途端に改善したのでした。まとめこの一件を経験して、体調がおかしいなと感じたら多方面から不調の原因を考えること、主治医にも詳しく相談することが重要だと実感させられました。また、今回はたまたま遺伝子検査をするまでに至りましたが、自分の体質を知ることで今後の体調管理に生かせるため、とても良い機会でもあったと思っています。迫る50代に備えて、今後も心身の健康を大切にしていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ささきなみ(37歳)体力の衰えを感じ、年齢に抗うなにかを始めようと摸索中のアラフォーです。趣味はキャンプ。自然の中で飲むお酒を楽しみに日々を頑張っています。健康や夫婦生活についてなど、アラフォー世代の気になる体験談を執筆中です。
2024年04月01日2023年の夏、犬の散歩の途中に見かけたラジオ体操の集まり。私もやってみたいと思ったものの、朝は忙しく集まりに参加することはできないため、自宅でラジオ体操をすることにしました。運動不足は良くないとわかっていても、本格的に運動を始めるのはちょっと勇気がいる……というアラフィフの私でも、ラジオ体操は始めやすく続けやすい運動でした。朝の散歩で見かけたラジオ体操2023年の夏は猛暑で、毎朝犬の散歩をしている私も困っていました。ある日、少しでも涼しい時間帯に散歩しようとそれまでより早い時間帯に公園に行きました。すると、どこからともなく人が公園に集まって来るではないですか。何の集まりかと犬の散歩をしながら見ていると、それはラジオ体操の集まりでした。朝の6時半、太陽の下でのラジオ体操はとても気持ちが良さそうで、それから毎日、通り過ぎるたびに私もラジオ体操に参加したいと思うようになりました。ただ、朝は犬の散歩や子どものことで忙しいので集まりに参加することは難しいです。そんなときNHKのEテレでもラジオ体操の番組があることを知り、朝の散歩から帰ってきた後、テレビを見ながらラジオ体操をすることにしました。たった5分間程度ですが、ラジオ体操をすると全身がほぐれた感じがして、気分もスッキリ。小学生以来もう何十年もラジオ体操とはご無沙汰でしたので、こまかい動きや順番は忘れていましたが、TVに映るインストラクターの動きを見ながら、見よう見まねでラジオ体操をおこないました。それ以来、平日の朝は番組の時間になるとテレビのチャンネルをNHKのEテレに変えて、テレビの前でラジオ体操しています。もちろんひとり。番組が始まる6時半はちょうど夫の出勤後で、かつ子どもが起きてくる前なので、誰の目を気にすることもなく伸び伸びと体を動かすことができます。また忙しい朝でも、5分程度なので家事の隙間におこなっています。午後にもラジオ体操、平日は1日2回に最近は朝の体操のほか午後にもラジオ体操をしています。先日、在宅勤務をしている知り合いが午後のテレビ体操の時間には体操をして体を動かすようにしていると言っていたことを思い出し、私も午後もしようと思いました。私の場合、午後はテレビがない部屋で仕事をしているため、NHKラジオのアプリ「らじる★らじる」を利用しています。午後はちょうど体がだるくなってくる時間帯、そして子どもが学校から帰って来る前にラジオ体操を実施。子どもが帰宅した後は習い事の送迎や夕方の家事で忙しくなるので、体操が気分転換となって、もうひと頑張りすることができます。私の場合、午前中は出掛けることも多いですが、午後は基本的に子どもが学校から帰って来ることも考えて家にいるので続けやすいです。実は以前も運動不足が気になりYouTubeのヨガ動画にも挑戦したのですが、数日で挫折してしまいました。ラジオ体操と同じように自宅でできることはよかったのですが、時間が決まっていなかったことで習慣化することができませんでした。今回は時間を決めていることで日常生活にうまく組み込むことができています。ラジオ体操でも立派な運動習慣以前、ラジオ体操は健康に良いと聞いたことがあります。先日改めてラジオ体操の効果についてネットで見てみると、数分のラジオ体操でも、継続すれば運動習慣となることがわかりました。ラジオ体操には第一と第二がありますが、第一は筋肉や関節をほぐすことが期待でき、ラジオ体操第二はジャンプが多く筋肉や骨の強化に効果的だそうです。在宅ワーカーの私はずっと座っていることが多く、肩凝りになることもよくあったのですが、最近は肩凝りを感じることが少なくなりました。また、体だけでなく心への影響も大きいのではないかと感じています。家事や仕事の隙間時間にラジオ体操で全身を動かすことにより、気持ちもリフレッシュできているからです。今私は47歳ですが、今後更年期が本格的になって来て感情が不安定になった場合にも、ラジオ体操は良いのではないかなと思いました。なおラジオ体操をおこなう際、私は一つひとつの動きをキレ良く指先までしっかり伸ばすこと、呼吸をしながらおこなうことを意識しています。以前習っていたヨガでも呼吸が大事、一つひとつのポーズを意識して丁寧にすることが大事と習ったので、ラジオ体操でも意識しています。まとめラジオ体操を始めてから半年近くがたちます。体重の変化や見た目の変化はないけれど、体操をした後は体も心もスッキリして、イライラが減った気がします。更年期をじょうずに乗り切るためにも、これからも続けていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/はるひび(46歳)小学生の娘を持つ母。在宅ワークのため、運動不足になりがち。最近、骨伝導イヤホンを購入。早起きして、好きな音楽やラジオを聴きながら近所の公園を散歩している。
2024年04月01日更年期になってさまざまな体調の変化を感じ始め、どんどん体が衰えていくような寂しい気持ちになっていたころのことです。この年齢でダンス?と思いましたが、意外なきっかけで思い切って始めてみました。その結果、新たな楽しみと健康を手に入れることができました。これは私がダンスを始めるまでの体験談です。きっかけは、まさかのぎっくり腰娘が中学校に進学して間もないある日のこと。新学年の初めての授業参観と保護者会がありました。ポカポカ陽気の春の午後。廊下から授業の様子を参観していて、あまりの暖かさにウトウトしてしまい膝がカクンっとなって、目を覚ましました。そして次の瞬間、腰に激痛が走ったのです。授業参観中にうたた寝って……。このところ、仕事の疲れがたまっていたとはいえ、バチが当たってしまいました。痛みに耐えながら保護者会を終え、なんとか帰宅しましたが、痛みはひどくなるばかり。もともと腰痛はあったのですが、こんなにもひどい痛みは経験がなく、翌日、整形外科を受診しました。「ぎっくり腰ですね」と先生に言われ、「えっ、カクンってなっただけですよ!」 と言うと、「そもそも腰痛があってカクンとなったのが引き金になったんですね」と言われてしまいました。受診した整形外科には幸い整骨院が併設されていて、保険適用でリハビリを受けることになりました。担当のトレーナーさんは30代半ばのちょっと好みのスポーツマン。50過ぎの私にとってはトレーナーさんとの会話が新鮮で、週1回の通院が楽しみになりました。ひそかに憧れていた踊れる私整骨院でのリハビリは、体幹を鍛えるトレーニングが主でした。とはいえ、体幹トレーニング自体は私には楽しくありません。自宅でも朝晩2回、トレーニングするように言われましたが、ほとんどやりませんでした。そうこうしているうちに、保険適用期限の5カ月が過ぎてしまいました。ぎっくり腰は治ったものの腰痛は残ったままで、自費で通い続けても改善しそうにありません。いったんリハビリはやめることにしました。何か楽しく続けられるトレーニングはないものか? ジム、ヨガ、水泳、ジョギング……どれもピンと来ません。そのころテレビでは、ある人気歌手の引退の特集番組が連日放送されていました。踊れるってカッコいいなぁ。最近の子どもたちの定番のお稽古事の1つがダンス。数年前まで私の子どもたちもダンスを習っていて、カッコいいなぁと感じ、こっそりダンスの発表会のビデオを見てまねしたこともありました。そう! ダンスだ! これなら楽しく続けられる!と思い、早速、自宅周辺のダンススクールを検索しました!楽し過ぎてダンスに夢中な日々自宅周辺で、平日昼間に大人向けのレッスンを開講しているスタジオに見学に行きました。スタジオ内には日光が降り注ぎ、キラキラ輝いて見えました。レッスンには、30代ぐらいの主婦の方が数名。私、最年長かも……と気後れしそうでしたが、先生も生徒さんも気軽に話しかけてくださり、後日、体験レッスンをすることになりました。入会する気満々でしたが、いい年してダンスするの?と思われそうで、「体験して考えてみます」と言いました。でも、心の中はレッスン日が待ち遠しくワクワクしていました。そして、体験レッスン当日。見学の際、「腰痛の改善と憧れ○○(人気歌手)みたいに踊りたい」と話したので、その日の課題曲はその人気歌手のダンスナンバーでした。レッスンは90分。前半はストレッチ中心で、初心者の私にはかなりハードでしたが、すごく気持ちが良い! 後半の振り付けは難しくて、うまくできなかったけど楽し過ぎました。入会金・月謝なし、レッスン料は1回1,000円。回数券を購入すれば1,000円以下。予約・申込不要で、レッスンスケジュールを見て、行きたいレッスンに参加できるシステムも通いやすいポイントでした。まとめスタジオでは最年長なのでついていくのがやっと。でも、とにかく体を動かすのが楽しく、レッスン後は他の生徒さんとの会話も弾んでちょっと若返った気もしています。レッスン中にスマホで撮影したダンスを自宅で毎日練習して、次のレッスンまでに完璧にしよう!と頑張っています。そのおかげか、腰痛は1カ月ほどで解消しました。ぎっくり腰になったことはショックでしたが、結果的にダンスという新しい趣味に出合うきっかけになってよかったと思っています。次は180度開脚ができるようになることを目指して、これからも自分のペースで続けていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/川口まみこ(52歳)中高生2児の母。バブル真っ最中に社会人になり、仕事もプライベートも充実。肌と体のケアには無頓着で不規則な生活送る。そのツケが今になって現れ、美容と健康を取り戻そうと頑張るアラフィフ。猫になりたい。
2024年04月01日男の子を育てながら在宅でマンガを描いている神谷もちさんが、友人の体験をもとに夫婦のすれ違いを描いたマンガ。夫・てつおさんに不満を感じ、つい不機嫌な態度で接してしまう妻・キリコさん。その様子にてつおさんが怒り、「何を怒っているんだよ。言えよ!」と怒鳴りました。両者ともずっと我慢してきた不満が爆発。大喧嘩が始まったのです。「察してよ」を続けるのか?キリコさんが「私のお願いなんて全然聞いてくれない!」と言うと、「キリコより働いている時間が長いんだから仕方ない」とてつおさん。「それは私がはるかのことを見ているから。私の犠牲の上で成り立っている」と反論すると、「はるかをそんなふうに思っているのか」と言われ、キリコさんは「てつおに思っているの」と叫んだのです。てつおさんは「大黒柱は俺なんだから」と……。娘のはるかの面倒を私が見ていると言うと、「大黒柱は俺なんだから仕方ない」と言うてつお。さらに、「俺は俺なりに家のことはやってるつもり」と言うのです。「靴下を直すのがそんなに嫌!? 私がどれだけお願いしたって、これくらいいいやって思うの!?」と聞くと「そうだよ」という返事が!「こんなくだらないことで不機嫌なままで『察してよ』って続けるのか!?」と聞かれて、「それくらい察してよ!」と叫びました。そのとき、「いいかげんにしなよ。さっきからずっと同じ話だよ」と娘が……。-----------------------キリコさんとてつおさんの言い分はまったくの平行線で、解決方法が見えません。娘のはるかさんが思わず口を挟みたくなった気持ちがわかりますね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/神谷もち2019年、男の子を出産したアラフォーママ。現在育児をしながら在宅でイラストやマンガを描く仕事をしている。
2024年04月01日私は夫と2人暮らしの兼業主婦です。彼は安月給ですが愛があれば大丈夫! しかし、気がかりは義父のこと。会社経営をしている彼は、農業を営む私の実家のことをいつも見下しているのです。両親をバカにする義父先日も私は、気が進まないながら、実家から届いた新鮮な野菜を義両親におすそ分けに行ったのですが……。早速義父が嫌みの連発。「お前の親は相変わらず貧相な農家だな。会社経営者の俺の爪のアカでも送ってやろう」とまで言われ、喉元まで反論がこみ上げてきました。それでも直接対決は何とか我慢し、夫から物申してもらおうとした私。しかし夫は、「仕方ないよ、親父は昔からああだから。聞き流せば良いんだよ、本気にするな」と真剣に取り合ってくれません。私の父母をバカにしながら、結局その野菜をおいしそうに食べている義父……。まるで、もらうのが当然のような顔をしています。「でも、父が渡しているのは野菜だけじゃないのよ? あなたも覚えているでしょ? お世話になっていながら、うちの農家を見下すなんてあり得ない!」夫に対しても怒りが募ってきましたが、彼は諦めた様子で肩をすくめます。「会社経営者としてのプライドがあるんだよ。ここは俺に免じてスルーしてやってくれ」渡されたのは現金!?それからしばらくして……。夫と私は、突然義父から呼び出され、再び義実家に出向いていました。「今日はお前がひれ伏して俺に頭を下げるよう、わざわざ現金を用意してやったんだ」「は? 現金?」。私が聞き返すと義父はニヤリと笑いました。「ああ、そうだ。これまでのように振込だと顔が見られないからな。手渡しされれば少しは感謝の気持ちも湧くだろう。ほら、100万円」そう言って義父は、いきなりお金を私に投げてよこしたのです! そっちがその態度なら……と私は覚悟を決め、わざと義父が放った100万円を目の前で数え始めました。「1、10、20……。はい、たしかに」すると、逆ギレした義父。「なんだその態度は! 人がせっかく100万円をやろうというのに、相変わらず恩知らずだな。礼くらい言えないのか!」言ってやった!この人は何を……。私はハアッと大きなため息をつきました。「100万だけですか? 私の父があなたの会社に援助した金額は500万円ですよ? やっと返されたと思いきや、まだ400万も残っています。そもそも、私たちこそあなたから感謝の言葉をもらっていません」実は2年前、私の父は義父に500万円もの大金を貸していたのです。あのとき私の両親に泣きついてきたのは夫。「父の会社が経営不振で、このままでは倒産です。仕入先に支払う500万を今すぐ用意しなければいけなくて」と懇願された父が、農業用の機械を売り払ってお金を工面していたのです。我慢の限界に来ていた私は、ピシャリと義父に言い放ちました。「父が農作業に必要な機械を売ってまで作ったお金だというのに、それに感謝もせずに、農家を見下し続けて暴言ばかり……。恩知らずはどちらですか!」驚きの真実が発覚しかし義父は驚いた表情で問い返してきました。「何の話だ? うちが倒産間際? 借金しているのはお前の親だろ? 俺はこれまでお前の実家に何度も金銭的援助をしているんだぞ!」これには私もびっくり。「ええっ!? 実家ではそんな話、一度だって聞いたことありません!」「何を今さら……。今回も、『嫁の実家で農業用機械が壊れたから修理代100万が必要だ』とこいつに言われて、腹立たしかったが準備してやったんだ。せめてお前から感謝の言葉を引き出そうとして……」私と義父は目を見合わせ、夫のほうを振り返りました。「まさか……」「お前……」なんと夫は、忍び足でコソコソ義実家を出ていこうとしているところでした。「い……いや……その、ちょっとだけ……」そう。なんと夫は、義父と私、そして私の両親にウソをついて、双方から金を吸いだしていたのです!本当の黒幕は…「何に使ったのか正直に白状なさい!」と怒鳴りつけると、夫はしどろもどろになりながらつぶやきました。「ほら、付き合いでさ……。パチンコとかキャバクラとか……。あと、プ、プレゼント……」私と義父は呆然自失。敵同士だと思っていたのに、なんと真の黒幕は夫だったのですから。義父はすぐに私に謝罪してくれました。「すまない。知らなかったとはいえひどい振る舞いを……。これまで君たちのことを、俺の援助に感謝もせず野菜だけをよこす恩知らずだと考えていた。すべてバカ息子がだまし取っていたなんて」「私こそ、お義父さんが実家を援助してくれていたなんて知りませんでした。そのお金は私の実家に渡っていなかったとはいえ、お義父さんには今からでも御礼を申し上げます」和解した義父と私は、ヘラヘラと薄笑いを浮かべている夫に向き直りました。「あなたとは離婚一択ね」「お前には、俺の会社の財産を1円たりとも渡さん! 絶縁だ」こうして私たちは離婚。あれからさらに問い詰めると、キャバクラ通いの果てにキャバ嬢と不倫関係に陥っていたことも発覚したため、たっぷり慰謝料をもぎ取ってやりました。離婚により義父と私は「他人」に戻りましたが、共通の敵を成敗したことですっかり意気投合。私の父とも仲良くなった義父は家庭菜園も始めました。元夫との縁は切れても、義両親とは良いお付き合いをしていきたいと思います。--------------義父とお金のことでもめるかと思いきや、真の敵はなんと夫でした。あちこちにウソをついて大金をだまし取っていたなんて許せません。親族同士でも犯罪に等しいですよね……。彼から慰謝料を取って無事離婚でき、本当によかったです。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年03月31日老後の年金問題などが世間を騒がせていますが、本当に将来もらえるのか不安を感じていた私。そこで私は、自分で所有する土地に賃貸住宅を建てて、「自分年金」を作ることに決めました。ここではそれを達成するまでの過程をお話しします。構想20年のアパート経営私は、最寄り駅から徒歩4分のところに45坪程度の土地を所有しています。かつて昭和50年ころまで、そこで私の祖母がアパート経営をしていました。将来の年金受給の不安や、自分の職も不安定なこともあり、2003年ごろに再びアパートを建設することに決めました。ところが不動産投資のことを両親に話すと、案の定反対されました。かつてアパートだった土地であるにもかかわらずです。両親はどうやら、借入金を利用してアパートを建設することに反対しているようでした。両親の反対を受けて仕方がないので、まずはアパート投資の勉強を始めることにしました。簿記の勉強をして日商簿記2級まで取得しました。アパート経営には簿記は大変役に立つと書籍で知っていたからです。さらに、税理士のセミナーに出かけて知識を得たり、マンション・アパート経営の書籍をたくさん購入して読みあさりました。不動産投資には勉強はとても大切です。何も勉強をせずに、いきなり投資の世界に飛び込むことほどリスクの高いことはないと思っていました。ついにアパート建設決定!両親の反対はその後も長く続きました。どこかで折れてくれるのではないかと期待したものですが、両親の意志は固く断固反対だったのです。ところが2013年に父親が倒れ、その後10年間床に伏せていましたが、2023年に病気が悪化し、ホスピス(病気などによる苦痛を緩和し、最期のときを穏やかに過ごすことを目的とする施設)に入所することになったのです。すると、今までアパート建設に反対していた母親が折れ始め、アパート建設の復活が決定的になったのです。そのとき、すでに構想から20年が経過していました。夢は願い続ければかなうといわれますが、まったくその通りだと思いました。これから自分がやらなければならないことはたくさんあります。ですが、一つひとつ慎重にこなし、祖母が経営していたアパート以上に、大きなアパートを建設して不動産収入という「自分年金」を作ろうと考えています。賛成してくれた親には最終的には感謝をしています。まとめ収入の柱は1本だと不安定だと感じます。会社員としての収入だけではなく、複数の収入を持つことによって、将来の不安が払しょくされたのです。私のように自分年金を作ることは、これからの時代にはとても大切な行為だと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/大久保美伽 先生元銀行員、大手外資系金融機関勤務歴15年。退職後、2021年マネレボ株式会社設立。真に中立な立場で資産運用と保険、家計の見直しをおこない、お金と時間から自由になり自分らしく生きる女性を増やすべくファイナンシャルプランナーとして独立。多くのお客様の資産運用やライフプランニングの悩みを解決すべく尽力している。老後に3000万円差がつく投資講座主宰。文/ヨシキウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月31日家族の介護では、食事をするときに箸が持てなくなってしまうと思わぬ事故にも発展したり、食事を喉に詰まらせたりと心配になることは多々あります。そんな私のお話です。小さなトラブルが命取りに毎日の食事で、箸を持つ手が震えてしっかりと持てない場合は介護のサポートが必要だと実感しています。皆で食事をしているときは問題はありませんが、家族がひとりで食事をしているときは喉に詰まらせているのではないかと不安に感じることも。そのため、日ごろから観察をするように家族全員と連携しています。ホームヘルパーさんのサポート現在、私が外出するときは専門のホームヘルパー(訪問介護員)に依頼をして家族の食事のサポートをしてもらっています。以前、家族がひとりで食事をしている最中に食器を割ってしまったことを機に相談しました。ヘルパーさんが来るのは週3日ですが、食事だけではなく洗濯などの家事サポートも同時におこなってくれて助かりました。最初は家族ではない人が自宅に入って家事をすることに抵抗がありましたが、サポートの内容に合わせて時間通りに食事を出してくれるので、規則正しい生活を送れるようになりました。ストレスをためずに向き合えるように時間があるときは、自宅の周辺を散歩しながら健康面を見守ってくれています。食事の後片付けも積極的におこなってくれて、私たち家族の負担も圧倒的に減りました。さらに、時間が空いているときは近所のコンビニやスーパーに買い出しをしてその日に必要な食材を買ってきてくれてるので、仕事で忙しいときでもストレスをためずに介護に向き合えているような気がします。介護のプランは月ごとに見直しています。困ったことや病院に行かなければならないときは、サポートのペースを増やすようにしています。年齢を重ねるごとに食事をする回数が減ってしまったときでも、メニューを見直してヘルパーさんが直接食事のサポートをしてくれるので、おかげで健康状態も以前より良くなりました。まとめ食事のメニューを考えながらサポートをしてくれるだけでなく、そばで見守ってくれることで食事中のリスクも軽減できています。そんなヘルパーさんのおかげで、仕事で忙しいときでも安心して外出ができます。深夜や早朝でも駆けつけてくれるヘルパーさんには、本当に感謝しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/田中かおり ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術から2日目の夜、ようやく手術をした実感が湧いてきたとりだまりさん。実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が表れ、がんが判明してから初めて泣きました。同じ境遇でバカ話ができるがん友ができて入院中、徐々に手術後の傷の痛みは治まってきたのですが、痛み止めが切れると頭痛と腰痛がするようになったとりだまりさん。手術から数年後、カフェイン断ちをすると頭痛や腰痛などの離脱症状が出ることがあるとわかり、術後カフェイン断ちの状態になっていたため、それが原因だったのではないかと思い当たりました。術後4~5日目には、卵巣がんの手術をした友だちができて……。子宮・卵巣の手術では、尿管のそばの神経をいじるので、一時的に排尿の感覚がなくなります。尿意はあって力んでみるのですが、何かが出てくるわけではなく……。出ているんだか、出てないんだか、自分でもよくわかりません。初めのうちは、ちっともおしっこが出てこなくて、焦りました。入院中、卵巣がんの手術をしたシマダさん(仮名)と仲良くなりました。私もシマダさんも、ともに進行具合はステージ1。ただし、抗がん剤をする必要があるかどうかは、手術で摘出した物を病理検査しなければわからない……という段階でした。ちなみに、私もシマダさんも、抗がん剤治療が必要と言われたら「やる」の一択。ちまたではいろいろなことも言われていますが、いざとなったら死の恐怖が先立ち、「やらないなんて、怖くてできねぇ」という感じ。とはいえ、怖いしやりたくはないのですが。病理検査の結果が出るまでの3週間は、本当に長くて心苦しかったです。そんなときに、同じ境遇でバカ話ができる友人に出会えたのは、とってもありがたいことでした。ー------------------------抗がん剤治療を受けるのかどうか、結果が出るまでの時間がとても長く感じたと、とりだまりさん。病理検査の結果が出るのには、ある程度の時間がかかるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月31日年齢とともに白髪の本数は増える一方で、50代を過ぎると白髪染めのペースは月1回が当たり前に。いくら染めても2週間程度で、つむじや生え際に白髪がちらほら見え始めるのです。さらに、白髪染めの頻度が増すたびに、薬品の刺激で頭皮がかぶれるようになり、頭をボリボリかきむしることが増えました。そんな私が、髪の健康を考えて白髪対策を抜本的に見直した体験談をお話しします。頭皮に良い炭酸シャンプーを試してみた50代になり、白髪ケアを抜本的に見直すために、まず始めたのが頭皮ケア。きっかけは、行きつけの美容院で受けた「炭酸ヘッドスパ」です。担当の美容師さんに白髪の悩みを相談したところ、頭皮ケアが白髪対策にもよいとすすめられて試してみることにしました。炭酸の泡には、頭皮の血行を促し汚れをしっかりと落としてくれる効果があるため、健康な髪を育てる頭皮の土台作りにもってこいのケアだそうです。実際に試してみると、炭酸のシュワシュワ感が地肌に当たって気持ち良く、洗い上がりはかなりすっきり。ブロー後は、ぺしゃんとしていた髪にハリとツヤが出て若々しい印象になりました。自宅でも市販の炭酸シャンプーで頭皮ケアができるとアドバイスを受け、帰宅後にネットで検索。通販サイトのカスタマーレビューを参考に値ごろ感のある商品を購入してみました。炭酸シャンプーを使用してみて、ふわふわの泡と炭酸のパチパチ感が頭皮の汚れを一掃してくれる感じが気に入り、半年くらい継続しました。ただし、炭酸シャンプーで頭皮ケアを続けても、残念ながら白髪がなくなることはほぼゼロの結果でした。白髪が染まるトリートメントを試してみた炭酸シャンプーの次に試した白髪ケアは、自宅で手軽にできる白髪染め専用のトリートメント。SNSの動画で知りネットで検索したら、お財布にやさしい価格だったことと、塗って放置するだけの手軽さが気に入り、即座に購入しました。使用方法はいたって簡単。髪が乾いた状態で白髪が気になる部分にトリートメント剤を塗って、そのまま20〜30分放置します。その後は、普通にシャンプーするだけの超簡単ケア。難点はシャンプーするたびに色が落ちていくため、色が1週間も持続しないことや、タオルでごしごし頭皮をこすると、トリートメント剤の色がタオルに付着することでした。ネットには、使い続けるごとに色が定着すると書かれてましたが、私の場合は実感できなかったため、白髪が目立ち始めたときの応急処置としての使用のみ。結局、1.5~2カ月に一度の割合で、市販の白髪染めを使い続けることになりました。ただし、50代半ばころからは、白髪染め剤が頭皮に染みる、染めた後の頭皮のかゆみが気になる……などのトラブルと向き合うことに。話題のクリームシャンプーを試してみた50代半ばから白髪染めをするたびに、頭皮のかゆみが深刻になってきました。髪や頭皮に負担をかけない白髪ケア法を模索していたところ、ネットで見つけたのが芸能人も愛用しているクリームシャンプー(画像参照)。価格はかなり高めでしたが、お得なキャンペーン価格と通販サイトの良い口コミを信じ、物は試し、と思い購入してみました。使用感は、洗うという概念を覆されるシャンプーといったところ。クリーム状のシャンプーを髪に塗りつけて放置しマッサージしてすすぐだけ。汚れが落ちるのか半信半疑ですが、洗い上がりは意外とすっきりです。使用して1カ月経過。髪と頭皮にやさしい天然の染料が主成分なため、白髪染め剤のような即効性はないですが、白髪は徐々に目立たなくなってきたと周囲からは高評価。髪にハリとツヤが出たおかげで、見た目も明るくなったとうれしいコメントをもらいました。ただし、価格が高いのがネックです。使い始めは色を定着させるために毎日使用していましたが、最近はけちけちしながら2~3回に1回の割合で、他のシャンプーと併用して継続使用しています。まとめ50代になり、白髪、抜け毛、薄毛などの髪の老化と向き合う機会が増えたことで、髪に気をつかいながら一生付き合っていく大切なものだと痛感しています。髪形は人の見た目を大きく左右するため、目指すは、「脱・老け印象」。サラサラの黒髪を目指して、髪や頭皮になるべく負担をかけないヘアケアや、ストレスをためない生活習慣などを、老後に向けて心がけていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/いずみ(54歳)独身。コロナ禍を機に、人生における健康の大事さを実感し、里山に移住し田舎暮らしを楽しんでいる。
2024年03月31日「大人になったって楽しいことなんてないじゃん」と高校生の娘に言われてハッとしました。たしかに、できなくなったことや衰えていくことはよく考えますが、できるようになったことや楽しいことは考えたことがなかったからです。そこで40代になってうれしいと感じたことについて考えてみました。私が手に入れたのは「自由」です。この「自由」について私が感じたことをお話しします。せっかく大人になったのに自由はなかった大人になると、ある程度のしがらみから解き放たれ自由な時間が多くなるイメージがありました。しかし私は23歳で結婚し、子どもが生まれたこともあり24歳から子育てをしながら働いてきました。だから、思い描いていた大人の時間とは違い、自分のために使う時間はほとんどありませんでした。周りの友だちが飲み会に行った、海外旅行に行った、と楽しそうに思い出話をしてくれる中、私は夜泣きに悩まされたり、成長過程が育児本と違うことに悩んだり……と、まったく違う時間を送っていました。当たり前の話なのですが、まだ若くて未熟だったこともあり、自由にいろいろな時間を過ごしている友だちをとてもうらやましく思う時期もありました。自分の時間が作れるようになったころ最初の子どもが生まれたときも産休明けから職場復帰したことで、忙しくてドタバタな日々を送っていました。2人目も3人目も同じように産休から職場復帰してを続けて目の回るような忙しい日々を送り、気付けば末っ子も義務教育を終えていました。子どもたちが保育園、小学校、中学校と大きくなるにつれ、私の労働時間を増やすこともできるようになり、中途半端なまま終えていた仕事も、最後まできちんとこなせるようになりました。そのおかげで仕事を任されることが増え、給料も上がっていきました。このころ周りの友だちは子どもから目も手も離せない、一番手がかかる子育ての時期を迎えており、身軽になった私に「いいなぁ……」とうらやむようなことを言っていました。子どもが成長し自由に使える時間が増加現在は離婚し、「ごはんを作る時間だから帰らなきゃ」とか「そろそろ夫が仕事から帰ってくるから家にいなきゃ」といった元夫からの呪縛も解かれ、本当に自由な生活を送っています。2日連続でライブに行ったり、遠方の友だちの家に泊まりに行ったりできるのも、もうすっかり大きくなった19歳の次女と16歳の三女に留守を任せられるようになったからです。私は離婚してシングルマザーなので、子どもたちの将来への責任を負い大学や専門学校へ行くための学費を支払う準備はしています。シングルマザーで大変なことも多いですが、今までの生活に比べたら自由すぎて幸せです。野菜嫌いな元夫がいたころには考えられないほど、たくさんの野菜が並ぶ食卓からも自由を感じることができます。まとめ今までやるべきことをやってきた分、罪悪感なく自由を感じられることに改めて気付きました。これからも、親であることの責任や働く者としての責任を自覚しながら、残りの人生を私らしくわがままに生きていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/日向 くらげ一昨年に離婚。飲食業界の会社に勤めて28年。趣味は旅行と温泉巡り。
2024年03月31日40代ともなると、今までの髪形が似合わなくなってきたと気付くときが来ました。今までの髪形が似合わないのは、髪の質が変わってハリ・ツヤ・コシがなくなってきたことも1つの理由であると思いました。そこで、美容師さんから聞いたズボラでもできる「最低限守るべきルール」で髪が変わってきた私のリアルな日常をお伝えします。したい髪形より手間がかからない髪形に美容院に行くと、「セットがラクな髪形にしてください」と、美容師さんにお願いしている自分がいます。美容師さんは苦笑いですが、なるべく手間をかけなくて済む髪形にしてくれます。いわゆるショートボブです。ドライヤーでセットしなくても髪先がはねることなく、ダメージも最小限に抑えられる、美容師さんの計らいに感謝。ただ、それは決して自分が心から望んだ髪形ではなく、年齢、生活において都合の良い髪形なのです。ある意味現実的なのですが、本当は雑誌に載っているような、すてきな髪形にしたいんです。でも、結局自宅では手間をかけられず、美容院でセットしてもらった髪形は再現できません。ズボラな性格の私にぴったりな髪形にしているのだと思われるのです。手をかけたけど、あっという間に元通りそんな私でも、時々は通常2,200円のヘッドスパに行ったり、トリートメントを毎回美容師さんにお願いしています。髪がツルツルになって、まとまりもよく、数日間は気持ちよく過ごすことができます。でもそれは、数日たてば元通り。よくいえば、なんとか水際対策でダメージがこれ以上増えないようにしているという感覚でしょうか。「家庭でのケアが大事ですよ」と美容師さんから何度も言われ続けていたものの、ほとんど何もしない私に、ある日、「最低限」というようなアドバイスをもらいました。それが、「洗髪後の簡単なルール」。これだけは守るように、というものでした。ズボラでも、これだけは守れたルールとは?これだけは守るようにと釘を刺されたこと、それは日々のトリートメントさえもできないというのなら、「洗髪後はすぐに乾かす」というものでした。なるほど、忙しい私にはそれすらもできていなくて、ついドライヤーで乾かさずに放置したままでいたり、生乾きで寝てしまったり。とにかく手間をかけない生活を重視していました。美容師さんによると、洗髪後放置することで雑菌の繁殖や臭いのもとになったり、ダメージヘアの原因の1つになったりするとのことでした。半年ほど、その乾かすというルールを実践してみたところ、枝毛や切れ毛が少なくなり、美容師さんからも「まだ救いがある」と思ってもらえました。あとは紫外線や空気の乾燥で潤いを失った髪の乾燥対策だけ、と目標も絞れました。こうなってくると髪形の幅を広げてみようかな、と思えるように。そこで、ちょうど髪を伸ばしたい時期とも重なり、ロングヘアに再挑戦することにしました。まとめヘアケアも肌の手入れと同じであれこれ試すのですが、今一つ効果が得られなかったり、方法が間違っていたりすることも。忙しい主婦にとっては、せいぜい2カ月に1度、美容院でプロの手を借りるのが精一杯。そんな中、これだけはできると思ったのが「洗髪後すぐ乾かす」という方法です。タオルドライしてすぐ、生乾きにならないようドライヤーで十分に乾かす、それを実践するだけでも髪が喜んでいるような気がします。何より臭いやうねりを抑えられて清潔。自信もついたので髪形の脱マンネリ化を目指したいと思います!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。イラスト/サトウユカ著者/yuupy(47歳)主婦。夫、娘の3人暮らし。40代からワークライフバランスを見直し、素敵なアラフィフを目指して現在ライター修行中。
2024年03月30日私は、夫に先立たれてから女手一つでひとり息子を育ててきた会社員。大学を出て数年後、立派な社会人になった息子に婚約者を紹介され、心からホッとしています。お相手は、大会社の社長令嬢。とはいえ、私が振舞った手料理を喜んでくれるすてきなお嬢さんでした。ところが、あることを知った息子が私への態度を豹変させたのです。あることを知った息子それは、両家の顔合わせを数日後に控えたある日のこと。小さかった息子が結婚するのが感慨深く、2人で食事をしているときに思い出話をしたのですが……。「お父さんが亡くなったときはどうしようかと思ったわ。私は高校にも行っていないから、条件の良い仕事はなかなか見つからなくて」と言うと、息子が顔色を変えたのです。「え? どういうこと? 何それ、新種のジョーク?」私は笑って言いました。「だから、お母さんは中卒ってことよ。家計が厳しくて進学できなくて」すると息子は言い放ちました。「母さんは、自分が頭悪いってことを隠していたんだな」と……。母親のことが恥!?翌日。なんと息子は、婚約者に私の学歴がバレると困るとメッセージをしてきました。「相手方は皆、大卒出の経営者一族。俺もその会社にヘッドハンティングされることが決まっている。母親が中卒だなんて知られたら大変だ」と言うのです。「母親が中卒とか婚約者の家族に言えないから」「蒸発したことにしとくわ」「俺も恥かきたくないし」「大卒のくせに馬鹿なのね」息子は暴言を並べ立てた挙句、「母さんは蒸発したことにする」とまで。私は、そこまでするのかと怒りを通り越してあきれてしまいました。親への感謝もできず、学歴でひとを見下すようになってしまったなんて……。私は、自分がふがいないとともに息子のことが情けなく、「大卒のくせに馬鹿なのね」と返信。すると彼は「中卒のくせにうるさいな。二度と母親を名乗るな! 早く俺の人生から消えて、もう関わるな」と書いてよこしたのです。偶然のつながりこうして両家の顔合わせを欠席した私。ところがその後、息子の婚約者のお父様から電話がかかってきました。驚いたことに、彼は偶然にもかつて私が投資のサポートをし、会社倒産の危機から助けてあげたことがある方だったのです。子ども同士が婚約関係にあることに気付いたのもそのとき。こうして、息子が中卒の母親を恥じて蒸発したことにしようとした事実が相手方に発覚したのでした。彼女に落胆され、その父親に激怒された息子は、慌てて私にとりなすよう泣きついてきました。「母さんに、会社の経営者を救えるほど投資の才能があったなんて……。バカにした俺が悪かった、謝るから許して」とすがるのです。私は、「母子家庭で息子を有名大に通わせるため、みっちり勉強したからね。学歴だけが人の価値じゃない。あんたの自業自得よ」と突き放しました。その後、息子は婚約を破棄され、ヘッドハンティングも取り消しとなりました。私は、心ない言葉を投げつけた息子をすぐに許す気にはなれません。何より、自分の発言に責任を持ち、反省してもらわなければと思っています。--------------苦労して育てた息子が、学歴で他者を見下すような人間だったとは悲しいですね。しかも実の母親のことを中卒だと言ってバカにするなんて言語道断です。これからは心を入れ替えて、母親孝行してもらいたいものです。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年03月30日ダイエットに成功したことで、スタイルに自信が持てるようになった私。タイトなパンツに挑戦したときのエピソードです。タイトなパンツに挑戦!ダイエットをしてタイトなスタイルの服が着れるようになったので、タイトなパンツにも挑戦しようと決意した私。「思い切って派手なパンツをはいてみよう!」と、ビビッドなブルーのパンツを購入しました。お気に入りだったものの…実際にはいてみて、すぐにお気に入りのパンツになったのですが……。ある日、中学生のおいっ子に会ったら、「なんだかスパイダーマンみたいだね」と言われてしまいました。もう、それにしか見えない!もうその日から自分でもスパイダーマンにしか見えず、2万円ほどしたお気に入りのパンツだったものの急に恥ずかしくなり、速攻で処分してしまいました。まとめ色使いの難しさを知りました。たしかにカラーリングから連想するものはある……。もしかすると、他の人がはいたら様になるパンツだったのかもしれませんが、スタイルだけでなく自分の雰囲気に合ったファッションを選ぶことも必要なんだなと思い知らされました。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/マキノ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月30日精神面での健康を考えて誰かとコミュニケーションを取りたいと思い、温泉やスーパー銭湯などの温浴施設に通い始めた私。通い始めてそこそこ年月がたちますが、温浴施設の中だけではなく、外でも会うような友人ができて楽しい毎日を送っています。平日昼間の温浴施設で当初、夕方から夜にかけて温浴施設に行きましたが、若者が主体でコミュニケーションの場としては不適切だと感じました。そこで平日の昼間に温浴施設に行くと、中高年ばかりの落ち着いた雰囲気だったので安心した私。ただ、いきなり誰かに話しかけるようなことはせず、何回か通って、話しかけてもよさそうな人を厳選することからスタートしました。もしも、無視されたり素っ気なくされたりされると、話しかける気持ちがしぼんでしまいそうだったからです。しかし、じっくりと観察するという行為は、良い意味で無駄に終わりました。1人のおじいさん(私よりもずっとずっと上の年齢に見える)が、話しかけてくれたからです。それをきっかけに、おじいさんと仲の良い友人に話しかけてもらったり話しかけたりして、コミュニケーションの輪はどんどんと広がっていきました。現在は、温浴施設を訪れれば、誰かしらと話ができる状態となりました。話しかけられることも多くなったいろいろな方と会話をしていると、周りの方に「話しかけても良い人」と思ってもらえるようです。そうなると、知らない人に話しかけられるという出来事が起こるようになってきました。私の様子を見た上で、話しかけても大丈夫な人間だと思われるのは光栄なことだと思っています。ただ、話しかけたいと思っている人は、実際話が好きな人が多いという印象です。そうなると、会話が長くなることもしばしばあります。現在は相手を不快にさせずに、キリの良いところで話を中断できる技を身に付けられるよう練習中です。ありがたい回数券温浴施設にはいろいろありますが、値段を安く設定してくれているところが多いのがうれしいです。私が通っている料金が安い温浴施設では回数券が販売されていて、さらにお得に利用ができてハッピーです。ただ、回数券には期限が設定されているのが常なので、それをオーバーしてしまって、残念な気分になったことも何度かあります。財布の中身を気にするなら、いつまで利用可能かしっかりチェックする必要がありそうです。まとめ人と会話することは社会とつながっている実感が持て、精神面での健康にかなり良いと思いました。一回休むと「この間来なかったけど、どうしてた」などと声をかけられることもあり、うれしい限りです。ちなみに、身体面での健康への良い効果もしっかりとあって、すっかり寝付きが良くなりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/田中久イラスト/サトウユカウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。痛み止めが切れると頭痛と腰痛がする原因は2日目の夜、ようやく手術をした実感が湧いてきたとりだまりさん。実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が表れ、がんが判明してから初めて泣きました。入院中、徐々に手術後の痛みは治まってきたのですが、痛み止めが切れると頭痛と腰痛がするようになり……。入院中は、積極的に起き上がって歩くことにしたのですが、歩くほどに痛みが和らいていきました。無理のない範囲で少し頑張って歩くと、回復が早くなるみたいです。とはいえ、ちょっと気になることが…。おなかの痛みは徐々に和らいでいくのに、痛み止めの薬が切れてくると、頭痛と腰痛がひどかったのです。そのときは、「ずっと横になっているからかな?」と思っていたのですが、数年後、同じような症状が出たことで、あることに思い当たりました。それはカフェイン断ち。カフェイン断ちをすると、頭痛や腰痛などの離脱症状が出ることがあるらしく、私もそうだったのかな、と。術後は検査の値に影響することもあるので、病気によっては「術後はカフェインが入っていないものを飲むように」と指示されることもあるそう。私の場合は、買いに行くのが面倒(というか痛くて行けなかった)で、事前に購入した水ばかり飲んでいました。そのため、術後は自然と「カフェイン断ち状態」になっていたのです。事前に知っていれば、入院前にカフェインをとる量を減らしたり、先生に「カフェイン入りのお茶を飲んでもいいですか?」と聞いたりして対策できたかもしれないな〜。(離脱症状は、コーヒーの1杯でも飲めばすぐに落ち着くので)なので、これから入院の予定がある方で、普段からカフェイン入りの飲み物を常飲している方は、気を付けたほうがいいかもしれません。ちなみに、カフェインの離脱症状は人それぞれで、頭痛に始まり、疲労感、倦怠感、イライラ、筋肉痛などが特徴的なようです。ー------------------------頭痛と腰痛は、痛み止めの薬が効いている間は気にならないけれど、切れてくるととてもしんどかったと、とりだまりさん。手術とは関係のない痛みに悩まされることもあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月30日25歳のときに、当時の義母が買ってくれた喪服。その後20年近く、問題なく着ることができていました。幸いにも出産でそれほど体形変化がなかったので、このままアラフィフになっても問題なく着られると思っていたのですが……考えが甘かったと実感した体験談です。42歳で着たときはまったく問題なかった喪服46歳、押しも押されもせぬアラフィフとなって数カ月のときのこと。職場関係の不幸ごとが舞い込みました。お通夜はなく、告別式のみの開催とのこと。とてもお世話になった方なので、ぜひ参列をと思いました。お通夜がない分、告別式まで少し時間があったのが、今思えば不幸中の幸いだったのです。「そういえば喪服、久しぶりに着てみたほうがいいかも……」と思い立ちました。前に着たのは4年前、42歳の大叔父の葬儀のときです。あのときはすんなり着られたし、きっと問題ないだろう……と思いたい自分と、この4年でぐっと体形が変わった自覚もあって不安を抱える自分と、半々の気持ちで4年ぶりの喪服に袖を通すことになりました。4年間で大きく変わったことは3つ袖を通した最初の感触として、サイズは何とかなったという印象でした。ですがショックだったのは、四十肩の私には、後ろのファスナーを上げることができない! 四苦八苦して15分ほどかけてようやくファスナーを上げました。ほっとして鏡を見たところ、ワンピースの丈が膝下ギリギリなことに気が付きました。アラフォーでは気にならなかった着丈ですが、アラフィフには膝下ギリギリの喪服は厳しい……。しかもワンピースのサイズは9号で何とかセーフだけど、ジャケットは何と7号で、ボタンを留めると見た目にも窮屈感が……。後ろのファスナー、着丈、ジャケットの窮屈さ……この3つの問題をこのままで良しとするか、今後の50代以降の人生このままの喪服で良いのか、考えさせられるきっかけとなりました。50歳オーバーの先輩に相談してみると…25歳のときに買った喪服を20年着たという事実と、それがアラフィフの自分の体形には合わなくなっているという現状。これは女性の先輩に話を聞くしかない!と考え、職場の同じアラフィフ仲間で、私より5歳上の50オーバーの先輩に相談しました。そうすると先輩は、「私も28歳で買った喪服は48歳で買い替えたよ。これからまだ20年着るんだから、これからの自分に合うものに買い換えるのがおすすめだよ」という回答。もう迷う理由はなくなり、その週末に買いに行くことに決めました。いざ買いに行くと、20年前とは喪服の作りがまったく違う! 後ろファスナーのものなんてなく、すべて前ファスナーで、しかもワンピース1枚でも上着を着ているように見える作りになっています。私は11号を選び、着丈もしっかり膝が隠れる安心な1枚を手に入れることができました。まとめそして迎えた告別式当日は、着心地もサイズも今の自分にぴったりの喪服を着ることができ、見た目や窮屈感などを気にすることなく、故人とのお別れに集中することができました。「アラフィフになっても20代と同じ喪服を着ていてはいけないよ」と、故人が最後に気付くための時間をくださったのかもとも思っています。今後きっと喪服を着る機会は、これまでより増えることでしょう。でもこれからの私は、どんな急な不幸ごとにも慌てず駆けつけることができます。これからの20年をともに過ごすであろう喪服を、大切にメンテナンスしていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/まっちゃ (46歳)40歳で再び独身に戻った、バツ2シングルマザー。30代まではボディラインにも肌にも自信あり。40代初期はプロポーションを褒められたり、そこそこモテたりでいい気になっていたが、40代半ばになり加齢の現実を徐々に目の当たりにしている最中。
2024年03月30日子どもが幼稚園に通っていたときのお話です。送迎の際にママ友の服装をチェックすることも多いのですが……。洋服はもっぱら近辺のモールで私の子どもが通っていた幼稚園は送り迎えが必要なので、送迎時になんとなく他のママが着ている服装をチェックしていた私。ただ、住んでいた地域は田舎だったので、どうしても近辺のモールで服を買う人が多く、洋服がかぶることも少なくありませんでした。ファッションが完全一致!?あるとき、当時流行っていたロングワンピースを着てお迎えに行ったところ、なんと3人のママが同じワンピースを着ていて、色も同じで丸かぶりしていたことがありました。そのときは、それだけでも恥ずかしかったのですが……。衝撃はまだ続く…なんと別の日には他のママも同じワンピースを着ているのを見かけて、同じ服を買ったのが3人どころではなかったことを知った私。それ以来、そのワンピースを着ることができなくなりました。まとめワンピース事件以来、服を買うのが怖くなってしまった私。誰ともかぶらない服を無理に買うのも違う気がして、いまだに服選びには慎重になってしまいます。当時は、もっと悩んでいたかもしれません。ちなみに、あのときのロングワンピースは、まだ押入れにあります。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/きょこ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月30日イラストレーター&漫画家のフカザワナオコさんによる、アラフィフ女子の日常を描いたマンガ。今回は、カレーの色を落とす方法に驚いたときのことについてお届けします。もう完全におばあちゃんの知恵袋の世界おろしたばかりの新しい箸でカレーヌードルを食べたフカザワさん。箸の先がカレー色に染まってしまい……。買ったばかりのお箸がカレー色に染まったっていう絵日記を描いたところ、その絵日記を見てくださった方々から「カレーの色は太陽に当てると消えますよ!」っていう情報をいただきまして。最初それを聞いたときは「またまた〜。そんなの聞いたことないし! それに簡単にカレーの色が消えるわけないよ〜」って内心思ったのですが、天気の良い日に1日お箸をベランダで干してみたら、びっくりするぐらいカレーの色が消えたのです。カレー色に染まっていたのがもううそみたいで、本当にすごい!!!どういう仕組みなのかネットで調べてみたらいろいろ出てきたのですが、要するにカレーの黄色であるターメリックっていうスパイスに含まれているクルクミンっていうものが、水には溶けないんだけど太陽には弱いらしくて。なので、カレーのシミは太陽に当てると色が消えるということだそうです。へー!!!そうなのかー!完全におばあちゃんの知恵袋の世界だし、教えてくださった皆さまにも心から感謝ですー。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フカザワ ナオコ(50歳)イラストレーター&漫画家。コミックエッセイを主に描いている。2023年9月27日に新刊『もうすぐ50歳、調子のいい日がほとんどありません』(1540円/幻冬舎)が発売。絵日記ブログ「ひとこま作者」を日々更新中。 Instagram:@fukazawanaoko1973
2024年03月29日