夫と結婚してすぐの出来事です。ある日、夕飯のデザートに、皮をむかずにくし切りに切っただけのオレンジを出しました。すると夫の顔色が変わったのです。「切っただけのオレンジなんて食べたことがない! 母さんは皮をむき種も取ってくれる! こんなものは食べられない! ショックだ!」と言い激怒。私は夫の発言に驚きあぜんとしてしまいました。 夫婦の育った環境の違い!?私は今度から皮や種を取ると夫に話すと「そうだろ? 取るのは当たり前だ」と言われました。私の実家では、いつもくし切りにされたオレンジが出され、自分で皮や種を取って食べていたことを話すと「ありえない! 普通は取るんだから、非常識なことはするな」と言うのです。 私は夫に「言い方が少しきついよ? 各家庭で考え方が多少違うことはあると思うから、否定するような言い方はしないで」と言うと、「そんなことぐらいで怒るな。俺は当たり前のことを言っただけ。おかしいのはそっちの実家だろ?」と笑われました。 夫が家事のあら探しをしてくる!これ以上話しても喧嘩になるだけだと思い、その日は何も言いませんでした。夫の心ない言葉にショックを隠しきれなかった私ですが、今後、夫と口喧嘩に発展しないために、良い妻になろうと決心したのです。 そのため、掃除や料理などの家事を1日かけて必死でこなしました。しかし、仕事から帰宅した夫の口から「今日って部屋の掃除したの?」という言葉が……。「棚の上にほこりがあるぞ。掃除してるって言える?」と怪訝そうに言われたのです。 次々出てくる心ない言葉たち…「おまえは料理もできなきゃ掃除もできないんだな」「母さんに全部イチから教えてもらえよ」と夫から笑いながら言われました。 「こんなに何もできなきゃ、母さんからあきれられると思うけどね!」という夫の言葉に、私は悔しくて泣きながら「私なりに慣れない家事を頑張ってやってるの! お義母さんと比べるのはもうやめてよ! そんなにお義母さんがいいなら実家に帰れば!?」と反論。夫は驚き、「そんなことぐらいで泣くなよ。冗談だよ!」と焦っていました。 あれから夫は、私の家事について義母と比べることはしなくなりました。結婚して間もなくのころで、夫について知らないことが多くあると感じた一件です。夫からすれば大したことない言葉だったかもしれませんが、私はとても傷つきました。これからもっと夫のことを知っていき、そして夫婦の価値観の違いを少しずつ埋めていこうと思いました。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年09月28日うちの夫は家事・育児をしてくれているほうだと思います。助かることも多いのですが、気になることが……。それは、当然のようにスマホ片手に1歳の次女と遊ぶのです。それに対して嫌悪感しかない私。もっと子どもと向き合ってほしい私とスマホ夫のお話です。 まぁまぁ助かる夫だけれど…わが家には9歳と1歳10カ月の姉妹がいます。平日は夫の帰りが遅いのでワンオペですが、休日は夫も家事・育児をしてくれるほうです。洗濯物干し、洗い物、長女の習い事の送迎、次女とお散歩、夏の時季にはプールの準備・後片付けなど、自分にできることは嫌な顔一つせずしてくれる夫。 娘たちもたくさん遊んでくれる夫が大好きで、助かることも多いです。ただ、そんな夫にも目に余る行動があり、私はどうしてもそれが嫌なのです。 スマホ片手に次女と遊ぶ夫その目に余る行動と言うのが、夫はスマホ片手に次女と遊ぶのです。おままごとや積み木、パズルなどで遊ぶとき、一見すごく楽しく遊んでいるように見えますが、左手にはスマホ。何か急ぎのメールのやり取りや、次女の写真を撮りたいのであればいいのですが、ゲームをしていたり、ネットニュースを見ていたり。 私が見ていることに気付くとサッとスマホを置きます。夫も私が嫌悪感を抱いていることはなんとなくわかっているのです。全然子どもの相手をしてあげていないわけではないので放っていましたが、やはりモヤモヤが止まらないので夫に伝えることにしました。 伝えた結果、夫の反応は?「スマホ片手に遊んでいると、パパは自分のことを見てくれないと次女は思っちゃうよ。子どもの小さいときなんて今だけなんだから、もっとじっくり向き合ってあげてほしい」と私は言いました。こういうとき、夫はいつもすねたように何も言いません。 これが面倒で言うのが嫌になるのですが、時間が経つと「子どもたちと遊ぶとき、スマホは置いとくわ」と、私の考えに理解を示してくれました。それからはスマホを置いて子どもたちと目一杯遊んでくれています。 ついついスマホを見てしまう気持ちは私にもわかります。でも、子どもは思っている以上に親を見ていると思うので、子どもと話すとき、遊ぶときはスマホを置くようにしています。子どもたちが大きくなるのはあっという間です。これからも子どもたちとの貴重な時間を大事にしていきたいです。 著者:石井ゆうき9歳と1歳の姉妹を持つママ。秘書として時短勤務。1人目出産直後に夫が転職に失敗したことを機に、お金にまつわることに興味を持ち、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしているイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年09月27日独身時代は、毎日のように外に飲みに行くのも気になりませんでした。子どもが生まれる前から外によく飲みに行く夫でしたが、まさか子どもが風邪をひいているときまで飲みに行くとは思っていなかったです。それには夫との考え方に違いがありました。 子どもより飲み会を優先する夫子どもが生後6カ月のころ突発性発疹になって高熱が続いており、ずっと泣いているし、嘔吐もしていました。私は子どもにずっとつきっきりでごはんも食べられなかったため、夫に仕事終わりに何かごはんを買ってきてほしいと連絡すると、返ってきた返事が「飲み会行ってきていい?」でした。 びっくりして何も言い返せませんでした。ごはんだけ欲しければ、デリバリーを利用すればいいと思っていたのでしょうか。結局何も買ってきてくれなかったため、ごはんも食べることができませんでした。 夫の周りの人も配慮なし?夫の友だちも同僚も小さな子どもがいる人が多いのですが、子どもが風邪をひいているなら早めに家に帰ってあげて、などと言う人はいなかったようです。母親が家にいるなら、看病は母親がすればいいと思っているのでしょうか。 まず、そんなに他人の家のことに関心を持っていないかもしれません。もし夫が子どもが風邪をひいていることを言ったとしても、他の人は他人の家の事情を気にしないかもしれません。実際私も働いていたときは、周りの家庭のことは気にしていなかったと思います。 話し合いしたけれど……その後、夫婦で話し合うことに……。夫の意見は、「大人が1人ついていれば看病はできる。だから飲みに行ってもいいと思う」でした。私は、「看病は体力を使うから2人いたら心強い」と伝えました。 話し合いは結論づけることができず、数日間、無言で過ごす日々。結局私が折れて、飲み会に行っていいことになりました。考えた結果、飲み会に行けずイヤイヤ家に帰ってくる夫を見ていてもストレスが溜まってしまうと思ったのです。過度な期待をせず、できる限りのことは私がしようと決めたら気持ちがラクになりました。 話し合い後から、子どもが体調を崩したときは私がひとりで看病していますが、ストレスなくできています。子どもが体調不良のときに夫が飲み会へ行くことはまだありますが、帰ってきてくれると期待していない分イライラすることもありません。結果的に両者がストレスなく過ごせるように話し合いをしてよかったと思います。 著者:たなか さき2歳女児の母。子育てしながら看護師として働く。子育てと医療系について執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年09月27日生後5カ月の子どもがいるママを対象とした自治体主催の育児講座に参加したとき、ママ友Aと仲良くなりました。お互いの悩みを打ち明けるようになり、仲が深まっていったと思っていました。ママ友Aは自分の育児の悩みを話すときは多弁で、「大変だね!」と言うと大変機嫌が良くなりますが、私が育児の悩みを話すと無言になり、態度が素気なくなることが多くなっていきました。 育児に悩んで相談をした結果ママ友Aとは児童館で子どもを遊ばせることが多くなり、他のママ友とも交流が増え、ママ友Aを含めたママ友グループで行動することが多くなっていきました。ママ友たちは育児相談をすると親身になって話を聞いてくれ、心強いに存在に……。また、子どもの栄養状態が悪い、夜泣きがひどい等で困っていたので、児童館で開催された保健師主催の育児相談会に参加し、保健師さんに丁寧な助言をいただきました。 その後、保健師さんが児童館に立ち寄った際に、よく私に声をかけてくれるようになったのです。それを見ていたママ友Aが「私だって育児が大変でつらいのに! 私のほうが大変なのよ!」と、保健師さんがいる前で私に対し声を荒らげたのです。 突然避けられてしまう!その日を境に、私はママ友Aから避けられました。ママ友Aは私と目も合わせてくれず、話しかけづらい雰囲気が漂います。ママ友グループの集まりでも、これまで仲がよかったのに突然距離をとっている私たちを見て、周りのママ友たちも困惑しているようでした。 これまで育児の悩みや育児情報を共有していたママ友グループは、心の支えになっていた大切な居場所でしたが、居心地が悪くなってしまった私は集まりへの参加を控えるようになり、交流もなくなりました。 数年後、思いがけない再会…あれから、ママ友グループの集まりに参加せず3年の月日が経ち、子どもの習い事で偶然にもママ友Aと再会。一瞬気まずい空気が流れましたが、意を決して話しかけると普通に話をすることができたのです。それから、習い事でたまに顔を合わせるたび、あいさつと短い世間話をする程度の仲にまでなりました。 以前のように育児の悩みを相談し合ったり、プライベートで会うような仲にはなっていません。私は、これ以上の関係をママ友Aには望んでいません。私たちは、このくらいの関係がちょうどいいのではと思っています。 お互い初めての育児で試行錯誤をしていたときで、育児の大変さを他者に話し、頑張りを認めてもらいたいという気持ちが強かったのではと思います。ママ友Aとはこのような関係になってしまいましたが、今後、新たにママ友ができたときには、一方的に相談をするのではなく、お互いに悩みを聞き合い支え合えるような関係を作れるようにしていきたいと思います。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年09月24日夫とは4年の交際を経て結婚しました。結婚してからというもの、ケンカをして収拾がつかなくなると、義母に何も言えない私を黙らせようと、夫は義母にLINEや電話をするように。夫と話し合いたくても義母が聞いている手前、言いたいことをぐっと堪えて諦めることがよくありました。しかし、ある日の夫の行動に激怒した私は、夫の「義母頼り癖」に決着をつけることができたのです。 入籍後に発覚! 夫の「義母頼り癖」夫は義母を頼ってしまう癖があることを、入籍してから知りました。結婚式の準備をしていたときのことです。夫は何かあるたび「母さんに聞いてみる」と言ったり、初めて夫と大ゲンカしたときは、私と話し合う前に義母に相談していたりと、義母をよく頼っていました。 一番衝撃的だったのは、私が妊娠中、お風呂に入れないほどつわりで体調が悪かったときのこと。潔癖症の夫は大激怒で、「入浴できないなら母さんに許可を取れ」と意味不明なことを言い、義母と電話が繋がっているスマホを私に渡してきたのです。あの日のことは、今でも忘れられません。 その後、子どもが生まれてからのこと。忘れ物が多い夫に何度注意しても改善せず、ある日、結局忘れ物をしてしまった夫を私は助けませんでした。そのことで夫はまた激怒。言い合いの末、夫は義母と私の3人のLINEグループをつくり、「嫁が忘れ物を届けてくれないから母さんが届けて」とメッセージを送ってきたときには呆れました。 夫婦で話し合いたいことを打ち明けるも……夫に「2人で話し合いたい」と何度伝えても、ケンカになると義母を頼ってしまいます。私は「まずは夫婦で話し合いたい。大人のケンカに巻き込まれてお義母さんがかわいそう。そろそろ自立してほしい。次にお義母さんに頼ったら離婚を考える」と、夫が冷静なときに伝えました。すると「ごめん。気をつけるよ」と素直に話を聞いてくれたのです。約束通りしばらくの間は、ケンカをしても前のように義母を頼ることはありませんでした。 しかし、ある日、夫が友人たちと日付が変わるまで連日飲み会をすることで夫婦ゲンカに発展しました。私は、息子が1歳のときに決まった夫の転勤を機に、海外で子育てをしており、頼れる人が夫しかいません。家族の時間をもう少し増やしてほしいと打ち明けると夫は、「俺も仕事が大変なんだよ! 何回も言ってるだろ! 理解してくれよ!」と激怒。私はすべてが嫌になってしまい、子どもを寝かしつけたあと家を飛び出しました。 怒り爆発! 夫の「義母頼り癖」に終止符を打つ5分もしないうちに夫と義母から電話やLINEの嵐。夫は私との約束を破って義母に連絡をしていたのです。夫からは「仕事に支障がでるからすぐ戻って来い」と連絡が何度もあり、ため息が出たことを覚えています。義母からは「○○くん(夫)が嫁ちゃんのことを心配している。○○くんはいつも嫁ちゃんを大切に思っています」との連絡が。 夫は義母に何も言えない私の弱みにつけ込み、いつも義母から私に連絡をさせます。この日ばかりは約束を破った夫と、夫婦の揉め事に巻き込まれているとはいえ、何も知らないのにいつも微妙に夫の肩を持ち、ケンカの仲裁をしてくる義母に心底腹が立ってしまいました。 義母に夫婦ゲンカに巻き込んでしまったことを丁寧に謝罪したあと「夫と話し合いたいのに夫がいつもお義母さんに助けを求めてしまい、根本的な問題が解決できない。これからは何があっても夫を助けないでほしい」と伝えました。 夫に義母とのやり取り画面を見せ「あなたがお義母さんに頼るのは自由だけど、これからはお義母さんだろうとはっきり自分の意見を伝える」と夫に言うと、面食らったような表情。ショックだったのか、いつもの勢いはなくなりおとなしくなったのです。夫はまた同じことを繰り返すかもしれませんが、言いたいことが言えるようになった今の私にとって、大した問題ではなくなりました。 著者:米久 熊代1歳児男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年09月22日長男が3歳、次男が生後1カ月のころ、義実家の隣に引っ越したときのお話です。バタバタしながら生活を送っている中、義母が毎日のようにわが家にやってくるように。たまたま応答できなかった日があったのですが、そのとき義母がまさかの行動を起こしたのです。 毎日くる義母夫の実家のすぐ隣に家を建て引っ越しをしたのですが、正直私は義実家の隣に住むことに抵抗がありました。しかし夫が長男ということもあり、しぶしぶ了承したのです。夫は仕事で忙しく、私はワンオペで長男と次男の育児と家事をこなすのに毎日必死でした。 そんな中、突然義母が毎日わが家にやってくるように。しかも夕食を食べている忙しい時間帯にくるようになったのです。もちろん何かを手伝ってくれるわけでもなく、ただ私や息子たちと話をしたいだけの様子でした。 義母の影響義母が毎日わが家にくるようになってから1カ月。正直私は、忙しい時間帯に義母の相手をしなければいけないことに疲弊していました。次男はまだ授乳も頻繁で、私自身も寝不足だったので、毎日の生活だけで手一杯の状態。 長男は義母がくることを喜んではいましたが、ごはんの時間にくるので長男も気が散り、なかなか食事が進まず、その影響で息子たちを寝かしつける時間も以前より遅くなってしまっていました。 義母がまさかの行動にそんなある日、いつもよりお風呂の時間が遅くなってしまい、入浴中で義母のインターホンに応答できないことがありました。あとで義母のところへ行こうと思っていましたが、そのまま忘れてしまい、息子たちの食事の用意や寝かしつけの準備に追われていました。すると夫から電話があり、なんと義母から夫の携帯に10件もの不在着信が入っていたとのこと。 夫は仕事中だったので気付かず、11回目の着信で応答したようですが、義母は「〇〇ちゃん(私の名前)がチャイムを何回押しても出てこない! 車もあるし家にいるはずなのに、わざと出てこないんじゃないの!?」と怒り心頭の様子。夫は私たちに何かあったのかと心配して、電話をしてきてくれたようでした。 窓を叩く義母その後夫は義母に、入浴中で応答できなかったことを伝えてくれたようでした。すると義母はその翌日、お昼ごろに突然やってきたのです。ちょうど私は次男を2階の寝室で寝かしつけ中で、やっと寝てくれたところだったので、またインターホンには応答できませんでした。 すると驚くことに、義母はわが家の窓をドンドンと何度も叩き、「いるんでしょ? なんで出てこないの!?」と驚きの行動に。恐ろしくなった私は次男を抱いて、すぐに義母に応答し謝罪をしました。 次男の寝かしつけで応答できなかったこと、これからも応答できないことがあるかもしれないことを伝えると、義母はわかってくれた様子。その後は週に1回ほどくるようになりました。義母も悪気はなかったようですが、私から前もって応答できない事情もあるということを伝えておくべきだったなと反省した出来事でした。 著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年09月21日私たち夫婦の家と義実家は、車で1時間の距離にあります。夫は独身のころから義母との親子関係は良好で、困ったことがあるとまず義母に相談をします。結婚後も夫は義母と頻繁に電話をするほど。夫は私よりも義母の意見を大切にしており、私は寂しいと感じモヤモヤとした気持ちを抱えていたのです。そんな中、私に対する義母の本音を知り、衝撃を受ける出来事が起きました。 義実家への頻繁な宿泊がつらい義母が「義実家に泊まりに来てほしい」と夫に頼めば、どんなに仕事が忙しく寝不足でも夫は義母に会いに行きます。義母が遊びに来てほしいと頼んでくるのは月に4回ほど。そして、夫が義母に会いに行くときは必ず私を連れて行きます。 なぜなら嫁である私を連れていかないと、ご近所から変なふうに思われてしまうのは困るという義母の意向があるからです。共働きである私たちにとって、夫婦揃っての休日は貴重なのに……と私は思っていました。 義母からの衝撃的な言葉休日に夫と2人で過ごしたいと思っていた私は、夫に自分の気持ちを打ち明けました。夫は、私の気持ちを受け止めてくれたものの、義母の気持ちも大切にしたいとのこと。私たち夫婦は話し合いの結果、休日は夫婦で過ごす時間をもう少し持ちたいと義母に話すことにしたのです。 しかし、いざ義母に話すと、義母は形相を変えて「息子は私の言うことは何でも聞いてくれたのに、あんたが嫁に来てから息子は変わった!!」と怒りを私にぶつけてきたのです。 止まらない私への暴言「あなたが来てから、私の言うことを聞いてくれない! 本当にあなたはわがまま! あなたなんて、私の息子じゃないともらってくれるところなんてなかったわよ! 私の息子だから結婚できたのよ!? わかってる!?」と義母から言われました。 私は言葉を失い、何と返したらよいのかわかりませんでした。それは夫も同じだったようで、義母に驚き何も言えずにいました。義母は言いたいことが言えてすっきりしたのか、それからは何もなかったかのように過ごしていました。 あれから義実家への宿泊は月に2回ほどになり、以前より少なくなったので夫婦の時間は増えたと思います。しかし、今回のことで義母とどうすれば良好な関係を築けるのか悩みました。私が自分の意見を言うことで、義母と衝突する原因になるかもしれません。しかし、嫁と姑は長い年月をかけて関係を築いていくものだと思っています。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年09月13日夫の友人が、息子誕生のお祝いを持って遊びに来てくれました。友人のお姉さんがちょうど最近出産を終えたばかりだったようで、お姉さんと私の陣痛時間を比較するような発言をされてモヤモヤ……。悪気なく言ったのだろうし、夫の友人なので反論もできませんでした。そのとき、夫の反応は……? わが家は立ち会い出産私が息子を出産したとき、夫の希望で分娩に立ち会ってくれました。破水から始まったお産で、自然に陣痛がきてからは2時間弱で息子が生まれたため、時間こそ短かったものの、陣痛に耐える私の姿に夫はかなり心配になったようでした。 無事息子が生まれた瞬間に、夫は感動の涙を流していたほどです。病院で別れて自宅に帰ってからも「本当に大変な思いをして生んでくれてありがとう」と、夫から何度もスマホにメッセージが届きました。 「ラクでよかったですね!」にモヤモヤ息子の生後1カ月健診も無事に終わり、夫の高校時代からの友人がお祝いを持って遊びにきてくれました。 夫の友人は、ちょうど最近自分のお姉さんが子どもを出産したばかりとのこと。「姉は陣痛がきてから1日半かかったみたいで、めちゃくちゃ大変そうでしたよ。どのくらいで生まれたんですか?」と聞いてきたので、「それは大変でしたね。うちは破水からで、陣痛がきてからは2時間くらいでした」と答えると、「早っ! ラクなお産でよかったですねー」と言われ、その言葉に私はモヤモヤ……。 夫の反論にスカッと!私が笑って受け流そうとしていると、すかさず夫が反論。「いや、陣痛時間短いと痛みが一気にくるみたいだから、すっごい大変そうだったよ!」と、友人に返してくれたのです。 友人は「そういうものなのかー。どっちにしても大変だ……」と言っていて、陣痛の時間の話はそこで終わりました。友人が帰宅したあと、改めて感謝の言葉を私から夫に伝えるのは照れくさかったので、その日の夕食は腕によりをかけて、夫の好物をたくさん作りました。 夫の友人は、まったく悪気なく「ラクなお産」と言ったのでしょうが、そのひと言に私は「陣痛時間が短い=ラクなお産ではないのに……」とモヤモヤしてしまいました。夫の友人だし、わざわざ息子の出産祝を持ってきてくれた、という状況だったので私は反論するつもりはありませんでした。しかし立ち会い出産をした夫が、私の陣痛のつらさをわかってくれていたことがうれしかったです。 著者:吉川 みきな2008年生まれの女の子と2018年生まれ、2022年生まれの男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年08月31日私には小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。娘は在胎37週6日、息子は在胎38週0日で生まれました。2人とも出産予定日より半月ほど早く生まれたことになり、そのことについて、義父から度々気になる発言がありました。そのたびに、悲しい気持ちになっていたのですが……、そんな義父に変化をもたらした、娘のひと言をご紹介します。 出産予定日より半月ほど早く生まれた娘娘を妊娠中、経過が順調だった私は、体に負担をかけないように気を付けながらマタニティライフを満喫していました。出産予定日まで残り半月となったある日、残りの妊娠期間も有意義に過ごしたいな……とのんきに考えていたのですが、おしるしがあり、そこからはあれよあれよとお産が進んでそのまま出産となりました。 少し驚きはしましたが、母からは私自身も出産予定日よりかなり早く生まれたと聞いていたので、特に気にすることもなく、無事生まれてきてくれたことに感謝していたのです。ところが、生まれてすぐに病室に駆けつけた義父は、着くなり開口一番こう言いました。「早かったねー」。 義父が言う「早かったねー」の意味義父に「早かったねー」と言われて、なんのことかな? と思っていたら、「予定日はまだまだ先だから、まさかこんなに早く生まれるとは思っていなくてびっくりした」と言ったので、そこで初めて、義父の言葉の意味を理解しました。そのあとも度々「なんで早く生まれたんだろうねー」と言ってくる義父。はじめのうちは「居心地が悪かったんですかねー?」と笑って返していましたが、私はだんだんその言葉が気になるようになっていきました。 娘は生まれてから1週間くらいは目を開けることもなく、寝てばかりいました。母乳育児にこだわっていた私は、寝てばかりでうまくおっぱいを吸えない娘を見ながらだんだんと、妊娠中に動きすぎたせいで早く生まれてきたのかな、早く生まれたからこうなのかな、と後悔するようになってしまいました。 歩き始めるのも遅かった娘だけど…娘はずっと、体が小さめで寝返りも歩き始めるのも遅かったので、義父の言葉を思い出しては不安になっていました。ところが、2歳を過ぎたころから急に、娘はぐんぐん大きくなり、運動能力も飛躍的に上がったのです。それとともに、私の中で義父の言葉も薄れていきました。ところが、第2子である息子が、娘と同様に出産予定日より2週間早く生まれたのです。義父はやはり、娘のときと同じことを言うようになりました。 息子は娘と違って大きく生まれ、おっぱいもよく飲んだので、娘のときのようには気にならなかったのですが、「早かったね」と言われるのはいい気持ちはしませんでした。それを察したのか、ある日娘が義父にこう言ったのです。「弟も私と同じで、早くじいじに会いたかったんじゃない?」。それを聞いた義父はうれしそうな表情で、不思議とそのあとからは、あの言葉は言わなくなりました。驚くとともに、娘には助けられました。 義父がなぜ早く生まれたことにこだわったのかはわかりませんが、私個人的には、産後の赤ちゃんの様子は個人差があって、その子によって違いが大きいのではないかと思っています。そして娘のあのひと言は、おじいちゃんが大好きな娘から出た素直な言葉だったのだと思います。娘は現在小学生ですが、クラスで一番背が高く、走るのも早いです。息子も活発で、今では義父の言葉で悩んだ日々は笑い話になりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年08月30日小さな子どもを連れて、義父の誕生日プレゼント探しへ。子どもをあやしながらの買い物でとても大変でしたが、喜んでくれるといいなと思いながら家へ帰りました。数日後、誕生日に渡しに行きましたが義父は不在。直接渡せないのは残念でしたが、義母に渡して帰りました。翌日義母がやってきて、わざわざお礼なんてと思っていたら、まさかの言葉をいただいたのです……。 気持ちはうれしい残念なプレゼントもともと義父母には良い印象を持っていましたが、敷地内同居で頻繁に顔を合わせるようになると、価値観の違いや生活習慣の違いから徐々に苦手に。 そんな中でも、「あちらのご両親と仲良くやりなさい」と実親に口酸っぱく言われていたこともあり、義父母とはお互いに誕生日プレゼントを交換する程度には良好なお付き合いをしていました。 不思議な配色のTシャツや派手すぎる靴下など、正直好みではないと感じるものや、サイズが合わないものをもらうこともありましたが、義父母の気持ちをありがたく受け取っていました。 「プレゼントのレシートある?」出産直後はバタバタしていたので通販でプレゼントを購入しましたが、翌年の義父の誕生日プレゼントは有名ショップの肌着を贈ろうということになり、私が買いに行くことに。 店舗がショッピングモール内にあったため、子どもを連れて車で向かいました。子どもをチャイルドシートに乗せるのも一苦労。買い物中も抱っこしたり、おむつを替えたりと大忙しでしたが、喜んでくれるといいなと思いながら無事に目当てのプレゼントを買って帰り、後日渡しに行きました。 すると翌日義母がプレゼントを持ってわが家にやってきて、開口一番「レシートある?」と言ってきたのです。 「仲良くしなきゃ」の呪縛わけがわからずどうしたのか聞くと、サイズを交換してきてほしいとのこと。肌着とはいえサイズが合わないものを贈ってしまったことは申し訳ないと思いつつ、「いつも自分たちは私のサイズも確かめずに買ってくるのに!?」という気持ちと、「子連れでの買い物が大変なことをもう少しわかってくれてもいいのに……」という不満が募り、モヤモヤしていまいました。 しかし、義父母と仲良くしなくてはという思いがあり、義父母にプレゼントの値段がわかるレシートを渡すのも気が引けて、サイズが合わないと言う義父母のために、私は子どもを連れて再度店舗へと向かったのでした。 夫が帰宅後、この件について話し合い、今後プレゼントは息子である夫が用意することになりました。今回も私ではなく夫が買ってきていたら、義父母に対して嫌な気持ちにならずに済んだのかもしれません。義父母と適度な距離感で良好な関係を保つのは難しいなぁと感じる出来事でした。 著者:三浦朋美1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年08月27日子ども向けアニメなどを見ない義母は、孫に「これは誰?」と何度も聞いて嫌がられるほど“キャラクター音痴”。そんな義母が珍しく、子どもが好きなキャラの人形を「これあげる」と持ってきたのですが……。かなり困惑してしまった義母からのプレゼントのお話です。 それ、どうしたんですか?ある日子どもと庭で遊んでいると、何かを手で振りながら近づいてくる義母。敷地内同居している義母とは価値観が違い、嫌な思いをすることが多いのでなるべく会わないようにし、会っても極力理由をつけて逃げていました。 ですが、よく見ると振っていたのは子どもが好きなキャラの人形。やっと名前を覚えて買ってきてくれたのかなと思いながら、「それ、どうしたんですか?」と一応聞き、義母が子どもに人形を渡すのを見ていました。 ありえない義母の一言に驚愕義母は子どもに人形を渡しながら「買い物に行ったら駐車場に落ちていたのよ」と得意げに言いました。その言葉を聞いて思わず「誰かの落とし物ですよね」「失くした子は探しているかもしれません」と子どもの手を引っ込めましたが、時すでに遅し。子どもは遊びたいのに人形をもらえないことで泣きだしてしまいました。 そんななかでもまだ「だって落ちてたからぁ」などと言い訳をしながら、人形を渡そうとする義母。非常識さと強引さに腹が立ちましたがグッと堪えて、「返してきたほうがいいですよ」とだけ言って家の中に入りました。 価値観の違いを再認識…いくら孫が好きなキャラクターだったからといって、なぜ、誰が使ったかもわからない拾ったものを渡そうと思ったのか? など疑問は尽きませんが、価値観が違いすぎる義母なので問答は時間の無駄だと思い、人形のことは聞かなかったことにしました。ですが、どうしても孫に渡したい義母は、数日様子を見てから私の目を盗んで人形を孫へ。 気づいた私が「拾ったものですよね」と言っても、「洗濯したから大丈夫」の一点張り。子どもが遊び始めていたので、その日は諦めて遊ばせました。遊び終わり返そうと思ったら、「私が持っていてもアレだからあげるわよ」という義母。正直、拾ったものなのに「あげる」なんて厚かましいなぁ……と思いましたが、なんとか言葉を飲み込み「大丈夫です」と返しました。 それからしばらく玄関収納の上に人形が鎮座していましたが、後日、義母が元あった場所へ戻したようです。義母は孫を喜ばせたい一心で人形を持ってきたのだと思いますが、拾ったものを自分のものにしてしまう行為はいけないことですし、喜んで受け取ることはできませんでした。子どもには、落ちているものを拾ってはいけない、誰かが困ったり泣いているかもしれないよ、と教える機会になったと思うようにしています。 著者:田中優子1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年08月25日息子が生後6カ月のとき、私はベビーフードを活用しながら離乳食をあげていました。しかし、実母と実姉は手作りこそ愛情、子どものためと思っているようで……。2人からの言葉に、自分の育児を否定されてしまったように感じたのです。 ベビーフード最高!息子が生後5カ月になってから離乳食をスタートさせました。当時は育児をしながらフリーランスで在宅仕事をしていた私。実家は遠方で義両親も共働きのため、誰にも頼ることができずワンオペ状態。そのため、離乳食は手作りすることもありますが、ベビーフードを活用しながら進めていました。 ごはんを食べる時間も、トイレも寝る時間も十分に確保できないママにとって、ベビーフードはなんて素晴らしい発明品なのだろうと当時の私は感動!息子もベビーフードをパクパク食べてくれていたことや、離乳食の本にもベビーフードを活用して良いと書いてあったため、これからも息子にベビーフードをあげるつもりでした。 手作り派の姉と母から言われた言葉息子を連れて実家に帰省した際、県外に嫁ぎ2児の母になった姉も帰ってきていました。母と姉に離乳食はどうしているのか聞かれ、ベビーフードを使っていると言うと心底びっくりされてしまいました。母は「ベビーフードはあまり使わないほうが良いよ。手作りが一番だよ」。姉も続けて「いつもの大人のごはんから味付け前に取り分けて、やわらかくすれば良いだけだよ? 〇〇(私)が思っているより簡単にできるよ」と手作りを私にすすめてくるのです。 私は離乳食の本にもベビーフードを活用しようと書いてあることなど伝えましたが、2人とも納得がいかない表情。私はこれ以上2人に何を言っても理解は得られないと思い、帰省中は母と姉の話に合わせてやり過ごしました。 義母からの贈り物に救われる母と姉からかけられた言葉によって、まるで自分の育児を否定されたような気持ちになりました。これからは離乳食をすべて手作りにしようかと思っていたとき、義母から思いがけないものをもらったのです。その日、義実家に遊びに行くと義母が「離乳食を作るの大変でしょ?」とトウモロコシのベビーフードを私にプレゼントしてくれました。 実家に帰省したときの出来事は、夫にも話していないため義母も知らないはず。あまりにもタイミングが良くて驚きましたが、義母からのプレゼントのおかげで自分の育児にまた自信が持てたのです。ベビーフードをたくさん活用して育った息子は現在1歳6カ月に。大きな病気もせず、元気いっぱいに育ってくれています。 今思い返すと、母と姉は息子のためを思って言ってくれたのだと思います。とは言っても、子育てをしている本人が子どもや家庭の状況に合わせて、手作りかベビーフードを活用するかを選択するわけで、そこに対して自分の価値観を押し付けるのは違うように感じました。これを反面教師にして、私も何気ない自分の言動に気をつけようと心に留めた体験でした。 著者:米久 熊代1歳児男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年08月11日未婚の母としてシングルマザーとして育児と仕事に奮闘していた私ですが、やはり子どもにお父さんがいないことで寂しい思いをさせているのではないかと不安がありました。気になる人ができても、うまくいかないんじゃないかと不安が常にありましたが、3年という時間をかけてようやくステップファミリーとなることができた体験談をご紹介します。 うちにはどうしていないの?子どもに寂しい思いはさせたくない! と頑張っていた日々でしたが、子どもが自分の思っていることを話せる年齢になってきたころ、ふと言われました。「うちにはパパって何でいないの?」 保育園の送迎や行事で見かけるたびに不思議に思っていたそうです。やっぱり父親っていたほうがいいのかな……私ひとりじゃやっぱり寂しいのかな……と悩んで寝られない日もありました。 パートナーと子どもを会わせるまで子どもが4歳になる年に仕事関係で今のパートナーと出会い、私がシングルマザーであることを打ち明けました。大丈夫だと言ってくれるパートナーでしたが、もし子どもに会わせてからダメになったら子どもがかわいそうだと思い、悩んで悩んで子どもに会わせるまでに半年ほどかかりました。 しかし実際に会ってみると、すぐにパートナーに懐いて抱っこをせがむわが子の行動に驚きの連続でした。言葉に出していなかったものの、子どもにとって今までいなかった父親のポジションは大事だったんだなと感じました。 焦らずに時間をかけて家族になるパートナーと付き合い始めて1年経つころには、将来を思い子どもが小さいうちに家族になりたいと考えるようになりました。一緒に暮らすとなると大丈夫だろうかと心配もあり、時間をかけて様子見することにしました。3人でのおでかけの時間を長くしてみる、その次はお泊まりをしてみる、そうやって徐々に3人で過ごす時間を長くすることに。一緒にいるときに子どもがこの関係を嫌がっていないか、子どもがダメなことをしたときにパートナーはどのような態度をとってくれるのかなど、焦らずにゆっくりと数年の時間をかけ確認をしました。最初はダメになってしまったらと不安もありましたが、子どもを大事にしてくれるこの人なら大丈夫だと思えるようになりました。 結果的に3年ほどの時間をかけて、子どもが保育園を卒園した年に無事にステップファミリーになることができました。シングルマザーになる決意をしたときは、今のような未来があるなんて思いもしませんでした。焦らずに時間をかけて子どもとパートナーの関係性を見てきたことで、安心感が生まれたのがよかったのだと感じています。 監修/助産師 松田玲子著者:高橋香織7歳男児の子育て中、第2子妊娠中のママ。ステップファミリーとなった自身の経験を生かした体験談を執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年08月01日ある日家族でレストランに行き食事をしていると、当時1歳の息子がうんちをしてしまいました。しかも、そのときのうんちは水っぽくゆるゆるで、おむつから漏れて服にまでついていたのです。急いでトイレに連れて行ったものの、着替えに時間がかかってしまい、その間息子はずっと泣き続けていました。すると、トイレのドアをノックする音が聞こえて……。 お子さまランチでご機嫌、のはずが…息子が1歳10カ月のころ、夫と当時4歳の娘と4人で商業施設内のレストランへ行きました。子どもたちは大好きなお子さまランチを食べてご満悦。ところが、食事が終わるころ息子の機嫌が悪くなってきました。私はおなかがいっぱいで眠いのかな?と思いましたが、椅子から抱き上げてみると、うんちの臭いが……。 しかも、うんちはおむつから漏れ、服にまで付いていたのです。息子が座っていた子ども用の椅子は汚れていないようでしたが、念のためウェットティッシュで拭き、自分の服などが汚れないよう息子のおしりのところをタオルでくるんで、私は急いでトイレへ向かいました。 泣き叫ぶ息子とトイレへその施設内の女子トイレは、個室の中におむつ交換台があり、そこで着替えや処理をすることにしました。息子を寝かせ、服やおむつを見てみると、出ていたのは水っぽいゆるゆるのうんち。思ったよりも汚れがひどく、周りを汚さないよう、トイレットペーパーやおしり拭きで息子のおしりや服についた汚れを拭き取るのに時間がかかってしまいました。 おむつ交換や着替えをしている間、気持ち悪かったのかずっと泣き叫ぶ息子。するとトイレの外からノックとともに「大丈夫ですか?」と女性の声が。私は息子の足を持ち上げながら、「大丈夫です! すみません、もう少しで終わります!」と返事をしました。 ドアを開けるとそこには…やっとの思いで着替えを終え、息子を抱っこして個室から出ると、すぐそばで清掃員の方が掃除用具を持って待っていました。ノックをして声をかけてくれたのもその方だったようです。「大丈夫ですか?」ともう一度聞かれたので、「うんちが漏れてしまって……。もし汚れていたらすみません」と答えた私。 すると清掃員の方は、掃除用具の中からごみ袋をシュッと1枚取り、「よかったら使ってください」と私に差し出したのです。そのとき私は汚れた服を入れる袋がなく、丸めてそのまま手に持っていたので、それを見て袋をくれたのだと思います。私は受け取った袋に汚れた服を入れ、すぐに掃除を始めていた清掃員の方にお礼を言うと、息子を連れて夫と娘のもとへ戻りました。 あのときは本当に大変でしたが、着替えを入れる袋をもらえてとても助かりました。状況を一瞬で悟って、スマートな対応をしてくれた清掃員の方には感謝しています。このことがあってから、子どもと出かけるときは、大きめのビニール袋を畳んでリュックに入れて持ち歩くようになりました。 監修/助産師 松田玲子著者:斉藤 ひかり7歳女児、4歳男児の母。転勤族。結婚前に音楽業界で働いていた経験を生かし、主に音楽・エンタメ・子育て関連の記事を執筆中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年07月30日総合病院で第1子となる娘を出産し、産後の1カ月健診へ。今思い返せば、「何を聞かれているかわかるでしょ!」と自分でも思うのですが、何を思ったのかそのときは思いっきり勘違いしたまま、医師からの質問に答えてしまいました。まさに、穴があったら入りたい出来事でした……。 小児科医からの質問を勘違い私が第1子を出産して、産後の1カ月健診に行ったときのお話です。総合病院だったので、まずは娘を連れて小児科へ。小児科医から「調子はどうですか?」と聞かれ、なぜか自分のことを聞かれたと思い込んでしまい、私は「常に寝不足で、なかなかしんどいです」と答えました。 小児科医から「この時期は大変ですよね。○○ちゃん(娘)の調子はどうですか?」と聞かれたところでやっと、「さっきの質問は娘のことを聞いていたんだ!」と気づきました。「寝不足で頭が回らなくて……すみません」と変な言い訳をしてしまい、小児科医は笑ってくれましたがとても恥ずかしかったです。 「お母さん」と呼ばれ慣れていないが故に次は、産科で自分の1カ月健診です。内診があるとのことだったので、内診のときは母に娘を抱っこしてもらうつもりで付き添ってもらっていました。まずは産科医から問診があり、「お母さん、体調どう?」と聞かれました。もちろん私のことだったのですが、「お母さん」と呼ばれ慣れていない私はそこでも勘違いをしてしまい、母に向かって「ほら、聞かれてるよ」と言ってしまったのです。 産科医と同席していた看護師さんが大笑いし、「お母さんって○○さん(私)のことだよ。○○さんももうお母さんでしょ!」とツッコまれてしまい、顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。 みんなが笑い飛ばしてくれてよかった小児科医のときも、産科医のときも私の勘違いを笑い飛ばしてくれたのでよかったのですが、自分としてはどちらも穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったですし、きっと赤面していたと思います。 産後の寝不足で頭がうまく働かない状況だったとはいえ、私のように勘違いする人はいないかもしません。特に、産科での勘違いは母も恥ずかしかったようで「何言ってるの!」と母からも笑われてしまいました。 娘を出産してからもう13年以上経ちますが、いまだに思い出してしまう「穴があったら入りたい出来事」です。娘を出産した総合病院の前を通るたび、娘の出産~産後の入院中の生活を思い出してホロリとするのと同時に、この出来事も一緒に思い出して恥ずかしくなってしまいます。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年07月27日長女がまだ生後3カ月のとき、私は孤育て真っただ中でした。自分の地元ではなく知り合いのいない土地で、夫は仕事で忙しい日々。家の中でただひとり、話のできない赤ちゃんと過ごす毎日の中で、夫に言われた言葉が忘れられません。 私も夫も休みがない日々当時の夫は、平日は朝早く出社し、帰宅は夜遅く、休日出勤も当たり前。丸1日休みになるのは月に1度ほどしかなく、いつもぐったり疲れていたので、「休みの日くらい寝かせてあげよう」と思い育児について頼ることができませんでした。そのため私は馴染みのない土地で、まさに“孤育て”の状態に。 心休まる日がなく、子どもが夜頻繁に起きることもあり、心身ともに消耗していました。夫婦ともに毎日疲れ切っていて、家の中の雰囲気は常にどんより。会話も最小限で業務報告ばかりでした。夫も子どものことを気にかける余裕がなく、私も夫のことを思いやる余裕がなかったのです。 思い切って気持ちをぶつけるだからこそ否定的な言葉やネガティブな言葉をかけることは避けていたのですが、ある日、溜まりに溜まったストレスで「このままじゃおかしくなってしまう!」と思った私。どうしても夫に話を聞いてほしくなり、帰宅後の夫を呼び止めました。 「ずっと家にいるのがつらい」「大人と話せないのがつらい」と、そのときの気持ちを溢れるままにぶつけている間、夫は疲れていたのか、ぶすっとした表情のまま黙っているだけでした。 夫の言葉に撃沈したけれど私が話し終わった後、夫は「はぁー」と長くため息をつき、「前は家にいるのが好きだって言ってたよね。嫌なら好きに出かければ?」と言いました。夫の冷たい言葉を聞いてがくぜんとした私。今の私の現状をちっとも見てくれていない夫の態度に、とても傷つき涙が溢れました。 けれど冷静になって考えれば、夫が疲れ切っているタイミングに話をしたことも良くなかったかなと反省。また、「出かければ」と言われたことで、「確かに自分から子どもを連れて遊びに行ける場所を探していなかったかもしれない」と思い、地域の子育て支援について調べ始めるきっかけになりました。 夫婦のどちらにも余裕がなく、この日から数日は夫と口をききませんでした。ただ、数日後には夫も「あのときは言い方が良くなかった、ごめん」と謝罪。夫に受け入れられず悲しい気持ちになった一方で、自分の視野が狭くなっていたことに気づくきっかけにもなりました。 著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年07月22日私は現在、幼稚園に通っている5歳の長男と保育園に通っている2歳の長女がいる2児のママです。今回は私が学生時代からの友人に対して、価値観の違いなどから「もしかして、マウンティングなのかしら?」と感じたさまざまな出来事や、どうやって自分のモヤモヤ感から気持ちを切り替えているかをお伝えします。 私と友人の間柄とは私と友人の付き合い長く、同じ会社に新卒で入社し、お互いに切磋琢磨した同僚という仲です。そして、これも縁なのでしょうか? 友人と私は、偶然にもほぼ同年齢の子どもがそれぞれ2人いて、しかも2人ともワーママです。そういった背景があり、しかも住んでいる場所もそう遠くないということから、特にお互いに子どもができてからは、定期的にお茶会をするような関係性が続いていました。 一見良好な関係性とも見える私と友人ですが、私は友人に対してモヤモヤする出来事が多くなりました。最初に私が「モヤッ」としたきっかけは、忘れもしない、長男が生後数カ月のころの出来事でした。 友人からモヤッとする衝撃のひと言私はさまざまな事情があり、親戚に頼れず退院直後からワンオペ育児でしたが、そんな中、友人が出産祝いにと私の自宅へ来てくれた際のこと。久々に会えてうれしかったのですが、そのときに友人からモヤッとした発言が。 「○○は、実家に頼れないんだね。私は実家はもちろん、義母・義父が揃って手伝う!って、いろいろな人から言われ過ぎちゃって困っている」「人手が足り過ぎてて、どう分散して子どもの世話を手伝ってもらおうかって考え中」と言われたのです。 恐らく友人に悪気はないのでしょう。しかし1人目育児かつ産後間もなくて心身ともに疲弊していた私は、この友人の発言に正直引いてしまいました。なぜならば、あまりにも私の現状を考慮した発言ではなかったからです。 ほかにもあったモヤモヤな出来事そのほかにも、友人にモヤッとしてしまった出来事があります。 例を挙げると、「自分(友人)がどれだけ生活が充実しているのか、わざわざ写真をLINEに送ってくる」「しゃべりだすと止まらず、私はほとんど聞き手役に徹しなければいけない。しかも内容はほとんど自分(友人)がデキる人間であるかどうかの自慢話が多い」などです。 今は住んでいる土地も違いますし、正直「合わなければ関係を続けなければいい」と思われるかもしれません。しかし、私と友人は十数年も付き合いが続いている縁があり、そう簡単に縁を切ることが私にとっては難しかったのです。 モヤッとした気持ちの解消策このように「モヤッとはしているんだけれど、簡単に縁を切れないな……」と感じたときに私がおこなった対策は、「自分の考え方を割り切ること」です。具体的には、友人と私は生い立ちや趣味なども異なり、それぞれまったく違った価値観持った人間であると考えました。 価値観が違うのですから、産後の私に友人が発したささいな言動も、私にとっては一撃を食らわせる配慮なき発言でしたが、彼女にとっては私を傷つける自覚はなかったのだと理解しています。 このように自分の考えを柔軟に、おおらかに変えていくことが「モヤッ」を解消する1つの現実的な手立てだと感じています。今ではある程度距離を置いたり「もともとこういう人なんだ」と割り切り、お互いの価値観が違う部分を「よい刺激」と捉えてお付き合いするようにしています。 著者:石塚みよ2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年07月16日息子が1歳のころ、公園である親子とおばあちゃんに出会いました。近くで遊んでいたところ聞こえてきたのは、おばあちゃんが放ったネガティブな言葉でした。孫とそのお母さんへ向けられたその言葉は私なら言われたくないことばかり。どうしても気になり、口を挟みたくなってしまったのですが……。 男の子が転んだだけで……息子が1歳半を過ぎたある日、私は息子と2人で近所の公園へ出かけました。ブランコに乗って遊んでいると、息子と同じぐらいの男の子が近づいてきました。一緒に来ていたのは、男の子のお母さんとおばあちゃんらしき年配の女性。「お子さん何歳ですか? 同じぐらいですね」などと話しながら、しばらく一緒に遊んでいました。 楽しく遊んでいたところ、芝生の上を歩いていた男の子が転倒。するとおばあちゃんが、「ほら、あんたがちゃんと見てないから」とその子のお母さんに向かって言ったのです。私はそれを聞いて、え? ちょっと転んだだけなのに、なんでお母さんが責められているの? とびっくりしました。 おばあちゃんの言葉にモヤモヤ「ちゃんと見てないから」と言われ、そのお母さんは無言で男の子を抱き起こしました。思い切り転んだわけではなく、しかもやわらかい芝生の上。男の子はけろっとしていて泣いていません。それなのに、おばあちゃんはさらに「もう、しっかりして」などと言っていました。私は心の中で、いやいや、全然痛くなさそうだし、歩いていてちょっと転ぶくらいよくあることだよ……とモヤモヤ。 その後もそのおばあちゃんは、私の息子が走っているのを見て「活発でいいわね、うちの子は全然走ろうとしないのよ」と言い、「うちも男の子なのにおとなしすぎて。もっと外に連れ出さないとだめね」など、目の前にいる自分の娘や孫をおとしめるようなことばかり話していました。 ひと言物申したい! けど……私はそのおばあちゃんの言葉を聞いて、どうしてこの人は自分の娘や孫を悪く言うんだろう、活発かどうかはもともとの性格もあるし、おとなしいのが悪いなんて私は思わない! 少しくらい転んでも男の子は笑顔で楽しそうだし、お母さんは一生懸命子育てしているように感じるのに……。お母さんは何も悪くないです! 頑張ってますよ! と口を挟みたくて仕方ありませんでした。 しかし、初対面でそのお母さんがどう思っているかわからないし、走り回る息子から目が離せなかったこともあり、結局私は当たり障りない相づちを打つことしかできませんでした。 今思えば、そのおばあちゃんは人前だから謙遜してあのような態度になっていたのかもしれません。でももし自分の母が同じようなことを言っていたら、私なら耐えられず言い返していると思います。それから一度もその親子に会うことがないまま、私たちはその街から引っ越してしまいました。現在息子は4歳。あの男の子はどうしているかなと、時々思い出します。 著者:斉藤 ひかり7歳女児、4歳男児の母。転勤族。結婚前に音楽業界で働いていた経験を生かし、主に音楽・エンタメ・子育て関連の記事を執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年07月01日息子は離乳食初期から食べるのが大好きでした。離乳食中期ごろは、おかずはだいたい毎日のお味噌汁から取り分けて、味付けはだしのみの野菜などを食べさせていました。そして事件が起きたのは、義母の家に遊びに行ったときのこと。よく食べると言う息子のためにごはんを作って待っていてくれたのです。しかし作っていたのは味の濃い肉じゃがでした……。 1歳までは薄味のものを食べさせたい私息子のためにと出してくれた肉じゃがは、大人も一緒に食べられるから、と作ってくれたようです。義母は田舎育ちで味付けは濃いめ。せっかく義母が作ってくれたのに断ることもできず、その日初めて濃い味付けの料理を食べさせました。 息子はおいしそうにパクパク食べ、義母もたくさん食べる息子を見て「また作ってあげるからね!」とうれしそう。私としては、1歳ごろまでは味の薄い物を食べさせたいのに……とモヤモヤした気持ちでした。ですが何も言えず、その場をやり過ごすことに。 まさかの義母の考えにビックリ!私はせめて1歳になるまでは、薄めの味付けの物を食べさせるべきだと考えていました。幼いころの食事は将来の味覚形成に関わると、健診のときに保健師さんから聞いていたからです。そのため、義母が作った肉じゃがを食べさせるのは正直嫌でした。せっかく離乳食が順調なのに、味の濃い物しか食べなくなったらどうするの!という気持ちでいっぱいだったのです。その日のことを夫に話したら、義母に「もう少し味の薄い物を食べさせてほしい」と伝えてくれることになりました。ですが、義母の考えは「遅かれ早かれ3歳になれば大人と同じ物を食べるのだから気にしなくていい」といったものでした。 家庭の味として受け止めるしかないその答えを聞いた私はビックリしましたが、今まで味付けに対して敏感になりすぎていたかもしれないと気付きました。考えてみれば、夫は義母の料理を家庭の味として育ってきたのです。私も義母の考えを受け止め、味付けについて気にしすぎるのはほどほどにしようと思いました。 とはいえ、離乳食の時期には素材の味を知ることや、薄めの味付けを食べることが大切です。将来の生活習慣病予防にもなるとも言われています。息子にはまだ薄味を食べさせたいと思っていたので、その後も自分が調理するときには気を付けていました。 そして、毎週遊びに行っていた義母の家には、なるべく食事を済ませてから行くように。月に1度ほど夫の都合でお昼の時間帯に訪問するときだけ、義母の料理を食べさせることにしました。 わが家の「家庭の味」は薄味に義母の意見を聞いてから、そういう考えもあるんだなと思いつつも自分で作る離乳食は薄味のままで作り続けていた私。ふと、そもそも「家庭の味」が、だしのきいたやさしい薄味であればいいのではと思いました。それ以来、私の作る家庭料理はだしを大切にしています。そうすれば自然と味付けの調味料が少なくても、しっかりとうまみを感じることができます。現在2歳半になった息子ですが、家族と同じ料理を食べています。といってもわが家は薄めの味付け。たまに行く外食は濃い味なので、薄めの味付けを嫌がるようにならないか心配ですが、今のところおいしそうに食べてくれています。だしにこだわっているからかなと思います。 結果的には、遅かれ早かれ大人と同じ料理を食べるようになる、というのは義母の言ったとおりでした。しかし、離乳食は塩分控えめが基本なので、私は薄めの味付けを続けました。肉じゃが事件を通して、家庭料理の味付けについて改めて考えるいいきっかけになってよかったです。 著者:森下ミメカ2歳男児と0歳男児の母。長男妊娠を機に専業主婦に。2歳差育児の大変さを痛感中。現在、子育てや暮らしについてのブログや体験談を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年06月30日産後間もない里帰り時期、慣れない赤ちゃんとの生活は幸せな半面、疲れや不安も抱えていました。そんななか、毎日会いにきてくれる夫との会話はとても楽しみでした。家族3人での時間、幸せな気分で過ごせると思っていたのですが……。産前には想像していなかった状況に戸惑い悩んだ私の体験談です。 子どもに夢中な夫。全然目が合わない!初めての出産後、自宅の隣町にある実家に里帰りをしました。夫は仕事が終わると実家に立ち寄り、寝る前に自宅へ戻る生活がスタート。毎日通ってくれる姿に、子どもが本当にかわいいんだなぁ、うれしいなぁと感じていました。 ただ、数日経つうちに私の気持ちは少しずつ曇っていきました。その理由は夫が赤ちゃんに夢中すぎて、私の話を聞くときに上の空なことが増えたから。それだけではなく、赤ちゃんをあやすばかりで話しかけてもまったくこちらを見ず、全然目が合わないのです。 誰か止めて! 新生児に高い高いをする夫気持ちは晴れないけれど、赤ちゃんと夫が一緒にいる姿を見るのはやはりうれしいものでした。そんなある日、夫は赤ちゃんをあやすなかで、両手のひらに赤ちゃんを寝かせた状態でのせ、「高い高ーい!」と腕を伸ばして持ち上げたのです。 生まれて数日の新生児が高く持ち上げられている姿、そして緊張した赤ちゃんの表情を見て私はとても怖くなりました。「やめて!」と言っても夫は「泣いてないし大丈夫よね~」。と赤ちゃんに話しかけすぐにはやめませんでした。 気分は透明人間…私のこと見えてる?赤ちゃんを危険な目に遭わせたり怖い思いをさせたりしたくない!という思いが強まり、私はこれを機に自分の気持ちを夫にじっくり話すことに。 新生児の赤ちゃんには刺激の強い遊びはしない、夫が大丈夫だと感じても私が嫌がることはやめる、そして私の言葉にきちんと耳を傾けるなど、夫にしてほしいことを真剣に伝えました。「私、自分が透明人間になったような気分になったよ」と話すと、夫はやっとハッとした顔をして謝ってくれました。 もしかしたら私も産後すぐで感覚が過敏だったのかな?とも思いますが、自分のことをまるでいないように扱われたという悲しい感覚は今でも忘れられません。ですが、あのときを境に、子育てに関してはママの感覚や直観を大切にしてくれ、夫とはどんなことでも話し合えるようになりました。今では夫は悩みも喜びも共有できる頼もしい存在です。 監修/助産師 松田玲子著者:ときのせともこ7歳と2歳になる5歳差の男の子兄弟のママ。結婚前は、生命保険会社で営業職を3年経験。趣味は子ども服を手作りすることやアルバム作り。年の差兄弟が一緒に楽しく過ごせる遊びを研究中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月28日夫と結婚して以来、私は夫の両親の誕生日や母の日・父の日には何かしらの贈り物を欠かさずしてきました。義両親はいつもとても喜んでくれるのですが、年を追うごとに「もうやめようかな」と私は感じるように。気持ちの持ちようをどうすればよいのか悩んでしまった体験談です。 自分の親にすることは義両親にもする私自身は就職を機に実家を出て以来、顔を合わせる機会が減った分、両親の誕生日や母の日・父の日などにはカードや花を贈ることが習慣になっていました。そのため夫と結婚した際は、あまり深く考えずに義両親にも同じようにし始めました。実家の両親にすることは、義両親にもするのがあたり前だと思っていたからです。 贈り方は、近い日にちで持参できるときは持参し、できないときは夫の名前や連名で郵送していました。 贈り物には無関心な夫との温度差義両親はとても喜んでくれ、「こんなこと息子にしてもらったことない」とうれしそうにしてくれました。私もはじめのころは義両親のうれしそうな姿だけで「贈ってよかったな」と思っていたのですが、次第に夫の態度にひっかかり始めます。 夫は贈り物には無関心なようで、私が「今年は何を贈ろうか?」と相談しても反応が薄く具体案を言ってくることがありません。また「これに決めたよ」と報告しても、ごくたまに「ありがとう」のひと言だけで、仕事が忙しいときなどはそのままスル―ということも珍しくないのです。 贈り物はしょせん自己満足?贈り物をするのは自分がしたいから。夫を含め、相手の反応を期待しない。そう自分に言い聞かせてみるものの、夫の無関心さに不満がたまっていきました。 ある年、これまでは私にもいつもあった義両親からのお礼メールが届かなかったことがありました。夫には義両親からLINEで「届いたよ。ありがとう」とメッセージがあったようですが、夫は「そういえばそんなメッセージきてたな」というだけ。義両親からの連絡を共有してくれないことにモヤモヤ……。なんだか急に虚しさを感じ、「もう贈り物をするのはやめよう」と思った瞬間でした。 ここ数年は「もう来年こそは絶対しない」と心に決めるものの、また日にちが近づいてくれば結局贈ってしまう状態です。無関心な夫に対して不満を感じてしまうくらいなら、思い切ってやめたほうがよいと頭ではわかっているのですが……。なかなか実行に移せずにいます。 著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月27日息子が1歳になる初めての誕生日。私は1カ月前から誕生日パーティーの準備をし、両家の両親を呼んでお祝いしようと計画していました。そんな中、義両親が孫の誕生日を忘れていたことが判明! 私はそんな義両親を冷たいと感じてしまいました。しかし、義両親はなぜ孫の誕生日を忘れてしまったのか、そこに気がついて私の行動も変わりました。 まさか……孫の誕生日を忘れていた!?息子が1歳になる初めての誕生日に向けて準備を慌ただしくしていた私。誕生日パーティーは両家の両親を呼んでお披露目のパーティーにしたいと計画していました。 ところが両親たちと日程を調整している際に義母が「みんな集まるってことは何かのお祝い?」と発言……。義両親は、孫の誕生日をすっかり忘れていたようなのです。 息子の1歳の誕生日は私たち夫婦にとってはとても大切な日なので、義両親に忘れられていたことがショックでした。 義両親は孫に興味がない!? と思いきや……とてもショックを受けた私は、誕生日を忘れてしまうのは、義両親は息子に関心がないのだなと思ってしまいました。しかし、実は義両親にとって私たちの息子は6人目の孫。これだけ孫がたくさんいたら、1人への関心も薄れてしまうのかもしれない、と私は思いました。 誕生日パーティーに義両親を呼ぶのをやめてしまおうかとも考えましたが、両家の両親が揃う行事はなかなかないと思い、予定通りお誘いすることに。すると誕生日パーティー当日は、両家の両親が取り合いのように孫をかわいがって写真を撮ったりお世話をしたりしてくれました。義両親も孫に関心がないわけではなかったようで、安心しました。 わが子を義両親にかわいがってもらうために息子の誕生日を忘れていた義両親でしたが、孫を前にするとテンションが上がってうれしそうでした。孫をかわいがる義両親の姿を見て、誕生日を忘れられてしまったのには私にも責任があったと気づきました。 義両親とは離れて暮らしており普段は会わないので、私が送る写真やメールが唯一の孫の成長を確認する手段でした。義両親にとって、わが家の息子の存在は遠かったのです。今後は頻繁に息子の様子を伝えて、義両親に孫の成長を身近に感じてもらうことが必要だと感じました。 私たち夫婦にとっては初めての子どもでも、義両親にとっては6人目の孫。わが家の第1子に対して両者に温度差があるのは仕方のないことかもしれません。過度に期待しないことと、孫の存在を身近に感じてもらえるように私から歩み寄ることが大切だと気づきました。これからも離れて暮らしている義両親とマメに連絡をとって、孫の成長を見届けてもらおうと思っています。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月25日私はコロナ禍に第1子となる男の子を出産しました。妊娠中は里帰り出産することを考えましたが、新型コロナの影響で断念。義父母はわが家から車で1時間ほどの距離に住んでいますが、共働きのため気軽に頼ることができません。そのため産後は夫が家事を頑張ってくれたのですが、私はつい夫がしてくれた家事に対して文句を言ってしまい、夫婦喧嘩に発展してしまったのです……。 ありがたいけど雑な家事が気になる産後、夫は私の代わりに家事を積極的に頑張ってくれていました。掃除に洗濯、栄養バランスのとれたごはんを作り置きしてくれることも。私は夫の協力にとても感謝していました。しかし、感謝の気持ちと同時に夫の雑な家事がどうしても気になっていました。 料理や食器を洗ってくれたあと、野菜などのクズや水が散乱している台所と床。ビショビショのまま丸まって放置された布巾。洗ったはずなのにカレーや油がべっとりついたおたまや食器。洗濯物を重ねたまま干したため生乾き臭のする衣類。畳んだらしいけど、そうは思えないほどぐちゃぐちゃに積み重なった洗濯物など、やってもらったことに感謝をしないとと思いつつも、私はどうしても夫の雑な家事が気になってしまいました。 夫が激怒!つい指摘してしまった結果最初こそ夫がしてくれた家事のやり残しを私はこっそりしていました。しかし育児をしながら結局すべての家事を産後間もない体ですることになってしまい限界を感じるように……。そのうち、つい夫にイライラした口調で「洗濯物のたたみ方汚すぎ! ちゃんと端と端を合わせてたたんで」「皿にカレーがついたままだった。洗うならちゃんと洗って」など、夫がしてくれた家事に対してできていないことを指摘してしまうことが増えました。 私の口出しが原因で夫と口論になることもしばしば。ある日、夫が食器を洗ってくれたあと、ビショビショの布巾を台所に丸めてそのまま放置していたので、私は夫にそのことを注意。すると夫は「仕事しながら家事も一生懸命やってるのに文句を言うな!」と、今まで我慢してきたのであろう怒りが大爆発。その日は1日、夫に話しかけてもほとんど返事は返ってきませんでした。 口出しをしないルールとは言っても…その喧嘩を機に、毎日仕事をしながら家事をしてくれていた夫にひどい言動をしてしまったことを反省。基本は「してもらったことに対して口出ししないこと。気付いた人がやること」が夫婦で暗黙のルールとなりました。 とは言っても、どうしてもこれは直してほしいと感じた家事もあります。そこで、口出ししない代わりに、夫に自ら気付いてもらうよう仕向けていくことにしたのです。 お互いの得意、不得意を知るきっかけに例えば、夫が洗ってくれた食器にべっとり油がついていたときは、あえてその油残りのある食器を使って夫に食事を出しました。すると夫は「この皿と箸ベトベトじゃん……。これ俺が洗ったやつか」と気付いてくれ、次からきれいに食器を洗うよう心がけてくれるようになったのです。 洗濯物の干し方も雑でしたが、知らないふりをして生乾きの衣類を夫に渡すと、「生乾きくさっ!」と驚いたあと、夫なりに干し方を改善してくれました。掃除に関しては、私が汚いと感じたことも夫はまったく気にならないとのことだったので、掃除が得意な私が担当することに。夫が使ったあとの、水浸しで食材のクズが散らかった台所は、気付いた私が片付ける役割だと割り切ることができました。 してもらったことに対して口出しをしないこと、気付いた人がやることを意識して、夫と私の許せる許容範囲のすり合わせをしてから、夫に対してのイライラが減りました。余裕がなかったとはいえ、夫に対してきつい態度をとっていたことを反省し、日頃の感謝を忘れず過ごしていきたいと心に留めた体験でした。 著者:米久 熊代1歳児男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月23日これは私が妊活のために仕事を辞めて週に1、2回短時間のパートをしながら、ほぼ専業主婦としての生活を始めたころの話です。当時、夫の仕事は激務を極め、朝早く出勤して帰りは深夜という生活がほぼ毎日続きました。私も仕事が大変な夫をいたわっていたのですが、ときどき専業主婦である私を軽視するような発言が聞かれました。モヤモヤがたまった私はついに……。 激務の夫と専業主婦の私結婚当時はまだ新人で、雑用などを任されることも多く激務を極めていた夫。当時の夫は口を開くと、「疲れた」「眠い」と言っていました。一方私は、妊活のために会社を辞め、パートを始めましたが週に1〜2回、1日3時間の勤務で、ほぼ専業主婦のような形でした。 パートは朝早くから始まるのでなかなか早起きはつらかったですが、夫の激務に比べたらかわいいもの。でもやっぱり眠いときだってあるし、疲れたなと感じるときだってありました。 専業主婦は疲れちゃダメなの?その日は、私が早朝からのパートで夫は休みの日でした。パートから帰り、リビングでくつろいでいた夫に思わず「はぁ〜、疲れた」と言いました。すると夫は、「いや、オレのほうが疲れてるから」と返してきたのです。確かにほぼ専業主婦の私より夫のほうが疲れているのは知っています。だから夫のひと言に返す言葉が見つかりませんでした。 またある日は「すごく眠いなぁ」と言うと、夫はすかさず「オレのほうが眠いよ」と言ってくるのです。この後も何度もこのやり取りがありました。そのたびに私の中にモヤモヤがたまっていったのです。 夫に涙ながらに訴えた私が「疲れた」と言うと「オレのほうが疲れている」と返し、私が「眠い」と言うと「オレのほうが眠いから」と言ってくる夫。私は、数時間のパートくらいで疲れたなんて言うな、ほぼ家にいるんだから疲れてるわけないだろう、と言われているような気分になりました。 そして心のモヤモヤが溜まりに溜まって、ついに爆発! 夫に「専業主婦は疲れちゃダメなの?」「疲れてるのはオレのほうとか、そんなので張り合わなきゃダメなの?」と涙ながらに訴えたのです。 私の訴えを聞いた夫は、「そんなつもりはなかった。ごめんね」と謝ってくれました。その後は自分のほうが疲れている、という変な張り合いもなくなりました。その後、子どもが生まれたのですが、夫が「仕事が疲れた」と言っても、「私のほうが育児で眠れてないし疲れているよ!」なんて言いません。夫婦は協力しあって生活が成り立っていると思っているからです。 著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月20日現在5歳になる娘は私のことを「ママ」と呼びます。これはこども園に通っているうちにお友だちがママと呼んでいることに影響されたためで、もともとは「お母さん」と呼んでいました。当時、この「お母さん」と呼ばせることについて、まさか義母から「待った」がかかるとは思いもしませんでした。 お父さん、お母さんと呼ばれたい私たち私たち夫婦は娘が生まれる前から、「お父さん、お母さんって呼ばせよう」と言っていました。そして娘が1歳前になったとき、義実家へみんなで訪問。そこで何気なく義母が「ママのところにハイハイしてごらん!」と言うので、「あ、うちはパパ、ママじゃなくてお父さん、お母さんって呼ばせようと思っているんです」と伝えました。 実はこれまでも義実家で私たち自身は「お父さんだよ~」などと自分たちのことを言っていたのですが、義母はそれを聞いているはずなのに「パパ、ママ」と呼んでいました。そのため、「しっかり伝えておいたほうが良いのかな?」と思い、きちんと言葉にして義母に伝えたのですが……。 「お母さんって呼ばせないで」と言う義母義母はそれを聞いて「お母さんって呼ばせるのはやめて。パパ、ママって呼んでる子が多いんだからそれでいいじゃない」と言うのです。まさか呼ばせ方を否定されるとは思っていなかった私たち。 「いや、みんながどうかわからないですが、うちはお父さん、お母さんと呼ばせたいなと思っているんです」と言いましたが、義母は納得しません。何を言っても「ダメ」しか言わないので「どうしてですか?」と聞くと、意外な理由が返ってきました。 義母のお母さんは1人だけ「お母さんって呼ぶのは私のお母さん(義母の母)だけがいいの」と言う義母。義母の家族は非常に仲良しで、とにかく絆が強かったのだそう。そのせいなのか、義母のなかでは「お母さん=義母の母」で、「お母さん」という呼び方は自分の母親だけであってほしいようでした。 すでに亡くなっている義母の母。義母の言い分はわがままなようにも見えましたが、私にはわからない家族の絆を理由にされてしまうと何とも言い難く、「私たちが折れるしかないのかな……」と思い、その日は保留にして帰宅しました。 翌日、義母からびっくりの電話次の日、義母から電話が来て「やっぱりお父さん、お母さんって呼ばせていいわ!」と開口一番に言われました。 「昨日の今日で何事だ!?」と思いながら、「どうしたんですか?」と聞くと、どうやら友人のお孫さんが「おとしゃん、おかしゃん」と呼んでいるのを聞いたら、それがかわいくて仕方なかったのだそう。それを聞いて「昨日のは何だったんだ……」と思わずうなだれてしまいました。 結局わが家の親の呼ばせ方は「お父さん、お母さん」で落ち着きました。義母のリクエストには振り回されましたが、最終的に自分たちの希望通りになって満足しています。言葉の発達の途中で、念願の「おとしゃん、おかしゃん」も聞けて、義母はメロメロになっていました。 著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月12日「産後の恨みは一生の恨みにつながりやすい」とはよく聞きますが、まさか私自身も夫のひと言をいまだに根に持つことになるとは……。今思えば、ささいなひと言のつもりだったのだと思いますが、難産で弱っていた私にはかなりこたえました。産後に夫から言われてひどく傷ついた言葉をお伝えします。 難産からの退院でひと安心と思いきや……私が1人目の子どもを産み、自宅に帰ってきた初日の出来事です。私は親戚などに頼れない状況にあって、里帰りはせず退院後はすぐに自宅へ帰宅。幸いにも夫の定休の曜日に退院することができました。私は自分以外の大人がいてくれる安堵と、陣痛が40時間超えの難産であった経緯から、久しぶりのわが家に帰った直後、すべての重荷から多少解放されたようでホッとひと息。出産直後なので、歩くのも少し不安定なくらいだった私は、しばらく赤ちゃんとじっと座っていました。 一方、夫は何も語らずに家事などに淡々と取り組んでいました。ここまではよかったのですが、問題となった夫の発言は夕食の際のことでした。 食事中、夫にお願い事をしたら……私は退院当日だったこともあり、夕食作りのすべてを夫に任せて赤ちゃんとリビングで座って待っていました。そして夫が夕食を持ってきてくれて、そのごはんを2人で一緒に食べていたときのことです。私は産後、軽度の腱鞘炎になったこともあり誤って箸を落としてしまいました。夫に思わず「(箸を)拾って」とお願いしたところ、何も言わずに拾ってくれました。 その後、おかずを口元にこぼしてしまった私。ティッシュでふき取りたいけれども、ティッシュ置き場は立って数歩歩かないといけない距離にあったのです。数歩歩くことですら当時の私にはしんどかったので、夫に「ティッシュも取ってきてほしいのだけれど」と2つ目のお願いをしました。そこで夫からの衝撃なひと言が……。 夫の冷たいひと言にショック夫は「出産直後だからって、甘えんなよ。自分でやれることは自分でやれ」とひと言、冷たく私に言い放ったのです。急に自分のなかにこみ上げてくる怒りの感情がありましたが、難産からの退院初日の私には怒る気力も湧かず「ああ……」としか言えませんでした。 夫もごはんを食べているのに2回も箸を止めるようなお願いをしたからイラッときたのだなと、今ではそう思えるのですが、あのひと言は今でも忘れられません。 ささいなひと言かもしれませんが、今でもあの出来事を思い出し「退院直後の弱っている私に、よくあんなことが言えたものだ!」と怒りに似た感情が湧きます。人生で一番弱っている時期に「甘えるな」と言われ、その後は少し夫不信になりました。数年経った今では笑い話にできるくらいになりましたが「産後の恨みは一生の恨み」という言葉の意味を理解できた一件です。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月10日夫は子どもが生まれてから、初めこそ私の体を気づかってくれ、家事や育児に協力的でした。そんなやさしい夫に私はとても感謝していましたが、子どもが成長するにつれだんだん協力してくれなくなり、そのうち「仕事が忙しい」と言って家事と育児のほとんどを私任せにするようになったのです……。 最初は協力的だった夫私はコロナ禍で第1子となる男の子を出産しました。産後1カ月間、夫はごはんを作ってくれたり洗濯に掃除、息子のお世話もしてくれたりと、仕事もしながらとても協力してくれました。 夫と一緒に育児をして、つらいこともうれしいことも息子の成長を分かち合えたことにとても感謝したのを覚えています。しかし、1カ月健診が終わり床上げをしてから、夫は徐々に家事育児に消極的になったのです……。 「仕事が忙しい!」逆ギレする夫夫は息子がおしっこをしたときはおむつを替えてくれても、うんちのときは絶対におむつを替えようとしてくれなくなりました。さらに、子育てに協力どころか、自分自身のことも自分でしなくなりました。 ごみをごみ箱に捨てたかったのだろう痕跡はありましたが、ごみ箱には入らず、周りにごみが散乱。脱いだ物は洗濯カゴに入れず、リビングに脱ぎっぱなし。夫はどんどんだらしなくなっていきました。 夫に注意すると「仕事が忙しいから仕方ないだろ! わかってくれよ」と逆ギレされる始末。産後、夫に家事・育児をとても協力してもらったことは事実で、仕事が大変なこともわかっていたので、今度は私が頑張らねばと思い、よほどのことがない限り夫の行動を注意することをしなくなりました。 寝かしつけから戻ると……私が夫に何も言わなくなってから、夫はほとんどの家事と育児に協力してくれなくなりました。そんな日々が続いたある日、いつものように息子を寝かしつけてリビングへ戻ると、夫はいつものようにソファの上で寝転んでスマホをいじっていました。 リビングには息子のおもちゃが散乱していて、夫の脱ぎっぱなしの服やごみ箱の周りには夫が鼻をかんだティッシュが散乱、テーブルの上には夫が食べ終わった晩ごはんのお皿がそのままと家の中はぐちゃぐちゃ。私はまだ自分の晩ごはんすら食べることができていませんでした。 ついにキレる! 夫の反応は日頃、不満をため込んでいたことと、おなかが空いていたこともあり、ついに私の怒りが爆発! 「いい加減、少しは協力して! 仕事が忙しいのは理解しているけど、私も在宅仕事が残っているからこれからやらないといけないし、部屋の片付け、洗い物、洗濯、明日のごはんの準備、夜泣きの対応がある! 私が寝かしつけている間、自分の洗濯物やごみ捨て、お皿を台所に持って行くぐらいしてよ! あなたと違って私は24時間体制で動いている! 忙しいのはお互いさま!」と言葉が止まらなくなってしまい、夫に怒りをぶつけました。 私が注意するといつも逆ギレしてきた夫は「ごめん……。俺が甘えすぎていた。これからは協力する」とあっさり私に謝罪。反省してくれたようで、翌日私が息子を寝かしつけてリビングへ戻ると、おもちゃや晩ごはんのお皿、ごみや夫の洗濯物はきれいに片付けられていました。 しばらく経つと夫はまた服を脱ぎっぱなしにしたり、ごみ箱にごみを捨てていなかったりと、だらしないところが100%直ったわけではありません。しかし、以前のように私が何も言わなくとも、お皿を洗ってくれたり息子の面倒を見てくれたりと変わらず協力してくれるようになりました。 著者:米久 熊代1歳児男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月08日お酒好きの義母と私は、義実家に帰省した際などお酒を一緒に飲みます。義母とは年に数回しか会えないので、いろいろな話をできる機会で私も好きな時間です。しかし、お酒がすすんで気分がよくなった義母がいつも私に言う小言が私は苦手です。夫は会社員。私は専業主婦をしています。そんなわが家の夫婦のあり方について、義母から言われるひと言に心がザワザワした私の体験談です。 義母とお酒を飲むといつも出る言葉お酒を飲んで気分がよくなった義母は、「子どもたちが素直でいい子なのはいつも家でしっかり子育てしてくれるあなたのおかげ」と言ってくれます。それに続いて出てくるのは息子を称える言葉。「お母さんが仕事に行かずに子育てに専念できるのも、夫がしっかり稼いできてくれるから。感謝しなきゃね」。私はこれを言われると心がざわつきます。 夫のおかげで専業主婦をしているのは事実。夫の稼ぎがなければ生活できません。でも私が働いていないのは、転勤族の夫に家族でついていくためでもあるからです。 腹が立ってしまうのはなぜだろう?義母にそのように言われることがすごくストレスでした。確かに事実ですが、夫をやたら褒める義母に腹が立っていました。なぜそんなに腹が立つのか考えると、私自身が夫に引け目を感じていて、それを指摘されているようだったから過剰に反応してしまうのだと気づいたのです。 夫婦はそれぞれが補い合って成り立っていて、私たち夫婦はこのかたちがお互いベストだと思っているのに、私自身が本当の意味で納得していないのかもしれません。 私が反省して改善すべきところもある!?夫婦のことだから、たとえ義母であっても口出ししてほしくない!と怒りの感情も芽生えますが、義母が私にその言葉をいつも言う理由もきっとあると思います。私は専業主婦でいること、夫が生活費を稼いできてくれることにもちろん感謝していますし、それを表現していると思っていました。 しかし、義母には私が夫に感謝しているように見えていないのかもしれません。感謝の言葉と態度はとても大切で、受け取る側もうれしいはず。これからはもっと表現していこう、と私の改善点もあることに気づけました。 義母が夫ばかり褒めるようでザワザワした私の心ですが、自分の至らない点にも気づけたのでよかったです。自分のことはあまり褒めてもらえなくても、夫が理解してくれているという確信を持ち、これからも2人で相談しながら理想の夫婦のあり方を選んでいきたいです。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月07日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月04日1歳の娘が中耳炎にかかったときのことです。耳鼻科を受診したところ「良くなるまで毎日診せにきて」と言われ、まだじょうずに歩けない娘を抱っこして医院に通う日々が続きました。すっかり常連になりかけたある日、医師に思わぬことを言われて返答に困ってしまった体験談です。 最年少患者で人気者の娘当時住んでいた家の近所にあった耳鼻科医院は「診察が丁寧」と地元では評判が良く、いつも混み合っていました。待合室はなぜかコの字型にソファが配置されていて、患者同士の視線が否が応でも合う作り。 そんな中、当時1歳でよちよち歩きの娘は誰にでも愛想が良く、常連になるにつれ医院のスタッフやほかの患者さんたちにもやさしく声をかけていただくなどして、とてもかわいがられていました。 「今日はパパと?」思わず言葉につまる私その日も待合室は混んでいて、娘はいつものようにほかの患者さんに手を振ったり、絵本を読んだりしながら機嫌よく私の膝の上で診察の順番を待っていました。ようやく娘の名前が呼ばれたので返事をしながら娘を抱えて立ち上がると、診察室から顔を出した顔なじみの医師にこう言われました。「あら! 今日はパパと? 良いわね~」 その日娘の付き添いは私だけ。医師には私が「パパ」に見えたのだ! と思い至りはしたものの、とっさにどう返してよいのかわからず思わず絶句してしまいました。 どこに行くにも最低限の身だしなみを!医師はすぐに間違いに気づき「あ! ごめんなさい」と焦って謝られましたが、私は恥ずかしいやら申し訳ないやらで身の置き所がありませんでした。かなり大きな声だったので、待合室中に聞こえていたと思うと、ますます恥ずかしかったです。 実は私は女性としてはかなり身長が高く、その日は娘を抱っこしながらでも着られるようにと夫のコートを羽織っていたのです。だとしてもまさかこの年で男性に間違われるとは! と少なからずショックを受けたと同時に、着飾らないまでも身だしなみは整えねばと反省しました。 私は子どものころから身長が高く、中学生くらいまでは着る服によっては男の子に間違われることもありました。しかしまさか母親になってまで男性に間違われることになるとは思っていなかったので、どう返事をしてよいのか考えつかずとっさに反応できませんでした。あのとき待合室に漂った気まずい雰囲気を思い出しては笑ってしまいます。 監修/助産師 松田玲子著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月02日