長男が生後1カ月ごろのときのお話です。長男はいわゆる「寝るのがヘタな子」で、夜中は抱っこしてもらえるまで泣き続けることがほとんど。私も初めての育児で戸惑うことが多く、長男を抱いたまま朝を迎えたことが何度もありました。しかしそれを知っているはずの夫は、それでも寝かしつけを代わってくれなかったのです。※訂正:(誤)1カ月健診終わり→(正)1カ月健診が終わり 抱っこでないと寝てくれない長男私は長男を出産したあと、長男の1カ月健診が終わるまでは自分の実家へ里帰りしていました。長男は抱っこでないと寝ないことが多く、夜中にずっと長男を抱いて歩き回る私を見て、母は心配し、何度も抱っこを代わってくれました。 そして長男の1カ月健診が終わった3日後、私は夫の待つ自宅へ帰ることに。自宅へ帰ってからも長男が抱っこでないと寝てくれないのは変わらず、私は睡眠不足で疲れ切っていました。 睡眠不足で心身ともに限界に…私は夫に寝かしつけを代わってもらいたいと思っていたのですが、当時夫は仕事が忙しく、帰ってくるのは早くても22時ごろで、日によっては夜勤もありました。夫も疲れているのがわかっていたので、私はなかなか夫に「代わってほしい」と言えずにいました。 長男が生後4カ月になったころ、相変わらず夜中は抱っこでないと寝てくれず、私は心身ともに限界に。抱っこしたまま朝を迎えることも増え、育児がつらいものにしか思えないようになっていました。 寝かしつけを代わってくれない夫当時、夫は私と長男とは別の部屋で寝ていたため、長男が夜中にどれくらいの頻度で起きているのか、夫は知らずにいました。 ですが私が長男を抱いたまま朝を迎えていることや、寝不足が続いてつらいという気持ちは夫に伝えていたので、夫から「寝かしつけを代わるよ」と言ってくれるのを待っていました。夫が寝かしつけを代わってくれることがないまま、長男も生後7カ月に……。 察してはもらえない結局長男が1歳ごろになり、抱っこじゃなくても寝られるようになるまで、夫が寝かしつけを代わってくれることはありませんでした。 そのころには私も精神的に余裕があったので、夫に「どうして寝かしつけを代わってくれなかったの?」と聞くと「え、代わってほしかったの? 1回も代わってって言われなかったから、俺が寝かしつけるのは嫌なのかなと思ってた」とのこと。私はこの返答に驚きましたが、「察してほしい」だけでは何も伝わらないということを身をもって痛感しました。 長男の寝かしつけが1番大変な時期に、結局夫が代わってくれることはありませんでした。しかし夫の言うように、私は1度も「代わって」と伝えたことがなかったので、言葉にしないと伝わらないということを実感。この出来事をきっかけにお互いに気持ちを伝えるようになったため、次男の出産後は夫自ら寝かしつけを代わってくれるようになりました。 監修/助産師 松田玲子作画/ぐら子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2023年04月24日私の初めての出産で、女の子が生まれたときのお話です。たくさんの祝福を受けましたが、特に義母は涙ながらに喜んでくれました。退院後、しばらくの間は実家で過ごし、その後は夫が待つアパートへ、娘と共に戻ることに。その直後、娘も連れて、家族で初めて義実家へ泊まりで訪問したときに、義母からまさかの発言があったのです。 2人目を早く産みなさい!?初めての孫の訪問に義母は大喜びで私たちをもてなしてくれました。そして、すぐに私に「孫は本当にかわいいわねえ! 2人目はいつにするの?」と言いました。私は出産直後ということもあり、2人目のことはまだ考えていなかったので、その旨を話すと「2人目は早いほうがいいに決まってるじゃない! ちゃんと考えなさい!」と言うのです。 そばにいた夫は「まだ生まれたばかりなんだから、母さんも急かすなよ」と笑いながら対応。しかし、私はそのときの義母の顔を忘れられません。孫の前では絶対に見せない、義母の怒りを我慢した表情に背筋が凍りました。 義母の持論「年子のすすめ」翌日、義母と朝食を用意していると、「次の子は年子でいいと思うのよね」と再び2人目の話に。夫には弟がいますが、2人は年子です。「双子みたいに育てられて楽しいのよ! 大変かもしれないけれど本当に充実していたわ!」と義母。 私が「でも大変ですよね?」と答えると「服は上の子のお下がりがあるし、1人も2人も一緒でしょ? 私も、あと2人ぐらいは産んでおけばよかったと後悔しているんだから!」と発言。私は出産や育児は簡単なものではないと考えているので、義母の言葉に違和感を覚えました。 今は生まれたばかりの娘に集中したい義母に何を言われても、今は生まれたばかりの娘の育児で精いっぱいなので、うまくはぐらかしていたつもりだったのですが、私が2人目のことを真剣に考えていないと思ったのでしょう。 義母から「何のために私がいるのよ!? あなたは産めばいいだけなんだから、あとは私に任せなさい。まだまだ育児ならできるんだから!!」と発言した義母は鬼気迫るものがあり、無責任に年子の出産をすすめる義母に、私は開いた口が塞がりませんでした。 その後も義実家に訪問するたびに2人目の催促をされました。しかし夫と私は、まだ2人目を考えられず、義母の言葉を受け流し続けています。義母は初孫の誕生がとてもうれしかったようで、早くも2人目が欲しいと思ったのでしょう。自分が育ててもいいと言うほどに……。義母の思いを、今すぐに受け止めることはできませんが、いつか2人目が授かることができたら、すぐさま義母に報告するつもりです。きっと大変喜んでくれることでしょう。 作画/ぐら子著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2023年04月04日義家族との食事会中に、おなかを空かせた生後4カ月の次男が泣き出しました。「夫は仕事をして疲れているだろうし、義家族との食事や会話を楽しんでほしいから……」と思い、次男のミルクは私があげることに。しかし、夫とシェアしようと注文したアイスが来ても、夫は授乳を代わってくれません。だんだん溶けていくアイスを前に、私は少しモヤッとした気持ちになって……!? 赤ちゃんを連れて義家族との食事会へ義家族とはとても仲がよく、私たち一家と義兄一家で出かけたり、泊まりでキャンプに行ったりもします。義母は、私たちや義兄が住んでいるところから高速道路を使って2~3時間の距離に住んでいて、月に1度は私たちの家か義兄の家に泊まりに来ていました。 義母がこちらに泊まりに来たときは、義兄一家、義母、私たち一家で外食に行くのが通例です。その日も、義母が義兄の家に泊まりに来ており、いつも通りみんなで食事をすることになりました。私の夫だけ仕事があったので、仕事が終わる時間に合わせてもらい、みんなでファミリーレストランへ行くことに。 気遣ってくれるやさしい夫義兄一家、義母、私たち一家はファミリーレストランに到着し、同じテーブルを囲んで食事を楽しんでいました。途中で、生後4カ月の次男が泣いてしまったため、育児用ミルクをあげることに。私が育児用ミルクを作り、次男にあげようとすると、「俺がミルクをあげようか?」と夫が声をかけてくれました。 私は、せっかくの義家族との食事会だったことや、夫が仕事で疲れているだろうと思い、「私があげるから大丈夫だよ」と断りました。そのあとも、二度ほど夫のほうから「ミルク代わるよ」と言ってくれましたが、私はそれなりに食事を終えて満腹だったこともあり、夫の申し出を遠慮したのです。 気付かない夫と察してほしい私食事の終盤に、私と夫でアイスの盛り合わせを半分こしよう、と注文。次男はアイスを注文したときにもまだ育児用ミルクを飲んでいました。そして、注文したアイスが到着。夫は自分の分を半分食べ、「はい、あとこれママのね」と私に言い、授乳を代わってくれることはなく義家族との会話を楽しみ始めたのです。少しの間、私は黙って育児用ミルクをあげていましたが、夫に「ねえ、アイス溶けちゃうんだけど。ミルク代わってよ」と言うと、夫は「え? だって、さっきから俺が代わるよって言っても、何回も断ったじゃん」と反論。私は「おかずならいいけど、アイスは溶けちゃうじゃん……」と不満に思いましたが、私がすでに夫の提案を3回断っていたので、夫ももうこれ以上は言いにくかったのかもしれません。 結局、そのあと夫はすぐに授乳を代わってくれて、私はアイスが溶けきる前に食べることができました。私としては「食事メニューと溶けてしまうアイスだったら、授乳を交代すべきかどうか判断を変えるものでは?」と思いましたが、夫はそこには気付かなかったとのことでした。あのとき、夫はちょっとムッとしていたので、強い言い方をせずに最初から素直に「アイスを食べたいから、授乳を代わって」と伝えればよかったです。今後は、夫に察してもらうことを期待しすぎず、自分の要求はしっかりと伝えようと思いました。 作画/ぐら子著者:鈴木 沙智2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年03月22日私たち夫婦は共働きです。私が育休から仕事復帰するため、息子は1歳になってすぐ保育園へ通い始めました。通い始めて間もなく、息子は頻繁に熱を出し保育園を休みがちに。そのたびに私は仕事を早退し、休みをとることが当たり前になっていました。そしてついに私の不満が爆発したのです。 早退・休みばかりで働くことがつらい息子が保育園へ通い始め、私は無事に職場へ復帰しました。しかし、なかなか以前のようには働けません。息子の発熱により、職場へお迎え要請の電話が頻繁にかかってきていたからです。覚悟はしていたものの、電話がかかってくるたびに私は上司に頭を下げ、早退させてもらう日々。「今回は何日間休まないとダメなんだろう」。 残してきた仕事の引き継ぎも十分にできないまま、数日間休みをもらうことも多かったです。ようやく出勤できたと思ったら、また保育園から電話。「仕方がない。誰も悪くない」と思いつつ、月に数日しか出勤できないと、仕事をする自分自身を否定されているように感じ、つらくて落ち込んでいました。 私が休むことを当たり前だと思っている夫「熱があって早退したよ。病院行ってきたよ」と夫に報告しても「そっか。明日もお願いね」と言われるだけ。夫は育児に積極的で、子煩悩なやさしい人です。何回も同じ会話を繰り返してきましたが、夫はまったく悪気がなかったのだと思います。 自分ばかり仕事を調整することに対し、私は仕方がないと納得していたつもりでした。家事・育児に協力的な普段の夫に不満はありません。しかし、体調不良の息子の世話を、当たり前のように私に任せる夫の姿勢に、モヤモヤしていました。 どうして私ばかり?と不満が爆発職場で嫌みを言われることもありましたが、すべては息子のため。もちろん、職場にはとても申し訳なく思っていましたし、融通を利かせてくれた上司には感謝しています。しかし、復帰して3カ月が過ぎたある日、ついに私の不満が爆発してしまいました。夫に、「何で私ばかり休まないといけないの? 共働きなんだからあなたも休みをとって!」と伝えた私。 夫はしばらく黙っていましたが「ごめん。でも簡単に休めない」と……。それを聞いた私は冷静に会話することができず、「簡単に仕事を休めないのは、私だって同じだよ!」と、夫にキツく言い返してしまいました。慣れない仕事と育児の両立、職場に対して申し訳ない気持ち。「やっぱり息子にとっても、保育園に通わせずに私が家で見ていたほうがいいのだろうか……」。いろいろなことが頭の中でグルグルし、私は思わず夫の前で泣いてしまいました。 それからというもの、夫は息子の体調不良時に休みをとってくれるように。この一件がきっかけになり、現在は不満を爆発させる前に、夫婦で話をする機会を設けています。相談もせず、一方的に不満を募らせるのは良くないと、私も反省したからです。あの日、いきなり夫に不満をぶつけてしまったけれど、自分の思いを伝えられてよかったと思っています。 作画/ぐら子著者:今井まい6歳息子と4歳娘、夫と犬の4人+1匹暮らし。薬剤師として働くママ。モットーは子どもと一緒に学び続けること。自然科学を中心とした体験重視の知育や、働くママのための記事を中心にライターとして活動中。
2023年03月05日私は、5歳3歳0歳の3人の息子を持つママです。これは、三男がまだ生まれて間もないころに、子ども3人を連れて小児科を受診したときの話です。子どもを3人連れての外出は、周りの方に迷惑をかけないようにと常に気を張っており、特に病院はより緊張していました。しかし、あることをきっかけに、心が軽くなり、堂々と子連れで出かけられるようになったのです。 子どもとの通院はストレスの連続この日は、長男の受診を予定しており、息子たち3人を連れて小児科へ行きました。長男と次男は、病院に着くなり院内をウロウロと歩き回り、落ち着きません。 「病院は具合の悪い人が来る所だから、騒いだりしないで静かに待とうね」。そう言い聞かせても息子たちは聞く耳を持たず、2人して騒ぎだしてしまいました。同時に、生後間もない三男も泣き出してしまい、私たち家族は周りからの冷ややかな視線を浴びることになったのです。 隣に座る女性から「ちょっとお母さん?」順番待ちもあと1組となり、外へ行く時間もない中、息子たちに「静かにしなさい」と言い続けるので精いっぱいに。そんなとき「ちょっとお母さん?」と隣に座る高齢の女性から声をかけられました。 怒られることを覚悟して「はい」と答えると、女性は「あなたの大変な気持ちわかるわ。何か協力できることはない?」とやさしく私に声をかけてくださいました。 子ども=迷惑ではない「ありがとうございます。そのひと言で救われます。ご迷惑おかけし申し訳ありません」。私が女性にそう答えると、「迷惑だなんて思わないで。先生に呼ばれるまでおばちゃんと一緒にお話ししましょう」と言って、女性は長男と次男の話し相手をしてくださいました。 子連れで出かけると頻繁に「うるさい」などネガティブなことを言われることも増え、「子ども=迷惑な存在」なのだという意識になっていた私。しかし、女性に「迷惑じゃない」と言われたことで心が軽くなったことを今でも忘れられません。 それまで外出先で注意を受けることはあっても、あのときの女性のように助けてもらった経験はあまりありませんでした。しかし、子育てをしている方々は皆必死だと思います。決して、迷惑をかけるために騒がせているわけではないと思います。私もこの先、こんな場面に出くわしたら、「手伝えることはないですか」と声をかけることのできる女性になりたい、そして子どもたちにもそんな人になってもらいたいと思った出来事でした。 作画/ぐら子著者:はやきゆうこ3兄弟のママ。5歳・3歳・0歳のやんちゃな男の子3人と多忙な夫の5人家族。子育ての経験を中心に執筆活動中。
2023年02月20日私は、胎児発育不全で入院し、自然分娩を希望していましたが、分娩途中で胎児の心拍が下がり緊急帝王切開となりました。2,150gとかなり小さめでしたが元気に生まれてきてくれました。自然分娩を経験してみたかったという気持ちが大きく残るなか、経腟分娩を経験しているママ友とランチに行ったのですが、そこで思いもよらないことを言われたのです……。 久しぶりの再会私と、数週間違いで赤ちゃんを産んだママ友とランチの約束をしました。そのママ友は2人目の出産だったので先輩ママです。子ども同士の月齢も近いし、きょうだいに関することや仕事と子育ての両立についてなど、育児の相談もできるかな~とかなり楽しみにしていました。 お互いに子どもを連れて会うので気兼ねなく過ごせるように、私の家で会うことになり久しぶりに再会。最初のうちは子どもの写真を撮ったり、お互いの近況報告をしたりと楽しい会話が続いていましたが……。 お互いの分娩についてお互いに産後4カ月だったこともあり、分娩の話になりました。私は誘発分娩をしたことと、途中で胎児の心拍が落ちてしまい緊急帝王切開での出産になったことを話しました。手術後、傷の痛みがあり、退院後も体が痛くしんどかったことや、初めての手術で不安感が強かったことなども伝えました。 ママ友は2人目を無痛分娩で出産。そんな経腟分娩で2人の子どもの出産を経験しているママ友から言われたのは、衝撃的なひと言だったのです。 お得な出産?なんとママ友から、「帝王切開はお金もらえるからいいじゃん。うらやましい。出産してお得な気分にならない?」と言われたのです。確かに帝王切開は保険適用になるけれど、望んだわけではなし、経腟分娩へのあこがれがあるのに……と悲しい気持ちになりました。 ママ友は都内での出産、無痛分娩を選択し100万円ほど分娩費用が掛かったそうで、「退院時にいくら請求された。でも帝王切開はないよね。本当に高かったのに!」など、分娩方法を比較して、いかに帝王切開が金銭的に得をするのかという話を聞かされました。 今では帝王切開の傷も愛おしく思えますが、産後数カ月の間は経腟分娩がしたかった、と落ち込むこともありました。そんななか、「お得な出産」と言われ深く傷つきました。それ以降は、分娩についてママ友とは話すことはせず、たまに子どもの成長を報告する程度の関係に落ち着いています。 作画/ぐら子著者:白田 よう保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2023年02月09日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。長女は食物アレルギーがあり、食べ物には普段から気をつかっています。その長女が1歳半のとき、公園で会った見知らぬおばさんが勝手にお菓子をあげそうになり、ひやりとしたことがありました。 公園で出会った見知らぬおばさん長女が1歳半のとき、公園で遊んでいると散歩をしていたおばさんに話しかけられました。そのころ長女は人見知りとは無縁。誰にでも愛想のいい子だったので、知らない人に話しかけられることがよくありました。私もいつものように長女が見知らぬ人とやり取りしているのを微笑ましく見ていました。 その中でおばさんが自分のかばんを開けて何やらゴソゴソ……。そこからお菓子を取り出し、長女と話をしながら食べ始めたのです。「子どもの前で食べるのかぁ……」とうっすら嫌な気持ちを感じつつも、私は見守っていました。 そのお菓子ちょっと待った!すると案の定、長女はおばさんが食べているお菓子を欲しがりました。そして「あら食べる?」とおばさんは言い、自分の食べかけのお菓子をそのまま長女の口の中に入れようとしたのです! 私はとっさにおばさんと長女の間に手をねじ込んで、「ちょっ……! すみません!!」と遮りました。 そして長女には食物アレルギーがあり、何が入っているのかわからない物は食べさせられないと……。するとおばさんが「これは卵が入ってるわねぇ」と原材料を見ながらつぶやき、私が「卵はアレルギーなので食べられないんです」と答えたのですが、次のおばさんのひと言に耳を疑いました。 全然わかってくれない!「大丈夫よ! これくらい! はいどうぞ!」。そう言って再び長女にお菓子をあげようとしました。「いや! いやいやいや……」。再び私が遮り、少し長女を遠ざけました。すると、「あのね、私の孫は小麦のアレルギーだからわかるのよ。孫はアレルギーでも少しくらいは食べてるの。アレルギーだからって何でもダメって言うのは逆によくないのよ」。 おばさんの主張にめまいがする思いでした。アレルギーの程度は人によって違いますし、そもそも親がダメだと言っているものを無理矢理与えようとするなんて……。ぐいぐいくるおばさんに「このままここにいたらダメだ」と思い、「食べる!」と泣く長女を抱えて逃げるように公園をあとにしました。 自分の子どもが知らない人と交流するのは大いに結構です。ただ、誰もが食物アレルギーについて詳しいわけではないですから、常に油断ができません。これから長女が大きくなっていっても親が気をつけていなければいけないところだな、と改めて気を引き締めました。 作画/ぐら子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2023年02月08日初めての育児に悩まされ、身も心もボロボロの育休期間から脱出したくて職場復帰を選択。復職後も夜泣きでヘトヘトになり断乳を決意したのですが、夜泣きは続き状態は悪化。初めての経験に心が折れそうな私を支えてくれた、息子の保育園についてのお話です。 つらかった育休⋯とにかく職場復帰したい息子は生まれたてのころから目覚めている時間はほぼ号泣、夜も30分~1時間おきに泣く本当に大変な赤ちゃんでした。おかげで育休期間は産前に夢見た笑顔で穏やかな日々とはかけ離れ、1日中泣き声を聞かされるつらさと寝不足から精神的にも体力的にも追い詰められる毎日。 職場復帰の際も同時期に出産した友だちや会社の先輩は育休2年目を希望。息子に対して申し訳ない気持ちもありました。それでも、当時私はすがる思いで入園申請したのを覚えています。 無事入園が決まり、生後9カ月で職場復帰自宅が駅から離れていたことが幸いし、激戦区にもかかわらず第一希望の保育園への入園が叶い、息子が生後9カ月のときに復職しました。当初息子は保育園でもやはり1日中泣き、食事もとらず、先生方に抱っこばかりしてもらっていたようです。保育園の洗礼とも言えますが、手足口病や突発性発疹など毎月のように病気も経験しました。 仕事も度々休まなければならず、産前同様の仕事をこなすことは困難でしたが、身も心もボロボロの育休期間から解放され、戻れる職場があって本当によかったと心から思いました。 夜泣きは続くよどこまでも…断乳を決意保育園へ通い始め1歳を過ぎても息子の夜泣きがおさまることはなく、私は出産以降2時間以上連続して寝たことがありませんでした。日中に会社で体力を温存し、一晩中続く耐久レースのような寝かしつけに挑む状態が続き、1歳5カ月で断乳を決意しました。当時息子は離乳食も進まず、体重は標準を下回っていたので、本当に迷った末の決断でした。 ところが、断乳して1週間経っても2週間経っても、息子の夜泣きはまったくなくなりませんでした。やはり心のどこかで朝まで寝てくれることを期待していた私は絶望し、それまでの仕事の疲れも重なって、夜になると息子を怒鳴りつけたり、自分も号泣してしまったり、事態は一段と悪化しました。 異変に気づいてくれた先生当時の私の異変にいち早く気が付いてくれたのは、保育園の先生でした。ある日担任の先生から一度面談をさせてほしいとの申し出があり、お迎え前に温かいお茶をいただきながら、息子の夜泣きが続き私が追い込まれた状況であることについて相談に乗っていただきました。 先生に言われたのは、息子のためにも母である私が元気でいることが一番大切だということ。そして休日保育の利用も検討して睡眠時間を確保してはどうかなど、具体的な提案をしてくれたのです。 結果的に土曜保育を利用することはありませんでしたが、「先生たちがいつでも助けになってくれる」という安心感が最悪の時期を乗り越える支えとなったことは確かです。保育園が親と一体となって子どもを育ててくれる、心強い存在であることを実感させてもらった経験でした。 監修/助産師 松田玲子作画/ぐら子著者:鈴木ゆり2歳の男の子の母。現在第2子を妊娠中。結婚後は夫の実家で義両親と同居しながら、旅行会社にフルタイムで勤務。その傍ら、自身の体験をもとに子育てに関する体験談を執筆している。
2023年01月27日息子がかわいくて仕方がなかった私。息子のどんなに小さな成長も逃したくはありませんでした。しかしあるとき、息子の初めての〇〇が、私ではない人へと向けられることに……。 息子の初めてを見逃したくない専業主婦だった私は息子と一緒にいられる時間が多かったため、「初めての寝返り」「初めてのハイハイ」「初めての1歩」などを見逃すことはありませんでした。息子は成長していく中で、さまざまな「初めて」をすべて私に見せてくれたのです。 私はそのことがとてもうれしくて、「これからもさまざまな成長を、私に見せてくれるのだろうな」と思っていました。 外出先でショックな出来事息子が1歳を過ぎたころ、ベビーカーに乗せてショッピングをしていると、若い女性の店員さんが対応してくれました。息子にもやさしく声をかけて遊んでくださり、息子もニコニコしながら満足気な様子。買い物を終えて店を出るとき、先ほどの店員さんが息子に「バイバイ」と言いながら手を振ってくれました。 私は「息子はどんな表情をしているのかな? 」と思い、息子を見てみると……なんと店員さんに向けて、初めてのバイバイ(手を振るまね)をしているではありませんか!! 息子の初めてのバイバイを見られたことはとてもうれしかったのですが、そのバイバイを向けた相手は私ではなく、女性の店員さん。 これまで「ありがとう」「どうぞ」などの相手に向けてた動作もすべて、私へ一番に見せてくれていたのに……とショックを受けてしまいました。 母の言葉にハッとした「初めてのバイバイも私にしてほしかった」と思いながら帰宅し、この思いを誰かに聞いてほしくて、母親に電話しました。すると母親はあきれながら「そんなこと当たり前じゃない。あなたは息子ちゃんといつも一緒にいるんだから。あなただって、息子ちゃんにバイバイなんてしたことないでしょ? いつも一緒にいて、子育てを頑張っている証拠じゃないの」と言い、私もハッとさせられました。 たしかに私たちはいつも一緒にいて離れることはほとんどないので、私は息子にバイバイをしたことがなかったのです。「それなら、息子が私にバイバイしてくれないのは当たり前のことだな」と納得できました。 ショックを受けていた私ですが、母親に「頑張っている証拠」と言われ、とてもうれしくなりました。そして、毎朝仕事に行く前に息子にバイバイをしていた夫は、この事実を知り、私よりもショックを受けていたことは言うまでもありません。 作画/ぐら子著者:山下亜衣10歳と7歳のサッカー小僧の母。子どもたちを応援するため、アスリートフードマイスターを取得。転勤族で現在は地方での生活を満喫中。趣味はキャンプ。
2023年01月26日私は夫と結婚してから6・7年、「靴をそろえる」ということを口が酸っぱくなるほど夫に言い続けてきました。しかし育った環境のせいなのか、夫が靴をそろえられるようになる気配は一向にありません。私があきらめかけていたある日、ちょっとした事件が起きたのです。 私が一番大切にしているしつけ私が息子たちへのしつけのなかで特に厳しく言っているのが、「靴をそろえること」です。なぜなら靴がそろっていなければまず見た目が悪いし、乱雑に置かれた靴が次に家に入ってくる人の邪魔になるかもしれないからです。 逆に家族の誰かが出かけようとしたときに靴が散乱していたら自分の靴が履きにくく、その人をイライラさせたり、時間のロスに繋がったりする可能性もあります。そのため私は靴をそろえるというしつけだけは絶対に譲りません。 夫が靴をそろえられない理由とは一方で、夫は靴をそろえるのをよく忘れてしまいます。夫の実家は昔ながらの家で土間があり、その土間を家族用の玄関として使っています。そのため靴をそろえなくても正面玄関から入ってくる来客には見えないようになっており、夫の実家では靴をそろえる習慣がなかったのです。 それゆえ私は結婚してから6・7年、夫に靴をそろえるようずーっと言い続けていたのですが、夫はすぐ忘れてしまうのか、なかなかそろえられるようにならず、私は半ばあきらめていました。 夫が脱ぎ捨てた靴が原因で…そんなある日、ちょっとした事件が起きたのです。前日の夜に帰宅した夫はいつものごとく仕事用の革靴をそろえていませんでした。その日は休日だったため、息子たちは意気揚々と公園に行こうとしていました。 息子たちが靴を履いて立ち上がったまではよかったのですが、まだよちよち歩きの次男が、夫が乱雑に脱ぎ捨てていた革靴につまずいて転んでしまったのです。次男は泣いてしまいました。するとその様子を見ていた長男が、「お父ちゃん、靴はちゃんとそろえないと邪魔になっちゃうんだよ」と夫を諭してくれたのです。 本来であれば大人が率先して息子たちにお手本を見せるべきところなのに、逆に夫が息子たちに教えられる形となってしまいました。夫は息子たちに謝り「これからはお父ちゃんも靴をそろえるようにするよ」と約束してくれました。それ以降、夫が靴をそろえ忘れる回数はグッと減ったのです。大人が子どもから学ぶこともあるのだなあと実感した出来事でした。 監修/助産師 松田玲子作画/ぐら子著者:今岡めい6歳と3歳の超わんぱく兄弟を育てるママであり、フリーライター。「子育てで一番大切なのは母親が笑顔でいること」「幼児期最大の英才教育は遊びである」をモットーに掲げ、日々テキトー育児を繰り広げている。
2023年01月26日私は男の子2人を育てています。義母とは程よい距離感を保っていますが、たまにグサッとくるような言葉を投げかけてくることが……。その後の義母のフォローにもモヤモヤしてしまった私は、夫を巻き込み対策を取ることにしたのです! 義母との関係は良好夫がひとりっ子なので、義母にとって孫は私たちの子どもしかいません。そのため、子どもが生まれたときからとてもかわいがってくれ、おもちゃや洋服もたくさん買ってくれました。私も料理上手な義母にレシピを教えてもらうなど、良好な関係を築いていたと思っていたのですが……。 義母はサバサバしている性格でしたが、たまにキツい言葉を私にかけてくることがありました。そのたびに嫌な気持ちになってしまい、だんだん義実家へも足が遠のくように。 義母の言動で疑心暗鬼に…具体的には、子どもたちの七五三の話をしているときに、「そう言えば〇〇さんは、お嫁に来るときに着物を1枚も持ってこなかったわね。お母さまが用意してくれなかったの? 普通は持って来るわよね~」「私はね、あんまりお嫁さんにはいろいろ言わないようにしているの。本当は言いたいこといっぱいあるんだけどね!」などです。 普段は穏やかでやさしい義母が突然このようなことを言ってくるので驚きますし、「本当は私にいろいろ不満があるのかな……」と疑心暗鬼になってしまうことも。 「今言ったことは忘れてね」と言う義母さらにモヤモヤするのが、義母が私へ話したあとに「今言った言葉は忘れてね」と言うことです。その場ですぐに「忘れて」と言うこともありますし、翌日になって「昨日の話は忘れてね~」と言ってくることもあります。 頻度はそう多くないですし、「義母にも悪いことを言ってしまったという自覚があるのかな……」と自分の中で消化するように。義母は悪気があって言ってしまっているわけではなく、つい失言してしまうようでした。 私なりの対策そこで、最近では義母がモヤッとする言葉を言ったときは夫を巻き込むことにしました。「お義母さんがこう言ってたんだけど、あなたはどう思う?」と、嫌味にならないように明るく伝えるのがポイントです。 夫とも打ち合わせなどしてないのですが、「え~。今どき着物なんて着ていくところないじゃん」などと言ってくれます。夫に聞くスタンスを取ることで、義母も夫に言われるとシュンとしてしまい、キツい言葉の数が減ってきました。 義母は、仲良くなってくるとつい油断していろいろ言ってしまうようです。それだけ気を許してくれているということなのかも知れません。しかし、「親しき仲にも礼儀あり」で、私もポロッと余計なことを言わないようにしなければと思った体験でした。 作画/ぐら子著者:高橋恵美2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年01月08日出産後から1カ月健診まで家にこもりきりだった私は、外に出たくてストレスがたまっていました。産後の体では大した食事を作ることもできず、どうしても外食がしたかったのです。1カ月健診で無事にお医者さんから、少しであれば赤ちゃんを外に連れ出しても良いと許可をもらい、夫と赤ちゃんと初めての外食へ出かけたのですが……。 他人に迷惑をかけないように子どもが生後2カ月になったころ、私は夫に念願だった外食へ連れて行ってもらうことになりました。赤ちゃんと初めての外食なので、他人に迷惑をかけないようにネットでリサーチしてお店を選び、事前にお店へ電話して赤ちゃん連れでも良いか尋ねました。 お店はベビーカーでの入店OKとのこと。そして当日、赤ちゃんが泣いてしまった場合の育児用ミルクなども準備して、お店へと向かいました。 「赤ちゃんがかわいそう」と言われた私と夫が食事を楽しんでいる間、赤ちゃんは泣くこともなくすやすやと眠ってくれていたので安心しました。おかげでゆっくり食事を堪能。お店の店員さんにも「かわいいですね」「いい子ですね」とあたたかい言葉をかけていただき、大満足で帰ろうとしたそのときでした。 他の席に30代くらいの男女のカップルが座っていたのですが、女性のほうが私たちを見て「あんな小さな子を連れて外食するなんて何を考えているの? 赤ちゃんがかわいそう」と言ったのです。妊娠中もなかなか外食することができず、久しぶりの外食だったのに、何でそんなこと言われないといけないの?と悲しい気持ちになりました。 赤ちゃん連れで外食はいけないこと?夫には「気にすることないよ」と言われましたが、見知らぬ人からの「赤ちゃんがかわいそう」という言葉を聞いて、なんだか私は悪いことをしている気持ちになりました。 確かに、赤ちゃんは外食を一緒に楽しめないので、親の都合で連れまわしていることは事実です。しかし、赤ちゃん連れで外食をしているだけで、どうしてかわいそうなんて言われないといけないの?とも思いました。さまざまな考えがあるので、そのお客さんも悪気があったわけではないかもしれませんが、わざわざ聞こえるような声で言わないでほしかったです。 見知らぬ人の言葉に悲しい気持ちになってしまいましたが、赤ちゃんを連れて外食をすることについて、私は悪いことだとは思いません。なぜなら私自身、久しぶりに外食を楽しめたことでリフレッシュできて、家事や育児をより頑張ろう!と思えたからです。 作画/ぐら子著者:鮫島彩美0歳の男の子のママ。2年の不妊治療経験があり、念願の子育てを満喫中です。妊娠を機に仕事を退職したことでお金や保険に興味を持ち、現在はファイナンシャルプランナーの資格取得を目指しています。
2022年12月31日3歳6カ月で入園した息子は幼稚園が大好き。上の子のときのように、別れ際に泣いたり行き渋ったりすることは一度もなく、同級生ママたちからは「スムーズに園の門でバイバイできてうらやましい」と言われるほどでした。しかし、わが家の場合は幼稚園に到着するまでが大変で、壮絶な登園トラブルに初日から悩まされていたのです……。 家を出た瞬間から「もう歩けない」息子は自宅から500mほどの距離にある幼稚園に徒歩で通っています。起伏もなく整備された歩道なので、子どもでも歩きやすいはず。それなのに息子はほぼ毎朝、マンションのエントランスを出た瞬間からしゃがみこみ「もう歩けない」と言い出すのです。 息子は寝起きもよく、朝食もしっかり食べます。朝からどうしてそんなに?というくらい元気にあふれているのに、家を一歩出ると毎朝飽きることなくうずくまって歩かなくなりました。 遊びを取り入れていろいろ試したものの幼稚園自体は大好きで、早く行って先生やお友だちと遊びたい気持ちはある息子。厳しく叱りつけて嫌な気持ちで登園させてしまうと、せっかくの「幼稚園大好き!」な気持ちが損なわれるかもしれないと思った私は、なんとか叱らずに歩かせようと知恵を絞りました。長めのひもを用意して電車ごっこをしたりかけっこをしたり、「歩くとカッコイイよ」とおだてたり、「そこの電柱まで歩いてみようか」と励ましたり、考えつく限りの工夫をして歩かせる努力をしたのです。 もう諦めるしかない?ママ友や幼稚園教諭をしている友人にもアドバイスをもらいながらあれこれ試す日々が続きましたが、入園から2カ月経っても状況は変わりませんでした。とにかく「歩かない」「抱っこ」の一点張り。時には道路にひっくり返って泣き叫んで抱っこを要求することも。同じクラスの女の子が、お行儀よくママと手をつないで登園する姿がまぶしくてたまりませんでした。結局は少しだけ抱っこしてまた少しだけ歩く、というのを繰り返し、徐々に歩く距離を伸ばしていきました。最終的にスムーズに歩けるようになったのは、入園から半年以上経ったころでした。 見守ってくれた人たち幼稚園が大好きな一方で朝は少し不安な気持ちもあり、その思いが「抱っこして」という甘えになっていることは理解しつつも、毎朝のことなので「いい加減にしなさい!」と声を荒らげてしまうこともありました。 また、「どうして他の子は当たり前にできることがこの子はできないのだろう」という虚しさを感じることもありました。でもそんなとき、道ですれ違うお散歩中の人や地元のお店の人に「頑張ってるね!」「今日も元気だね!」と声をかけてもらい、そのやさしさが胸に沁みました。 わが家は上の子も徒歩通園でしたが「歩かない」というトラブルは一度もなかったため、まさか「手をつないで一緒に歩く」、ただそれだけのことがここまで大変だとは想像もしていませんでした。育児の「大変さ」は人それぞれであること、またどんなときもやさしい眼差しで見守ってくれる人がいることを実感した息子のイヤイヤ期でした。 監修/助産師 松田玲子作画/ぐら子著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2022年12月30日第1子である息子を出産して家族3人での生活が始まったのですが、私は積極的に育児に関わってくれない夫にモヤモヤしていました。息子が泣いても知らんぷり、抱っこしてても目線はテレビ、夜泣きしても自分だけ爆睡、おむつは替えてと言わないと替えてくれない、そんな夫についに不満が爆発した私は、「息子に対して愛情はあるのか?」と確信をつく質問をしてみたのです! イクメンとは? 育児に非協力的な夫息子が生後1カ月を迎え、里帰り先の実家から自宅へと帰り、家族3人での生活がスタート。夫は仕事が忙しく、平日は息子が寝たあとに帰ってくる日々が続きました。私は夫に休みの日には少しでも息子と触れ合ってほしいと思っていたのですが、私の思いとは裏腹に積極的に育児に関わろうとしない夫がいました。 例えば、私が料理をしているときに息子が泣き出しても夫は知らんぷりでスマホをいじっていたり、やっと抱っこしたと思ったら目線はテレビに一直線。積極的に育児に関わろうとしない夫に、私は少しずつ不満を抱えていったのです。 息子に愛情はある? 夫の答えは……息子が生後4カ月ころのことです。いつまでたっても育児に積極的に関わろうとしない夫に、ついに私の不満が爆発しました。ある日夫に、「息子のことかわいいと思ってる? 愛情はあるの?」と質問したのです。夫はいきなりの質問にうろたえていましたが、少し考えたあとに「かわいいとは思う……けれど、どう接していいのかわからない」と答えたのです。 四六時中一緒にいる私とは違い、たまの休みにしか息子と過ごす時間がない夫は、泣いていてもあやし方もわからないし、何をすれば息子が笑ってくれるのかもわからない状態だったのかもしれません。 少しずつ変化していった夫「もっと息子と関わってほしい」と私は夫にお願いしました。それから夫は少しずつく変わっていきました。抱っこしたときは息子に話しかけたり、泣いてるときは自分からあやしたりしてくれるようになったのです。 息子も生後5カ月を過ぎて、いろいろな反応を見せるようになったというのも大きいと思いますが、明らかに良い変化が起きたように思います。息子が少しずつ言葉を理解し意思疎通ができるようになると、今までは何だったのかと思うくらいに夫は息子をかわいがるようになりました。 10カ月もの間、おなかの中で一緒に過ごして少しずつ母性を育み愛情を注いできた私とは違い、夫はパパとしての自覚が生まれるのがとても遅かったように思います。それでも今では子ども3人の良きパパとして、それぞれに愛情を注いでかわいがってくれています。 作画/ぐら子著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年12月29日長男が生後10カ月のころ、私は児童館で1人のママ友と出会いました。彼女は、誕生日が3週間違いの自分の子どもと私の長男をなにかと比較し、長男のほうが発育が遅れているとでも言うような発言を繰り返してきたのです……。自分とは合わないと感じたママ友への、私なりの対処法をお話しします。 「うちの子より小さい」と言うママ友…長男が生後10カ月のころ、当時住んでいた家から徒歩5分の児童館によく通っていました。そこで顔見知りになった1人のママ友。はじめは当たり障りのない会話をしていましたが、長男とママ友の子どもの誕生日が3週間違いとわかると、「もっと小さい子かと思った! 体が小さいんですね」と言われたのです。 そのときは深い意味はない発言かと思いましたが、その後も何度も「うちの子より小さい」と言われ、少し嫌な気持ちになってしまいました。 児童館を変えてママ友から離れることにそれから児童館で会うたびにママ友は、「まだつかまり立ちしかできないの? うちの子はもうすぐ歩けそう」「まだ習い事に興味ないの? うちの子はリトミックに興味があるから、今度見学に行くの」と自分の子と長男を比較する発言をするようになりました。 「うちの子のほうが後に生まれたのにね」というのが決まり文句のようで、私はだんだんママ友に会うのが苦痛になってしまったのです。ついに私は、通う児童館を変えることでこのママ友に会わないようにしようと決心しました。 考え方が合わないなら離れて正解その後、ママ友に会うことはなくなり、平和な気持ちで児童館に通えるようになった私。しかし、児童館を変えた3カ月後に、市が主催する1歳児向けのイベントでそのママ友と近い席に……! 彼女は私に気付かず、隣の席のママに「まだあんまり歯が生えていないんですね。うちの子は8本生えているのに」と、私にしていたのと同じように比較する発言をしていました。本人は嫌みではなく世間話のつもりなのかもしれませんが、私とは考え方が合わないようなので、離れて正解だと思いました。 私は特別、長男の発育に悩みを持っていたわけではありませんが、やはり何度も比較するようなことを言われると不安な気持ちになってしまいます。しかし本人はそんなつもりで言っているわけではないかもしれないので、「比べないでほしい」と直接言うより、離れるほうが良いと考えました。考え方や価値観が合わない人とは、距離を置くのが一番だと私は思っています。 作画/ぐら子著者:香川えりか3歳と1歳の2児の母。管理栄養士・登録販売者・調剤事務管理士の資格を取得。ドラッグストアで開催されるベビー相談会を担当し、多くのママさんに寄り添ってきた。
2022年12月16日明るくておもしろい夫。おかげで保育園では息子のお友だちや先生に人気があり、行事にも前向きに参加してくれていました。人見知りの私にとって、とても助かる存在。しかし、ハイスペック夫に頼りきっていた私は、痛い目を見ることになったのです。 保育園の行事に積極的な夫夫はお笑い芸人のようなキャラクター。誰とでもすぐに仲良くなり、人見知りの私とは正反対の性格です。あいさつの声は誰よりも大きく、息子の送り迎えのときは先生やお友だちをどうやって笑わせようか……と考えているような人。もちろん行事でも目立つ存在です。 人が大勢集まるイベントが苦手な私の代わりに、いろいろと頑張ってくれていました。お友だちや先生方からも「〇〇くんパパ!」と人気があり、自慢の夫です。夫が目立ってくれいている分、私はひっそりとしていられてラッキーとも思っていました。 職業を知られて人気急上昇夫は高校・大学受験の塾の講師をしています。ある日何気なく1人のママ友に話したところ、またたく間に広まりました。ママ友に勉強や受験の相談をされることもあり、夫は「僕って人気だね!」とのんきな様子。夫の職業を知ったとたん、あいさつ程度の関わりだったのが急にグイグイ話しかけてくるママ友もいて、私としてはあまり気分がよくありませんでした。 妻の私から見ても、夫はとても魅力的な人だと思います。夫の人柄を評価してもらえるのはとてもうれしいのですが、有益な情報を持っているかもしれない人として近寄られるのは何だか嫌だなと感じていました。 保護者に言われるのは「パパ来ないの?」保護者のみの食事会が年に数回あり、私が参加すると決まって言われるのは「今日はパパ来ないの? 聞きたいことあったのになぁ」というセリフ。たしかに私じゃ力不足だよね……とさみしい気持ちになりました。 私はママ友たちの輪にうまく入れず、みんなの話に相づちを打つだけ。自分のコミュニケーション能力のせいもありますが、私が参加すると期待外れだと思われているような感じがして、情けない気持ちになってしまいました。 保育園の行事など、表に出る場面では夫に頼り切っていた私。おかげで私はママ友の輪にうまく入れなくなってしまいました。少しずつでも頑張って自分を出していくべきだったなと反省しています。夫は「気にすることない。苦手なことは無理する必要ないよ」と言ってくれますが、これからは努力していこうと思います。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。
2022年12月08日私は6歳と3歳の女の子の母です。どこの家庭もそうなのかもしれませんが、娘たちはよく喧嘩をします。喧嘩をする声にうんざりする毎日でしたが、あることを実践したら喧嘩が長引かなくなったうえに、私のイライラも軽減されました。怒りが爆発したママのとった行動を娘さんたちの反応と合わせてご紹介します。 わが家の喧嘩事情毎日のように姉妹喧嘩をする娘たちですが、喧嘩の原因は本当にささいなことが多いです。例えばどちらがテレビを消すか、どちらがどの食器を使うかなど、私にとってはどうでもよいと思えることばかり。 「どっちでもいいでしょ」と言ってもお互い譲る気はありません。次女はイヤイヤ期真っ盛りなので、細かいことにこだわるのはまだわかります。でも長女はもう小学校1年生。そこは自分より幼い妹に譲ってほしいなと思ってしまいます。 喧嘩を仲裁するとしかし、わが家では「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という言い方しないようにしています。私は平和的に解決できればと思って、「さっき〇〇(長女)がテレビを消したんだから、次は〇〇(次女)が消したら?」「こっちの食器もかわいいから、こっちは?」など、なるべく公平を期すような声かけをしていたつもりです。 でもそれではうまくいきません。我慢を強いられたほうは「お母さんが優先してくれなかった」と感じるのか、頑なになるばかりでした。 もう知らない!とキレたら…私は娘たちの気持ちや状況に配慮して仲を取り持とうとしているのに、喧嘩が収まらないことに徒労感を覚えていました。そしてある日、私はキレて「もう知らない! あとは自分たちで解決して」と言い残し、自室に閉じこもることに。 すると2人は、わりとすぐに「仲良しだよ。もう喧嘩してないよ!」と笑顔で部屋まできました。どうやら私が本気で怒っていることを察したため団結し、どうにかしようとしたみたいです。 仲裁は必要なかった?何回かそのようなことを繰り返すうちに、私は自分が喧嘩を大きくしているということに気がつきました。私が介入すると私の意見に従わせることになり、娘たちは余計に意固地になっていたようです。 そのため今では「2人で考えて、仲直りしたら教えて」と言い、離れたところから様子を伺っています。すると、長女がきちんとリードして2人で解決法を考えるのです。2人とも私が離れることにより冷静になる感じがします。 仲裁しないと私のストレスがたまらないばかりか、早く喧嘩も収まります。「子どもの喧嘩に親は口を出すな」という言葉は友達同士だけではなく、兄弟姉妹にも当てはまるのだなと思いました。自分たちで考え、自分たちで解決すると納得感があるのでしょうか。今後も娘たちが喧嘩を始めたら、適度に距離を置こうと思います。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子 著者:小川恵子6歳と2歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年12月01日1歳の息子を義実家に連れていくとき、義母は決まって息子の離乳食を手作りしてくれています。料理好きな義母の離乳食はとにかく豪華! そんな離乳食とともに義母からは「手作りしないとね」とチクリ。義母の豪華な離乳食に圧倒された体験談です。 義実家へはベビーフード持参義実家へ行くといつもお昼ごはんを食べるので、1歳の息子用に市販のベビーフードを持っていきます。家でのごはんは手作りとベビーフードの半々くらいの割合なのですが、義実家などに出かけるときは手間のないベビーフード一択でした。ある日息子が1歳を過ぎたとき、義実家に行くと「息子用に」と義母がおかゆを用意してくれていました。食欲旺盛な息子は義母の作ったごはんもペロリ。それを見た義母はうれしそうに「おいしかった? おいしかった?」と何度も話しかけていました。 料理上手な義母の手作り離乳食それからというもの、息子を連れて義実家に行く際は、必ず義母が息子の離乳食を作っておいてくれるようになりました。10種類の野菜が入ったおかゆに、野菜をうさぎの形に切って柔らかく煮た物、星の形のハンバーグに生のトマトから作った手作りケチャップまで……。どれも手間がかかっていて豪華な離乳食です。 「ありがとうございます」と言いながらも、内心「こんなに手の込んだもの作ったことないよ……」と義母の張り切りように圧倒されていました。さらに義母は毎回「こんなの大したことないわよ。息子くんのためなら時間も手間も惜しくないわ。毎回レトルトじゃ味気ないしね」とにっこり言います。 トライしてみて至った結論義母の豪華な離乳食を受けて、「もう少し私も頑張ったほうがいいのかな?」と思い、いつもより料理に時間をかけてみることに。ただ、頑張って野菜をかわいく切ったりしていると、4歳の娘からは「まだー? 遊ぼー?」の声と、1歳の息子から抱っこを求める声が……。その声を聞いて「あれ? 子どものためにしてることなのに子どもたちを放って私は何をしてるんだろう……」と思い至りました。 その結果、やはり息子の料理はこれまでのままでいくことに。手の込んだ料理よりも子どもたちとたくさん遊んで関わることのほうが、私にとっては大事なんだなと再確認した瞬間でした。 義実家で手作り離乳食を振る舞われるたびに、義母から子どもの食事についてチクリと指摘されますが、そのたびに、「家だと子どもの相手優先で、なかなか難しいんですよ!」と笑って返しています。義母が私の返事をどう受け取っているかはわかりませんが、これからも義母の厚意だけありがたく受け取り、批判的な言葉はスルーしていこうと決めています。作画/ぐら子著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。
2022年11月28日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 作画/ぐら子監修/助産師 松田玲子著者:伊藤あいり3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年11月21日第1子出産のとき、急きょ帝王切開に切り替わりました。初めてのことに緊張と不安・戸惑いの中、私は出産。赤ちゃんと私にひとまずは問題なく、すぐに母子同室になり幸せを嚙みしめていました。しかし、ほっとしたのもつかの間、傷が痛んで起き上がれない私の体を心配して面会を控えた実両親とは反対に、数時間後に面会に来るという義両親に私は違和感を抱きました。 帝王切開で無事出産。傷が痛む中の面会出産時、赤ちゃんの心拍が低下し始めるという事態になり、緊急帝王切開に切り替わりました。夫が病院に駆けつけたのですが間に合わず、私は不安の中出産。赤ちゃんの顔を見たときには安堵したことを、今でも鮮明に思い出します。 両家両親には事後報告をし、私の両親は「大変だったね。体休めて」と言って、面会は翌日にすると連絡をくれました。義両親は数時間後には揃って面会に来ると言い、疲れている私は乗り気ではありませんでした。 予想以上の面会時間に身も心もボロボロ…面会に来た義両親は孫にべったり。私はおなかの傷が痛くてつらかったのですが、義両親が話しかけてくれば相槌をうっていました。「寝ていていいよ」と言われても、遠慮して会話は続けました。 30分ほどで帰ってくれるかと思っていましたが、まったく帰る素振りのない義両親。夫から促す様子もありません。私は疲れからか急に眠くなり「どうして体のつらさを誰もわかってくれないんだ」と、イライラと悲しみの感情がどんどん溢れてきました。 イライラから助けてくれた看護師さんそんなときに看護師さんが体調チェックに。悪露(おろ)を見るので夫たちには一旦部屋の外に出てもらい、そのとき私は思い切って看護師さんに経緯を話しました。すると看護師さんから義両親に帰ってもらうように伝えてくれることになり、義両親はその後すぐに帰って行きました。 後日「長居してごめんね」と義両親から謝りの連絡が来ました。純粋に孫の誕生を楽しみにしてくれた気持ちがわかったので、イライラが長引くこともなかったです。 面会に来てくれたのに帰ってほしいなんて言えなかった私が、看護師さんや助産師さんに相談する手段をもっと早く知っていたら、気持ちがラクになっていただろうなと思います。赤ちゃんの誕生はうれしいことなので、面会に来てくれるならば前もって「短時間でお願いね」など伝えておくと、お互いに気持ち良く過ごせるなと勉強した出来事でした。 作画/ぐら子著者:樋山ゆり菜6歳男児、4歳女児の母。夫は不規則な勤務体制のためワンオペ育児多め。食べることが大好きで、地元・栃木県の食をメインとしたブログを運営しながら、飲食店にて接客のパートをしている。
2022年11月06日ある日、義実家に子どもたちを連れて行ったとき、1歳の息子はピンク色の服を着ていました。それを見た義父の第一声は息子の服を否定するもの。「ピンクは女の色」と主張して曲げない義父の考えにこれからの付き合いが不安になった体験談です。 息子、ピンク色の服を着て義実家へその日、息子が着ていたピンク色の服は、4歳の娘のおさがりです。デザインはサッカーのユニフォームに似たスポーティなもの。娘が「これかわいいね!」と弟に選んでくれた一枚でした。 まだハイハイの赤ちゃんがユニフォームを着ているような格好はとてもかわいらしく、何より息子にとても似合っていたので、義両親にも見てもらおうと義実家に着ていくことに。「これは義両親も喜んで、たくさん写真を撮るだろうな」と想像しながら、私と子ども2人で義実家に向かいました。 「ピンクはおかしい」と言う義父到着後、義母は息子の服を見るや否や「あら!かわいい!」と予想通り写真をたくさん撮り始めました。そしてしばらくリビングで遊んでいると、2階から義父が。リビングに入ってきた義父は、私たちがあいさつをするよりも先に「なんだなんだ、男がピンクなんか着ているのか」と顔をしかめました。義父の否定的な言葉に驚きながらも、「ユニフォームみたいでかっこよくないですか?」と聞きましたが、義父は「女みたいだなぁ」と納得していない顔。喜んでもらえると思っていた分、義父のリアクションに「そんなにダメかな?」と少しショックでした。 男の子がピンクだっておかしくない!そのままピンク色の服の話が終わり、帰宅するために私が支度をしているときでした。娘が義父に「今日のこのピンクのお洋服、私が選んだんだよ!」とニコニコして言っていました。話を蒸し返す娘の発言に、義父が何を言うのかとドキドキしていると……。義父は「うーん、でもピンクは女の子の色だからなぁ。息子くんが着るのは変だな」と困ったような顔。 私は「ピンクは女の子の色」という義父の主張に非常にモヤモヤしながら、娘と義父を見守っていました。帰りの車の中、娘は「男の子だから今度は青い服にする?」とひと言。義父の言葉を気にしているんだなと感じ、「色には男の子も女の子もないんだよ。好きな色を着ていいんだよ」「じいちゃんはピンクが好きじゃなかったのかもね」と繰り返し伝えました。 これ以降、義実家に行くときに無用な争いを生まないためにも息子にピンク色の服は着せていません。これから先、義父の「男はこうあるべき」という考えと衝突する場面も出てくると思います。そのときは全力で義父と戦い子どもたちを守っていこうと、心に決めた体験談でした。 作画/キヨ著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。
2022年10月28日家族みんなでおでかけするのは楽しいのですが、私は常日頃、帰宅してからの夫の態度が不満でした。夫は帰宅後、ひとりで「疲れた」と休憩してしまうのです。ある日、夫がいつものようにひとりオフモードになったことで、私の不満が爆発してしまった体験談です。 家族でのおでかけは帰宅後も大変!休日に家族みんなでおでかけするのは楽しいのですが、4歳の娘と1歳の息子の準備は毎回とても大変です。準備と同じくらい大変なのが帰宅後。疲れてぐずぐずの娘をなだめ、ママじゃなきゃ嫌がる息子を抱えながら、ときには夕飯の準備をしたり、おでかけに持っていった荷物を仕分けたり、お風呂の準備をしたりします。そんなとき、毎回不満を抱いてしまうのが、夫の態度です。私が子どもたちの相手をしながら片付けなどをしている中で、「あー疲れたー」と言い、ひとりでソファに横たわってスマホをいじり始めるのです。 帰宅後、ひとりオフモードの夫私がバタバタしている横で、夕飯やお風呂の準備ができるのを待っているだけの夫。お風呂が沸いて「先に子どもたち入れちゃって!」と言っても、「もう少し休憩~」と言って動かなかったり、子どもたちがぐずっているのに「風呂で待ってるから」と自分だけ先にお風呂に入ってしまったり。おでかけのときは夫が車を運転してくれるので、疲れる気持ちもわかります。けれど夫が運転中、私も車で座っているのが嫌いな子どもたちのお世話をして、同じように疲れているのに!とずっとモヤモヤしていました。そしてある日のおでかけ後、子どもたちがどちらも不機嫌で私だけで2人を同時に抱っこしているのに、夫が「あー疲れた」と夫がソファに座ろうとして……。 ついに夫への不満爆発!私が2人を抱っこしている姿が見えているはずなのに、またひとりで休憩しようとした夫。これまでのことも積み重なって、さすがに頭にきてしまった私は、「どっちか抱っこして!」と怒鳴ってしまいました。怒鳴り声に驚いた子どもたちは大泣き。夫は怒鳴られたことで「はぁー……、わかったよ」とため息をつき不機嫌。楽しいおでかけだったはずなのに、その日は最悪な雰囲気のまま1日を終えることになってしまいました。 負担を減らすために役割分担翌日夫と話し合い「おでかけ後はみんな疲れている。ひとりだけ休まれては、私の負担ばかりが大きくなる」と不満を伝えました。おでかけ後は子どもたちがぐずることが多く、そんな場合はママでなければダメ。ましてやまだ小さい子どもたちに「ちょっと休憩しよう」と言ったところで、待ってくれるはずもありません。そのため夫に「子どものことは私がするから、片付けやごはんの準備をお願いしたい」と言うと、「だったら最初から言ってくれればいいのに」と返され、「何度も言ってきたわ!」と思わずツッコミ。ただ、きちんと話し合ったからか、これ以降おでかけ後は夫婦で役割分担ができるようになり、夫は自分から動くようになったので、以前のようにイライラすることがなくなりました 出かけるとなると丸1日かけて外出することが多いわが家。おでかけ後に疲れるのは仕方ないですし、休みたい気持ちもわかります。ただ、疲れているときこそ、相手への気遣いを忘れてはいけないなと思った体験談でした。 作画/ぐら子著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。
2022年09月28日私には4歳の息子がいます。息子は昔から人見知りで警戒心が強い子でした。息子が1歳だったころのこと。息子は家でママと絵本を読んでいる時間が一番好きな子でした。しかし、私には公園でお友だちと一緒に楽しそうに遊んでいる親子がうらやましく思えてしまい……。 息子の人見知りのせいでママ友ができない息子が1歳のころ、引っ越してきたばかりで、私には近くに知り合いがいませんでした。そのため、公園に遊びに行ってママ友ができたらいいなと期待していたのです。しかし、私が他の親子に近づくと人見知りの息子が大泣き。私はまともに他の親子と話をすることもできませんでした。 無邪気にお友だち同士で遊んでいる子どもたちを見ると、「うちの子がもう少し社交的な性格だったらよかったのに……」と、息子の人見知りのせいで私が苦しめられているように思ってしまうことも。 親子だけでできる楽しみを見つけてお友だちと一緒に遊ぶことのできない息子の姿を見ていると、このままではずっと人見知りが治らないのではないかと心配になる毎日。人見知りな息子はお友だちがいる公園に入ることを嫌がるので、公園の外からお友だちの遊んでいる様子を眺めたり、道端でお花や小石を拾ったりと、人の少なそうなところばかりで遊んでいました。 息子はもともと本が大好きだったのですが、散歩から家に帰ると、散歩中に見つけた虫や車を図鑑で探すのが親子の楽しみでした。 4歳になった息子はクラスのまとめ役に図鑑に興味を持つようになってから息子の語彙力が一気に増えて、2歳ごろには大人と対等に話ができるようになっていました。息子はその後幼稚園に入園し、しばらくは人見知りをしていましたが、数カ月後の4歳になるころには自然と人見知りがなくなりました。 幼稚園でお友だちとうまく打ち解けられているのか心配していましたが、担任の先生に聞いたところまったく心配ないとのこと。息子は周りをよく見ていて、話もじょうずなので、クラスのまとめ役として頑張っているようです。あんなに人見知りだった息子がまさかまとめ役になっているなんて思いもせず、息子の成長に私は驚かされました。 社交的な子どもたちに憧れて息子を公園に連れて行っていましたが、息子には自分なりのペースがあったようです。息子はお友だちと直接遊ぶことはしませんでしたが、遠くからお友だちの様子をじっと観察していたのです。人見知りの時期に培った観察力や言語能力が息子の長所だったのだなと、息子が4歳になり私はようやく気がつきました。 作画/ぐら子著者:斉藤菜々子4歳と2歳の男の子のママ。夫は転勤族で3回の引っ越し経験有り。「子育て」「ファッション」ジャンルを中心にライターとして活動中。ワンオペでの子育てに悩み、解決の糸口になればと保育士資格を取得。
2022年08月31日私の夫は娘に熱があっても他人事のように仕事に行き、いつも私が仕事を休まなければいけませんでした。そんな夫の姿に私はイライラし、夫婦仲ギクシャクしてしまいました。娘の体調不良問題を乗り切った、私たち夫婦のエピソードです。 夫にとって娘の熱は他人事?娘が1歳のころ、私は保育園に娘を預けて正社員として働いていました。私の住む地域では37.5℃以上熱があるときは、解熱してから24時間は保育園には登園できないというルールがありました。このルールもあって、私は娘の熱で1週間丸々仕事を休まないといけないということも。 娘の熱で頻繁に仕事を休み、職場に負担をかけてしまっていた私は、かなり肩身の狭い思いをしながら働いていました。一方で夫は、娘に熱があっても何事もなく「じゃあ行ってくるね!」と仕事に行きます。夫の仕事は激務なので「仕方ないのかな……」と私はただ我慢する日々でした。 目が傷ついたから今週は在宅ワーク!?そんなあるとき、夫が「目が傷ついてコンタクトレンズを着けられないから、今週は在宅ワークにする!」と言いました。続けて夫は「娘が熱を出したって言ったら職場に快くOKしてもらえてよかったわ!」と言ったのです。 それを聞いた私は怒り心頭。私は夫に「在宅ワークできるなら、本当に娘が熱を出したときにも在宅ワークにしてよ!」と言いました。夫は「娘がいたら家で仕事にならないし……」と不満そうに言っていました。 娘が熱のときに夫に在宅ワークをお願いその後、娘が熱を出したときに夫に在宅ワークをしながら娘を家で見るようにお願いしました。夫はかなり迷惑そうな顔をして、「今回だけだよ!」と。私は心の中で、「私は娘が熱を出すたびに仕事を休んで肩身の狭い思いをしているのに……」などと思いながら、娘を夫に託して仕事に行きました。 私が仕事から帰宅すると夫はまた機嫌悪そうに「全然仕事できなかった。あとは頼むわ!」と言って、自分の部屋にこもってしまいました。私はそんな夫を見て、今後娘が熱のときにまた夫に頼むのは無理そうだな……と思ったのです。 私が働き方を変えることで解決もともと仲がよかった私たち夫婦。しかし、娘が体調不良時の夫の他人事感に私はイライラしてしまい、夫婦関係も少しずつギクシャクするように……。家族のために仕事をしているはずなのに、私が仕事を続けることって家族のためになっているのかなと考え始めました。 夫に相談すると、「仕事は続けても辞めてもどちらでもいいよ」とのことでした。そこで、私は在宅でできる仕事を探すことに。それからは、フリーランスとして在宅でできる仕事に変え、娘の体調優先で働くようにしました。夫婦関係も、娘が生まれる前のように改善することができたのです。 娘が熱を出したときに、夫が他人事のように仕事に行く姿勢にイライラを募らせてしまった私。夫婦仲が悪くなってまで、今と同じ働き方を続ける必要はあるのか考えました。私自身が娘の体調不良時にも対応しやすい働き方に変えたことで、夫へのイライラを解決することができました。 作画/ぐら子著者:本田 ひな2歳女児の母。管理栄養士として保育園に10年勤務した経験と、投資歴13年の経験を生かし、栄養やお金について執筆中。
2022年07月25日子どもたちの祖父母はどちらも孫には甘いです。しかし、私の両親はハッキリ叱るときは叱るのに対し、義両親は注意さえしません。そのことがわかっている子どもたちは、義両親の前では私も厳しく言わないのをいいことに調子付き、次第に態度がエスカレートしていくのです。すると決まって義両親に言われる「ある言葉」がストレスに……。義実家に行くのが嫌になってしまった体験談です。 「やさしい」義両親と調子に乗る子ども義両親は「嫌われたくない」の一点張りで絶対に子どもたちを注意しません。叱るのは親の役目、甘やかすのは祖父母の役目、という考え方なのです。私もその考え自体には共感するのですが、子どもたちだけで訪問しているなど親の目がないときはさすがに注意してほしいと思ってしまいます。 また、普段やさしい義両親に言われることで、子どもたちは良い意味でのショックを受けて、注意を受け入れる気になるのではと期待をしてしまうときもあります。 空気を悪くしない程度に注意するものの子どもたちが騒ぎすぎたり危険なことをしたりすれば叱るのは親である私の役目です。それは当然なのですが、義両親が一緒にいるとき、特に義実家にいるときなどは子どもは聞く耳を持ちません。「じいじとばあばがいいって言ってるもん」のひと言で流そうとします。実際、私が何か言うたびに「まあまあ、それくらいいじゃない」と義両親が声をかけるのです。本気で叱り飛ばしては場の雰囲気を悪くしてしまうという遠慮が私にあることも、子どもに見透かされているのかもしれません。 義両親に決まって言われるこの言葉顔を合わせてからしばらくすると必ず義両親、特に義母から言われるフレーズがあります。「今の若い人は叱らない育児なんでしょう?」「私の母(義母の母、故人)は、同居していた孫(夫の従妹)の子育てが甘い、全然叱らないって溜息ついていたわ」と言うのです。親である私が甘い、叱らないことを責めるニュアンスが感じられ「申し訳ありません」と言うしかありません。たまにであれば聞き流せますが、毎回必ず言われるので正直うんざり。子連れで義実家に行くのが苦痛になりました。 最近では義両親のコメントに対してはモヤっとしつつも「昔の親は厳しかったですよね~」「お義母さんも厳しかったんですか~?」と論点をずらし、義母の子育てエピソードを拝聴する流れに持っていくことで適当に流しています。「申し訳ありません」と謝るよりも、むしろ会話がはずんで楽しい時間になるような気がしています。 作画/ぐら子著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2022年07月08日結婚を機に出身地から離れ、右も左もわからない未訪問の地へ。間もなくして妊娠が判明。「子どもとおでかけしたい」「お揃いの服とか着たいな」。そんな想いで日々SNSでキラキラしたママたちを見て、出産後の妄想をしていました。しかし、土地勘のない場所では、毎日の育児と家事をこなすので精一杯。キラキラしたママとはほど遠く、孤独な日々を送ることに。孤独な子育てをどう乗り越えたか、私の体験をお伝えします。 イメージトレーニングはできていたのに出産までは、SNSで検索したベビーグッズを集めたり、プレママ講座に出かけたりと、マタニティライフを楽しみながら過ごしていました。里帰り出産後、子どもが生後3カ月から自宅での子育てスタート! 日中は子どもと2人きり。初めての育児に必死で、毎日家から一歩も出ない……そんな毎日の繰り返しでした。「SNSで見たママは、オシャレしてママ友とベビーカーで散歩してたのに」「もっと友だちとおでかけできるはずじゃないの?」……イメージしていた理想と現実の違いを受けて、次第にネガティブな考えをもつようになりました。 焦りと孤独で周りが見えない同じことを繰り返す毎日。周りに知り合いもなく、もちろんママ友もいません。子どもの友だちを作るためにも外に出なきゃ! と思ったものの、自宅付近の支援センターや遊べる場所を知らないことに、そのとき気づきました。焦りを感じながらも自宅に戻って1カ月後、まずは最寄りの支援センターを調べてすぐに行ってみることに。 しかし、訪れた日はそれぞれのグループで遊びに来ていて、私は子どもと2人で遊びました。「これじゃ家と一緒だな」そんな想いで、逆に孤独な気分になり、それから支援センターへ行くのもおっくうに感じるようになりました。その後、子育てイベントにも参加しましたが、孤独から抜け出したいという焦りで自分自身いっぱいいっぱいになっていました。 みんなと一緒じゃなくていい実家が遠方のため、実母に悩みを聞いてほしくても手段は電話のみ。ときには泣きながら電話をかけ、子育てに関する悩みを聞いてもらっていました。自宅に戻って3カ月後、大型連休にあわせて実家に帰省することに。顔と顔を合わせて相談すると、溜まった想いがどんどん込み上げて、実母に素直な想いを伝えました。 「無理してみんなと同じようにしなくていいんじゃないの?」実母から言われたひと言は当たり前のようですが、そのときの私にとっては衝撃的なひと言でした。「子育てだって、人それぞれ違っていいんだ」と気づくことができました。 自分のペースで少しずつ自分のペースで子育てしていこうと考え直し、無理して居場所を探すことをやめました。その後、子どもが生後6カ月で習い事教室に通うことになり、徐々に地域の子育て事情を知り、育児について共感しながら話せる場を作れるように。それと同時に子どもにも同月齢のお友だちができ、楽しそうに遊ぶ姿を見て、「キラキラしたママじゃなくても楽しそうならいいや」と思えるように。 ささいなきっかけですが、それだけでも孤独を感じることが少なくなり、日々の子育ての刺激にもなりました。今思えば、孤独から抜けだしたいというより、SNSで見たキラキラしたママになれるような居場所を見つけたかっただけなのかもしれません。 キラキラしたママへの憧れは、まだあります! 以前の私はそれを求めるがあまり周りが見えず、素直に子どもの成長を喜ぶことができませんでした。今でも一対一で子どもと向き合っていると、周りには誰もいない……と孤独を感じてしまうこともあります。ですが他とは比べないように、「私は私」と割り切ることで自分のペースに合った育児ができるようになりました。 作画/ぐら子著者:吉田史香3歳と0歳姉妹のママ。夫の実家と敷地内同居中。実家は県外遠方。出産前まで、診療放射線技師として病院やクリニックでの勤務経験有り。育児や美容、地域情報に関する記事を執筆中。
2022年06月24日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。長女は1歳半のころ、電車やバスが大好きでした。そんな長女の好きな物を聞いた義母が「やめさせたほうがいい」と言い出し……。そして私にとって衝撃的な発言をし、驚かされた体験談です。 長女1歳半、電車にはまる長女は1歳半~2歳手前まで電車やバスにはまっていました。児童館や子育て支援センターに行くと、まず遊ぶのは電車やバスのおもちゃ。おままごとやぬいぐるみで遊ぶのに興味がないわけではないのですが、一番好きなのは電車やバスのおもちゃで遊ぶことでした。 「女の子なのに珍しいね」と言われたりもしましたが、私自身はそのことを気にかけることもなく、「そんなに好きなら」と駅まで電車やバスを見に行ったり、電車やバスのおもちゃを買ったりしていました。 「将来が心配! やめさせたら?」と義母義実家へ遊びに行ったとき、「長女は今、電車やバスが好きなんです」と言うと、義母が怪訝そうな顔をしました。そして「え、それって大丈夫なの? 女の子なのに電車が好きなの?」とのこと。私が「そうですね。最近好きですね」と答えると「将来男性みたいになったらどうするの?」という意味合いの差別的な言葉を言われました。そして「そうなったら大変だから、やめさせたほうがいいんじゃない?」と……。 電車やバスが好きだから男の子っぽくなるという考えにも驚きましたが、「なりませんよ」というのも違うし、仮になった場合でも「なってもいい」のという私の思いを伝えたところで義母が納得してくれるかわからなかったので、何と言うのが良いのか考えた末、「そうですかねぇ」とあいまいに答えてしまいました。 改めて思う「どうあっても愛しいわが子」義母の発言は改めて夫と話す機会になりました。「将来長女が男の子になりたいって言ったらどうする?」と夫に聞くと、「応援する」とのこと。夫が私と同じ考えであったことにうれしく思いました。 女の子が男の子のようになることは特別なことではないと思います。ただ、義母のような考えの人もいるのだなとわかり、私も夫も「女の子は女の子らしく」と押し付けるのではなく、「できる限りそのままの長女を受け入れられる親でいよう」と改めて思いました。夫婦で長女への考えについて共有することができてよかったと思います。 義母の発言は、私たち夫婦で子育て方針を共有する良いきっかけになりました。今3歳の長女はおままごとも好きですし、電車やバスも好き。何より工作が一番好きな女の子です。これからも長女が好きなことに敏感に、大切にして育てていこうと思っています。 作画/ぐら子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年06月24日私の義両親はいつもとても穏やかで、結婚以来、嫌な思いなどしたことがありませんでした。しかし第1子の出産時のことはいまだに忘れられません。わが子を守ろうとするあまり、周囲に攻撃的な気持ちを向けてしまう産後の「ガルガル期」だったのかな、とも思うのですが当時は本当に嫌でした。 今日もですか?毎日毎日来られても…陣痛が始まり入院したのは早朝でしたが、お昼前には義両親が産院に現れました。気を使うし、苦しんでいる姿を見せるのも嫌だったのでなんとか帰ってもらいましたが、夕方に無事子どもが生まれると、再び産院にやってきたのです。 孫の誕生に感激している姿にこのときはうれしく思ったのですが、まさか退院するその日まで連日義両親が病室に現れるとは思ってもみませんでした。「会いに行ってもいい?」と事前に連絡はくれるものの、「嫌です」とも言えず毎日義両親の顔を見て過ごしました。 まだいるのですか?ずっといられても…連日病室に現れる義両親。「毎日ごめんなさいね。ちょっとでも顔が見たくて」と申し訳なさそうにはするものの、一度子どもを抱くと離しません。私は退院後は実家に里帰りをする予定だったので、「じっくり子どもと触れ合えるのは今しかない」という思いも義両親にあったのだとは思います。 そうだとしても毎回毎回、面会時間いっぱいまで粘られるのは産後の体力的にもとてもきつく、途中から「面会時間が変更になった」と嘘をついて、短時間で済ませられるようにせざるを得ませんでした。 なんでこれ!?大量の差し入れに衝撃「母乳にはあんこが良いのよ」と義母が買ってきたのは、箱に入った大量のたい焼きでした。とてもひとりで食べきれる量ではありません。ましてや「食べ物の差し入れは保管に困るから遠慮したい」と伝えていたのに、まったく聞く耳を持っていない様子にがっかりしてしまいました。 さらに助産師さんからは「食べ過ぎないでね」と注意されたばかり。どうしたものかと途方にくれました。結局、その後に面会にきた夫にこっそり持って帰ってもらうほかありませんでした。 すべては義両親の孫を思う気持ちゆえの行動だとわかっています。それでも心身ともに疲れ切っていた出産直後の私には、泣きたくなるほど嫌なことばかりでした。子どもが大きくなった今では笑い話ですが、それでも思い出すとあのころのつらかった気持ちが少しだけ蘇ります。将来、子どもやそのパートナーが出産したときには、私も気をつけようと今から思っています。 作画/ぐら子著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2022年05月27日現在7歳になった息子が、1歳になってすぐのことです。当時、まだ夜中に何度か泣いて起きることが多かった息子の寝かしつけで、私は育児疲れと寝不足の日々が続いていました。そんな中、ある人物によって精神的に追い込まれた私は、ある日突然動悸とめまいに襲われたのです。 電話越しに聞こえてくる義母の怒りの声息子が1歳になったばかりのお正月のこと。夫と息子とともに、私は義実家へ行っていました。お正月ということもあって夫に手土産の購入を頼み、それを持参したのですが、私は中身を知らないまま義母にその手土産を渡しました。 そして何事もなく帰宅したあと、夫に姑から電話があったのです。夫が電話に出るなり聞こえてきたのは「手土産が気に入らない! お正月のあいさつにこんな物を渡してどういうつもり!?」という義母の怒りの声でした。 毎日続く義母からのLINE義母から突然かかってきた怒りの電話に夫も腹が立ったようで、2人は1時間ほど電話で揉めていました。そのあと電話を終えた夫に話を聞くと、「お正月に持ってくる手土産はもっと豪華な物にするべきだ」と言うのが義母の主張だったようです。そしてその日から毎日、私の携帯には義母からの長文のLINEが届くように。 その内容は「あなたも息子も何もわかっていない」「こっちはいろいろと助けてあげているのだから感謝の気持ちを込めてもっと高級な手土産にするべきだ」といったもの。私はもう謝ることしかできず、毎日のようにくるLINEが怖くて眠れない日が続くようになっていました。 突然の激しい動悸と息苦しさ相変わらず姑からのLINEは続き、1カ月が経ったある日、家にいた私は突然息苦しさを感じ、同時に激しい動悸に襲われました。その症状は2、3分で治ったので、そのときは寝不足が続いたからかな?ぐらいにしか考えていませんでした。 しかし、それをきっかけに息子の予防接種の順番待ちやレジに並んでいるとき、車の運転中に信号待ちをしているときなど、外出先でも同じ症状が起きるように。電車やバスにも乗れなくなってしまい、これはおかしいと感じた私は心療内科を受診することを決意しました。 心療内科でパニック障害と診断心療内科で下された診断はパニック障害でした。主治医の先生によると、育児疲れや寝不足によって疲弊していたところに、強いストレスが加わったことで発症したのではないかとのこと。日常的に薬を内服する必要はないものの、外出時などパニック発作を起こしそうな場面では、薬を内服するようになりました。 1歳の息子は卒乳していて、母乳を気にせず薬を内服することができたので、それだけが救いでした。その後、私の病気のことは夫から義母に説明してくれることに。義母は私を追い詰めたことを反省し、謝罪してくれました。 私がパニック障害を発症してから6年が経ちますが、今でも電車やバスの乗車、長蛇の列に並ぶという行為はできないまま。ですが義母に病気のことを伝えたあとは、あまり私へLINEをしてくることもなくなりました。そのため今ではゆったりとした気持ちで育児をしています。私も義母にもう何も言われないように、手土産はもちろん、細やかなことにも気を配るように注意して、適度な関係を保っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/ぐら子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年05月02日長男が生後1カ月ごろのときのお話です。長男はいわゆる「寝るのがヘタな子」で、夜中は抱っこしてもらえるまで泣き続けることがほとんど。私も初めての育児で戸惑うことが多く、長男を抱いたまま朝を迎えたことが何度もありました。しかしそれを知っているはずの夫は、それでも寝かしつけを代わってくれなかったのです。※訂正:(誤)1カ月健診終わり→(正)1カ月健診が終わり 抱っこでないと寝てくれない長男私は長男を出産したあと、長男の1カ月健診が終わるまでは自分の実家へ里帰りしていました。長男は抱っこでないと寝ないことが多く、夜中にずっと長男を抱いて歩き回る私を見て、母は心配し、何度も抱っこを代わってくれました。 そして長男の1カ月健診が終わった3日後、私は夫の待つ自宅へ帰ることに。自宅へ帰ってからも長男が抱っこでないと寝てくれないのは変わらず、私は睡眠不足で疲れ切っていました。 睡眠不足で心身ともに限界に…私は夫に寝かしつけを代わってもらいたいと思っていたのですが、当時夫は仕事が忙しく、帰ってくるのは早くても22時ごろで、日によっては夜勤もありました。夫も疲れているのがわかっていたので、私はなかなか夫に「代わってほしい」と言えずにいました。 長男が生後4カ月になったころ、相変わらず夜中は抱っこでないと寝てくれず、私は心身ともに限界に。抱っこしたまま朝を迎えることも増え、育児がつらいものにしか思えないようになっていました。 寝かしつけを代わってくれない夫当時、夫は私と長男とは別の部屋で寝ていたため、長男が夜中にどれくらいの頻度で起きているのか、夫は知らずにいました。 ですが私が長男を抱いたまま朝を迎えていることや、寝不足が続いてつらいという気持ちは夫に伝えていたので、夫から「寝かしつけを代わるよ」と言ってくれるのを待っていました。夫が寝かしつけを代わってくれることがないまま、長男も生後7カ月に……。 察してはもらえない結局長男が1歳ごろになり、抱っこじゃなくても寝られるようになるまで、夫が寝かしつけを代わってくれることはありませんでした。 そのころには私も精神的に余裕があったので、夫に「どうして寝かしつけを代わってくれなかったの?」と聞くと「え、代わってほしかったの? 1回も代わってって言われなかったから、俺が寝かしつけるのは嫌なのかなと思ってた」とのこと。私はこの返答に驚きましたが、「察してほしい」だけでは何も伝わらないということを身をもって痛感しました。 長男の寝かしつけが1番大変な時期に、結局夫が代わってくれることはありませんでした。しかし夫の言うように、私は1度も「代わって」と伝えたことがなかったので、言葉にしないと伝わらないということを実感。この出来事をきっかけにお互いに気持ちを伝えるようになったため、次男の出産後は夫自ら寝かしつけを代わってくれるようになりました。 監修/助産師 松田玲子作画/ぐら子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年04月28日