さて連載も今回で最後になりました。『ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート〜ホームレス芸NO人の一歩〜』皆様のお役に立てていたでしょうか?すぐに目に見えるくらいの大きな変化があったり、幸運を呼ぶような事があったりするわけじゃないけど、心の内面を少し変えるだけで価値観や物の見方は変わってくると思います。生きてると本当に色々な事がある。でもその分、心のキャパスティーが広くなる。たまに逆境はチャンスだなんて言葉を耳にするけど、僕はこの逆境を自分から突っ込んでいったのかもしれない。もちろん家庭環境、仕事環境と自分の身近な環境で仕方のない状況もあったけど。岸田健作がホームレス経験があったとメディアに出た時に一番多かった声はやはり『ホームレスする必要があったのか?大人なんだからバイトでも誰かの家に泊めてもらう事でも実家でもあったんじゃないか?』この意見は多かった。でも僕が思ったのは『大人だからホームレスになったんだ』あくまでも僕が思う『大人』ですけどね、大人とゆう名の成長かな。成長したかったんです。自分はそれまで、人に頼りすぎてた。物事を知らなすぎたんです。その度合いは恐らく信じられないくらい(笑)アルバイトの仕方がわからないって言ったら『嘘!?』と言われるくらいなので、例えば僕も電車に乗った事がない大人の方が『電車の乗り方わからない』と言ったら『嘘!?』と思ってしまう。それと一緒です。人の価値観や経験は人それぞれなので一概には言えないと思います。ただ僕の場合『一般常識』があまりに欠けすぎてたので、勉強しなおす必要があったし、それはもう全てを0に戻し1から、『人のありがたみ』『お金のありがたみ』『食べ物のありがたみ』『夢や希望を持つありがたみそして『生きる事のありがたみ』を体で感じるため『ホームレス』を選んだ。ホームレスとゆうか『マネー&ドリーム&フード&ヒューマン&サンキュー&ホームレス』ですな。もちろん笑えるような経験ではなかったです。それはホームレスをあがっても。とにかく過酷で寂しい。だけどそれをも上まわる宝を手にできた。それはお金でも家でも食べ物でもない。『夢と希望』です。なんだか熱血教師みたいな言葉になっちゃうけど『夢と希望』があれば何でもできる。何でも乗り越えるパワーが湧いてくる。僕はそう感じる事が出来ました。人間は死ぬために生まれてきたんじゃない。みんなそれぞれ『生きる目的』を持ってそれに向かって生きる生まれてきたんだと思う。全てのマイナスをプラスに取る必要はないけど逆境や試練は目的地に近づくチャンスなんじゃないかな。ちょうど今このコラムを書いてる翌日には自分のバンド『RoViN』の1stと2ndのCD発売日であり、記念ライブがある。そんな前日にこのコラムを書いてるとゆうのがなんだか偶然に思えない。僕がホームレスをあがったキッカケは『バンドと音楽とダンスで表現したい』とゆう新たな想いと夢と希望を抱いたからです。もちろんまだまだですし、本当に1からやってきてようやく夢への小さな一歩が人前で形になる瞬間です。でも僕はこのために生きてきた。頑張ってきた。そう言える。というわけで全10回にわたる連載コラムでしたが岸田健作とゆうタレントではなく、1男性の環境の変化と心の変化、そしてそれにより『充実』を手に今を生きています。とゆうのをつづってきました。読んでいる方々の心に何かが残り、良い変化になるキッカケになり明日の景色が変わってもらえたら幸せです。長い間お付き合いしてくださいましてありがとうございました。今後とも岸田健作を宜しくお願い致します。(岸田健作)【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない ■06.ぼんやりとした夢への向かい方 ■07.ホームレス経験中のできごと ■08.芸能人だから… ■09.言葉を手に入れた ■10.最終回
2012年08月02日第8回目になりました、『ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート~ホームレス芸NO人の一歩~』。タイトルでは、芸能人がホームレスになり、それから1歩ずつ踏み出すような内容に見えるけど、僕は芸能人だから…という意識はあまりない。1人の成人男性がそういった経験をした事から得た事を執筆してると思って見てもらえるとありがたい。実際に『芸能人だから…』とゆう事で他の方と違う所と言えば、自分が知らない方でも相手が自分の事を知っているといった事ぐらい。やはりホームレス中も食べ物を恵んでいただくため見知らぬ人に声をかけたりもしたが、顔がバレて恥ずかしい思いをした事がある。まぁこの時はもう恥ずかしいなどと言ってられなかったので感覚もなかったのだが。しかしもう一つ『芸能人だから…』とゆう理由で困った事があった。それはホームレスを抜けた後、アルバイトを始めようとした時の事。夢や希望、生きる糧がないと死んでるのと同じだと感じてしまう僕にとって、食べるため、住むためのお金ならこの時点ではどうでもよかったけどバンドを結成するためとなれば話は別で、バンドで成功するとゆう夢を叶えるべく、まずは1からメンバー探しを!と思った。そしてすぐさまアルバイトを始めようと考えた。しかし書籍にも書いたけど、僕はそれまでアルバイトの経験がなくアルバイトに面接がある事すら知らなかった。それだけ世間知らずだったわけだが、知らないなら聞けばいいとゆう事で道行く人にアルバイトをする方法を聞いてまわった。勿論、不審な顔をされたり無視されたりしたけど何とか求人誌の存在までたどり着いて、いざアルバイトをと思った。初めてやったバイトは登録制の派遣のバイト。現場仕事で、定員が決められており日程と内容が合えば現場に行って仕事が出来るとゆうもの。僕は運良くこのアルバイトを何度か連続で出来て、数週間で数万円にまでなった。その後バンドメンバーと出会いメンバーの家に居候させてもらったりして完全にホームレスを抜けたのだが勿論アルバイト生活はそれから何年も続いた。最初に登録しお世話になった仕事先は日払いのバイトで仕事がない時は入れないので、バンドを組みリハーサルやライブをしたり、居候から自分で家を借りたりする頃には定期的な収入が必要だったのでバイト先を変えないといけなかったのである。ここで冒頭に話した『芸能人だから…』とゆう理由で困った事があった。それは『あなたは芸能人だから仕事場に影響してしまうので』と言われ面接に受からないんです。これには参ってしまった。勿論全部が全部じゃなかったけど、5回の内、3~4回は言われたかな。接客業はほとんど落とされ、デスクワークもあまり人がいないオフィスでならなんとか出来た。この時ほど自分が芸能人だった事が障害に思った事はない。どんな理由だったとしてもアルバイトが出来ないっていうのは本当に辛い。少々伝わりづらいかもしれないけど、アルバイトをさせてもらえるという事がどれだけありがたい事かもこの時知った。本当にホームレス経験とゆうのは色々な意味で『あたりまえ』がそうでなくなる価値観に変わってしまう経験だ。死をも覚悟し、そこから立ち返りホームレスとゆう経験を自ら決めた時からプライドや周りからの目なんて気にしてなかったから『芸能人だから…』という理由で起きた障害はこれくらいかな。だけどそれも仕事が出来る有り難みというのを教えてくれた事だった。(岸田健作)【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない ■06.ぼんやりとした夢への向かい方 ■07.ホームレス経験中のできごと
2012年07月19日今回はホームレス経験中に出会った、あるお笑い芸人さんの話をしたいと思う。実は僕、ホームレス生活を特定の場所で行うと決めていたのです。それは代々木公園の噴水エリア。なぜかというと、当時の僕は実生活も大変でしたが、なにより『自分は一体この先なにがしたいのか? また1から芸能の道を志す上で、自分はどんな芸を身につけるべきか?』と自問自答しながらホームレス生活を始めた。その上で代々木公園の噴水エリアは、芸で未来を夢見るストリートパフォーマーが集う場所なので、そこに身を置けば毎日が芸の刺激になり、なにかしらストリートパフォーマーからインスパイアされるかもしれないと期待していたからだ。さまざまなパフォーマーと出会ったのだが、中でも印象深かった人達がいる。その人達は元サラリーマンでリストラされた二人組のお笑い芸人さんで【足つぼマッサージ】というコンビだ。その方達と意気投合してしまいネタを見てくれと言われて見てたのだが、なんとも自虐的なネタばかり。『窓際ドリーム』や『親権』などリストラされたサラリーマンさんならではの自虐的な内容に心も痛くなる。しかも本人達は、実際あった事を題材にしているのだ。僕は『なんでそんな自虐的なネタばかりなんですか?』と聞いたら、足つぼマッサージさんはこう答えた。『僕達はサラリーマンだった時、心から笑った事がないのです。いつも周りを気にして、上司を気にして、家庭を気にして。今は全部を失っちゃったけど、心から笑えているし、楽しいんですよ。』足つぼマッサージさん達のネタは正直つまらなかったけど、すごくキラキラしていた。30代後半でリストラされ、アルバイトをしながら公園でお笑い芸人を一から志す。周りから見たら切ない絵かもしれないけれど、切なさなんて感じさせないくらい輝いていた。あの時の僕にはそれがなぜなのかわからなかったけど、今ならわかる。幸せって、キラキラ輝けることって、隣りの人間と自分を計って比べるものじゃないってこと。自分自身がいかに充実できているかだと思う。今でもあの二人はどこかで輝いているのだろうと思う。お金や地位や名誉よりも人の幸せはもっと身近にあるのかもしれない。(岸田 健作)【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない ■06.ぼんやりとした夢への向かい方
2012年06月07日最近、『コラム読んでいます』や『書籍読みました』の声を多く受け取るようになった。ホームレス経験というのがメディアに出てから、それを1つのキッカケとして『経験からのメッセージ』というのをコラムや書籍を通して発信し、何かパワーを受信していただけたら本当に嬉しく思う。 前回第5回ではそんな皆さんからの具体的な声に対してお答えするような形で執筆した。今回も自分の所に来たメッセージから伝えられることを書いていきたいと思う。Bさん「岸田さんこんにちは。私は今年高校を卒業するのですが、その後の自分が見えません。周りはとりあえず進学するといった子や、とりあえずバイトしながらやりたい事探すなど、とりあえずって感じで具体的な事はないみたいです。私は美容師さんになりたいっていうぼんやりとした夢はあるのですが、全然知らない世界だし諦めないでずっとやっていけるのかと言われれば何とも言えません。でも、他にこれと言ってやりたい事もないし、この先どうしたらいいか…。変な質問ですみません。」 実はこのメッセージは、僕が高校生の時に漠然と思っていたことと同じなのだ。『とりあえず』程度でこの先を考えてしまうのもどうかと思ってたし、これといって目指す物も夢もなかった。そこに僕は『芸能』という世界からお誘いがあり、『やってみたい』と思い飛び込んだわけなのだが、やはりどこの仕事の世界も技量がものをいう。好奇心やぼんやり程度では生き残るのは難しいのだ。 僕個人の意見としては無責任かもしれないけど、『やりたい事や夢や希望は無理矢理探す事じゃない』と思う。 卒業するから…、周りがこうだから…、自分の人生は時間や周りに左右される事じゃないと思う。 無理矢理歩んだ道は後で必ず無理が応じるから。時間や周りと自分の気持ちがついていかないならそれでいいのではないかなと思う。義務教育というのは義務だからしっかりと果たして、その先はあくまで任意なのだから。 やりたい事や夢や希望を持つ事や、周りに合わせる事や、進学するというのは義務ではない。美容師さんになりたいというぼんやりとした夢があるとゆう事だがぼんやりならぼんやりなりの行動をとってみてはどうだろう。 全然知らない世界というなら、まず自分がその世界に飛び込むのではなく世界を調べるのもいいと思う。 僕の頃とは違い、今はこれだけインターネットが普及しSNSが盛んな情報社会になっているので自宅でも色々と知る事はできる。 そうやって、少しずつその世界を覗いてみて、やっぱり無理だなと思えばやめればいい。逆にまず飛び込んでみてから考えるのもいい。 人生は自由。自分の人生であれば何より自分が納得する形が一番いいと思う。それが僕の個人的な意見。 僕も無知で好奇心のみで飛び込んだ芸能界。結果的に無力さを痛感し、身を引いてホームレスという経験から始める事にしたが、全部自分が選んだ道なので後悔はしていない。 後悔した事は自分にではなく、その頃支えてくれた周りの方々へちゃんと恩返しができなかったこと。 Bさんも、もし今、ご家族やお友達など支えてくださる方々がいるのであれば、自分の気持ちに嘘をついたりせず、ありにまま正直な気持ちを伝えてあげるといいと思う。 ぼんやりでも何か希望があるならそれで充分。人生は何度でもやり直しがきくと僕は思っている。 確かに歳を重ねるごとに難しくなっていくのも事実。けれど、大切なのは自分の気持ち。30代後半や40代後半になって初めて自分の行きたい方向が見つかる人だっている。 自分のやりたい事が、もしかしたら愛する恋人と一緒にいる事だったりするかもしれない。結婚や自分の子供を育てる事が生きがいという人もいる。 人生いろいろというのは、自分への充実や幸せの形がいろいろ違うことだと思う。頑張りすぎず、けれど頑張って欲しいと思う。(岸田 健作)【書籍】昨日、ホームレスになった。著者:岸田健作価格:¥1,365 公式サイト 【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない ■06.ぼんやりとした夢への向かい方
2012年05月24日ホームレス経験の中から得た思いをコラムとして書いてきましたが、僕のこの経験と半生をつづり、4月16日に『昨日、ホームレスになった。』というタイトルで書籍を発売した。ホームレスでの経験もこのコラムとは、また別の角度から書いたので是非、読んでほしい。自分には「芸」の能力もなく、一般常識も欠けていて、社会勉強もまともにせず、社会に飛び込み、環境や人のありがたみさえ分からなかった。そんな自分に苦悩し自ら「0」にリセットし、ホームレスの道を選らん僕は、とにかく半生体当たりだった。痛い目にあわないと分からない人間なので、手探りで進んで怪我してということを繰り返してきた。そんな僕が今手にしたのは『生きる糧と充実と希望』。僕の思う『幸せ』だ。書籍を発売した事や報道に出る事でそれを見た、聞いた方から多くのメッセージをいただくようになった。今日はそんなメッセージの中から1つ紹介したいと思う。Aさん 「私は、絵を書いたりアクセサリーを創ることが大好きなのですが、それを仕事にしていくこと、それをどう始めていけばいいのかを悩んでいます。ホームページをつくって、ネット販売を始めるのがいいか、どこから踏み出せばいいのかわからないのです。伝える事が不器用なので、上手く伝えられず申し訳ありません。」というメッセージ。もちろん何事にもまだ見ぬ世界へ飛び込むのは勇気がいるし、不安だ。『○○した方がいい!』と断言はできないけれど、僕の場合は『まだ見ぬ世界へ飛び込む不安』を抱いたとき、投げかけて頂いた言葉で救われた言葉がある。『君がやりたいと思っているのであれば、それをやってみるのが一番いい』一見無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、すごく深い言葉だなと思う。自分以外の人や物から自分の思いとは違う事を教わって、結果失敗したときおそらく後悔する事になると思う。『自分が決めればよかった』と。もし仮に成功したとすればそうは思わないのかもしれないけど、どちらにせよ成功も失敗も結果を出すのは自分が選んだ道の方が気持ちいいんじゃないかと僕は思う。例えばAさんのメッセージの中で…『ホームページをつくって、ネット販売などから始めるのがいいかなど…』とありますが、もうAさんの中で見いだせている。ホームページをつくって、ネット販売を始めても、またそこで壁が待っていると思う。だけど今よりももっと具体的な壁だと思う。そうやって、いくつもいくつも壁を乗り越えて行けば、自ずとAさんにとっての正解が見えてくるはず。仮に僕なら、ホームページをつくって、ネット販売などから始める。しかしホームページを作った所で見てもらわないと意味はない。そのためにはまず多くの方に知ってもらう事…。そしたらまずはより多くの方に宣伝する。けれど、宣伝の仕方がわからない…。それなら、まずは知り合いや友達からでも知ってもらおう!けれど知り合いだけでは限界が来るな…。そうしたら同じような業種の方と知り合いになって宣伝の仕方を色々教えてもらおう!…というように最初に起こりうるであろう問題や解決策を想定してメモ書きして1つ1つ解決させていく。結局遅かれ早かれぶつかる問題なら想定内の問題は早めに解決してしまった方が早く進める。しかも、ここまでは特に特別な能力も大きなお金が必要なわけでもなく等身大の自分でできる範囲。まずは、等身大の自分ができる範囲で体当たりして、上手くいけばまた1つ上の悩みにぶつかっていくのだ。何事にも階段を飛び越える事はできない。1段1段着実に踏みしめた実感を持って登って行けば、気づいた時には必ず今よりも上に行けるはず。Aさんのように夢と希望を持ち、1からスタートし始めるような方々を応援していきたいと僕は思う。(岸田 健作)【書籍】昨日、ホームレスになった。著者:岸田健作価格:¥1,365 公式サイト 【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない
2012年05月10日厚生労働省はこのほど、ホームレスの人の実態に関する全国調査(生活実態調査)の結果を発表した。同調査は、5年ごとに実施しているもので、今回は2012年1月、個別面接により行われ、1,341人から回答を得た。調査対象自治体は、東京都23区・政令指定都市(仙台市を除く)、および2011年1月の調査で50人以上のホームレスの人の数の報告があった市。それによると、ホームレスの人の男女構成は男性95.5%、女性4.5%で、男性が9割以上となった。年齢階層については、最も多かったのが「60~64歳」で25.7%、次いで「55~59歳」が18.3%、「65~69歳」が16.6%、「70歳以上」が12.9%となり、これらの合計が7割以上に上った。以下、「40~49歳」が11.8%、「50~54歳」が10.9%、「39歳以下」が3.7%と続き、平均年齢は「59.3歳」だった。路上生活の形態を尋ねたところ、生活している場所が定まっている者は83.2%で、具体的な生活場所は、「河川」が29.0%、「公園」28.2%、「道路」が15.9%となった。今回の路上生活の期間については、「10年以上」が最も多く26.0%。以下、「5年以上10年未満」と「1年未満」が同ポイントの20.2%、「1年以上3年未満」が17.2%、「3年以上5年未満」が15.8%と続いた。現在の仕事と収入の状況を聞いてみると、仕事をしている人は全体の60.4%で、主な内訳は「廃品回収」が77.7%と最も高い。仕事による収入月額(ここ3カ月の平均)については、「1万円未満」が94.0%で圧倒的多数を占め、次いで「1~3万円未満」が5.9%、「3~5万円未満」が0.3%となった。平均収入は「約4,000円」で、前回(2007年)の「約4万円」と比べて10分の1に落ち込んでいることが分かった。初めて路上生活をする直前に就いていた仕事を質問すると、最も多かったのは「建設・採掘従事者」が46.2%。以下、「生産工程従事者」が14.5%、「運搬・清掃・包装等従事者」が7.9%、「サービス職業従事者」が7.8%との順となった。路上生活直前に就いていた仕事の従業上の地位については、「常勤職員・従業員(正社員)」が42.0%で4割を超えた。次いで「日雇」が25.8%、「臨時・パート・アルバイト」が24.0%と続き、「経営者・会社役員」は1.2%だった。路上生活になった理由を尋ねると、1位は「仕事が減った」で34.0%。以下、2位「倒産や失業」が27.1%、3位「病気・けがや高齢で仕事ができなくなった」が19.8%、4位「アパート等の家賃が払えなくなった」が16.9%、5位「人間関係がうまくいかなくて、仕事を辞めた」が15.4%と続いた。このほか、現在の求職活動状況を聞いたところ、「求職活動をしている」は13.7%、「今も求職活動をしていないし、今後も求職活動をする予定はない」63.9%だった。同省は、今回の調査結果を踏まえ、今秋までに分析を行っていく予定としている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月07日今回は少し見方の角度を変え『水』というタイトルで書こうと思う。ホームレス経験があった事を報道された時、一番よく聞かれるのは食事の事だ。『どうやって餓えをしのいでいたの?』と。最初のうちは、多少お金を持っていたのでおにぎりやパン買っていた。しかし、みるみるお金がなくなってしまい残り数百円になってしまったのだ。最初は一日におにぎり2つにパン1つと、贅沢していたのが、お金がなくなってしまうと共にお腹もだんだん多くを望まなくなってきたのだ。体に物を入れる回数が少なくなると同時に、当たり前だがみるみるうちに痩せていくのがわかった。一番ひどかったのは、起きたら頭がクラクラし、体はフラフラで歩けなくなってしまったこと。思考力も薄れてしまい動く事すら嫌になってしまったのだ。それでも食べないと死んでしまうので、ゴミ箱をあさったり道行く人から恵んでいただいたりと、そこにプライドなんてものはなく、何としてでも生きねばとゆう気持ち一心だった。もちろん毎回ゴミ箱をあさり、何か食べ物を見つけることや、道行く人から恵んでいただけたわけじゃない。そんな時はもう水を飲むしかなかった。お腹が満たされるわけじゃないし空腹感は止まないけれど、それでも人間の体の60~70パーセントは水分でできているというのを信じてガブガブ飲んだ。水を飲むと排尿の回数が増え体の中を浄化はしてくれるので、拾ったお弁当でお腹をくだした以外はホームレス生活中に病気になる事はなかったのが今考えれば驚くことだ。水を飲む習慣はその後、僕も身につき今でも毎日1L以上飲むことが当たり前になっている。僕も風邪をひきやすい体質だったのだが、それ以来まったくひかなくなった。勿論それで餓えはしのげない。皆さんは『水しか体に入れる物がない』なんて状況ではないと思いますし、今は割りと多くの方が生活の中で水を飲むようにしていると思うのですが、喉が渇いていなくても水を飲むようにしてみるとまた体質が変わってくると思う。究極の状態から出た結論だか、みなさんも今日からでも試してみてはいかがだろうか?
2012年04月18日皆さんには、それぞれの生活がある。仕事へ行き、ご飯を食べ、家に帰り、お風呂に入り、友達と電話やメールをして、寝る。もちろん例外の方もいると思うけれど、少なくとも、この記事を読んでいる方々は、パソコンか携帯電話で見ていると思うから、当時の僕のようにホームレス状態ではないと思う。その程を確認した上で、今回タイトルにした『物事の0 』ということについて話したいと思う。皆さん、日常会話の中で『仕事が辛いor 楽』、『家賃が高いor 安い』、『良い or 嫌な友達』と比べることがあると思う。もちろん僕だって今までいろいろと比べてきた。そんな中、ホームレスをしているあくる日、ふと考えてみた事があった。【ホームレス中の僕】『仕事が辛いor楽』…仕事がないし、アルバイト等の仕方さえわからない。『家賃が高いor安い』…家賃どころか家がない。『良いor嫌な友達』…友達がいない。そんな状態だった僕は、「一体今までなにを0(ゼロ=基準)として物事を考えていたのだろう…」と思ったのだ。『仕事が辛いor楽』という発想の前に、職につけているありがたさ、お給料をいただけるありがたさがある。『家賃が高いor安い』という発想の前に、どのような家でさえ、屋根があって壁があって生活ができる家に住めるとゆうありがたさがある。『良いor嫌な友達』という発想の前に、これだけ多くの人間がいる中で自分とゆう人間に気持ちや時間を費やしてくれる人がいることのありがたさがある。もちろん、あの時の僕に『仕事』も『家賃』も『友達』もなかったから『良い・悪い』の選択肢さえなかった。僕はこういった事を『今に甘えず、常日頃からしっかり感じていないと、すべてをなくすのだな』と、真夜中の公園で自然と思ってしまったのだった。そこで、「あれ? 今考えていることは、以前と価値観が違う」ということに気付いたのだ。『仕事』、『家賃』、『友達』についての善し悪しや大変さを感じているうちは、幸せなだったなと。それは、既に仕事があり、家を借りる事ができ、友達がいるって事からスタートできるという考え方だから。以前、とても悲しいニュースを見た。『自宅が差し押さえられてしまい生活苦からの自殺した』というニュースだった。人の事情はさまざまだけど、僕はこのニュースを見て、「なぜ、命を絶たないといけなかったのだろう」と思ってしまった。たとえば、僕には家があってさらに『5』という幸せがあるとしたら、家がなくなるというのは僕にとっては数字が0に戻るだけなのだ。また1,2…と培っていけばいいと思う。けれど、みなさんは口をそろえて言うかもしれない。「それは、ホームレス経験したからでしょ? 普通ホームレス経験なんてした事ない人ばかりだから」と。そこで疑問なのは、『普通』という言葉がなにを示すのか? 僕は幼稚園に行き、小学校を卒業し、中学入学して、高校卒業し、就職したという人生を歩んできた人間。皆さんと同じ人間。でも、ホームレスをしたから『普通』ではないのだろうか?もし、自分がホームレスの経験から、物の見方を変え、どのような状況になっても生き抜く術が身についたのだとしたら、ある日自分がまた路頭に迷ったとしても、食べ物がなくて危機的状況になっても、死ぬという選択肢を取らないと思う。『人生は何度でもやり直しができる』とは、よく言うけれど、命はやり直しができない。そう考えたら、『生きている』という事に対して、それが普通とは思わず感謝すべき事だと思うのだ。両親からいただいた唯一無二の大切な物だから。辛い事や悲しい事がたくさんあるけれど、笑えること、たまにちょっと贅沢ができること、恋愛ができること、楽しい趣味ができること、旅行へいくこと…それが『生きている』者だけが経験できることなんだなと思う。僕の「0」は、ホームレス生活によってみなさんが考える生活の根底や幸せよりも低いと思う。それは、僕がホームレスという経験をしてきたからだ。けれど、あなたにだって違う根底の時があったはず。その時に戻らないよう努力するからこそ、上を目指して、見る『景色』が変わってくるのだと思う。そう、考え方ひとつでみなさん一人一人の観たい景色は変わってくる。物事の0の置き所次第で。(岸田健作)
2012年04月06日さて、第2回目。今回からホームレス経験から得た生きる術について書いていきたいと思う。その経験は今の僕にとても影響を与えていることのひとつだ。■ホームレス経験から得た生きる術『礼儀とルールと人との交流』■ホームレス生活の中、食べ物やお金がなく通行人や他人様にすがるようにお願いした時の経験を少し話そうと思う。当時、僕はホームレス生活数日目だった。汚い格好で、お金もなく、なにより空腹だった。「死んでしまう……。」そう思った僕は、街行く人たちに話しかけ、食べ物やお金を恵んでくれるようにお願いしたのだ。一般の方からしてみたら、非常識なのはあきらかに僕。けれど常識・非常識言っていられないくらい切羽詰った状況だった。街行く人に話しかけるけれど、僕がホームレスだというだけで、話を聞いてくれない人が多かった。はじめは、「すみません、食べ物かお金を恵んでいただけないでしょうか。」と話しかけた。しかし、なかなか立ち止まってくれない。そこで僕はこうお願いした。「すみません、お財布を落としてしまったのでお金を少し頂けないでしょうか。」と。しかし、やはりそれも怪訝な顔をされる。悲壮感を漂わせて「食べ物を分けてください。」といろいろな言い方に変えてみた。勿論、中には快く恵んでくださる方もいた。しかし、殆どが無視。そんな中なかなか立ち止まってくれない人たちをみて、「あぁ…なんだか世界が変わったみたいだ」、「今まで人からこんな対応された事ないのに」と率直に思った。芸能人になる前ですらこんな経験はなかった。もちろん芸能人になってからは尚更なかった。厳しく教えてくれる両親や先生、先輩方はいても、あんなに冷たい目線を送られたり、無視をされたのは初めてだった。でも、これが今の現実の「僕」だった。それからはもう、プライドもなにも捨てて、もはや泣きつくレベルでお願いした。だけど、そうすればする程、相手にされなくなって無視を通り越し逃げられるようになった。そこである日考えてみた。「もし自分だったらどうだろう」と。もし自分が見ず知らずの汚い格好した人に道端で急に声かけられて、物を恵んでくださいと言われたら確かに「怖っ!」と思って逃げてしまうかもしれない。…無視してしまうかもしれない。そこで、ひとつひとつ相手の気持ちに立って考えてみたのだ。まず内容どうであれ、僕に対して時間を割いてくれること、話を聞いてくれることに感謝だなと思った。そこで『すみません今、少しよろしいですか?』と声をかけ、もしお話を聞いてくれそうならお礼を言い話を続けた。次は、偽らずありのまま『実は自分は今家もお金もない状態でしてここの公園に寝泊りしているホームレスなんです。』と言った。ここでビックリする方もいれば、無視して去ってしまう方もいた。僕に使ってくれる時間は1秒1秒が貴重なので、なるべく早く簡潔に話した。『お話聞いてくれてありがとうございます。大変失礼なのですが、もし宜しければ食べ物か、お金を少しだけでもわけていただけないでしょうか?』と言った。ありのまま伝えるしかなかったのだ。心の中や体の状態的にはもう泣きたい、すがりたい、土下座してでも恵んでいただきたい。けれどそこまでしてしまうと、それは自分のワガママであり相手に迷惑かけてしまうのだ。だから非常識ながらもなるべく、『相手と話せる状態の自分』でいることを心がけた。それがせめてもの相手へのマナーだと思って。もちろん…何度も言うようだが、その僕の行動事体、非常識なのは前提だが…。でもこの経験は、社会に出て一緒にお仕事をする職場の方々、仲間、友達、すべての『自分以外の人』と関わる空間で役立っている。相手の気持ちに立ってみて僕が思ったのは『相手は自分を写すの鏡』だという事。自分が機嫌悪そうな顔で接すれば、相手だって気分が悪くなる。だから、相手も同じような顔になる。例えば、お店の店員さんに対しても、なにかと悪く言うのではなく、気持ちよく接すればきっと店員さんも気持ちよくサービスしてくれると思う。だから『人の気持ちと気持ち(気持を行動で表せる)』よう心がけた。そう行動し始めてから、些細な幸せも感じる事ができる。普段から人と接するときに相手を気遣って、気持ちを行動で表すとそれが身に付いて、きっと自分の職場や取引先、仕事そのものにもいい意味で影響してくるのではないかと思う。自分がどうであれ、自分以外の誰かと何かしらの交流を持つ場合、まずは自分も相手のステージに立たないと始まらない。昔、綺麗で落ち着いたレストランに、七分丈のズボンにTシャツとカジュアルな格好で行った時に追い出された事があった。それと同じ。その場所に沿った服装があるように、相手のステージが高ければ、同じ場所に行けるよう、相手の気持ちになって考え行動しないといけない。当時、たしかに僕は非常識だった。常識をわきまえてはじめて、その空間をその人達と共有できるということを知った。自分の思いや都合を「ありのままぶつける事」と「素直」とは違う。本当の意味での『礼儀』というのをホームレスという体験ではじめて知ったのだ。みなさんも、なにかと「自分」「自分」と自分の都合だけ押しつけていないか? 相手の立場に立って考えてみるといろいろと見えてくるものも多いと思う。みなさんはどうだろうか。(岸田 健作)
2012年03月15日リチャード・ギア、ドン・チードルと共演の『クロッシング』が日本公開中のイーサン・ホークが先月28日、ニューヨークでホームレスや元受刑者の就労を支援する団体「Doe Fund」のチャリティ・ガラに出席した。「Doe Fund」はホームレスや薬物・アルコール中毒といった負の状況を克服しようとしている人々、服役して罪を償った人々の就労を支援するプログラムを実践していて、先日そのプログラムを見学したというイーサンは「彼らが逆境をくぐり抜け、戦いに勝った姿を見て、畏敬の念に打たれました。新聞やテレビは敗北の話題ばかりで占められていて、こんなにもたくさんの勝利の物語があることを私たちは忘れているようです」と感想を語った。この日はロシア出身のモデルで、サッカーのクリスティアーノ・ロナウド選手と交際中のイリーナ・シャイクもガラに出席、同プログラムに参加して社会復帰を目指す人々たちと一緒にカメラの前でポーズをとった。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:クロッシング (2008) 2010年10月30日よりTOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2008 BROOKLYN’S FINEST PRODUCTIONS, INC.デイブレイカー 2010年11月27日より新宿バルト9ほか全国にて公開© 2008 Lionsgate and Paradise Pty Limited, Film Finance Corporation Australia Limited and Pacific Film and Television Commission Pty Limited.■関連記事:人間とヴァンパイア、共存の行方は?『デイブレイカー』試写会に20組40名様ご招待ヴァンパイア役でイーサン・ホークにアラフォーの渋味『デイブレイカー』画像解禁リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードルが警官役で共演!
2010年11月01日調査は113人厚生労働省は9月17日、「ホームレスの方の年金に関するサンプル調査状況(中間報告)」の訂正版を発表した。この調査は、現在ホームレスとなっている方々の中に、かつて年金を支払っていた人もいるのではないかという指摘をふまえ、実態をサンプル調査したもの。平成22年5月24日の時点で、ホームレスの人々の自立支援センターに入所していた、113人から年金加入記録調査申出書が提出された。調査によると、本年8月末の現在で「基礎年金番号が判明したもの」が96人にのぼった。10人は調査継続中、7人は「基礎年金番号が未付番と判断されるもの」に分類された。25年以上加入していた人も!年金の加入状況では、25年以上も年金に加入していた方が13名いた。また30代のホームレスの方14人のうち、10年以上加入していた方も7名となった。厚労省が本年3月に実施した調査によれば、全国のホームレスとされる人の人数は、13,124人となっている。また平成19年の調査では、ホームレスの人で、60歳以上の方の比率は全体の42.1%とされる。そして今回の113名への調査のうち、センターから教えられるまで、年金の受給資格を有していながら請求を行っていなかった方が5人(21.7%)いることがわかった。これらの数値をもとに計算をしていくと、「60歳以上で年金の受給資格を有していながら、請求を行っていない方」の数は、約1200人にものぼる可能性があるという。数10年にもわたって年金を納めていながら受給できず、ホームレスとしての生活を余儀なくされるという事態は、決して好ましいものとは言えない。行政の速やかな対応が求められる。
2010年09月22日