下重暁子氏のベストセラーエッセイ「家族という病」(制作プロダクション:TokyomuseFilms合同会社)の映画化完成披露試写会を2023年5月11日(木)に開催いたします。また、抽選で30名様を試写会にご招待いたします。エロ小説家を演じる小出恵介日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、呪縛にとらわれている。でも、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか?ロンドン帰りのエキセントリック写真家大山千賀子が脚本・監督に挑んだ!話題作■3つの家族と世間体を放棄した二人の男と女 一家団欒という幻想■安定しているように見える家族も崖っぷちに立たされており、世間を放棄した者の方が「自由」を得ているように思える。サーカスティックなブラックコメディ。<ストーリー概要>幸生は父親の想いを背負って一流商社に就職したが、しっくり行かない毎日。退職に追い込まれ、引きこもりの生活となる。まりあは有名女子高に通っているが、母がAV女優をしているせいで友達からいじめを受けている。自分の本心を語れる相手は、パパ活デートの中年男だけである。パパ活をしているのは、自分と同じ境遇の男たちといると心が癒されるからだ。そんなおり、巨大な木を巡って幸生と知り合いになる。木に吸い込まれるエネルギーと木から与えられるエネルギーが一致し、幸生と言葉も交わさず一夜を共にする。田原純一郎(藤本隆宏)は読者と家族と出版社のためにオールドファッションの刑事モノを書いている作家だ。若葉出版という小さな出版社を一人で支えている。本来自分が挑戦したかった小説に手出しができていない。そんな折、藤田森(小出恵介)という新鋭の作家が現れ、評価されていることを知る。藤田の小説「裸体の神秘」はまりあの母玲子をモデルに人間の裸をテーマに斬新に描かれている。「こんなもの、小説か!エロ小説にすぎないじゃないか!これが天下の薮木賞をかっさらうなんて。世も末だ。」二人の対照的な小説家 田原純一郎と藤田森。母を思うあまり、定年退職後も妻に弁当を作らせ、出勤もどきを繰り返す幸生の父雄二(寺泉憲)。松原家、黒木家、田原家(友近)、ホームレスになり自由に生きる女(渡辺えり)、恥も外聞もなく赤裸々に文章を綴る藤田森。自由に生きるか、世間体を気にして生きるか?私たちが求める本当の自由とはどこにあるのだろうか?自由を謳歌するホームレス(渡辺えり)裸体を見ながら執筆する藤田(小出恵介)<制作スタッフ>■脚本・監督 :大山千賀子■撮影 :市川修(本年度日本アデミー賞受賞)■スタイリスト :前田みのる/木村けいこ■ヘアメイク :冨沢ノボル■AR :冨田和彦(坂本龍一さんの最後のARを担当)■美術 :眞壁 廉■録音 :野呂博■作曲 :篠崎正嗣(ラスト・エンペラーで二胡を演奏)■Foley :岡瀬晶彦■アシスタントプロデューサー :西野賀津夫■エグゼクティブプロデューサー:Ajay Nehra■プロデューサー :Tony Humphreys Talent FilmsTV.uk■アジア圏配給 :Tony Humphreys Talent FilmsTV.uk■制作プロダクション :Tokyomuse Films合同会社■協賛 :CANON MARKETING JAPAN・BANDAI■協力 :幻冬舎■製作 :(C)「家族という病・製作委員会」■主題歌「Psycho」作詞 :Kanata Okajima 岡嶋かな多作曲・編曲:JEFF MIYAHARA歌 :畠中祐レーベル :Lantis<監督・大山千賀子プロフィール>■Filmography1998年 Black summer/30分 ミュージックビデオ2003年 「Fever」/7分2006年 「Tragedy」/10分2007年 「The Moon and the Sun.and…」/12分2007年 「Love is dirty little word」ミュージックビデオ/3分 Natascha Soul2009年 「Last ecstasy」/16分 主演 満島ひかり2018年 「異邦人」15分 主演 古藤芳治、売野雅勇(作詞家)2020年 長編映画「僕の名前はルシアン」柳俊太郎主演109分イタリアのアジアン映画祭において観客賞受賞 予告編 朝日広告賞・NYクリオ賞、APA賞など<記>■試写会会場:ユーロライブ 東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2FTEL:03-3461-0211■日時:2023年5月11日(木)15時開場 15:30~試写スタート 96分<問い合わせ>雨宮隆tel : 080-3700-5671e-mail: tokyomuse_films@icloud.com *「家族という病」の完成披露試写会に抽選にて30名様ご招待!閉め切り:5月2日(火) 結果は5月5日(金)に添付のPDF(1)に記入後返信<返信先>●TokyomuseFilms合同会社e-mail: tokyomuse_films@icloud.com 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年04月20日この度「大腸劣化」対策委員会では、「冬便秘と自律神経」に関する小林 弘幸先生・小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。自律神経の乱れは便秘だけでなく、肌荒れや肥満、不眠、イライラといった様々な全身の不調にもつながります。今回は、冬に乱れがちな自律神経と便秘について、自律神経研究の第一人者である順天堂大学医学部 小林 弘幸教授と、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長のお二人にお話を伺いました。多くの方々に参考にしていただければ幸いです。●冬の便秘は、自律神経の乱れのサインかも。寒さが気になり始める秋から冬にかけて、便秘になる人が増える傾向にあります。特に冬は、寒さで体が“冷える”ことに加えて、外出する機会が減って“運動不足”になりがちです。また、外に出るときや屋内に入るとき、家の廊下やトイレ、洗面所などで“急激な寒暖差”を感じる場面も増えてきます。それに加え、夏に比べて水分摂取が減り、“水分不足”にもなりがちです。これらの冬特有の“冷え”、“運動不足”、“急激な寒暖差”、そして“水分不足”は、自律神経の乱れを引き起こし、便秘につながる要因となります。自律神経の乱れは、便秘だけではなく不眠やイライラ、無気力など精神的不調に加え、頭痛、肩こり、慢性疲労などの肉体的な不調といった全身の不調にもつながります。冬の便秘は自律神経の乱れをあらわすサインの一つだと考えてください。そのため、寒さが厳しくなる前から早めの対策を行うことをおすすめします。また、現代社会は、不規則な生活、睡眠不足、複雑な人間関係など精神的ストレスに満ちており、そこに「コロナ疲れ」も相まって、私たちの自律神経は乱れがちです。普段から自律神経を意識することは心と身体の健康を保つ上で大切な要素です。冬の便秘は、自律神経の乱れのサイン●自律神経の乱れが全身の不調につながるわけ自律神経とは、血管や呼吸、体温調整、内臓の働きなどを司る末梢神経の一つです。自律神経には交感神経と副交感神経の2つがあり、交感神経は車でいうアクセルにあたり、体の働きを活動的な状態にします。一方の副交感神経は車でいうブレーキにあたり、体をリラックスした状態にします。通常はこの交感神経と副交感神経が交互に高まることでバランスを保っていますが、そのバランスが崩れてどちらか一方が過剰になると「自律神経が乱れた」状態になります。この状態は、血流の悪化や心拍数の上昇、老廃物の蓄積、細胞への栄養や酸素の不足を引き起こし、ひいては不眠やイライラ、便秘、頭痛、慢性疲労などの様々な全身の精神的・肉体的不調にもつながります。自律神経の乱れが全身の不調につながるわけ●自律神経と腸は相互に影響。自律神経の乱れには腸からのアプローチが有効。自律神経と腸は互いに影響しあう、切っても切れない関係にあります。自律神経が腸の働きをコントロールしている一方で、腸も自律神経のバランスをコントロールしています。たとえば、緊張やプレッシャーでお腹が痛くなるのは、ストレスによって自律神経のバランスが崩れた結果、腸に悪い影響が現れる典型的な例です。また、自律神経と腸は、血管・血液にも影響を与えます。自律神経は、血管の拡張・収縮を行い、血流や血圧をコントロールします。腸は食事から取り入れた栄養成分を吸収し、「血液の質」をコントロールしています。実は、血液の質は自律神経の安定にまで影響を与えています。腸内環境の悪化によって、栄養の吸収率が低下したり、腸内に溜まった毒素が血液中に取り込まれたりすると、血液の質は下がります。その血液が全身を巡ることで、倦怠感や肌荒れなどの全身の不調につながります。さらに、その不調によってイライラしたり、神経質になることで自律神経の乱れにつながっていきます。ぜひ覚えておいていただきたいのは、自律神経を整える方法はさまざまありますが、腸内環境を整えることは自律神経を整えるための土台づくりだということです。自律神経に直接かつ間接的に影響する腸内環境が整っていてこそ、自律神経のバランスを整えることができるのです。自律神経と腸は相互に影響 自律神経の乱れには腸からのアプローチが有効●冬の自律神経の乱れには、ビフィズス菌による腸内環境改善がお得。腸内環境の改善においては、特に「大腸」を意識しましょう。大腸の腸内環境を整えるとぜん動運動が促進され、ぜん動運動が副交感神経を刺激することで、交感神経優位になっていた自律神経の乱れが整い始めます。また大腸内の毒素が減少することで、血液の質も高めることができます。腸内環境の改善には、発酵食品や食物繊維を摂取して腸内の善玉菌を活発にすることが有効です。特に善玉菌の代表格であるビフィズス菌は、大腸の中で短鎖脂肪酸である酢酸をつくりだします。酢酸は、悪玉菌の働きと増殖を抑え、腸内環境を改善する効果があります。また、冬は、風邪・インフルエンザから体を守るためにも、免疫力を高めることが大切です。ヒトの免疫細胞の7割は腸管内に存在していることから、腸内環境を整えることで免疫力を高めることが期待できます。腸内環境の改善という一つの対策によって、自律神経を整えること・免疫力を向上すること、の二つの効果が期待できるのはお得ですね。●ビフィズス菌を手軽に摂取できるのはヨーグルト。「ビフィズス菌が入っていないヨーグルト」もあるので要注意!ビフィズス菌を手軽に摂取する方法は「ビフィズス菌が入ったヨーグルト」を選ぶことです。注意点としては、市販されているヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものが意外と多いことです。ヨーグルトをスーパーなどで買われる際には「ビフィズス菌が入っているかどうか」をパッケージをみて、確認することをお勧めします。また、ヨーグルトをとる際はビフィズス菌のエサとなる水溶性食物繊維(キウイなどのフルーツ)を一緒にとると、より高い効果を期待できます。ビフィズス菌を手軽に摂取できるのはヨーグルト●小林 弘幸先生|順天堂大学医学部教授1960年埼玉県生まれ。92年、順天堂大学大学院医学研究科(小児外科)博士課程を修了。ロンドン大学付属英国王立小児病院外科、トリニティ大学付属医学研究センター、アイルランド国立病院外科勤務を経て順天堂大学医学部小児外科講師・准教授を歴任、現在に至る。各種研究の中で自律神経バランスの重要性に着目し、日本初の便秘外来を開設した腸のスペシャリスト。多くのトップアスリートのコンディショニング、パフォーマンス向上指導にも研究成果が活用されている。自律神経研究の第一人者として著書多数。そのほとんどがベストセラーを記録し、著書累計出版部数1,200万部を超える。小林 弘幸先生●小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスに負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。小林 暁子先生 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月16日今年4月末に5年間勤めたフジテレビを退社し、芸能事務所インセントに所属した久慈暁子。退社から約1カ月後の5月26日にはプロバスケットボールの渡邊雄太選手(NBA・ブルックリン・ネッツ)と結婚し、大きな話題となった。現在、久慈は米国と日本を行き来する“二拠点生活”を送っており、慌ただしくも充実した日々を過ごしている。そんな久慈に現在の心境や生活の変化などインタビューした。○■夫婦ゲンカはほぼしたことがない退社後まもなくの入籍だったため、局アナを辞めてからの変化はおのずと結婚してからの変化となる久慈。「お仕事の内容はそこまで変わっていないですが、プライベートで海外に住んでいるのでそれがかなり変わったことになります。アメリカと日本を行ったり来たりしている状態なので、どちらを拠点にということではないのですが」と語った。行き来する頻度は「1カ月半に1回くらい」で、「結構時差ボケがあります」と苦労も。それでも「夏はロサンゼルスにいて、いまはニューヨークに住んでいます。全部が新しい生活で、刺激的なことが多いです。フジテレビ時代はコロナ禍もあって海外ロケに行く機会がなくずっと日本にいたので、いまの生活がとっても楽しいです」と充実の新婚生活を過ごしている様子。結婚後、コロナ禍の海外往来規制緩和もあり「一緒にいられる時間は長くなりました」。それでも会えない時間が多いことには変わりなく、コミュニケーションは密にとることを心がけている。「LINEしたり電話したり。コミュニケーションのとり方は基本的に遠距離恋愛をしていたときと変わりません。思っていても伝わらないこともあるので、どう思っているのか言葉にして伝えるようにしています」。夫の渡邊選手について聞くと「すごく穏やかな性格をしている方なので、一緒にいると私も穏やかになります。ケンカはほぼしたことがないです(笑)。あまり怒らないし、私も相手に対して怒るネタもなくて」とほほ笑んだ。○■アナウンサー業に加えモデル業にも意欲10月8日に千葉・幕張メッセで開催された日本最大級のファッション&音楽イベント「Rakuten GirlsAward 2022 AUTUMN/WINTER」ではMCを担当。フジテレビ入社2年目のとき、また退社後初となった前回開催に続いて3度目となる。「たくさんのお客さんが盛り上がっている様子を見て、やっぱり楽しいなって。今回も(南海キャンディーズの)山里(亮太)さんと一緒に司会ができるので、安心して今日を迎えられました。ご一緒させて頂いた那須川天心さんもとても気さくな方でしたし」。仕事をする上で、フジテレビ時代から大事にしていることは「きちんとあいさつをすること。お仕事いただけることに感謝すること」。今後アナウンサー業はもちろん、『non-no』(集英社)の専属モデルだった経験を生かした活動にも挑戦したいという。11月からは「@BAILA」(集英社)での連載も決まっており「海外の生活のことを連載にする予定です」と文筆業もスタートする。二拠点生活を送る彼女は、多忙ながらも着々と仕事の幅を広げている。さらに、大型ファッションイベント「ガルアワ」にちなみ、最近のファッションついて質問すると「日本にいるときはワンピースを着ることが多いですが、海外にいるときはほとんどパンツスタイルです。日本は可愛らしい服装をしやすい環境があって、帰国したら思う存分自分のしたいおしゃれをする。ファッションの切り替えを楽しんでいます」と笑顔で話した。■久慈暁子1994年7月13日生まれ、岩手県出身。青山学院大学在学時に「旭化成グループキャンペーンモデル」に選ばれたほか、ファッション誌『non-no』(集英社)の専属モデルを務める。卒業後の2017年4月にフジテレビに入社し、『めざましテレビ』『めざまし土曜日』他を担当。2022年4月いっぱいで退社し、芸能事務所インセントに所属。同年5月にバスケットボールの渡邊雄太選手と結婚した。
2022年10月12日株式会社 ワン・パブリッシング(東京都台東区/代表取締役社長:廣瀬有二)は、2022年9月29日(木)に下重暁子 選・著「愛蔵版くちずさみたくなる名詩」(定価:1650円〔税込〕)を発売いたしました。詩は人生のよき伴侶。繰り返し読みたい美しい日本語の名詩、必読45選「愛蔵版くちずさみたくなる名詩」は、詩を愛してやまないベストセラー作家・下重暁子が、繰り返し読みたい美しい日本語の名詩を自らセレクトして紹介した書籍。選び抜かれた詩45篇を掲載するほか、それぞれの詩に「ひとことエッセイ」が添えられており、抒情的な言葉の世界をより深く、より親しみやすく鑑賞することができます。心を潤す、いつかどこかで読んだ懐かしい詩の数々島崎藤村「初恋」、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」、中原中也「汚れつちまつた悲しみに……」など、学校の教科書で習った詩や、読めばあの日あの時に戻ることができる懐かしい詩を多数収録。心を潤してくれる大人の教養書として読むことができるのと同時に、詩の再入門書としても最適です。また、それぞれの詩の後には、詩歌を愛する著者ならではの視点で思い入れたっぷりに語られる「ひとことエッセイ」を掲載。人生の折り折りで生きる支えとなってきた詩への敬意が込められた、ノスタルジックな共感を呼ぶ味わい深い内容となっています。印象的なフレーズで詩を探すことができる「くちずさみ索引」付き詩の題名がうろ覚えでも、詩中の印象的な一文やフレーズで詩を探すことができる「くちずさみ索引」を巻末に付しています。たとえば「ふるさとは遠きにありて思うもの」で始まる詩の題名が思い出せなかった場合に、くちずさみ索引「ふ」を引けば、本書内の詩(「小景異情〈その二〉」室生犀星)にたどりつくことができる便利な索引です。とくに音読したい時などに有効に活用できます。※本書は、海竜社から刊行された『くちずさみたくなる名詩』(2004年)、『愛蔵版 くちずさみたくなる名詩』(2020年)を一部改稿し、再刊行したものです。商品概要愛蔵版くちずさみたくなる名詩著者:下重暁子定価:1,650円 (税込)発売日:2022年9月29日(木)判型:四六判ISBN:9784651202136電子版:有ワン・パブリッシングWebサイト: 【本書のご購入はコチラ】・Amazon ・楽天 ・セブンネット 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月29日今年4月にフジテレビを退社したタレントの久慈暁子が、ファッション誌『BAILA』(集英社)公式WEBサイトのインタビューで、結婚秘話やこれからの働き方について語った。今年3月、プロバスケットボール選手の渡邊雄太との結婚を発表した久慈。「2019年に取材で出会った当初はただただ、“こんなに背が高い人っているんだ!”と驚いていたのですが、彼と話すたびに、彼の真面目さや、与えてくれる安心感に信頼を抱くように」と夫との出会いを振り返り、「私は大学時代にモデルをやっていたからか、華やかなタイプと思われる方も多くて。でも実際は、時間さえあれば家でずっと映画やドラマを見ているような性格。要はすごく地味なんです(笑)。朝の番組を担当していたので、遅刻したくない、仕事で失敗したくない、という意識が強く、遊びに行く時間なんて作っちゃいけないと思っていました。彼は、そういう仕事モードの私、“アナウンサーの久慈暁子”としてでなく、本当の私を見つめようとしてくれました。そうしてオリンピック後に、お付き合いすることになりました」と交際に至った経緯にも触れた。また、「彼には、“女性は家庭を守るもの”といった考えがないんです」と明かし、「シーズン中、基本的に彼の食事は専属のシェフが作るのですが、シェフがいないシーズンオフでも、食事を作らなくていい、なんていうんです。“今までひとりで生きてきたから、それくらい自分でできるよ”って。でも私にも何かできればと、LAでも3食作ってました。彼ひとりで4人分準備するのですが(笑)、レシピを研究したりして楽しんで料理しています」と食生活にまつわるエピソードも。「体も大きいので見知らぬ土地を一緒に歩いていても安心ですし、語学の面でも頼りにしています」と異国の地でも夫の魅力を再認識しているようだ。久慈は2014年から『non-no』専属モデルを務めた後、2017年4月にフジテレビ入社。アナウンサーとして数々の番組を担当し、2022年4月に退社した。この日は、『non-no』モデル時代に親交のあったスタッフにも囲まれてリラックスムード。「フジテレビのアナウンサーってすごく仲良しなんです」と同局時代を懐かしみ、「プライベートでみんなでドライブしに行ったり、先輩のご自宅にお邪魔したり、一生お付き合いできる仲間に出会えたことが宝です。会社員としての意識や振る舞いも学ばせていただき、大人として成長できたのもフジテレビ時代があったから。こんな私を番組に起用していただけて、うれしかったです」と感謝の言葉を伝えた。そんな久慈にとって、「仕事とプライベート、どちらも大事に」が理想の働き方。そこには「2本の柱があれば、もしどちらかが崩れそうになっても、もう一方が支えになってくれるはず」という思いがある。「未来はわからないけど、私も働けるうちは一生懸命働きたいです」と希望を抱き、「そのほうが毎日にハリが出るし、自分の生きている意味や生きがいになる気がするんです」と輝かしい未来に思いを馳せている。
2022年07月14日人気ファッション誌「non‐no」で専属モデルを務めたあと、2017年にアナウンサーとしてフジテレビに入社した久慈暁子さん。『めざましテレビ』などに出演し、今年の4月に退社してフリーになりました。そんな久慈さんがインスタで公開した写真が爽やかで美しくて、注目を集めています!アメリカらしい写真 この投稿をInstagramで見る 久慈暁子(@kuji_akiko)がシェアした投稿 久慈さんはフジテレビを退社した直後に、NBAトロント・ラプターズ所属の渡邊雄太選手との結婚を発表。バスケットコートで肩を寄せ合うツーショットを公開しました。現在は、アメリカ・ロサンゼルスに滞在。「見えるもの全部鮮やか」というコメントとともにインスタを更新しました。1枚目は青空をバックに気持ちよさそうに微笑んでいるところ、2枚目はカラフルな商品が並ぶスーパーマーケット、3枚目は街中での後ろ姿の写真。どれもアメリカらしさを感じます。また、スタイルがとても美しく、白のTシャツにデニムというシンプルなファッションがとてもよく似合っています。ファンの反応は?「#時差ぼけ」と戦いつつもアメリカを満喫している投稿に、フォロワーから「可愛い過ぎる〜」「久慈ちゃん幸せそうですね!」「のびのびしてるの画像で伝わりますよ」「スタイルよくて美尻」「暁子さんの美しさも鮮やかです」「めっっっちゃ美人すぎる!」などの声が届いています。これからのSNSには、手作りご飯や渡邊選手とのツーショットなども投稿されるのでしょうか!?久慈さんのいろんな一面、楽しみですね!あわせて読みたい🌈篠崎愛さんのスカートひらり!「令和のモンロー」「女神」「天使」ファン悶絶
2022年06月24日この度「大腸劣化」対策委員会では、「予防と対策」に関する小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。6月となり、夏に向けてダイエットを意識する方が増えてくる時期になりました。ダイエットには、食事制限や運動が一般的ですが、近年は大腸の中の腸内細菌がダイエットに影響していることが明らかになってきています。今回は、腸内環境の改善によるダイエットやその鍵となる「ヤセ菌」について、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し、20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長にお話を伺いました。●食事制限、運動の前に、腸内環境改善でヤセ体質をつくる我慢して食事の量を減らしているのに、なかなか痩せない。体重が減ってもすぐに戻ってしまう。そんな悩みをもたれている方は、まずは腸内環境を整えてみてください。脂肪を燃焼させるためには、実はビタミンやミネラルなどの基本的な栄養が欠かせません。ところが、お腹に便を溜めていると、小腸の機能が低下し、食べ物からきちんと栄養が吸収できなくなります。腸が栄養を適切に吸収できてはじめて、体内できちんとエネルギー代謝が行われるためのスイッチが入るのです。また、腸内の老廃物が排泄されることでも、体重は減っていきます。ダイエットをはじめる時に大切なのは、やみくもに食事の量を減らすことではなく、まず腸内細菌のバランスを整える善玉菌や食物繊維など、腸内環境によいものをしっかり食べることです。適度な運動や適切なカロリーコントロールで効率的にヤセ体質をつくるには、腸内環境を整えることを第一に目指しましょう。食事制限、運動の前に、腸内環境改善でヤセ体質●よく知られている「ビフィズス菌」は“ヤセ菌”だった!その理由とは。私たちの大腸には1,000種類以上の腸内細菌が存在するといわれており、腸内細菌のバランスが太りやすさや痩せやすさにも影響していることがわかってきました。特に注目されているのが、脂肪の吸収を抑えたり、脂肪を燃やしたりする働きを持つ「短鎖脂肪酸」をつくる腸内細菌。いわゆる“ヤセ菌”です。ヤセ菌の1つにあげられるのが善玉菌の代表格であるビフィズス菌。ビフィズス菌は短鎖脂肪酸の1つである酢酸をつくります。酢酸は強い殺菌作用を持ち、腸内環境を整えるのに有効です。また、短鎖脂肪酸の1つである酪酸を産生する日和見菌がいます。これらの腸内細菌がつくる短鎖脂肪酸は、直接脂肪細胞に働きかけて余分な脂肪の蓄積を抑える作用や、腸のバリア機能を高めたり、全身に運ばれて臓器のエネルギー源になったりして、太りにくい体質づくりにつながり、肥満を防ぎます。このように、ビフィズス菌や一部の日和見菌が短鎖脂肪酸を産生するヤセ菌ですが、日和見菌は、善玉菌が優勢であれば善玉菌の味方をし、悪玉菌の優勢であれば悪玉菌の味方をします。そのため、まず善玉菌であるビフィズス菌を増やし、日和見菌を味方につけてあげましょう。善玉菌優勢の腸内環境バランスを維持することが、“ヤセ菌”を増やして働かせる近道というわけです。その一方で「デブ菌」といわれる腸内細菌がいます。デブ菌は、食事から取り込むエネルギーの量が多く、肥満に結びつきやすいといわれています。肥満体質になるか、ヤセ体質になるかは腸内細菌次第。どんな腸内細菌を増やすかは、あなたの心がけ次第です。短鎖脂肪酸の働き●腸内環境の改善による2つのダイエット効果腸内環境の改善によるダイエット効果には、「むくみの改善」と「脂肪の燃焼」の2つがあります。2つの側面からヤセ体質を目指せるのがうれしいですね。<1> むくみの改善腸の重要な働きの一つに体に必要不可欠な水分の維持、調節があります。水分の調節が上手くいかないと便の不調(下痢、便秘)に直結しますが、腸内環境が悪化し腸の働きが低下すると、過剰な水分を細胞と細胞の間に蓄積して、むくみにつながります。ひどい方は、朝と晩で3~4kgの体重が増えるほどの水分が溜まります。腸内環境が整って老廃物が排出され、むくみが改善すると、短期間で体重を大幅に減らすことができます。腸内環境を整えはじめてすぐに痩せる方がいますが、そういう方は水分によるむくみが影響しています。<2> 脂肪の燃焼ビフィズス菌と食物繊維を一緒に摂ると短鎖脂肪酸が作られます。この短鎖脂肪酸により交感神経が刺激されると、基礎代謝が高くなり、基礎代謝が高くなることによって太りにくい体になり、こうしたサイクルが回ることによって次第に余計な体脂肪が燃焼していきます。そのため、腸内環境が改善した後、効果が出るまでは少し時間がかかります。すぐに体重が減らない場合はこちらのパターンなので、継続することでヤセ体質を手に入れましょう。●ヤセ菌を増やす3つのメソッド【ヤセ菌を入れる】ヤセ菌を入れるヤセ菌を増やすために手っ取り早いのが、善玉菌の代表格でありヤセ菌であるビフィズス菌を腸内に「入れる」こと。ビフィズス菌で腸内環境が改善すれば他の腸内細菌も短鎖脂肪酸を産生しやすくなります。40代以降になると基礎代謝が低下します。特に女性の場合、50歳前後の更年期になるとさらに代謝が下がります。特に食べていなくても太ってしまう方が増えるのはこのためです。40~50代になってから急激に太らないためには、若いうちから腸内環境に気をつけた食事をして、体重の変化の少ない生活を送りましょう。そのためにも手軽に続けやすいビフィズス菌入りヨーグルトはおすすめです。ヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものも多いため、ビフィズス菌入りのヨーグルトを選んで摂るのがよいでしょう。【ヤセ菌を育てる】ヤセ菌を育てる腸内にビフィズス菌を入れてヤセ菌をふやしたら、その菌を「育てる」ことが大切です。ヤセ菌を育ててくれるのが、ヤセ菌が大好きなオリゴ糖や水溶性食物繊維。これらは、胃や小腸で消化・吸収されずに大腸まで届いてヤセ菌のエサになります。そして、ヤセ菌がこれらを分解、発酵してできるのが、ヤセ菌のポイントである短鎖脂肪酸です。オリゴ糖や食物繊維は、積極的にとることで、善玉菌が増え、日和見菌が味方して腸内環境はさらに改善します。毎日の食事に、オリゴ糖や食物繊維を意識的にとり入れるようにしましょう。【ヤセ菌をキープする】ヤセ菌をキープする腸を内側からケアしたら、今度は腸のまわりの筋肉を動かし、良い状態を「キープする」ことも大切です。腸は体の中でほぼ固定されず浮いているような臓器で、加齢や筋力の低下、出産などで下がりやすくなります。また、便が溜まることでも、下がったり、むくんだりして腸の位置が偏ります。腸の位置を戻すために、ウォーキングやストレッチなどで腸を支える腸腰筋や腸を保護する骨盤まわりの筋肉を動かしましょう。本来あるべき場所に腸を戻せば、ぜん動運動が正しく起こり、便秘も解消します。座りっぱなしは特に腸腰筋がゆるみ、腸の動きが鈍くなるので注意が必要です。小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスや菌に負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月16日この度「大腸劣化」対策委員会では、「大腸劣化」の悪影響に関する小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。今回は、大腸のトラブルの中でも多くの方にとって身近な「便秘」について、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し、20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長にお話を伺いました。「便秘」は、近年様々な研究が進み、肌や肥満といった見た目の問題に限らず、糖尿病や脂質異常症、免疫、認知機能といった全身の健康に影響を与えることが指摘されはじめています。春先から梅雨にかけては、自律神経の乱れからくる便秘が起きやすい季節です。便秘に悩まれる方々の参考にしていただければ幸いです。●季節の変わり目は、自律神経の乱れからくる便秘に要注意。便の排出を担う大腸は自律神経の影響を受けやすい器官です。緊張やストレスなどで自律神経のバランスが乱れて交感神経が活発になると、腸の働きが低下して便秘になりやすくなります。自律神経は、気候や気温の変化にも敏感であり、季節の変わり目は特に気を付ける必要があります。四季の中でも特に春は便秘に注意が必要です。日本では4月から学校も会社も新しい年度がはじまることが多く、新しい環境でストレスを感じる方が増えます。その結果、いわゆる5月病になってしまう方もいます。また、本人に自覚がなくとも、社会的な雰囲気や強い緊張を感じている人が周りに増えても交感神経は影響を受けるので、便秘になる方がでてきます。便秘は天気や気温の影響も受けやすいです。春先は気温の寒暖差が激しいですが、特に暖かかった日から急激に寒くなる日は「お腹が張る」、「急にお腹の調子が悪くなった」という患者さんが顕著に増えます。また、春は花粉症やアレルギーがストレスになり、梅雨は雨がストレスになって便秘になる方もいます。このように4~6月は、日本の習慣的にも気候的にも自律神経が乱れやすい時期であり、便秘にとっては要注意の時期です。自律神経の働き●便秘はお腹にゴミが溜まった状態。腸内細菌たちに綺麗なオフィスを。便秘の身体への影響を考える上では、便とは何かを考えてみましょう。便は、すぐに想像できるように体に吸収されなかった老廃物です。体にとって不要となった老廃物は、尿や汗などを通じて体外に排出されますが、多くは大腸を通じて便として排出されます。この老廃物である便=ゴミが処理されずに体内に溜まり、腐っていってしまう状態が便秘です。例えば、あなたが働くオフィスに、ゴミが捨てられずに溜まって腐ってしまい、悪臭を発する様子を想像してみてください。腸内細菌たちも、綺麗な環境で働きたいと思っているはずです。悪臭の立ち込めるゴミだらけのオフィスで、頑張って働けというのは腸内細菌たちに可哀想です。腸内細菌に、綺麗な職場を提供してあげて、栄養のあるご飯をあげて、いい仲間を増やしてあげるのが、社長であるあなたの役目です。自分が「大腸の社長」だという意識を持ってもらうように便秘外来では指導しています。便秘の状態イメージ●見た目だけじゃない。いいことだらけの便秘改善。便秘外来に来る患者さんは、お腹が張る、体がむくむ、体重が増えるといった見た目についての悩みが多く、特に若い女性にはその傾向が強いです。しかし、便秘は見た目だけの問題ではなく、全身の健康に悪影響を及ぼします。近年、腸内細菌を遺伝子レベルで研究できるようになった結果、便秘などによる腸内環境の乱れは、免疫力やアレルギーといった腸の機能に直結する領域に限らず、糖尿病や脂質異常症、さらには眼や脳機能に対する影響も指摘されています。実際に腸内環境が改善することで、血液の質が改善することや腸内細菌の代謝産物である短鎖脂肪酸の抗炎症作用などによって、様々な疾患が改善することが明らかにされてきています。実際に患者さんの便秘の改善に取り組んだ結果、糖尿病や脂質異常症の数値が改善した、認知機能が高まった、肥満が良くなったといった例は数多く経験しています。患者さんの中には、糖尿病の主治医から「こんなに数値が改善していますが、何をやったのですか」と聞かれるといったことは20年前から数多くありました。腸内細菌の働きについては、まだ全貌がつかめていませんが、健康にとって非常に重要なものだということで、様々な疾患の専門医が関心を向けはじめています。大腸劣化によるトラブルイメージ図●まずは2週間、ビフィズス菌で腸内環境を整えてみる。便秘を改善するためにも、便秘にならないようにするためにも、お腹の中で毎日一生懸命働いてくれている腸内細菌を意識することが大切です。腸内細菌には、善玉菌と日和見菌、悪玉菌の3つがあり、それぞれがバランスを保ってすんでいますが、便秘の方の腸内細菌は、悪玉菌の比率が高まっています。悪玉菌が増えて腸内環境が悪化すると、腸の中で有害物質が発生し、それが腸壁から血液に取り込まれます。すると、血液はドロドロと汚れた状態になり、それが全身に運ばれることになってしまいます。便秘になると肌が荒れたりするのも、このことが原因です。便秘を改善するためにも、日頃から善玉菌の代表であるビフィズス菌が入ったヨーグルトを積極的に取り入れてみてください(ヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものも意外と多いです)。実際に便秘気味の女性にビフィズス菌入りヨーグルトを食べてもらった結果、排便回数が大きく上昇しました。これは2週間続けて食べた結果ですので、まずは2週間チャレンジしてみて、自分のお腹に合うか確認してみるのがよいと思います。乳酸菌のみヨーグルトとビフィズス菌入りヨーグルトの整腸作用の違いちなみにビフィズス菌は、乳児の頃は腸内細菌の大半を占めていますが、大人と同じ食事を摂るようになると全体の1~2割程度に落ち着いていきます。その後、成年期を過ぎ老年期になるとビフィズス菌は一層少なくなります。老年期の方の10人中3人はビフィズス菌がまったくいない状態といわれています。クリニックに来る若い方でも、極端なダイエットによって痩せている女性は、ビフィズス菌がかなり減少している方がいます。女性は、女性ホルモンが減ることに対しては敏感ですが、ビフィズス菌が減っていくことに対しても、そこに若さと健康の秘訣があるのではないかと関心を持ってもらえると良いと思います。年齢による腸内細菌叢の変化(概念図)小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスや菌に負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月31日元フジテレビアナウンサーでタレントの久慈暁子(27)とバスケットボール日本代表でNBAラプターズのの渡邊雄太(27)が27日、インスタグラムや所属事務所を通じて、26日に結婚したことを発表した。久慈と渡邊は連名で「私たち、渡邊雄太と久慈暁子は、このたび入籍したことをご報告させていただきます」と発表。「これからもお互いに支え合い、楽しい時間を積み重ねていけたらと思っております。まだまだ未熟な二人ですが、温かく見守っていただけますと幸いです」と伝えた。また「この場をお借りして、日頃より温かいご支援をいただいております関係者の皆様、そして応援してくださる皆様に感謝を申し上げます」と謝意。そして「これからも応援していただけるよう、より一層邁進してまいりますので、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます」と続け、最後は「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」と結んだ。久慈は26日、フジテレビ系情報番組『ポップUP!』(毎週月~金曜11:45~)に生出演し、渡邊との婚約を発表していた。
2022年05月27日フリーアナウンサーの久慈暁子が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」でMCを担当。モデルとしてランウェイも歩いた。今年4月末にフジテレビを退社して以来、初の公の場となった久慈は、ガルアワMC10回目のベテラン“Mr.GirlsAward”南海キャンディーズの山里亮太、ガルア初登場のチョコレートプラネット、“人生初司会”となる人気クリエイターの中町綾とともにMCを担当した。また、「DRESSTERIOR」のステージにモデルとして出演。黄色のスカートに白のトップスをあわせた華やかなコーディネートで堂々とランウェイを歩き、先端で優しくほほ笑んだ。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日元フジテレビでフリーアナウンサーの久慈暁子が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」でMCを担当。フジテレビ退社後初の公の場に姿を見せた。今年4月末にフリーになったばかりの久慈は、ガルアワMC10回目のベテラン“Mr.GirlsAward”南海キャンディーズの山里亮太、ガルア初登場のチョコレートプラネット、“人生初司会”となる人気クリエイターの中町綾とともに、MCを担当。久慈はノースリーブのワンピースに足元は黒色のヒールサンダルで女性らしいコーデで魅了。コンビ揃ってタキシードを着用したチョコプラは自身の名前が書かれた“うちわ”を発見し、松尾駿は「こんなの初めて!」と大興奮だった。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日死ぬときに後悔はないほうがいい……というのが通説だが、下重さんは「後悔が残る生き方もいい」と語る。一体なぜ?その思いと、悔いを残して死ぬコツを聞いたーー。「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」このように、本業でオファーが舞い込む傍らで、趣味にも「真剣に」打ち込んできた下重さん。しかしながら、これは多芸多才な彼女だからこそ、できたことなのでは?と誰もが思うのではないだろうか?「いえ、本当に好きで、やってみたいことだったら、誰にでもできるはず。好きなことなのに、トライもしないで『明日死んでもいい』とは思えないはずですから」確かに、そう言われればそんな気がするけれど、私たちにとってなかなかつかめそうもないのは、その“やってみたいことは何か”を見つけることなのである……。そこへ下重さんが、とっておきの“発想のヒント”をくれた。「中学、高校生のころに戻ってみることですよ。あのとき何に感動し、何が大好きだったのか。特に、好きだったのに大人に反対され、あきらめてしまった淡い夢ーーそれが『後悔の原体験』のはずです。私の場合はオペラ。じつは若いころは音大に進んでオペラ歌手になりたかったんです。けれど、習っていた声楽の先生に『あなたの小柄な体では、オペラ歌手は無理』と言われ、諦めた。みんな忘れているだけで、そういう体験が『ない人はいない』はず」下重さんにとってバレエであり、オペラであったように、ある人には、それが料理や絵画、ファッションであってもいいのだ。その際に心がけたいのは「トライすること」と同時に「考えていたことをアウトプット(=表現)すること」だという。「中高生のころの気持ちを忘れてしまっていたように、いまやりたいことを『思っている』だけでは、必ずいつか忘れてしまいます。私だって忘れる。けれど、文章を書くというアウトプットがあるから、やりたいことを思い出すことができるんです」何かに挑戦するための大きな示唆をくれる下重さんだが、前述のように、「明日死んだら後悔は残るだろう」とも話している。「これまで100冊以上の本を書いてきましたが、私自身が『自由になれた』と思えるようになったのは最近のことです。80代になってやっと『本当に書きたいことを書ける』と思えるし、依然『書きたいことが書けていない』とも思う。ある種後悔とともに生きているし、それでいいんだと思います」死に方を考える、というのは日々の生き方を考えるということ。コロナ禍は“自分と向き合い、やりたいことを見つける”いい機会になるかもしれない。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」下重さんに半生を振り返ってもらうと、現在の境地に至ったゆえんが見えてきた。「私は小学校2年生と3年生の2年間で、たった1日しか登校できませんでした。結核で隔離療養を強いられたんです」“感染症による闘病”を丸2年、少女期に経験していた下重さん。「1日4度検温し記録をつけて、寝ているだけの生活。何もすることがないものだから、父の本棚から抜き出した本をながめては、想像を膨らませるのが日課でした。そこで『自分と向き合う』習慣が身についたんだと思います」当時は致死率が高く“死の病い”とされていた結核。部屋で一人思いを巡らせるなか、否が応でも「死」を意識することになった。’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」さらにこの時期から、少女時代に習っていた歌唱を、再び専門家について指導を受けるようになったという。60歳のときにはフランス料理店を自腹で借り切ってリサイタルを敢行した。「フルコースをご馳走して、その後で私が歌う。食べた後では逃げられないだろうと思って(笑)。アナウンサー時代から、どんな大舞台でも、しゃべりでは緊張しなかったのに、歌ではアガりましたね」下重さんが伝えたいのは「やらないで後悔して死ぬ」より「やって道半ばで後悔して死ぬ」のを選ぶべきだということ。「過ぎ去った時間は取り戻せないけど、前にある時間は、手に入れられる。後半生が残り少ないと思うなら、前を見つめて生きる!そうすればきっと『後悔を残して死ぬ日を迎えられる』はずです」「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日「これまでに100冊くらい本を書いてきた私は、80代に入ってようやく、『本当に書きたいこと』を書くためのスタートラインに立つことができたと思っています。『女性の人生100年』といわれる時代ですが、『前半50年』は、その意味でいうと、本番に向けての『準備期間』でいいんです」こう話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(83)。最新刊『天邪鬼のすすめ』(文春新書)でその半生をつづっている下重さんだが、著書のタイトルに込めた意味を、こう明かす。「天邪鬼とは民話に出てくる妖怪で、寺の入口などで仁王様に踏まれている小鬼。私は大好きなんです。反骨精神を忘れず、あえて人と逆のことをしてみる。その前提条件は、『自分で考え、自分で決める』。つまり、精神的に自立していることです。それができれば、50代以降の『後半50年』を人に頼らず自分の本当にやりたいことができる。それまで家族のために尽くしてきた人も、自分が主役で生きていくことができると思うんです」若々しく目を輝かせて語る下重さんに、“天邪鬼で生きる”ための知恵を教えてもらった。■家族に縛られない「夫や子どもに期待されすぎるのが苦しいように、逆に相手に期待しすぎてもいけません。私の母は、私が社会人になってからもずっと『暁子命』のように振る舞っていましたから、それはとても苦しく感じられたものでした」下重さんは、家族といえども、「個々がすきなことを好きなように生きたほうが、お互い健全でいられる」のだと続ける。「結婚しても子どもが生まれても『個』というものがあります。妻として母としての役割で生きてきて、必要以上に家族というものに縛られるのは、誰のためにもならないんです」■夫をうまく使うテレビ局の報道マンと結婚した下重さんは、夫のことを「つれあい」と呼ぶ。一人暮らしのころから、彼は買い物にも行き、料理をつくって酒を楽しむマイペースな生き方をしていた。その後に就いた大学教授を辞めた後は、時間のある限り毎食、料理を作るという。「つれあいは、地に足のつかない私に生活の大切さを感じさせてくれました。好きなこと、向いていることを、それぞれがしているというのが、私たち。使えるところを使いあって、暮らせばいいんです。今日も、帰れば晩ご飯ができているはずですよ(笑)」■夫に趣味を極めてもらう下重さんの夫は、10年ほど前から鎌倉でお茶を習っている。家で花も生けはじめた。「花は誰かに習うのではなく、創作で。器はあらゆるものを活用し、つれあいにこんなに美的センスがあると、最近になって気付きました。特に男性は、凝り始めると極めようとするので勉強熱心ですし、夢中になる姿は、なかなかいい。お茶もおいしく飲めるし、花があれば家中が華やぎます。つれあいが語るうんちくは、私も勉強になりますから、もっといろいろと楽しんでほしいですね」
2019年06月20日50歳までは準備期間。まだ自分のために生き直すことはできる。人生100年時代の折り返し点からどう生きればいいかを、ベストセラー作家が指南。「これまでに100冊くらい本を書いてきた私は、80代に入ってようやく、『本当に書きたいこと』を書くためのスタートラインに立つことができたと思っています。『女性の人生100年』といわれる時代ですが、『前半50年』は、その意味でいうと、本番に向けての『準備期間』でいいんです」こう話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(83)。最新刊『天邪鬼のすすめ』(文春新書)でその半生をつづっている下重さんだが、著書のタイトルに込めた意味を、こう明かす。「天邪鬼とは民話に出てくる妖怪で、寺の入口などで仁王様に踏まれている小鬼。私は大好きなんです。反骨精神を忘れず、あえて人と逆のことをしてみる。その前提条件は、『自分で考え、自分で決める』。つまり、精神的に自立していることです。それができれば、50代以降の『後半50年』を人に頼らず自分の本当にやりたいことができる。それまで家族のために尽くしてきた人も、自分が主役で生きていくことができると思うんです」若々しく目を輝かせて語る下重さんに、“天邪鬼で生きる”ための知恵を教えてもらった。■一人遊びを楽しむ「小学2~3年生の2年間を結核で療養していた私は、一人の時間の過ごし方に苦労しません。家では読書や音楽を楽しみ、外出すればオペラや歌舞伎の鑑賞などもします。一人遊びが上手であれば、誰に気兼ねする面倒もなく、日々のストレスも軽減できるんです」■主婦業を生かす「主婦というのは、立派な職業だと私は思っています。だって、衣・食・住に教育や経済と、あらゆる方面にオールマイティでなければ務まらないからです」こう力説する下重さんは、主婦をしているあいだに「主婦業を極めてほしい」と話す。「どの方向に自分が長けているのか、やりたいことは何なのか、わかってくるはずなので、それを伸ばしてほしいんです。料理研究家の栗原はるみさんのように経験とアイデアを生かして、専門知識を増やしていくことはできます。私なら、好きなインテリアデザインを極めます」■まわり道をする31歳でNHKを退職し、民放のキャスターとなった下重さんは、各社の仕事を中心に、オファーが絶えない人気アナウンサーだったが「本当にやりたい仕事」はほかにあったのだと振り返る。「そのつどしゃべる仕事はあり、アナウンサーとしては、チヤホヤされてきたと思います。しかし、自己表現にいちばん向いていると思える『ものを書く仕事』は地味でした。でも、チャンスがあればなんでも、エッチな新聞や雑誌でも勉強のために書いた。その経験があったからこそいまがあるし、これから本当に書きたいことを書けると思うんです」50代から新しいチャレンジをする女性には、こんなメッセージを送る。「いますぐやりたいことの結果がでなくてもいいんです。待つことを学び、10年後を見据えてチャンスをうかがいながら、いろんなことを吸収しましょう」■かなわない友人を持つ下重さんがいま、80代で好きなことができるのは、大学時代からの友人の存在なくしては語れないという。「最高齢で芥川賞作家となった黒田夏子さんは4歳で小説家になろうと決めて、ずっと書いてきた。最低限の生活費を稼ぐために仕事は抑えて、残りの時間を執筆に割いてきたんです。私はというと変に器用で、さまざまな回り道をしてやっと目的地にたどりついたところ。黒田さんのひた向きさにはとてもかないませんが、彼女の存在が刺激になっています」■よく寝る50代から新しいチャレンジをするといっても、何より大事なのは、心身の健康だろう。「私が心掛けているのは、8時間以上の睡眠です。『寝ないのが美徳』だなんて迷信です。やっぱり寝なきゃ、長持ちしませんよ」下重さんが説く知恵は、人生後半の50年を自由に生きるヒントになるだろう。
2019年06月20日4年目を迎えたLITALICO発達ナビ新編集長就任みんなでつくる発達障害ポータルサイトとして2016年1月26日にスタートしたLITALICO発達ナビ。会員さん同士が相談・交流できるQ&Aやコミュニティサービス、児童発達支援・放課後等デイサービスを中心に全国の社会資源とつながる「施設情報」、子どもの発達をサポートする企業さんとのタイアップ企画、編集部による子どもの発達やその支援に関するコラム発信など、さまざまなサービスをお届けしてきました。いつ、どこにいても自分に合った支援につながるように。地域・社会に働きかけた3年目のLITALICO発達ナビ本記事の書き手である私、鈴木悠平は創刊時から発達ナビ編集長として、会員のみなさんの声をお聞きしながら情報をお届けしてきましたが、この4月1日から、編集部デスクとしてともに働いてきた牟田暁子さんに編集長を引き継ぎます。自身も母親として発達ナビのサービスを積極的に利用していたユーザーだったという牟田さんに、これまでの仕事や子育てでの経験、これからの発達ナビの展望を語ってもらいました。Upload By 鈴木悠平「読者にいかに届けるか」出版社での編集者時代に学んだこと鈴木: 今日はですね、これから牟田さんが編集長ですということを、発達ナビ会員さんにもお知らせしたいなと思って企画しました。牟田さんっていう人がどんな思いで今までやってきて、これから発達ナビ会員のみなさんと一緒にどんな場をつくっていきたいか、みたいなことを、よもやま語る会です。牟田: よろしくお願いします。なんだか緊張しますね(笑)鈴木: まぁ好きにしゃべってください(笑)Upload By 鈴木悠平鈴木: 「私も発達ナビ使ってます!発達ナビで働きたくて、編集者を募集していないかな?と求人情報が出ないかずっと見ていました」と、2年ほど前に面接に来て入社してくれた牟田さん。「あぁ、もう絶対この人!」と思って採用しました。僕と違って出版社での雑誌・書籍の編集経験も長く、頼もしいなぁ、編集部をよりパワーアップさせてくれるだろうなぁと。これまでのお仕事の話も今日はお聞きできればと思います。牟田: 新卒の1社目は宝島社でした。隔週刊のファッション誌を担当していたんですけど、当時は今のようにネットも発展していなかったから、「雑誌」が最先端の一番新しい情報を集めて届けている、という自負や存在感がありました。ファッション誌で隔週刊っていうのは、当時でもほとんどなかったと思います。編集者7人で隔週刊の雑誌をつくるという体制でした。鈴木: なかなかハードだったでしょう。牟田: ハードでしたが、すごく楽しかったですね。自分がファッションとかカルチャーに関して一番新しいものを知っていたいっていう気持ちで、昼も夜も打ち合わせや執筆なんかでいつも忙しいかったんですけど、それでも時間をつくって業界の人と飲み歩いたりして。編集者としていろんな情報をキャッチするための、人とのつながりの大切さとか、その良い情報をどれだけ早く読者に届けるかということをすごく意識していました。2社目の主婦の友社では、女性向けファッション誌の創刊メンバーとして入社しました。この雑誌も、当時は隔週刊で。ファッション特集の担当者として、育休を挟みながら10年くらい携りました。ネットでインタビューなんてできない時代だったので、読者の方に会社に来てもらって100人インタビューをしたり、「47都市スナップ」という看板企画では、編集部員総出で47都道府県に取材に行って、その街のおしゃれな女の子を撮影したり、魅力的なお店やスポットについて聞いて回って紹介したり…とにかく「読者の立場に立つ」ということを徹底して行っていましたね。Upload By 鈴木悠平牟田: 2人目の育休あけに配属された書籍編集部では、書籍のほか、季刊のライフスタイルムックを出すタイミングだったので、それをメインで担当しました。社名が示すとおり、「主婦の友」として、生活の役に立つ情報を、「どれだけ噛み砕いてわかりやすく丁寧に細やかに伝えられるか」というところにすごくこだわっている会社でしたね。最新の情報をキャッチして、読者が夢や希望を持てるような情報発信をすることと、それを実際の生活に役立てられるように落とし込んでいくこと。2社それぞれで学んだことは、今でも発達ナビの編集をする上で意識していますね。希少疾患のある娘と歩んだ10年間。その子をその子として見つめてくれるセラピストと出会って鈴木: 牟田さんには二人のお子さんがおられて、僕も下の娘さんには何度か会わせてもらったのですが、牟田さんがこうした子どもの発達支援の仕事に関わるようになったのは、娘さんの存在も大きいのではないでしょうか。牟田: そうですね。娘はいま10歳。約2万人に1人の確率で生まれる希少疾患があります。発達障害のある子どもたちと特性や症状が重なる部分もかなりあります。Upload By 鈴木悠平鈴木: 発達障害に関しては、この10年で情報も支援環境もだいぶ変化してきたと思いますが、それでも発達ナビには日々たくさんのお悩みやご相談が寄せられていますね。10年前で、なおかつ希少疾患となると、より一層情報収集は難しかったでしょう。牟田: とにかく情報がなくて「この子に何をしてあげたらいいのか」がわからなくて…情報を探すところでものすごく労力を使っていたというのが大きいですね。今でこそ、発達障害の認知も上がってきましたし、発達ナビのようなサイトが月間100万人以上の方に使っていただけるような状況ですが、自分が出版社にいたときには、発達障害や障害のある子というテーマだけで成り立つような雑誌をつくるなんてことはちょっと考えられなかったですね。娘が産まれたころは、ネットを見てもブログを書いてる人はまだ多くなくて、自閉症やダウン症に関するブログが多少見つかった程度でした。でも、娘のような希少疾患のブログを書いている人は全然いなくて、そういう情報を知ろうと思ったらすごく難しい学術論文みたいなものを読むしかなかったんです。アメリカの文献を英語が出来る人に訳してもらったり、動画共有サイトに上がっている海外の動画を見て、一生懸命リスニングしながら「この子がやっている療育はなんだろう」と想像して、そこで拾ったキーワードをネットに入れてみて、そこで英語で引っかかってきたセラピーを調べたり…今みたいに翻訳ソフトの精度も高くなかったので、大変でしたよ(苦笑)比較的情報があった自閉症関連とダウン症関連の本、それから娘には身体障害もあるので脳性まひの本も読みながら、3つをミックスして「うちの子に一番合いそうな療育は何なのか」っていろんな情報にあたっていました。Upload By 鈴木悠平鈴木: それぐらい、海外情報も含めて、自分から「取りに行く」っていうのを頑張らないと、情報が見つからない時代だったんですね。牟田: ええ。でも、海外の動画を見てみると、アメリカの同じ疾患の子は私が思っていた以上にいろんなスキルを獲得できていたんですね。「この子、文字読んでるし、自分の思いを絵カードやサインで伝えてるじゃん!」って。だから、「できない」って最初から決めつけて何も教えないことは娘にとって失礼なんじゃないかと思って、とにかく日本で私にできることをやってあげたいなと思って駆け回っていました。私にとって大きかったのが、”りさせんせい”っていう、すごく力のあるアメリカ帰りのセラピストの先生との出会いでした。その先生は、娘のことを疾患名で見なかったんですね。娘を娘として見てくれて。それまで、どこかの先生のセラピーを受けに行くと、まず娘の疾患の説明をするだけで1時間ぐらいかかる、ということがほとんどだったんですね。全然知られていなかったので。りさせんせいと会う前も、私はそういう心づもりでいったんですけど、彼女は全然違ったんですよ。まずドアを開けた瞬間(※)に、「メリークリスマス!」ってパペットとともに入ってきて、もう娘は一瞬で心を鷲掴みにされてましたね(笑)※当時のセラピーは通所型ではなく訪問型が主流でしたUpload By 鈴木悠平鈴木: へええ、素敵。牟田: 私がいつものように娘の疾患や症状の説明をしようとしても、「お母さんそれは話さなくていいから!もう先に、お母さんのブログも見つけて全部読んできたの。私今日この子のセラピーしに来たんだから!」って言うんです。で、初回2時間のセラピーで、無発語だった娘から要求語の「あ!」を引き出して帰っていったんですよ。私が「この子喋れませんから」とか言っても「喋れないかどうか、まだわからないじゃない」って。これが私にとってすごい衝撃で。この先生はちゃんと娘を娘として見て、娘の中にある思いも全部汲んでくれてるんだなと思って、そこから娘との本格的な療育を始めんたです。鈴木: 疾患・障害の診断名ではなく、その子をその子として見る。発達ナビで一緒に記事をつくるなかでも、いつも大切にしていることですね。素敵な先生と出会いましたね。牟田: こういう自分の経験を、仕事や地域の活動にいかせないかという気持ちが、今の発達ナビの仕事にもつながっている気がします。出版社時代にも、障害のある子ときょうだい児のお話を描いた『イルカの子ーA Little Dolphin』という、当時絶版になっていた絵本を版元さんに提案して復刊させてもらったことがあるんです。無発語の重度の自閉症がある女の子とお兄ちゃんのお話で、うちの2人の子とも重ねてその本にすごく自分が救われたので、他にも悩んでいる保護者がいれば届けたいなと思って企画しました。Upload By 鈴木悠平他にも、地域の仲間と一緒に「プレーパーク」という活動も始めました。娘が成長したときにどこで暮らすんだろうということを想像したとき、どこか遠くの隔絶された場所じゃなく、地域の中で暮らせたらいいなと思って。それで、娘のように障害がある子もない子も、年齢も学校の垣根も越えて、たくさんの人とかかわれる場所、誰もが孤立せずにつながれる居場所をつくりたいなって思ったんです。一緒に活動している仲間たちとのつながりもまた、私たち家族を支えてくれています。和田堀プレーパーク鈴木: 発達ナビも、発達が気になる子どもの保護者さん同士が安心してつながれる居場所をインターネット上につくりたいと思ってはじめた経緯がありますね。牟田: 私もプレーパークを開いたり、他にも親の会に参加したりしてきましたが、そうしたオフラインの「地域」のつながりだからこそできることと、場所を問わずに、同じような特性がある子どものいる保護者同士がつながれるインターネットだからこそできること、両方が必要なんだなと感じています。思い描いていたものと違っても、この子にとって一番良い未来を鈴木: 年度末の1月〜3月には、発達ナビ会員さんにユーザーアンケートやインタビューをさせていただいて、改めてたくさんの会員さんのお話をお聞きしましたね。牟田: 本当に、いろんな地域、いろんな境遇の方に使っていただいて…日々忙しいなか、もっと使い易く、もっと一人ひとりに合った情報をお届けできるサイトにしていかないとなと感じました。Upload By 鈴木悠平鈴木: 3月にはチーム合宿もして、会員さんの気持ちや、日々の暮らしが発達ナビを通してどんな風に変わっていくといいんだろうって、みんなで話し合いましたね。牟田さんご自身も、娘さんが診断を受けてから今に至るまで、自分の気持ちや行動にはいろいろと変化があったと思うのですが、振り返ってみてどうですか。牟田: やっぱり一番最初に診断された直後は「何でこんなにかわいいわが子が、将来言葉も話せないの」っていうショックはありましたね、正直。今まで自分が思い描いていた「こうなるだろう」とか「こうなりたいな」という未来と、全然違う未来を急に突きつけられたような感覚で、どうしたらいいかわからない不安がありました。でも、たとえ思い描いていたものと違う未来であっても、その未来の中で一番良い未来…この娘にとって幸せな道を一緒に歩んでいってあげたいなって、家族で話すなかで思うようになったんですね。それで、先ほど話したようないろんな療育情報を探すようになりました。鈴木: 娘さんにとって、一番良い未来を。牟田: 将来が見えなくて不安でいっぱいだったときに、一番嬉しかったのは、通っていた保育園の園長先生のことばでした。あまりに重度の障害なので、診断を受けたあと、娘はもう保育園に通えなくなるのかなって思って、園長先生に相談に行ったんですよ。そしたら先生が、「自分は療育や医療の専門家でもないけれど、お母さんがいいって言ってくれるんだったら一緒に育てたい」って言ってくれて。先生、本気なんですよね。本気で寄り添ってくれるのがわかる言葉で。「やめないでいてほしいし、お母さんがいいって言ってくれるなら私達も精一杯勉強したいし、教えて」って。「とにかく一緒に、娘さんを真ん中に育てていこう」って、そうやって言ってくれたんです。Upload By 鈴木悠平牟田: やっぱり、一番最初に味方になってくれる人がいるっていうのは、障害のある子の親にとって、そこから元気になってまた歩いていく上での、大きなきっかけになると思うんです。鈴木: そうですね、本当に…牟田: 娘も他の子どもも一緒に過ごせるように、言葉だけでなく実際にものすごくいろんな工夫をしてくださったんですよ。たとえば、「山登り」の行事ひとつとっても、娘が車椅子でも参加できるケーブルカーのある登山先を探してくれて。みんなで「山に登る」っていう、ほかの子たちのやりたいことも達成しながら、うちの子も一緒に登れるっていう経験をすごく大事に考えてくれて、場所も選定してくれたんです。娘には睡眠障害もあるんですが、そういったいろんな先生方の工夫のおかげで、2泊3日の合宿行事にも参加できたんですよ!鈴木: 障害の有無にかかわらず、必要な支援をしながらみんなで同じ場で過ごせるようにする。まさに「インクルージョン」ですね。牟田: とにかく寄り添って、「子どもを真ん中に」というふうにかかわってくれた園だったので、私の気持ちが前向きになったきっかけは、この園の存在が大きいですね。園長先生は、向き合うというより、隣にいてくれて伴走してくれるような方だったんです。それから私の両親も夫の両親も、娘の診断のことを話しても「全然大丈夫よ」って、障害の詳しい知識や理解とかは難しくても、ただ孫のことを100%受け入れてくれて、救われました。一番身近な人たちに否定されなくて、みんなが本気で伴走してくれたから自分自身も歩いてこれたっていう経験を、どんな人にもしてもらえたら…発達ナビを、自分のことを肯定してくれる仲間と出会える場所にできたら…そんな思いでいまここにいます。10年前と比べて世の中も変化してきましたが、まだまだ周囲の理解を得られなかったり、身近な生活圏で仲間と出会いにくかったりして、孤独な思いをされている保護者さんも少なくないと思います。私が保育園で経験したように、ちょっとの工夫で多様な子どもたちがみんなで過ごせるようになる。そんな場所を社会の中にもっと広げていきたいですね。Upload By 鈴木悠平どんな状況の人にとっても「安心基地」となれるサイトに。会員さんと一緒につくっていきたい鈴木: これまで編集部のメンバーとして働いたりユーザーとして発達ナビを使ったりした上で、これから編集長を担っていくわけですけど、これからどんなことをやっていきたいですか。牟田: 最初にユーザーとして発達ナビを知ったとき、開かれた感じのメディア、媒体だなと思っていたんですね。子どもに障害や疾患があっても、悲観しなくてもいいと思えるような、いろんな情報や体験談があって。ユーザーさん同士のQ&Aコーナーなどでのやり取りも、本気で相手のことや状況を慮って考えられているな、本気で相手の困りごとに寄り添おうとされているんだなというのが伝わってくる投稿にたくさん出会いました。そういうサイトのあたたかさ、ここにくると安心と思える、包み込んでもらえる…そういう体験を一番大事にしたいなと思っています。紙媒体と違って反応がすぐ返ってくるのも、編集者としてこの仕事をはじめて新鮮だったところです。それぞれの会員さんの熱量だったり、心のひだみたいなところが伝わってくるのがすごくありがたいですね。鈴木: 先日実施したユーザーアンケート・インタビューも、改めて学びと発見、そして反省・改善点に気づかせてもらえる機会でしたね。たとえば、コラムの内容の詳しさやテーマの幅についてはご好評いただいているけれど、より「自分の境遇」に合わせて情報を探したり受け取ったりするには、まだまだ足りない部分がありますね。自分の住む地域ごとに情報を探しにくかったり、特性や悩みごとのキーワード検索のコツがわかりにくかったりという声がありました。より「個別最適」なサイトに向けて進化していきたいですね。Upload By 鈴木悠平牟田: はい。今年度は記事をこちらから一方的に出すだけじゃなくて、もっと会員さん同士の交流や発信を豊かにできるような機能を作りたいなと思っています。いまのQ&Aやコミュニティでも積極的に使ってくださっている人もいますが、一人ひとりの生活状況も気力・体力の状態もさまざまだと思うんです。「もう毎日暮らすだけで大変なの」という人でも、そんなに大変じゃなく情報を得られるしつながれる、もっともっと使いやすいサイトにしていきたいなと思います。鈴木: すでに開発チームのエンジニアとも、具体的な改善点や、新しいサービスについて議論が進んでいますよね。今後はそういったサイトの改善プロセスも、会員さんにより詳しくお伝えしたり、意見をいただけるような流れを作れると良いかもしれないですね。牟田: とにかく発達ナビが、ユーザーのみなさんにとって、ひとつの「安心基地」になってくれるといいなと思っています。便利であり心の支えであり、現実面でも精神面でも、いろんな面で安全で必要な場所にもっとなっていきたいなと思っていますね。そのためには何が必要なのかなって、常々考えています。情報発信についても、コンテンツの幅をもっと広げていきたいし、今までつくってきたコラムをもっと活用できるような仕組みも必要かもしれない。また、つながって交流するっていうだけでなく、誰かに聞かなくても自分でひっそりと思いを綴っているところに誰かがそっと寄り添ってくれるような、そういう仕組みが必要なのかもしれないし。あとは、発達ナビには全国の支援施設の情報も掲載しているのですが、施設の支援者の人たちともつながりやすくなるような仕組みとか…。例えば、発達ナビのマイページにお子さんの「サポートブック」を置いておいて随時更新しておける。それを支援者の人が見に来てくれると「今好きなこと」「学校で取り組んでいること」などを、都度連絡帳や面談などで伝えなくても、いっぺんに伝えられて、日々の支援につなげられるようなことができたらいいな、と。とにかくいろんな面で安心できる場所にしていきたいなと思っています。Upload By 鈴木悠平鈴木: いいですね。そのままの牟田さんで牟田さんらしく、4年目の発達ナビを作っていってほしいなと思います。やっぱり発達ナビは、会員さんと一緒に作っていく場所だと思うので、会員さんと対話しながら一緒につくっていく、そのプロセス自体を楽しんでもらえると嬉しいです。牟田: 新卒で宝島社に入ったとき、最初「週刊宝島」で研修していたんです。そのときの編集長が今でも大好きで。会議室に呼ばれて「君たちは編集者になれて自分は偉いと思っているかもしれないけど、編集者なんて自分一人じゃ何も作ることができないんだ。すごい力を持ったいろんなスタッフの人がいてこそ誌面を作ることができるんだから、いつも感謝や尊敬の念を忘れるな」って言われたのがすごく響いて。それがいつも心の中にあります。鈴木: まさにそのとおりですね。会員さんや、発達ナビの他のチーム、施設や企業の方々、みなさんの力を借りてこそ、サービスをつくっていくことができますからね。牟田: 悠平さんも、異動してからも助けてくださいね(笑)鈴木: わかりました、牟田さんの頼みなら(笑)Upload By 鈴木悠平
2019年04月01日母性などない。あるのは欲望だけー ©Lucía Films S. de R.L de C.V. 2017メキシコのリゾートエリア、バジャルタの海辺に立つ一軒家に、2人の姉妹が住んでいました。17歳の妹・バレリアは、定職に就いていない同じ年の頼りない恋人との子供を身籠っており、初めての妊娠と出産で不安がいっぱい。そこに長い間疎遠になっていた美しい母が戻ってきました。突然舞い戻った母親・アブリルは、17歳で娘を産んでいる経験から、初めこそは救いの手を差し伸べ、献身的に娘の面倒をみるのですが、娘の出産をキッカケとして、深い欲望が芽生えていきます。赤ん坊の夜泣きに苦しむ娘から育児の主導権を奪ったアブリルは、さらなる信じがたい“強奪”を重ねていき、様々な物理的かつ法的な段取りをこなしていく手際の良さは、まるで冷徹なる完全犯罪の遂行者のよう。おまけにこの美しき母親は熟した女の匂いを濃厚にまき散らし、ふたりの娘のみならず若い男をも手玉にとっていくのですがー。 母にいったい何が起きたのか、彼女はいったい何者なのかー? ©Lucía Films S. de R.L de C.V. 2017日本においても「毒親」という表現が市民権を得て、多くの著名人が自分と親との関係をカミングアウトしています。また、近年では「家族という病」(新潮社刊・下重暁子著)が50万部を超えるベストセラーになるなど、家族や親という者への受け止め方の変化も顕著です。本作においては、娘の出産と元夫からの拒絶をきっかけに、自我を欲望の世界に放り込み、思いのままに人を操っていく「母」という存在の危うさと怖さを見せつけています。それはかつて世間が欲する「母親像」からは離れて、むしろ人間の持つ性を辛辣に描いています。そもそも「母」とはなんであったのか、社会が押し付けたモデルでしかなかったのか、一人の女性として、そのモンスターのような存在に翻弄され、苦しむ人々を通して、その存在を明らかにしています。 ミシェル・フランコ監督の意想外な視点 ©Lucía Films S. de R.L de C.V. 2017ミシェル・フランコ監督は、これまでにもモラルの重圧に苦しみ、その結果としてモラルを逸脱してしまう、普通の人々を定点観察するように、冷徹な眼差しで描いていきました。そして本作『母という名の女』では、母性という神話を粉々に打ち砕き、崩壊した家族の無慈悲なまでのありようを剥き出しにさせています。しかし彼は、人間の不可解さそのものを、あからさまに否定も肯定もせずに、辛辣なアイロニーを込めて描き出しています。人間こそが最も恐ろしく、さらには人に姿を変えた怪物は、私たちの日常に潜んでいます。「母」という不条理な存在に楔を打ち込み、衝撃のミステリーを劇場でお楽しみください。 【情報】 『母という名の女』 6月16日(土)ユーロスペース他にて全国順次公開監督・脚本・製作・編集:ミシェル・フランコ出演:エマ・スアレス、アナ・バレリア、エンリケ・アリソン、ホアナ・ラレキ、配給:彩プロ
2018年06月15日5月29日、オードリーの若林正恭(39)が「第3 回 斎藤茂太賞」を受賞したとわかった。 同賞は旅に関する優れた紀行文、エッセイ、ノンフィクションを表彰するもの。受賞作は17年7月に刊行された「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」であり、審査員の下重暁子(82)は同作について「一人キューバに旅立った3泊5日の弾丸旅行をつづる本書はそのピュアな視点、ものの考え方も高評価の対象となった」と受賞の理由を語った。さらに他の審査員から「『純文学』という言葉が飛び出した」とも明かしている。 ネットでは祝福の声とともに、同作について「泣ける」といった声が上がっている。 《おー若林さんのエッセイが賞を受賞!すごい 若林さんの書く文章すごく好きなのでうれしい》《この作品読んでる時、旅を通して最後に語られる親父さんとの関係に泣かされた》《終盤は比喩じゃなく泣いた》 「泣ける」理由のひとつは、上記の声にもあるように若林が父親への思いを綴っているためだ。若林の父親は16年4月、闘病の末に他界。生前はサボリ癖があり、会社を8回もクビになったという経歴を持つ。家計を圧迫していた上に、「親父がいつも家にいるな」と若林は違和感があったようだ。 それでも父親を慕っており、昨年10月に放送された「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)では“死の衝撃”についてこう明かしている。 「どんな偉い人の聞こえのいい言葉も、全然響かなくなるな、親父が死んだら。『生きてる人の言葉だな』って思うもん。『死んでねぇもんな、この人』って思うもん、どんないいこと言ってても」 昨年9月のインタビューで若林は同作の執筆中、父親について触れるか否か「葛藤した」と発言。しかし「(旅行先として)キューバを選んだ理由の一つに、亡くなった親父の存在がありました」とし、こう語った。 「旅行中もずっと親父が話しかけてくるような不思議な感覚の中にいて。その部分を書くか悩んだのですが、親父との対話をスルーしてしまうと、この旅行記は着地できないだろうなって」 葛藤を乗り越えた若林は「一人で海外に出かけるということは、とても有意義で価値のある経験だと分かりました」と結んでいる。 今月19日放送の同ラジオでは相方の春日俊彰(39)ばかりが評価されているとし、「本当にイヤになってきたよ」と拗ねていたが――。今回の受賞で持ち直すか?
2018年05月29日最近、“現役バリバリ”で活躍している80歳以上の女性が目立ちます。「人生100年時代」ともいわれる今、年を重ねるほどに輝く秘訣は何なのか。そこで、世の女性たちに「生きる指針」を示し続けてきた作家・下重暁子さん(81)に、50代のうちにすべきことについて聞きました。 【“生涯現役”は50代の生き方で決まります】 私は子どものころ、体も弱く、母親から過保護に育てられました。「暁子命」の母が何事につけて世話をしようとするのが嫌で、中学生のときには、 「あなたの生き方は間違ってる!」 そう言って、母を糾弾したこともありました。その母が81歳で亡くなったのが私が51歳のとき。振り返ると、私の50代は、母の手のひらからようやく逃れられたのと同時に、自立して生きる覚悟ができた時期でもありました。 いまや、人生100年の時代。そう考えると、50歳というのは、やっと半分。前の半生が土台作りの時代としたら、あとの半生は、思い描いていた自分の人生を花開かせるとき、といえます。 私自身は50歳を前に、仕事でもプライベートでも、あえて「しんどいことを始めよう」と決めました。それまでの経験や技能をもとに、新たな挑戦を試みたのです。 仕事では、ノンフィクションの取材を始めました。自分の足で現場を歩き、けっして嘘は書けない世界に挑みたかった。実際、3年をかけて書いたのが、最後の瞽女といわれた小林ハルさんの生涯を追った『鋼の女』(講談社)です。 プライベートでは、幼いころから憧れていたクラシックバレエとオペラを習い始めました。 50代になると、みなさん、自分のこと以外でも、大きな変化が生じます。子どもに頼らない生き方については、拙著『家族という病』(幻冬舎)にも書きました。期待とは、夫や子どもにではなく、自分にするもの。 夫との関係も、男性は定年などを意識し始める時期。私の連れ合いも、まさに50歳でテレビ局を辞めて独立しましたが、まもなく大病して、お互いをいかに知らなかったかに気付きました。以来、タイミングが合えば、映画や音楽会などに誘っています。 ただし、夫婦でも一人の生活を大切にするのも、この時期からは必要なこと。私もこのころに連れ合いとは寝室も別にして、夜は自分の時間を楽しんでいます。 人との付き合いも、さまざまな違いが生じているもの。特に同性の友人との間では比較は禁物。違うからこそ個性があり、あなたが生きている意味があるのです。 そして、親の介護。私のまわりでも、本当に苦労されている方が多いです。 しかし、自分自身を振り返ってもわかるのですが、私たちは、夫や子ども同様、父母のことを、どれだけ知っていたでしょうか。そう考えると、介護も、知らない相手を知る時間と捉えれば、少しは苦労も受け入れやすくなるはず。 家族はもちろん、それ以上に知るのが難しいのが自分自身。そこで大切なのが、自分との対話。つまり、孤独とは一人の時間ではなく、自分と対面する時間。その準備は50代とはいわず、もう子どものころからするべきと思います。 私自身、『家族という病』が世間に広く受け入れていただき、もともとの希望だった書くことの楽しさにやっとたどり着いたのが79歳でした。 そう思うと、50代で気付けた人は、本当にラッキーなんです。あきらめず、自分の意志をしっかり持ち続けて、残りの半生を存分にチャレンジしながら生きてください。
2018年05月21日野際陽子さん(享年81)の逝去に、芸能界では悲しみが広がっている。新人アナウンサー時代、共に研修の日々を送った押坂忍(82)は、野際さんの在りし日のたくましい姿を覚えている。 「私はテレビ朝日、野際さんはNHKでしたが、当時は民放のアナウンサーもNHKで一緒に研修を受けました。野際さんとは同じ立教大学出身で、彼女はとてもクールでクレバーな女性。彼女が名古屋支局でアナウンサーをしていたときは、その美貌でディレクターやプロデューサーにモテモテでしたね」 NHKで女子アナの先輩後輩として野際さんと仲良く寮生活を過ごしたのは、作家の下重暁子さん(しもじゅうあきこ・81)だ。 「入社してすぐ、私は名古屋に配属。そこに1年先輩の野際さんがいました。名古屋の荒田という場所にNHKの独身寮があり、女性は私と野際さんだけ。木造3階建てで、3階の隅の4畳半が野際さんで、その手前が私。野際さんの部屋には、大学の演劇サークルのときの彼氏という恋人の写真が飾ってありました」 「ノンちゃん」「アッコ」と呼び合う仲になり、一緒に飲み歩いたという。 「よく2人でいろんなお店に行きました。私も野際さんもお酒が強かったんです。神話の大酒飲みの怪物ヤマタノオロチになぞらえて、私たちは“荒田の大蛇(おろち)”と寮のみんなに呼ばれていました(笑)。でも、どんなに深夜まで飲んでも、翌日はきちんと仕事していました。当時はセクハラや女性差別は当たり前ですから、いくら飲んでも仕事は絶対ミスしない。そんな“女の意地”を野際さんから学びました」 芸能レポーター・東海林のり子さん(しょうじのりこ・83)は大学の英語会ESSの先輩だった。 「私が1年先輩で、2人で英語劇やったり、合宿をしたり。学生時代は地味で、すっぴんで白いブラウスに紺のスカートだったノギが、ミニスカートを履くようになったのは、びっくりでしたね(笑)。彼女からグチを聞いたことは一度もないです。病気のことも言わなかった。本当に、強い人でした…」 野際さんは都内にも自宅があるが、仕事が休みに日は、神奈川県逗子市の豪邸で過ごすことが多かった。地元の人も、報道で野際さんの逝去を知った。 「ご病状が悪いなんてまったく知らなかったので、びっくりしました。野際さんはご両親が健在の頃から、こちらに住んでいました。独り身になられてからは、野際さんが海沿いを1人で散歩する姿をよく見かけました。気さくで、地元の私たちとも親しく会話してくださる方でした」(地元の商店主) 逗子の家には弔問客と花が絶えない。その中には、TBSの貴島誠一郎プロデューサー(59)の姿があった。『ずっとあなたが好きだった』で野際さんを起用し、同ドラマは大ヒットした。 「僕を一人前にしてくれた芸能界の母です。去年の夏、野際さんと食事をした際、『悪いんですか?』と聞いても『全然。治っちゃったから大丈夫よ』と。心配させたくないという気配りだったのでしょう」 そう貴島さんは偲ぶ。野際さんの遺族と対面したが、娘の真瀬樹里(まなせじゅり・42)をはじめみんなつとめて気丈に振る舞っていたという。
2017年06月23日トーハンは12月1日、「2015年 年間ベストセラー」(集計期間=2014年11月27日~2015年11月26日)を発表した。それによると、総合では芥川賞作品の「火花」(又吉直樹)が1位。以下、2位は「フランス人は10着しか服を持たない パリで学んだ“暮らしの質”を高める秘訣」(ジェニファー・L・スコット/神崎朗子 訳)、3位は「家族という病」(下重暁子)となっている(著者敬称略)。
2015年12月01日東京都・浅草のGallery HATCHは、陶芸家・小山暁子氏の個展「小山暁子展-pollen-」を開催する。会期は11月3日~11月8日。開場時間は16:00~20:00(土・日・祝日は14:00~)。入場無料。同展は、身近な題材からストーリーを紡ぎだし、抽象化した陶立体作品やポエティックな陶器のテーブルウェアを制作する陶芸家・小山暁子氏の個展。「pollen(花粉)」をテーマとしたアート作品がを2階ギャラリーに、テーブルウェアの新作が1階バースペースに展示・販売されるということだ。また、開催初日の11月3日 16:00からは、同ギャラリーにおいて誰でも入場可能なレセプションの開催が予定されている。なお、小山暁子氏は1980年東京生まれ。2006年女子美術大学大学院 修士課程陶造形領域 修了。卒業後、都内の陶芸教室講師、陶芸作家のアシスタントを勤め、現在は女子美術大学助手。東京郊外に窯を構える。都内ギャラリーを中心に、近年は国内外の美術館企画展などへも出展している。
2015年10月29日