日本を代表するチェリスト長谷川陽子が、デビュー35年を迎えた記念演奏会を開催する(5月19日:東京文化会館小ホール)。この記念すべきコンサートのプログラムに選ばれたのは、ベートーヴェンの「チェロ・ソナタ」(全曲)だ。数あるチェロの名曲の中からこの作品を選んだ理由についての長谷川陽子の言葉がとても素敵だ。「今年は、私にとってデビュー35周年の年となる。この節目にベートーヴェンのソナタ全曲に臨みたいと考えた。ベートーヴェンの音楽の本質とは何だろう。コロナ禍のこの数年、ベートーヴェンが残した作品に触れながら考えを巡らせるのは、幸せな時間だ。この問いの答えはまだ出ていない。けれど、今現在の私が考えるベートーヴェンの本質は潔さ、迷いのない力強さ、誠実さ…この3つの要素を強く感じる。ふと思う。人間として、音楽家として、そのように生きてゆきたい。チェロ・ソナタ全曲に取り組むことでベートーヴェンへの憧れを、みなさまと共有したい。応援して下さるお客様と、支えてくれた周りの人たちへの感謝の気持ちとともに」共演者に、名手松本和将(ピアノ)を迎えたこの公演は、音楽家として1つの節目を迎えた長谷川陽子の決意の表れのようにも感じられる。新たな未来に向けた希望の調べに耳を傾けたい。●公演概要5月19日(木)東京文化会館小ホール「長谷川陽子 チェロ・リサイタル」 ●長谷川陽子Yoko Hasegawa (チェロ, Cello)色彩豊かな音色と音楽性を持ち合わせた、日本を代表するチェロ奏者の一人。2022 年デビュー35周年を迎える。1987年音楽之友社主催「フレッシュ・アーティスト・シリーズ」にてリサイタル・デビュー。1988 年小林研一郎指揮、日本フィ ルとの共演で協奏曲デビューした。その後、フィンランドのシベリウス・アカデミーに留学し、1992年首席で卒業後帰国。これまで、国内外の主要オーケストラとの共演、全国各地でのリサイタル、室内楽、朗読との共演などその活動は多岐に わたる。霧島国際音楽祭賞、ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクール特別賞、新日鉄フレッシュ・アーティスト賞、第9 回齋藤秀雄メモリアル基金賞等、受賞多数。後進の指導にもあたり、現在、桐朋学園大学音楽学部准教授を務めている。オフィシャルホームページ
2022年04月20日歌手の今陽子が9日に自身のアメブロを更新。歌手・和田アキ子との2ショットを公開した。この日、今は「男性軍歌手仲間大好評につき今回は女性軍」と切り出し「いずみたく門下からのお付き合い、由紀さおりさん」と歌手・女優の由紀さおりとの2ショットを公開。「私と正反対の美しいソプラノ声」と由紀についてつづった。続けて「15歳の私のソロデビュー時」「すでにスターだった本当の同期?山本リンダさん」と歌手・山本リンダとの2ショットを公開。また「実はレコード大賞で争いました」とタレント・歌手の伊東ゆかりや「男性にモテモテで色っぽい」とタレント・歌手の園まりとの2ショットも次々に公開した。さらに「トリは勿論この方和田アキ子姉貴」と和田とピースサインをした2ショットを公開。和田について「今は、ホリプロの先輩で同じスタッフグループで親しくさせていただいています」と説明した。一方で「私も歌手生活55年のベテランになった」と述べ、自身の活動について「ミュージカル、ジャズの方向に今はいる」と報告。最後に「なかなか皆さんとお会いできませんが」「皆さん、いつまでも若く現役で素敵です!」と尊敬の念をつづり、ブログを締めくくった。
2022年03月11日今年デビュー35周年を迎えたチェロ奏者・長谷川陽子。記念公演でベートーヴェンのチェロ・ソナタ全5曲を弾く[5月19日(木)東京文化会館 小ホール]。これまでどちらかというと避けてきたというベートーヴェン。「楽譜のあちこちに、暗号のように、いわば〝ベートーヴェン・コード〟が埋め込まれているのですけど、それを読み解く面白さがようやくわかってきました。それを理解したうえで弾くと、やはり作品がものすごく生き生きしてくるんです。いろんな経験を積み重ねて、やっとベートーヴェンを弾く入り口にたどり着いたように感じています」2020年。ベートーヴェンの生誕250周年はコロナ禍と重なり、音楽家は人々の前で演奏する機会さえ奪われた。「チェロ・ケースを開くことさえない時間が続いたのはショックでした。そんな中で、やっぱり自分には音楽しかないのだと再確認させてくれたのがベートーヴェン。彼の意思の強さ、メッセージの深さ、そして人類愛。知識や情報としては知っていたことを、その作品から自発的に感じることができたのです。あの時期、たぶん自分の力だけでは這い上がることができなかった。ベートーヴェンが引っ張り上げてくれました」共演のピアノは松本和将(かずまさ)。新しい扉を開けてくれる、と信頼を寄せる。「音があたたかくてどこにも力が入っていない。飄々としていて、でもどんな球を投げてもうまくキャッチしてくれる。それがすごく魅力的です。音楽性は私と正反対かもしれないのですが、それがかえって互いの長所を引き立てあうのだなあと実感しています」高校1年生で日本音楽コンクール第2位入賞。2年後の1987年にデビュー・リサイタルを開いた。「ずっと手ほどきを受けた井上頼豊先生は、音楽をゼロから作る力を身につけなさいと、レコードで聴くような有名曲はあまり弾かせませんでした。真似をしてしまわないように。ところがデビューしてお仕事で弾かせていただくのは有名な曲ばかり。刺激的でした。憧れだった曲を次々に弾けて、とにかく楽しかったという記憶しかありません」弾くのが楽しい。彼女はそのピュアな感覚をずっと変わらず持ち続けている人だと思う。ナチュラルな音楽家だ。ベートーヴェンはリサイタルに合わせてCDもリリース。充実した録音ができたと手応えを語る。経験を重ねて初めて正面から向き合ったベートーヴェン。ライヴもCDも、名演奏・名盤の予感が漂う。(取材・文:宮本明)
2022年03月02日歌手の今陽子が21日に自身のアメブロを更新。歌手・俳優の西郷輝彦さんの訃報を受けて、悲痛な胸中を吐露した。この日、今は「ガンで闘病中だと知っていましたが・・・」と切り出し「75歳の若さで西郷輝彦先輩が天に召されてしまいました」と20日に前立腺がんのため亡くなった西郷さんについて言及。「この写真は、友人の結婚式で、お祝いに歌った後の打ち上げ」と当時の西郷さんとの2ショットを公開し「久しぶりにお会いして、私の歌を凄く褒めてくださり嬉しかった」と回想した。続けて「大昔、有楽町の日劇で『西郷輝彦ショー』の前座を務めさせていただいた時も凄く優しく接してくださったことを覚えています」と振り返り「年齢の近い先輩がお亡くなりになるって・・・・凄くショックです」と胸中を吐露。最後に「ご冥福をお祈りします・・・・・どうぞ、安らかに」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「せつなくなりますね」「本当に残念でなりません」「ご冥福をお祈り致します」などのコメントが寄せられている。
2022年02月22日上白石萌歌が主人公を吹き替える映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』。この度、新たに日本語吹き替え版声優として、高山みなみ、朴ロ美、木内秀信、日笠陽子の参加が明らかになった。4名の豪華声優陣が演じるのは、主人公フィービーを取り巻くキャラクターたち。江戸川コナン、鬼太郎、ムーミントロールなどの声でお馴染みの高山さんが、フィービーの唯一の友達となり、共にゴーストたちに立ち向かう仲間ポッドキャスト。舞台「千と千尋の神隠し」の上演を控える朴さんが、フィービーと兄トレヴァーの母親であり、初代ゴーストバスターズの一員イゴン・スペングラー博士の娘・キャリー。フィービーが通う学校の教師グルーバーソンは、『アントマン』や『思いやりのススメ』など数々の作品でポール・ラッドの声を担当してきた木内さん。フィービーとトレヴァー、ポッドキャストと共に<新生ゴーストバスターズ>の一員となるラッキーを、「けいおん!」「はたらく細胞BLACK」の日笠さんが務める。科学オタクのフィービーと意気投合する重要なキャラクターを演じた高山さんは「『彼が出て来ると、ちょっと和む…』音響監督と相談しながら、ポッドキャストくんの雰囲気を作りました。不可思議なことが大好きで好奇心旺盛。背伸びしつつも、フィービーちゃんの良い相棒なのだと思います」とポッドキャストの魅力を語り、『ゴーストバスターズ』2016年版のホルツマン役でも声優を務めた朴さんは「観終わったあと、とても洗われた気持ちになり、気がつくと温かな涙が頬をつたっていました。初代ゴーストバスターズ監督の息子ジェイソン・ライトマンが今回監督したこともあるのか、まさに『家族の物語』だと思いました」と作品の感想を語る。フィービーとポッドキャストに初代ゴーストバスターズの存在を教える物語のキーマンを演じた木内さんは「演出も時代の変化も感じつつ懐かしい部分もあり思わずニヤけてしまいます。もちろん前作品を知らなくてもお楽しみいただける作品になっています」とメッセージ。シリーズファンだったという日笠さんも「まさか自分が子供の頃見ていたゴーストバスターズの世界に関われる日がくるとは思っていなかったので非常に嬉しいです。当時見ていた方は思わずホロッと涙してしまう胸が熱くなるような展開ですし、親から子へ、子からまた子へ...、今に繋がっていて、さらにきっとこれからも繋がっていくのだと思わせてくれる希望の物語です」とコメントしている。『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は2月4日(金)より全国にて公開。※朴ロ美の「ロ」は、正しくは「王偏に路」(cinemacafe.net)■関連作品:ゴーストバスターズ/アフターライフ 2022年2月4日より全国にて公開
2022年01月18日南野陽子が、16年ぶりの新曲「空を見上げて」「大切な人」を含むベストアルバム『Four Seasons NANNO Selection』を本日12月8日にリリースした。1980年代にアイドルとして活動し、現在は女優としてドラマや舞台で活躍している南野。今作は四季をテーマに本人が選曲した、季節感に溢れた南野の新たな魅力を引き出した作品で、ジャケットや歌詞ブックレットにも南野のビジュアルが満載となっている。また待望の新曲「空を見上げて」「大切な人」は、南野との信頼関係も強い日本歌謡界の巨匠・萩田光雄がサウンドプロデュースを手がけている。また『Four Seasons NANNO Selection』発売にあたり、南野本人からのコメントが届いている。■南野陽子 コメント詞や音から季節や物語を感じていただけるように、色彩感豊かにお気に入り曲を36曲、集めてみました。当時の私の楽曲を知らなくても楽しんでいただける内容だと思います。皆さまに青春時代のその頃、その刻を懐かしんでいただきたいです。そして、南野陽子ワールドには欠かせない萩田光雄さんに、久々の新曲2曲をプロデュースして頂きました!こちらもぜひ聴いて下さい。<リリース情報>南野陽子 ベストアルバム『Four Seasons NANNO Selection』2021年12月8日(水) リリース価格:3,600円(税込)南野陽子『Four Seasons NANNO Selection』初回仕様(三方背スリーブケース)南野陽子『Four Seasons NANNO Selection』ジャケット※CD2枚組 / 34曲収録 / 高品質Blu-spec CD2規格※初回仕様は、CDケース本体のジャケット写真とは違うビジュアルの三方背スリーブケースに収納※南野陽子セルフライナー付『Four Seasons NANNO Selection』特設サイト:
2021年12月08日千葉真一さん、今年7月には『週刊女性』のインタビューに登場、元気な姿を見せていた女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、昭和の名優たちの話。■プライベートもアクションさながらに破天荒先日亡くなった千葉真一さんは、“明朗な破滅型”という言葉が似合う人だった。妻だった野際陽子さんは、千葉さんと結婚する前、文京区にある「川口アパートメント」に暮らしていた。「川口アパートメント」は、1964年に竣工(しゅんこう)された、当時の最新技術を採用して建築したモダンな高級集合住宅。直木賞受賞作家・川口松太郎さんの自宅建て替えを兼ねて建てられたアパートメントでもある。そんな最先端の集合住宅に、樋(とい)を伝って野際さんの部屋に侵入する男がいたらしい。目撃者は、同じく当時、「川口アパートメント」に居を構えていた加賀まりこさん。何を隠そうその男こそ千葉真一さんだった─というから、噴き出してしまう。さすがはスタントマンを使わずに自分でアクションをしてしまう人である。私生活でもキイハンターだったとは……恐れ入ります。また、千葉さんと野際さんの一家は、毎年、中原早苗さんの一家とともにスキーに行っていたんだけど、あるとき野際さんが宿泊先のホテルのある部屋のドアを何げなく開けると、なんと千葉さんと婚外恋愛の相手が─というのでびっくり。プライベートも、アクションさながらに破天荒。底抜けに明るい人だけど、破天荒は破滅と隣り合わせ。野際さんは、本当に大変だったと思う。昔の俳優さんは、豪傑な人が多かった。梅宮辰ちゃんや山城新伍ちゃん。千葉さん同様、松方弘樹さんも、もっと生きていてほしかったひとりだったな。華やかなりし昭和の東映を回想したとき、今でもお元気なのは北大路欣也さんだけになってしまった。松方さんのお父さまは、殺陣(たて)の達人・近衛十四郎さん。北大路さんのお父さまは旗本退屈男・市川右太衛門さん。昔、和子っぺ(吉行和子)が「二世の俳優はさすがに違う」と言っていた。クローズアップになったときオーラがあるのと、雰囲気がまったく違うと。二世といえば、三國連太郎さんのご子息である佐藤浩市さんが赤ちゃんだったとき、私は彼を抱っこしたことがある。尾崎士郎の「ホーデン侍従」を映画化した『欲』という映画で三國さんとご一緒した際、うれしそうに「子どもが生まれた」と話されていた。あまりにうれしかったんだろうな。私にも「見に来て」と声をかけてくださって、社交辞令みたいなもの。ところが、同席していたペコ(大山のぶ代)ったら、人懐っこいものだから「見に行こう」とノリノリになってしまった。ペコの勢いに押されて三國さんのお宅へ行くと、「ホントに来たの!?」と半ばあきれぎみに驚いていらした。お祝い品も持たず赤ちゃん見物……なんてばつの悪さを感じつつ、抱っこさせてもらった新生児のまばゆさといったら。その、玉のような男の赤ちゃんが、今では渋くて素敵な役者さん。時の流れをいや応なしに感じてしまう。昭和の名優といえば、高倉健さんを忘れるわけにはいかない。かつて私は、多岐にわたるジャンルの方々にインタビュー(対談)する胸躍る仕事をしていた。長嶋茂雄さん、北の湖さん、開高健さん、吉行淳之介さん─。ある号で、脚本家の倉本聰さんにお話を伺う機会を得た。お話の中で、倉本さんが脚本を書かれた名作に数多く出演されていた高倉健さんに対談をお願いできないかと尋ねたところ、「やめたほうがいい」と。どうしてと聞くと、「絶対に本当のことは言わない。高倉健であり続けるから面白い話を聞けません。がっかりすると思いますよ」と。たとえば長嶋茂雄さんだったら、“クリーニング店の前を通って「この服いいな」と買いそうになった”なんてエピソードがたくさん転がっている。でも、同じスターでも高倉健さんは、そういった話が転がっていない。スクリーンの高倉健のまま。孤高のスターを堅固に守る。それがファンに対する作法。思えば、昔の俳優さんは、唯一無二な人が多かった。冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。〈構成/我妻弘崇〉
2021年10月14日8月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった千葉真一さん(享年82)。本誌に見せていた野際陽子さん(享年81)との日々を本誌秘蔵写真で振り返るーー。60年を超える芸能キャリアでも、常にマスコミをにぎわせてきた千葉さん。その中でも本誌の取材がとりわけ多かったのは、野際さんとの夫婦生活だった。東映アクションドラマ『キイハンター』での共演がきっかけで、’73年に結婚した2人。日の出とともにエーゲ海の船のうえであげたという結婚式の思い出とともに、1カ月余りの旅行から帰国すると、「指輪とヒゲがお土産なのよ!」と報告してくれた。その後、のちに女優となる真瀬樹里(46)が生まれ、おしどり夫婦として知られたが、SONNY CHIBAとしてハリウッドでの活動を本格化したい千葉の思いによって離婚。2人そろって記者会見を行った。野際さんは’17年に死去。千葉と同じく、晩年まで精力的に活動していた。天国で再会し、残した家族や俳優仲間たちをいつまでも見守ってくれるだろう。
2021年08月27日千葉真一さん《少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても、突然のことで、まだ現実感がありません》自身のSNS上で、複雑な心境を綴ったのは、8月19日に82歳で他界した俳優・千葉真一さんの長女で女優の真瀬樹里。■キアヌ・リーブスからも“巨匠”と慕われて仕事を終えて急いで駆けつけたものの、父親の最期には立ち会えなかったという。「7月末に新型コロナウイルスに感染したあと、千葉県内の病院に入院した千葉さんですが、肺炎の症状が悪化。酸素吸入を続けるも症状は改善せず、そのまま永眠されました。ワクチン接種は受けていなかったとのことです」(スポーツ紙記者)’68年放送のTBSドラマ『キイハンター』や映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』や『柳生一族の陰謀』など、数多くの作品に出演し、日本のアクションスターとして業界を牽引してきた千葉さん。「アクション俳優やスタントマンを育成するために『ジャパンアクションクラブ』を設立し、真田広之や伊原剛志などの俳優などを輩出。その活躍は国内だけに留まらず‘60年代から海外との合作映画やハリウッド映画にも出演し、“サニー千葉”の愛称で世界から愛される存在でした。あのキアヌ・リーブスからも尊敬の念を込めて“マエストロ(巨匠)”と呼ばれていたほどです」(同・前)■息子2人がブレークして「寂しいね」突然の訃報で、国内外には驚きと哀しみの声が溢れている状況である。今年に入ってからも千葉さんと交流を続けていたAさんも、驚きを隠せない。「つい最近まで、元気な姿を見せていたし、80歳を超えているとは思えないほど身体も鍛えておられたので、今でも信じられません……。千葉さんは80歳を超えてからマジックにハマっており、“これがまた、奥深いんですよ”と楽しそうな顔で話していて。今年2月ごろだったかな、千葉さんが目の前でトランプマジックを披露してくれたんですよ」そんな千葉さんが晩年、周囲にずっと働きかけ、奔走し続けていたのが真瀬、新田真剣佑、眞栄田郷敦という3人の子どもたちとの“夢”だった。「“いつか、家族で何かしたい”というのが彼の口癖だったのですが、ここ数年は実際、映画制作のための出資を集めるため、東奔西走していたんです。その理由を聞くと“やっぱり最後に映画を作って子どもたちと共演したいんだよね”って。以前は息子さん2人と一緒に暮らしていたのですが、2人がブレークしてからは別々で暮らすようになったそうで“嬉しい反面、ちょっと寂しいね”ともこぼしていました」(Aさん)郷敦も真瀬同様に病院へ駆けつけるも、最期を看取ることはできなかったそうだが、「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と事務所を通してコメントを発表した。子どもたちが遺志を継いだ姿を、千葉さんはこれからも天国でずっと見守っていくことだろう−−。
2021年08月20日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。社会を見つめるヒントをたくさんくれた、田嶋陽子さんの登場も、今回がラスト。第4回は、これからの未来の日本について、語ります。男も女も、互いにラクになれる方法を見つけよう。高度経済成長期、日本経済は右肩上がりでしたが、それは家庭に専業主婦という“無料で家事をしてくれる人”を抱え込むことで、男性が長時間働けた結果のこと。その一面、男は過剰な残業に苦しみ、女は家事を押し付けられて自活できなかった。現在、日本の経済は残念ながら下降線をたどっており、男だけが働き、男だけがトップにいるという既存の社会構造は、限界が来ています。確かに、出産は女にしかできないことだけれど、あとは男女ではなく人間としての個性の問題。お互いに参画し、お互いの重なり合わない部分を補え合えば、世界は1+1=2ではなく、何層倍も豊かになるはず。女性もフルタイムで働けば、男性の負担も減る。みんなで5時に仕事を切り上げ、家族で食事を作って一緒に食べられる。子育て支援事業を充実させれば、経済も回り、子供を産みたい人が増える。それが本当の意味での豊かな社会だと思います。イヤになっても、投げ出さず向き合うことが大事。イギリスに留学していたとき、毎朝ホストファミリー親子が政治の話をしていたの。当時のサッチャー首相に対して「こんなことをしていた」とか「あれは良くない」とか、意見を交わす。イギリス人にとって、政治はごく身近なものなんです。一方、日本では政治が“自分とは関係ない人がやるもの”になっている。でもコロナ禍でわかったでしょ?政治は自分の命に直結しているものなんです。良い社会にするために若い女性がまず何をするべきか?大事なのは、みんなが自分の責任で、自分の人生をしっかり生きることです。そうしたら、何が自分の邪魔をしているのか、何を変えるとラクになれるか、どんな国になったら生きやすいのか、少しずつわかってくるのでは?古い制度や法律が自分たちの足を引っ張っていたら、異議を唱えて変えていく努力をする。ちゃんと自分と社会と国と向き合って、生きていく。その気持ちがあるだけで、世界は確実に変わります。たじま・ようこ1941年生まれ、岡山県出身。英文学・女性学研究者、元法政大学教授、元参議院議員。‘90 年代、テレビ番組に多数出演し、“フェミニズム”をお茶の間に広めた。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)など多数。※『anan』2021年7月7日号より。写真・小川朋央(by anan編集部)
2021年07月03日人生の先輩的女性をお招きし、お話を聞く「乙女談義」。今月のゲストは、英文学・女性学研究者の田嶋陽子さんです。第2回の今日は、ご自身が最初に“理不尽さ”を感じた経験と、そこから得た教訓を伺います。“世の中は理不尽”、初めてそう思ったのは…。私が生まれた年の12月に太平洋戦争が始まりました。その後私は新潟の母の実家に疎開。当時は人がいっぱい死んであちこちでお葬式があったから、ある日私は従姉妹と“お葬式ごっこ”をして遊んでいたわけ。祖母の腰巻き…って、当時の女の人にとっての下着をお坊さんの袈裟に見立てて肩から斜めに掛けて、お茶碗をチンチン叩きながら村中を練り歩いた。そうしたら祖母にものすごく怒られて!で、文字通り、手にお灸を据えられたの。私は、悪い子として怒られたんだから…と熱くても我慢していたんだけど、なんと従姉妹はモグサを払いのけて逃げたの。びっくり!でも祖母は「(従姉妹は)すばしっこくていい子」と褒め、「それに比べて陽子はのろま」と…。なぜ素直に叱られた私ではなく、それを拒否し、逃げた従姉妹が褒められるのか。それが、私が人生で“理不尽”を感じた一番最初の記憶。それを長年考え咀嚼した結果、一つの結論にたどり着きました。その、幼い頃の経験をしゃぶり尽くした結果出てきた結論、それは、抑圧関係からは逃げていい、ということ。逃げるって、卑怯?それは互いの力関係が同じなら、逃げるのは卑怯かもしれない。でも例えば最初から格差があったり、こちらがきちんと扱われていない、そういった“対等ではない相手”からは、弱い立場の者は逃げていいんです。それは全然悪いことではない。私自身も、小さい頃はそういった理不尽から逃げられなかったけれど、大人になって職を得て、自分の人生を作れるようになり、やっと逃げられた。でも、女の人は逃げないですよね。というか逃げられないんです。それはなぜかというと、逃げた先で生きる術を持っていないから。自活ができなければ、結局は痛めつけられるまま、家庭や職場にいるしかない。だからこそ、自分の食い扶持を自分で稼ぐくらいの力を、女の人も持ってほしいと私は思います。いつでも逃げられるよう、力をつけましょう。たじま・ようこ1941年生まれ、岡山県出身。英文学・女性学研究者、元法政大学教授、元参議院議員。’90年代、テレビ番組に多数出演し、“フェミニズム”をお茶の間に広めた。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)など多数。※『anan』2021年6月23日号より。写真・小川朋央イラスト・菜々子(by anan編集部)
2021年06月19日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは、ジェンダー問題が課題である今の日本で、再び注目が集まっている、田嶋陽子先生。第1回はフェミニズムについてお聞きしました。“女”から解き放たれたら、人生はもっと広がる。大化の改新以降、女性の社会的地位は下がり続け、女の人は、“一人前の人間”として扱われたことはほぼありませんでした。江戸時代までは、極端な言い方ですが、“子産みの道具”。明治になると“良妻賢母”であれと言われたものの、それも妻や母という“役割”であって、“私という人間”の存在が認められたわけではなかった。ずっと役割の中だけで生きさせられてきた女の人たちが、人間として生きる権利を取り戻そうとする動き、それがフェミニズム。女も、男と同じ人間である。たったそれだけ、簡単なことなんです。女だからこうしろ、女だからそんなことするな。私が若かった頃に比べたら、女らしさの呪縛はかなり減りましたが、まだ今の日本の女性も、それを押し付けられている。でもその決めつけから解き放たれ、“人として”物事を考え、決められるような世の中になったら、人生はものすごく広がる。それを若い皆さんに知ってもらいたい。働き稼ぎ、家を持つ。それの何が悪い!(笑)私が通った女子大は、仕事を持ち自己実現をし、人や社会に尽くすことを教えてくれた学校。でも’60年代初頭、私と一緒に卒業した人たちは、ほとんどが就職することなく、あるいは短期間だけ働きお嫁に行きました。ただ、今の女性たちは、学校を出たら働いて、稼いで、そのお金で生きている。私からすると、それだけでも大きな変化。お金を稼ぐことは、おのれの足で立つこと。つまり、自由に好きに、自分の人生を生きる力なんですよ。お給料をもらってまず私は家の頭金を貯め始め、35歳で家を買ったの。誰にもとがめられず、自分らしくいられる場所があるっていい。しかも追い出される心配ないから、恋愛がイヤになったり、結婚に行き詰まったら躊躇なくやめられる(笑)。えっ?!今でも独身女性が家を買うことにウダウダ言う人がいるの?信じられない!カタツムリだって家を持ってるでしょ?働いてるなら、家買っちゃいなさい。あとがラクよ、おすすめ。たじま・ようこ1941年生まれ、岡山県出身。英文学・女性学研究者、元法政大学教授、元参議院議員。’90年代、テレビ番組に多数出演し、“フェミニズム”をお茶の間に広めた。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)など多数。※『anan』2021年6月16日号より。写真・小川朋央(by anan編集部)
2021年06月13日広瀬すず、櫻井翔、江口洋介らが出演する現在放送中のドラマ「ネメシス」に南野陽子の出演が決定した。本作は、広瀬さん演じる天才助手・美神アンナと、櫻井さん演じるポンコツ探偵・風真尚希の凸凹バディが、探偵事務所ネメシスに舞い込む難事件を次々と解決していくミステリードラマ。第5話まで放送された本作。アンナの父・美神始(仲村トオル)失踪の謎、20年前の事件の真相に近づいていくネメシスだが、黒幕まであと一歩と迫る中、大きな問題が立ち塞がる。そこで、風真のかつての師匠である怪しげなマジシャンの力を借りることになるのだが、そんな元凄腕詐欺師にして現在はマジシャンという異色な経歴を持つ美しきコンフィデンスマン・緋邑晶を南野さんが演じる。中華街を根城とする緋邑は、人を欺くのはお手のもの。風真をポンコツ扱い、アンナをお嬢とあしらう緋邑がチームネメシスを救う…?南野さんは「マジックを実際にするシーンもあり、カードや角砂糖、花札を使ったものが出てくるんですけど、私はあまり器用な方ではないので、おうちでとりあえず100回は練習しようと気合いを入れましたね」と語り、「7話から見始めてもまだまだ間に合うので『ネメシス』をたくさんの方に楽しんでもらえたら嬉しいです。これからの展開を見逃さないでください!」とメッセージを寄せている。また、緋邑が登場する7話以降には、彼女だけではなくスピード狂の医者・上原黄以子(大島優子)のドライビングテクニックや、道具屋・星(上田竜也)の秘密道具、天才的頭脳を持つアンナの親友・四葉朋美(橋本環奈)のひらめき、AI開発者の姫川烝位(奥平大兼)の捜査力に、アクロバティックな料理人・リュウ楊一(加藤諒)のアクションも大活躍。さらに、7話のラストで驚愕の真実が。これまでの物語の全てが伏線になっており、探偵事務所ネメシスが追う事件の真相が明かされていく。「ネメシス」は毎週日曜日22時30分~日本テレビにて放送中。(cinemacafe.net)
2021年05月10日英文学・女性学研究者の田嶋陽子さんがインターネットテレビ局「ABEMA」で5月1日に配信される『Wの悲喜劇』にゲスト出演。「怒れるフェミVSフェミ嫌い #わきまえないオンナたちの大激論SP」と題して、MCのSHELLYさんをはじめりゅうちぇるさんらとトークを繰り広げます。令和と元号が変わってもうすぐ丸2年。コロナ禍で私たちの生活や働き方は一変し、時代はどんどん変わっていっているのに男女格差やジェンダーをめぐる状況は昭和からあまり変わってないような気も……。このほど収録に臨んだ田嶋さんにお話を伺いました。前後編。炎上が怖い——「ジェンダー問題や女性の生きづらさに理解をしないヤツは悪いヤツだ」という風潮もあいまって「正しいフェミニズム」「フェミニストかくあるべし」という圧を感じる場面を見かけることがあります。田嶋陽子さん(以下、田嶋):それは学校に行って?地方で?どこでどんなふうに?——主にSNSで。Twitterでフェミニズムに関する議論が活発なので。中には「教えてやる」という感じの人もいて、それをみると「なぜ、あなたから……?」と思ってしまうんですよね。田嶋:そんなのタチ悪いよね。一緒に考えようならまだいいけどね。教えてあげましょうという人は上から目線でパトロナイズする人だから、一番良いのは、相手にしないことかな。「ありがとうございます、参考にさせていただきます」でいいんじゃないかな。悪意に満ちた文章とか、攻撃のための攻撃みたいなのは無視してもいいんじゃないかな。でも、そういうのにはちゃんと答えたいの?頭に来るの?——頭に来るというか、ウートピというメディアを運営している立場としてちゃんとそういうことも想定しないといけないと思うんです。田嶋:その文章はあなたを名指しできてるの?名指しではきてないのね。よくそんなのに答えようとするね。無視できないの?——今日の収録でウートピ編集長の鈴木円香が言っていたように、記事を掲載するときに変なふうに炎上したら嫌だな、とか攻撃されたらどうしようと思ってしまうんです。田嶋:されればいいじゃん。——されていいんですか?田嶋:当たり前だよ。だって攻撃されるってことは、言ってみれば議論をふっかけられたわけでしょ?お前の言うことは違うって言ってきたら、そのときこそきちんと反論しないと。攻撃されるのを待ってなきゃ。そうしたら、私はどこがおかしいの?どこでみんなを刺激しちゃったの?って考えれば、次書く文章の役に立つと思うんだけど。違う?——田嶋先生はずっとそれをやってきたわけですよね。田嶋:私は個人攻撃と攻撃のための攻撃みたいな文章は無視しましたよ。ただ攻撃というのか、反論されないと、敵が分からないじゃない。攻撃されたら、よしよしやっときたなって。「お前の言うこともよく分かる。よく分かるけど、お前、ここがおかしいだろ?」って、きちんと指摘しなきゃ。自分が指摘できないと相手に負けるから、勉強しなくちゃってなるし。おっかながるんじゃなくて、精一杯自分を出してみる。全部出してみる。そうやって、相手の反論に対してきちんと答える。そういう練習をしていかないとね。フェミニズムってそうやって太っていくんじゃないかな。——その練習をしてこなかったかも……。田嶋:やってきてないと、議論したときにすぐやられちゃうんでしょ?——はい。練習が足りてなかったのか。田嶋:そうそう。練習しなきゃ。良い訓練の場だよね。私ならそう思うけどね。中にはどうしようもなく頓珍漢(とんちんかん)もいるからそういうときは無視しちゃうといい。お前、フェミニズムの「フェ」の字も分かんない。せめて、「フェミニ」くらいまで分かってから何か言ってこいよって思うけどね。でも反論していって練習してみたら?——そうですね。それさえ怖くてやってなかったのかもしれない。田嶋:攻撃に弱いんだ。——そうなんです。田嶋:まあ、誰でもそうだけど。攻撃された経験あるの?——ないです。田嶋:そうか。——記事を出したときに攻撃がきたら、会社に迷惑がかかるんじゃないかと考えちゃうんです。田嶋:そんなの「会社命(いのち)」の変な男と同じだよ。それでみんな会社の奴隷になっていくんでは。——はい。田嶋さんとお話していて、まだ何も起こっていないのに頭の中ですごく勝手にシミュレーションして怖がってたんだなって思いました。田嶋:まだ起こってないことにあれこれどうしようって思う人はたくさんいるよね。そんなのは行動したあとで考えればいいじゃないって。用心深さが時には女性に必要とされてきたかもしれないけれど、とにかく今は目の前にあることを完璧にすることを一生懸命やって、失敗したら次を考える、しかないよね。やる前から「こうなったらどうしよう」と考えていると、エネルギーをそがれて前へ進めないんだよね。みんなフェミニズムを自分の中に持っている——そうですね。もう一つ、よろしいでしょうか?例えばフェミニズムに関する記事を掲載するときや会議で話すときに「私はフェミニズムを専門的に学んだわけではないのに、こんなことを言ってもいいのだろうか?」と思ってブレーキをかけてしまうんです。田嶋:その気持ちも分かる。でも本質的に私たち人間は、女性男性の区別なくすべての人はみんなフェミニズム精神を持ってるんだよ。人間として生まれた人は、みんな自立して一人の人間になりたいって、他の人もそうだといいなって思ってるの。そんな思いにいろんな思想で火をつけられるわけよ。フェミニズムもその一つ。みんなフェミニズムを自分の中に持っている。だから早いも遅いもないの。長くフェミニストをやってる人でも、今の社会に上手に適応している人や恐がりの人は、フェミニズムを自分の中で生かしたくない人もいる。フェミニズムなんて言葉を知らない人でもフェミニズムの生き方をしてる人もいる。勉強した長さじゃないの。その人がどうありたいかなの。だから、フェミニズムで人を差別しちゃいけないし、されてもいけない。いくら長くやってても、フェミニズムが自分の血となり肉となっていない人もいるんじゃない。とにかく男女間の差別は人類の中で一番大きな差別で、文化や社会システムそのものだったし、変えるのはそれこそ大変!“森さん的な人”への接し方——今回の収録でも森さんの発言*が話題にのぼりました。例えば会社や身近なところで森さんみたいな発言をする人もいるし、そういう発言にちゃんと抗議してこなかった自分たちの責任もあるんじゃないかなと思いました。でも、日本って空気に弱い国なので逆手にとって「え?何言っちゃってるんですか?」って言っていく空気をつくっていけばいいのかなと考えているんですが、田嶋さんはどう思われますか?田嶋:それいいね。一つ言葉を決めておいてさ。「あ!出たね」とか、何でもいいから、相手に「それ違うんだよ」って伝えるための気のきいた言葉があるといいよね。説教しなくてもいいから助かるよね。なんか相手を傷つけないような言葉でね。——自分もついうっかり言っちゃうことありますもんね。田嶋:そうそう、「あ、また言っちゃったな。反省」とかね。そういうふうになっていくといいよね。大説教しなくたってね。——さっき田嶋さんがおっしゃっていたように一緒に考えていければいいですよね。対立しなくても。田嶋:そう、ユーモアで解消できたらいいね。相手もバカじゃないから、今何がはやってるのかがキャッチできていれば、背中をポンとたたかれただけで、「変なこと言った」って気づいてもらえるだけでもいいじゃない?そういう人たちが仲間になってくれれば生きやすくなるよね。だからいろんな方法があると思うよ。*東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗元会長の女性蔑視発言問題■番組情報男子は見なくて結構!男子禁制・日本一過激なオンナのニュース番組がこの「Wの悲喜劇」。さまざまな体験をしたオンナたちを都内某所の「とある部屋」に呼び、MC・SHELLYとさまざまなゲストたちが毎回毎回「その時どうしたのか?オンナたちのリアルな行動とその本音」を徹底的に聴きだします。Wの悲喜劇「怒れるフェミVSフェミ嫌い #わきまえないオンナたちの大激論SP」は2021年5月1日(土)午後10時から放送。(聞き手:ウートピ編集部・安次富陽子)
2021年05月01日英文学・女性学研究者の田嶋陽子さんがインターネットテレビ局「ABEMA」で5月1日に配信される『Wの悲喜劇』にゲスト出演。「怒れるフェミVSフェミ嫌い #わきまえないオンナたちの大激論SP」と題して、MCのSHELLYさんをはじめりゅうちぇるさんらとトークを繰り広げます。令和と元号が変わってもうすぐ丸2年。コロナ禍で私たちの生活や働き方は一変し、時代はどんどん変わっていっているのに男女格差やジェンダーをめぐる状況は昭和からあまり変わってないような気も……。このほど収録に臨んだ田嶋さんにお話を伺いました。前後編。私は田嶋陽子を生きてるだけ——田嶋さん自身はずっとフェミニズムをやってこられて……。田嶋陽子さん(以下、田嶋):私はフェミニズムを「やって」などいないよ。ただ生きてるだけ。私は田嶋陽子を生きてます。それだけです。フェミニズムは生まれた時から私の中にあって、私がさまざまな抑圧から自由になろうとするプロセスの中で、私と一緒に育ってきたものなんだよね。——いきなり個人的な話で恐縮ですが、うちの母は専業主婦で化粧水を買うたびに父に許可を取っていたんです。「化粧水が切れたから買ってもいい?」って。父はもちろん「いいよ」って言うんですが、そんな父にも許可を取るんだ、経済力ないってこういうことなんだと思ったのがフェミニズムを勉強しようと思ったきっかけなんです。田嶋:そういうことに気づくってことがフェミニズムなんだよね。大事なのは自分の心に誠実に生きること——20年前に私が学生だった当時よりもSNSを中心にフェミニズムについて関心を持つ人が多くなった気がします。田嶋さんから見て大きく変化したと思いますか?田嶋:選択的夫婦別姓ひとつとっても制度が変わらないから、みんな足踏みしている感じがある。一方で、収録でも言ったけど、やっぱり女の人がこうやって働いてるじゃない?みんな実力つけてますよ。ただどっかで迷ってるわけ。「結婚しなくちゃいけない」とか「子供を産まなきゃいけない」とか「〜しなければいけない」って。やっと自分で働いて食べられるようになったんだから、もっと自由に人生を選んだらいいのに。相変わらず世間の「女の生き方」を脱ぎ捨てられないでいる。——ひよっている?田嶋:うん、ひよってる。自分がない。女の人がみんな実力つけてきたことは分かってる。でも、どっかで、もうひとつなの。一貫してないの。それはフェミニズムでもなんでもない。ただ時代の空気に沿ってるだけ。——トレンドや時代の空気に合わせているだけ?田嶋:そう。だからやっぱり自分で考えながら、丁寧に生きていった人のほうがどういう形にしろ、納得した豊かな人生を送れると私は思う。途中で軌道修正したっていいし、方向転換したっていい。自分が考えてきたあかつきにするんだったら、誰も恨まないし、自分の責任じゃない?それがいいと私は思う。途中で迷ったときに、フェミニズムの力を借りたり、いろんなもの、例えば哲学の力を借りたり、先輩の力を借りたりいろんな力を借りればいい。フェミニズムっていうのは勉強できれば発見が多いし、力になるけれども、中途半端な理解の仕方だと、教条主義的になって自分も他人も苦しめる。観念でなくて、自分の生き方と表裏一体となるといいかなって。無理して自分の心に誠実に生きないのが一番良くないよね。子供欲しかったら、別に愛する男の子どもでなくてもいい。育てる力があれば一人で何人育ててもいい。経済力って大事。私が知ってるイギリス人の女の人なんか、子供3人ともみんな父親違うんだよ。でもパーティーやると、その3人の子どもたちの父親がみんな集まる。それぞれの父親も他に家庭を持っていて、ものすごく複雑な関係だけど、それでうまくいってる。自分が女に産ませた子供に対してはそれなりの責任を取る。だから、父親3人集まって和気あいあいとパーティーをやれる。面白いでしょ?そういうふうに人生が面白くならなくっちゃさ。——それでうまくいっているならいいですよね。3人分のつながりがあるってことだし。田嶋:そう。それできちんと運営できているんだったらいいんじゃない?って。最初は苦しんだり悩んだりしたでしょうけどさ、そうやって自分の人生を自分でつくって、つながりをつくって、楽しんでいければいいよね。断ち切りたければ断ち切ればいいしさ。自由じゃない。私が“わきまえない女”になったワケ——今回、田嶋さんにお話を伺うにあたり『愛という名の支配』を改めて読み返して、私はちゃんと自分になれただろうか?と己に問い直しました。田嶋:私はこの本を書くことで自由になったの。誰にも遠慮しない“わきまえない女”になっちゃったんだよね。怖い人がいなくなっちゃったの。地震や病気は怖いけど。私のいう意味、分かってくださる?それまでは母親が唯一人生で怖かったんだけど、その母親からも解放されたら、怖い人が誰もいなくなっちゃった。要するに、今の私なりの言葉で言うと、「自分になった」んだよね。女でも男でもない、田嶋陽子になったっていうのかな。そういう感じだよね。——私がまだちょっと怖いと感じてるのは、まだ自分になりきれてないってことなのでしょうか。田嶋:そうかな。あなた怖い人いるの?——世間が怖いです。他人の目がどうしても気になってしまいます。田嶋:私はもうそれもなくなっちゃった。散々テレビでたたかれて、それでも自分が言わなきゃいけないことは言わなきゃと思って頑張ってきて。その昔は、嫌われることが本当に怖かったよね。——そういうときもあったんですか?田嶋:『愛という名の支配』を書く前はね。誰かに嫌われることが怖くて怖くて。その誰かは正体ないよね。一番怖いのは母親だったんだけど。私にとって、母親が世間だったんだと思う。世間の代弁者ね。でもこの本を書いて、世の中の差別の仕組みが分かったら、何も怖いものがなくなっちゃった。自分が出演したテレビの悪口言われることもあるけれど「ああそう」で終わりなんだよね。いつかこの人たちも私の言っていることを自然に分かるようになるだろうって。テレビを見て、たとえそのときは私のことを「何だコイツ」って思った人がいたとしても「あんなことを言っていたけど、それってこういうことだったのかな」ってあとになって思ってくれるかもしれない。女の家事労働はタダ働きだとか、一生懸命言ってるのがいたなってどっかで思い出してくれたときに、役に立つこともあるかもしれない。いつまでも私のことが嫌いな人は嫌いだし、みんながどんなことを思うかは分からない。でも発信しなければダメじゃない。とりあえず、球は投げた。あなたたちがどう受け取ろうと勝手だよ。でも、もし私がわきまえないで怒ってたことを覚えてくれてる人がいるとしたら、それだけでも、いいよね。■番組情報男子は見なくて結構!男子禁制・日本一過激なオンナのニュース番組がこの「Wの悲喜劇」。さまざまな体験をしたオンナたちを都内某所の「とある部屋」に呼び、MC・SHELLYとさまざまなゲストたちが毎回毎回「その時どうしたのか?オンナたちのリアルな行動とその本音」を徹底的に聴きだします。Wの悲喜劇「怒れるフェミVSフェミ嫌い #わきまえないオンナたちの大激論SP」は2021年5月1日(土)午後10時から放送。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)
2021年04月30日死ぬときに後悔はないほうがいい……というのが通説だが、下重さんは「後悔が残る生き方もいい」と語る。一体なぜ?その思いと、悔いを残して死ぬコツを聞いたーー。「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」このように、本業でオファーが舞い込む傍らで、趣味にも「真剣に」打ち込んできた下重さん。しかしながら、これは多芸多才な彼女だからこそ、できたことなのでは?と誰もが思うのではないだろうか?「いえ、本当に好きで、やってみたいことだったら、誰にでもできるはず。好きなことなのに、トライもしないで『明日死んでもいい』とは思えないはずですから」確かに、そう言われればそんな気がするけれど、私たちにとってなかなかつかめそうもないのは、その“やってみたいことは何か”を見つけることなのである……。そこへ下重さんが、とっておきの“発想のヒント”をくれた。「中学、高校生のころに戻ってみることですよ。あのとき何に感動し、何が大好きだったのか。特に、好きだったのに大人に反対され、あきらめてしまった淡い夢ーーそれが『後悔の原体験』のはずです。私の場合はオペラ。じつは若いころは音大に進んでオペラ歌手になりたかったんです。けれど、習っていた声楽の先生に『あなたの小柄な体では、オペラ歌手は無理』と言われ、諦めた。みんな忘れているだけで、そういう体験が『ない人はいない』はず」下重さんにとってバレエであり、オペラであったように、ある人には、それが料理や絵画、ファッションであってもいいのだ。その際に心がけたいのは「トライすること」と同時に「考えていたことをアウトプット(=表現)すること」だという。「中高生のころの気持ちを忘れてしまっていたように、いまやりたいことを『思っている』だけでは、必ずいつか忘れてしまいます。私だって忘れる。けれど、文章を書くというアウトプットがあるから、やりたいことを思い出すことができるんです」何かに挑戦するための大きな示唆をくれる下重さんだが、前述のように、「明日死んだら後悔は残るだろう」とも話している。「これまで100冊以上の本を書いてきましたが、私自身が『自由になれた』と思えるようになったのは最近のことです。80代になってやっと『本当に書きたいことを書ける』と思えるし、依然『書きたいことが書けていない』とも思う。ある種後悔とともに生きているし、それでいいんだと思います」死に方を考える、というのは日々の生き方を考えるということ。コロナ禍は“自分と向き合い、やりたいことを見つける”いい機会になるかもしれない。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」下重さんに半生を振り返ってもらうと、現在の境地に至ったゆえんが見えてきた。「私は小学校2年生と3年生の2年間で、たった1日しか登校できませんでした。結核で隔離療養を強いられたんです」“感染症による闘病”を丸2年、少女期に経験していた下重さん。「1日4度検温し記録をつけて、寝ているだけの生活。何もすることがないものだから、父の本棚から抜き出した本をながめては、想像を膨らませるのが日課でした。そこで『自分と向き合う』習慣が身についたんだと思います」当時は致死率が高く“死の病い”とされていた結核。部屋で一人思いを巡らせるなか、否が応でも「死」を意識することになった。’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」さらにこの時期から、少女時代に習っていた歌唱を、再び専門家について指導を受けるようになったという。60歳のときにはフランス料理店を自腹で借り切ってリサイタルを敢行した。「フルコースをご馳走して、その後で私が歌う。食べた後では逃げられないだろうと思って(笑)。アナウンサー時代から、どんな大舞台でも、しゃべりでは緊張しなかったのに、歌ではアガりましたね」下重さんが伝えたいのは「やらないで後悔して死ぬ」より「やって道半ばで後悔して死ぬ」のを選ぶべきだということ。「過ぎ去った時間は取り戻せないけど、前にある時間は、手に入れられる。後半生が残り少ないと思うなら、前を見つめて生きる!そうすればきっと『後悔を残して死ぬ日を迎えられる』はずです」「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日石坂浩二撮影/伊藤和幸倉本聰が脚本を手がける1年にわたる壮大な人間ドラマ『やすらぎの刻〜道』が3月でついに終幕。前作『やすらぎの郷』から主人公を演じ作品を見守り続けた石坂浩二(78)にクランクアップ間近の現在の心境をインタビュー。作品への思いや撮影エピソード、名優たちとの思い出など、その胸中を大いに語ってもらった。■「思い出すとこみ上げるものがある」「この現場に来ると昔、ロケに行った話とか、一緒にご飯を食べたときの話とか、いつも昔の話で盛り上がるんです。だから、みんなちゃんとセリフを覚えてくる。というのも、覚えていないと撮影の合間に無駄話をする時間がなくなっちゃうから(笑)。現場でも覚えられそうなセリフの量でも、みんな一生懸命に覚えてきてますね」幅広い世代から支持を集めた『やすらぎの郷』(’17年)の続編として、昨年4月からスタート。いよいよ3月で1年間にもわたる物語がクライマックスを迎える『やすらぎの刻〜道』。主人公で脚本家の菊村栄を演じ続けた石坂浩二に、本作の撮影について聞いてみた。「いろいろ思い起こされる中で、やはり昨年10月には八千草(薫)さんが、12月には私のお父さん役を演じられた梅宮(辰夫)さんと、共演者の方が亡くなられたのは本当につらいです。一緒に芝居をするとセリフのかけあいだけではない、独特のコミュニケーションが生まれるので、ふとそういうのを思い出すんですよ。しかたのないことかもしれませんが、思い起こすとこみ上げるものがありますね」■亡き共演者たちとの思い出故人を偲び、その思い出を語ってもらった。「八千草さんとはこれまで何度かご一緒させていただいて。昔、夫婦役を演じたこともあるんです。そのときに食事をご一緒させていただいたことが思い出深いです。梅宮さんとは、若いころに遊んでいただいたことがあって。ゴルフを一緒に回ったり、漬物の話をしたりとか。山谷(初男)さんは独特の雰囲気がある方でした。残念なことに外で飲んだり、お食事することができなかったんです。この作品で印象に残っているのは、お風呂に入っているシーンですね。セリフも何もなく、ただ浸かっているだけなんですけど、それだけで山谷さんらしさが出ていて何ともいえない雰囲気で。一緒に温泉でも行ければよかったなって、ふと思いました」『やすらぎの郷』に出演されたこんな方たちとのエピソードも。「野際(陽子)さんとはご夫婦で親しくしていただいた時期がありました。当時、舞台もやってみたいとおっしゃっていて、私が舞台の出身なので、そういうお話をずいぶんしましたね。津川(雅彦)さんとは昔、ドラマでご一緒したときに打ち上げで熱海に行ったんです。温泉に行ったんですが、そこが混浴で向こうに女性の団体が入っていて。不思議なもので数で負けるんです。こっちがタオル巻いて逃げました(笑)。そんな思い出を撮影の合間にお話ししたら“そうだった、あれは参ったね”って、思い出話に花が咲いたのを覚えています」そして、最後に最終回に向けての見どころを教えてくれた。「前作は『やすらぎの郷』というものを作り上げ、ひとつの形にして完成させて終わったという感じがしました。そして今回、倉本(聰)さんは特に『道』のほうをおやりになりたかったと思うんです。昭和から平成にかけての、ひとつの村の栄枯盛衰みたいなものが描かれていて、非常によかったなと思います。公平たち一家の話も本当に大詰めですが、みんな巣立ったかと思えば、孫たちが帰ってきたり。ある程度、年齢を重ねた人たちは、より共感しながら最後まで楽しんでいただけるのではないかと思います」いま、プラモに夢中です!「私、『ろうがんず』というプラモデルの会をやっているんですよ。結成10年のお祝いパーティーも先日やりました。この間まで仲間と戦艦を80隻作って展示したんです。全部で160隻あって、残り80隻を10月までに作ろうと思っていて。ただ、非常に部品が細かいので、目がすぐ限界になるのが大変ですが(笑)、夢中になってます」『やすらぎの刻〜道』テレビ朝日系月曜〜金曜昼12時30分〜
2020年02月28日日本を代表するチェリスト・長谷川陽子が2020年、精力的に新たな試みにチャレンジする。2月21日(金)に東京オペラシティコンサートホールにて、バンドネオン奏者の三浦一馬、ギタリストの大萩康司とのトリオによる「情熱と哀愁のリベルタンゴ」を開催。それに先立つ1月10日(金)には、同会場のホワイエにて0歳児を育児中の保護者を対象にしたコンサート「0歳児とおでかけ応援プロジェクト」を実施する。【チケット情報はこちら】「情熱と哀愁のリベルタンゴ」は、ピアソラの「リベルタンゴ」、ハチャトゥリアンの「剣の舞」をはじめ「踊りや歌に関する曲を選んだ」と“情熱”を前面に出した曲目になっており「私自身の気質としてもラテンの血わき肉おどるようなノリがあるので(笑)、熱いコンサートになります!」と力強く語る長谷川。三浦、大萩それぞれとの共演経験はあるが、3人が揃うのは初めて。「バンドネオンの特徴は、情感に訴える哀愁を帯びた音色。タンゴのイメージが強いけど、実はオルガンの要素が強いんです。この分厚く奥行きのある音に対し、チェロがどう舞い踊れるのか? 非常にスリリングです」と三浦のバンドネオンとの共演への期待を膨らませる。一方、ギターについては「数年前に福田進一さんとデュオCDを作って以来、ギターに魅了されました。ギターは弓で弾くチェロと違って、弾いた瞬間から音が消えていく儚さと美しさがある」とその魅力を熱く語り「それぞれの楽器によって私もチェロの弾き方、音の立ち上がりを変えていきます。信頼する2人との共演ですが、私にとっても挑戦になると思います!」と未知なるチャレンジへの意気込みを口にする。「0歳児と――」は、授乳やオムツ交換、ベビーカーでの移動などの苦労を懸念し、外出を躊躇してしまいがちな育児中の保護者に本格クラシックを楽しんでもらえるよう、2000円のチケット1枚で“0歳児”と保護者の大人2名が入場できる。託児室に預けるのではなく赤ちゃんと同じ空間でコンサートを楽しめる企画だ。自身も子育て経験があり「子どもが0歳の時はテーブルにマットを敷いて寝かせて練習していた」という長谷川。家族や周囲のサポートを受けながら演奏会も行なっていたと明かし、恩返しの思いも込めて参加を快諾したという。曲目はバッハの無伴奏チェロ組曲、武満徹の「翼」などで、あくまでも大人向けのクラシック演奏会となっており「赤ちゃんを育てていても、時に自分の時間を楽しんでいいし、明日への糧になれば。子育てを“希望”にしたい」と意気込みを口にした。チケットは両公演とも発売中。取材・文・撮影:黒豆直樹
2019年12月06日3歳の樹里と野際さん。今も使える服やカバンは樹里が身につけている去る6月13日は、野際陽子さんの三回忌だった。「野際さんは、’17年にテレビ朝日系で放送された昼ドラマ『やすらぎの郷』出演中に体調を崩して緊急入院。’14年に発症した肺腺がんから回復していたものの、急に悪化したんです。最後の収録となった5月7日は鼻にチューブをつけて現場入り。苦しそうなのに、カメラが回ると一瞬で女優の顔になったそうです。最後まで復帰に意欲を示していましたが、願いは叶いませんでした」(スポーツ紙記者)犬好きとして知られていた野際さんの愛犬は、今も元気に散歩しているという。「野際さんが亡くなる何年か前に生まれたシェットランドシープドッグを入れて、計3匹いるかな。今は外で散歩せずに、マンションの中庭を歩かせているようです」(近所の愛犬家)野際さんが犬と同じくらい愛したのは花だった。近所にある生花店の店員が語る。「野際さんは40年も通ってくれたの。亡くなる数か月前まで、しょっちゅう来てくれました。水彩画で花を描くのがご趣味で、ナデシコ、ホトトギス、ススキといった花が好きでしたね。ワインとチーズを持ってきて“これを入れて花のバスケットを作って”とよく頼まれました。お世話になっている方への楽屋の差し入れに持っていかれていましたね」深い帽子をかぶって地味な服装だったので、居合わせた客にも気づかれなかった。「3年前に、野際さんが海外種の珍しい朝顔の種をくれたの。自宅のベランダで育てていたんだけど、今年はそのプランターの上に別の鉢を置いてしまったんです。ところが、ある日その鉢の脇からスルッと朝顔が出てきました。花を愛した野際さんの魂かな?なんて思い、支柱をさしてあげたら、どんどん伸びてきて、今はきれいな朝顔が咲いています。その花を見るたび、野際さんの笑顔を思い出しますね」(前出・店員)現在、自宅マンションには、野際さんのひとり娘で女優の真瀬樹里が暮らしている。仏前の花は絶やさない。「三回忌には黒柳徹子さんが花を届けてくれました」野際さんは大好きな花に囲まれて眠っている。愛犬も以前のままの生活だ。「犬はずっと好きで、私が生まれる前から飼っていました。犬は母と一緒に寝ていましたが、今は私と寝ています」真瀬は’17年10月〜12月に放送されたドラマ『トットちゃん!』(テレビ朝日系)で、野際さん役を演じた。「やりにくいどころか、よくわかっている人物ですから、むしろやりやすかったですね。こんなこと言っているときは何を考えているとか、だいたいわかりますから。ただ、母はピーンとした高い声なんですが、私は低音でハスキーなので、そこは苦労しました。母は声にうるさく、ダメ出しの9割は声のことでした」同じ女優の道を歩んだことで、母の偉大さに気づいた。「尊敬する先輩なのは大前提ですが、いいところは断片的に見習おうと思いました。すごいと思うのは、芝居をしているのに、演技をしているように見えないところですね」家では毎日、仏壇にお線香を供えている。「寂しいですね。会いたいし。しょっちゅう“そばにいてね”とは語りかけています。朝は“おはよう”、出かけるときは“行ってくるね”と声をかけます。“今日は大事な仕事だから、見ててね”と、気合を入れることもありますよ。マンションはひとりでは広すぎて寂しいですね。ワンちゃんがいますので、夜は犬と一緒ですが……」野際さんの魂は愛犬たちと花の中に宿っている。
2019年06月18日「南野さんがついに離婚します。周囲にも、その意思を漏らしているそうです」(知人)3月3日、8回目の結婚記念日を迎えた南野陽子(51)。その直前、2月28日発売の『週刊文春』で夫・A氏(47)の金銭トラブルが報じられた。記事によるとA氏が事務長を務める東京・銀座のクリニックで、1億8千万円の使途不明金が発覚。お金の管理はA氏が任されていたが、開業から3カ月で支払い督促の通知が次々と届くように。クリニック側はA氏を業務上横領で刑事告訴し、民事でも損害賠償請求を起こす予定だという。さらに衝撃は、これだけではなかった。A氏の荷物から、南野の実父に宛てた金融会社からの督促状や医療費の支払い督促状などが見つかったというのだ。「南野さんのお父さんは、箱根の有料老人ホームに入所しています。毎月の費用はお父さんの専用口座から引落とされるようになっていて、彼女は入金のため十分なお金も用意していました。しかし口座はカラで、元となるお金も消えていたのです。口座や入金の管理していたのは、夫であるAさん。支払い督促状が来ていることを今回の件で初めて知った南野さんは、施設に問い合わせました。すると実際に半年分も支払いが滞っていたとわかったそうです。彼女はあわてて100万円以上を振り込んだと聞きました」(前出・知人)11年3月3日にA氏と結婚した南野。しかし直後から金銭トラブルの噂が絶えなかった。にもかかわらず夫婦関係を続けてきた南野。理由は、実父(82)との関係があったからだ。「南野さんが仕事で遠くに行かなければならないとき、A氏がお父さんを献身的にサポートしてくれていたそうです。老人ホームに2人でお見舞いに行ったことも、一度や二度ではありません。A氏は、彼女の前ではいつも“よき夫”であり続けたのです」(前出・知人)もともと普通のサラリーマンだった南野の父は、派手なことを嫌う人だった。そのため85年に芸能界デビューした当初は、猛反対。89年に南野の個人事務所社長に就任したが、衝突も多かったという。しかしある出来事をきっかけに、2人の関係に変化が見え始めた。「兵庫県に住む南野さんのお母さんが、11年11月に脳出血と心内膜炎のため急逝したのです。死に目に会うことができなかった彼女はずっと『もっと親孝行していればよかった』と悔やんでいました。以降、お父さんの存在は彼女にとって何よりも大切なものに。『せめてお父さんだけでも幸せにしてあげたい!』と考えるようになったのです」(前出・知人)母の死後、南野は父を兵庫から箱根の老人ホームへと呼び寄せたという。13年には自宅をバリアフリー仕様に改装し、父との同居を決意したと報じられた。しかし予想以上に仕事が忙しくなったため、2年前から再び父を老人ホームへと移すことになった。「南野さんにとっては苦渋の決断でした。だからこそ『せめてホームでの生活はきちんとしてあげたい』と十分なお金を用意していたのです。そんななか、A氏は父の世話や管理を申し出たといいます。南野さんは『彼は病院経営にかかわっているので、安心して任せられる。プロにお願いしたほうが父にとってもいいはず』と言っていました」(前出・知人)だが皮肉にも、そうした“信頼”が事態の発覚を遅らせることとなってしまった。「これまでも周囲は『別れたほうがいい』と説得してきました。しかし南野さんは離れませんでした。すべては『あんなに父のサポートをしてくれる夫が、悪い人のはずがない』と考えがあったからでしょう。しかし、今度は違います。その大切な実父の介護費用が消えていたのですから。彼女のショックは、どれほどのものだったでしょうか」(前出・知人)本誌はA氏の携帯番号やメールに連絡を取ったが、返答はなし。A氏が持っていたという名刺の連絡先にもコンタクトを取ったが、担当者は「うちは関係ありません」と答えた。「南野さんはドラマ撮影のため京都にいましたが、夫と話し合いをするため東京に戻ってきました。すぐにでも離婚についての話し合いを進めるつもりのようです」(前出・知人)
2019年03月05日「1年前、会社の健康診断で肺が“要精検”となりました。症状もなかったし、喫煙歴もないので、深刻に思っていませんでしたが、その後、CT検査を受けたら、末期の肺がんが見つかって……。すでに骨に転移して、最近は痛みも出てきましたが、家族の支えでなんとか頑張っています。ただ、いつも頭に浮かぶのは“なぜ”という思いです」(50代会社員女性)日本人の3人に1人ががんによって死亡している。国立がん研究センターがん情報サービスによると、死亡数が多い部位は、女性の場合、大腸に続いて肺が2位。芸能界では、野際陽子さんや星由里子さんが肺腺がんで亡くなり、東てる美(62)が闘病生活から復帰したばかりだ。男性では、中村獅童(46)も患ったことが記憶に新しい。国立がん研究センター東病院の呼吸器外科科長の坪井正博先生が語る。「肺がんは、40代くらいから発症者が徐々に増えだし、70代でピークをむかえます。特に喫煙との関連が大きいと見られているのが、扁平上皮がんと細胞肺がんです。一方、非喫煙女性にも多く、増加傾向にあるといわれるのが、肺の奥や末梢に生じやすい、腺がんです。かつて、肺がん患者の男女比は7対3ほどでしたが、特に腺がんでは女性の比率が同等くらいに増えてきました」米国ハーバード大学で疫学研究に従事した、内科医の大西睦子先生も、こう解説する。「’17年、米国インディアナ大学の教授は、アジア女性の肺がん患者の50%が、非喫煙者であることを指摘しています」30年で罹患者は3倍超、死亡者も2倍になった肺がん。「喫煙しないので関係ない」と思っていた人が肺がんになる。そんな事例が増加しているという。
2018年12月05日《はじめまして。眞栄田郷敦(まえだごうどん)と申します。これからお願いいたします》9月13日に開設されたインスタグラムには、こんなメッセージともに、切れ長で涼し気な目元が印象的な青年の写真が!眞栄田郷敦(19)は世界的アクションスター・千葉真一(79)の次男で、人気若手俳優・新田真剣佑(21)の弟だ。芸能関係者は言う。「以前から噂されていた郷敦の芸能界デビューがついに決まったのです。すでに10月6日に開催されるファッションイベント『TGC(東京ガールズコレクション)北九州2018』に出演することが公表されています。さらに10月からは映画の撮影にも参加します。デビュー作にも関わらず準主役クラスで、映画の公開は来年の予定だそうです」千葉真一には3人の子供がいる。故・野際陽子さんとの間に生まれた女優・真瀬樹里(43)、そして’96年に再婚した一般女性との間に生まれたのが、真剣佑と郷敦だ。「マッケンユーにゴードンと、日本人としては珍しい名前ですが、これは千葉の強い希望によるもの。彼の夢は“自らの手でハリウッドスターを育てる”ことなのです。郷敦は岡山県の名門高校出身で、在校中は吹奏楽部部長を務めていました。アルトサックスを担当し、昨年の『全日本吹奏楽部コンクール』にも出場しました」(前出・芸能界関係者)次男の芸能界入りにあたって、千葉は徹底的にマンツーマン指導を行ったという。千葉の知人は言う。「千葉さんは数年間の離婚協議の末、’15年に2番目の奥さんと離婚しています。郷敦くんの親権はその前妻が持っているのです。しかし郷敦くんが岡山県内の高校を卒業すると、千葉さんは東京都内にマンションを借りて、いっしょに住むことにしました。郷敦くんに短期間で役者としてのイロハを教え込むためには、同居して、自分の所作を肌感覚で覚えさせることがベストだと判断したようです」千葉は、千葉県内に一戸建て住宅を所有している。「千葉県の家には、トレーニングルームも完備されています。週末はそこで、体力づくりやアクションの初歩をかなり厳しく教えていました」(前出・知人)ときには“鬼父”と化す千葉が教えたのは、演技の基礎や体の鍛錬法ばかりではなかった。“日本人俳優としての哲学”なども伝えようとしたという。千葉のインタビューには、“武士道”や“サムライ”といった言葉が頻出する。それは戦前に軍のテストパイロットをしていたという父の影響もあるようだ。《僕は日本人の心や日本文化が大好きで、おやじの中にもそれを見ていた。米国に拠点を移した時は、息子2人に必死で日本の歴史と国語を教えました。武士道の精神というか、日本人の魂は、息子にも受け継がれたと思います》(朝日新聞’16年3月18日付)前出の知人は言う。「千葉さんは“いい俳優たちにはいいものを伝えなければいけない。それが僕なりのサムライ道”とも語っていますが、特に郷敦くんにはその思いが強いようです。『軽薄な芸能人にはなるな。お前は、日本の心を世界に伝えるサムライになれ!』と、繰り返し語っているのです」かねてから息子たちをハリウッドで活躍させることを夢見てきた千葉だが、次男・郷敦のデビューにより、さらに意気軒高になっているという。「郷敦くんを連れていくこともあったり、単独のこともあったりしたそうですが、最近は頻繁に海外に行っています。千葉さんの究極の夢は“親子3人でハリウッド作品に出演すること”なのです。そのために親子3人での企画を、海外のエージェントに熱心に売り込んでいるそうです」(前出・知人)“世界的俳優一家”を目指す千葉真一と眞栄田郷敦、父子二人三脚での疾走は始まったばかりだ。
2018年09月27日演歌歌手の山内惠介と女優の南野陽子が、2日に東京・明治座で行われた『山内惠介 東京・明治座初座長公演』公開舞台稽古に出席し、絶妙なコンビネーションを見せた。同公演は5日から15日まで、明治座で行われる。山内は63年にタイムスリップし、母親(南野)と結婚する前の父親と体が入れ替わってしまう役を演じる。作中には2人が抱き合うラブシーンもあるといい、南野は「お母さんの、子どもを抱くような感じ」と明かす。しかし山内が「抱き慣れてらっしゃるのかな」と感想を漏らすと、南野は山内の頭を軽く叩き、ツッコミを入れていた。また、南野が「まだ出会って数日ですが、10何年前から仲良しなくらい距離が近い。(山内の)良いところです。私は逆のタイプで"ツンケン"が得意」と明かすと、山内は「ツンデレですもんね。何かあったら(『スケバン刑事』のように)ヨーヨーを投げられるんじゃないかヒヤヒヤしてます」と話すなど、息の合った掛け合いを見せていた。
2018年08月03日俳優・佐野史郎(63)が5月29日、都内で行われたフジテレビ系オトナの土ドラ「限界団地」(6月2日スタート)の制作発表に共演の足立梨花(25)らと出席した。 佐野にとって初の連ドラ主演作。演じる主人公・寺内は6歳の孫娘に異常な愛情を注ぎ、古きよき団地像に執着する不気味な老人だ。 佐野といえば26年前に放送されたTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」でマザコン男・冬彦を怪演し、ブレーク。ドラマは社会現象となった。 「『ずっとあなたが好きだった』の主演は賀来千香子さんでしたが、佐野さんが演じた主人公の夫である東大卒のエリート銀行員のマザコン男・冬彦さんは主役を食ってまう勢い。現在だとストーカーにあたる行為の数々や故・野際陽子さんが演じた母親に対する溺愛ぶりなど、夏のドラマにもかかわらずお茶の間を凍りつかせました」(テレビ局関係者) 会見で佐野は冬彦さんと寺内を比較。「寺内は(冬彦さんに比べると)一枚上手。攻撃的で、ちょっと弁護しようがないところがある。やっていることは10倍くらい怖い」と不敵な笑みを浮かべたという。 「すでに『再び社会現象が巻き起こるのでは』と期待の声が上がっています。というのも、若い世代は冬彦さんのときの“衝撃”を知らないからです。佐野さんの怪演は新鮮に映るはずですし、彼が“10倍くらい怖い”という寺内にきっと引き込まれるでしょう」(芸能記者)
2018年05月30日左から小倉優子、南野陽子、沢口靖子アイドル時代は清楚で可愛く、お嬢さんらしいルックスにちょっぴりセクシーな口元のホクロがチャームポイントだった南野陽子(50)。だがここ数年、その口元のホクロが「こんなに大きかった!?」「目立ちすぎ」「オバさんっぽい」とネットで指摘されている。一方で、アラフィフで鼻下のホクロを取り、やっぱり美人女優!として評価が上がったのが沢口靖子(52)。1999年にスタートした沢口が主演する人気ドラマシリーズ『科捜研の女』だが、2015年の15シーズンが始まる頃、「ホクロが消えた!」と話題になった。小倉優子(34)もデビュー時はホクロだらけだった顔が、ブレイク後はきれいになくなっているとウワサされている。ホクロがチャームポイントにも欠点にもなるのなら、一体どのような手段を取るのがいいのか?美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長に話を聞いた。――南野さんといえば50代になった今も可愛らしい印象ですが、ネット上で騒がれているホクロ問題、院長から見ていかがですか?(写真を見せる)高須「若い頃の写真と比べて、育ってるね!コレ、サイズだけじゃなく高さというか、膨らみも大きくなったような……。でも南野さんが特別なわけではありません。みんなホクロ・シミは成長し、イボは増えるんです」――ホクロやシミができちゃった、わけではなく、成長するんですね!!高須「そう。いきなり発生するというより、肌の下に潜んでたものが、色も濃くなり大きくなり、自分の目でも確認できるようになる。ここで人は、“アッ!こんなところにホクロが!”ってなるわけ!」――ところで、ネットでは南野さんのホクロは大きさだけじゃなく、「オバさんっぽい」なんて言われてますが、ホクロは老けて見えることにも関わりがあるものなのでしょうか?高須「シミやイボ、目立つような大きさのホクロはやはり人の目につくし、肌もキレイに見えず、オバさんっぽい印象になりますね」――しかし、南野さんは若い頃からホクロがチャームポイントでしたし、さらに口元のホクロは色っぽいなどと言われ、良いイメージもあります。個人的にも、もしホクロを取るとなると今後の運勢も変わってきそうで、ためらってしまいそうです……。高須「まず、ホクロやシミを取って運気が下がったなんて話、患者さんから聞いたことはありません。迷信はあくまでも迷信だね。でも、本人が運勢を気にしたり、そのホクロを気に入ってるなら、ホクロのサイズを半分にしたり、移動することもできるよ」――半分にしたり、移動もできるんですか!?高須「ホクロを半分切除して縫い合わせたり、切除したものを移植するんです」――そんな方法があるんですね。ところで、成長したホクロはその先どうなるのでしょうか?高須「大きくなり続ける、または悪性化するなんて場合もあるね。なので、美容面でも皮膚の健康面でも、目立つホクロやシミは対処法を考えたほうがいいとボクは思うな~」――ところで、沢口靖子さんはや小倉優子さんはホクロを取ったようです。(ホクロがあった頃の写真と現在の写真を見せる)高須「いいじゃない!沢口さんはつい鼻の下に目が行っちゃってたけど、すっきりしてより美人になって若返ったね。小倉さんも顔の全体に散るようにあったホクロがなくなって肌が白く見えるようになったし、どちらも大正解だね。これはYES!な変身例でしょう」――おふたりのようにホクロを取るには、美容医療でどういった方法があるのでしょうか?高須「大きいホクロは切除、小さいものはレーザー照射などですね。どちらも治療箇所は麻酔など前処置をするので、痛みも気にならないと思うよ。南野さんもアンチエイジング策のひとつとして、ホクロとお別れもいいかもよ!」<プロフィール>高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。高須クリニック院長。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。脂肪吸引手術など世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。金色有功章、紺綬褒章を受章。『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『ダーリンは70歳/高須帝国の逆襲』(Kindle版)、『行ったり来たり僕の札束』(小学館)、『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)。最新刊は『炎上上等』(扶桑社新書)。
2018年05月27日加藤綾子“カトパン”こと元フジテレビアナウンサーの加藤綾子の人気が急上昇だという。『好きな女子アナランキング』で上位にランクインするほど人気のあった加藤が、フジテレビを退社して、フリーアナウンサーとなったのは’16年の4月。フリーアナが飽和状態の昨今、たとえ人気局アナであったとしても仕事を獲得するのは難しいことなのだが、「カトパンは、古巣であるフジテレビの番組出演はそのまま継続していますし、NHKでレギュラー番組が始まりました。他局からも出演のオファーが続々と入っている状態です。イベントの司会にも引っ張りだこですし、アナウンサー以外の仕事ではCMも何本か入っています。フリーに転向したばかりで、これだけ活躍している女性アナウンサーは過去に例がないと思います。“歴代最強女子アナ”と呼ばれるだけのことはあります」(芸能プロ関係者)“アナウンサー以外の仕事”といえば、加藤は女優デビューを果たした。現在放送している日曜劇場『ブラックペアン』(TBS系)に出演中だ。彼女が演じるのは、治験コーディネーターを務める木下香織(きのしたかおり)。この人物は物語を引っ張る重要な役どころを担う。「まだ1歩踏み出したばかりですから、評価しにくいですが、アナウンサーだけあって滑舌もいいし、何と言ってもカトパンには華があります。ドラマの回を追うごとにどのように成長していくのか、今後が楽しみです」(テレビ誌ライター)民放だけではない。現在放送中のNHK朝ドラ『半分、青い。』にも出演を果たし、“女優”カトパンは順調に滑り出したようだ。アナウンサー出身の女優といえば、元祖といってもおかしくないのが、昨年亡くなった野際陽子さん。野際さんはNHKを退職したあと、’63年に放送されたドラマ『悲の器』(TBS系)で女優デビュー。その後フランスに留学、帰国してから出演したドラマ『キイハンター』(TBS系)が大ヒットして、人気女優の仲間入りを果たした。その後の活躍は改めて言うまでもない。「野際さん以降では、八木亜希子さんでしょうか。彼女も朝ドラ『あまちゃん』に出演して話題になりました。ただ、MCや司会などアナウンサーとしての仕事の方がまだ多いですね」(前出・テレビ誌ライター)はたして、彼女は女優の道を進むのだろうか。アナウンサーには珍しく、音大出身の彼女は音楽の先生を目指していたという。アナウンサーになったきっかけについて、一年前に受けた雑誌のインタビューで、《(入社試験は)当時付き合っていた人から「受けてみたら?」と勧められて》と答えている。カトパンらしい!「たまたまアナウンサーになったとよく言っています。本人は何かひとつの仕事に固執はしていないようで、なんでもやってみたいそうです。アナウンサーは彼女にとって通過点に過ぎず、もしかすると女優業も最終目標ではないのかも。その一方で、仕事より家庭、お母さんを目指したいなんてことも言ってますよ。オジさんたちが聞いたらキュンとしちゃいますね(笑)」(テレビ局関係者)番組で共演したマツコには、「アンタって本当に汚い女!万人受けを狙っている。誰からも嫌われないもんね」と言われる始末。“あざとさ”を感じる人も多いだろうが、そんな彼女に魅了される男性ファンが、局アナ時代より確実に増えていそうだ。<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。
2018年05月07日南野陽子南野陽子の夫がまた……。発売中の『FLASH』(3月20日号)によると、南野の夫・K氏は自身が経営している都内のクリニックの従業員に日常的に暴行を加えていたという。同誌には暴行された跡を示す従業員の生々しい写真が掲載されていて、すでに警察に被害届が出されているという。K氏といえば、今年に入って、事務局長を務めた医療法人から9000万円にのぼる大金を横領したとして刑事告訴されていたことが発覚したばかり。「’11年に南野と結婚した当初、K氏はIT関連会社の社長と紹介されていて、資産家だということでしたが、実際は人材派遣会社を経営していました。しかし会社が破産してしまい、K氏の多額の借金を背負い、それはすべて南野が返済していると言われていましたね。知人との間で億単位の借金トラブルがあると、週刊誌に報じられたこともありました」(芸能レポーター)金銭トラブルだけではない。南野と結婚した後に、銀座のクラブのママと不倫関係になり、妊娠までさせたと、別の週刊誌が報じたこともある。ここまでくると、いわくつきの男性と言っていいようだが、南野との結婚生活は何事もなかったように続いている。しかし、今回の件は決して看過できない暴行事件だ。南野は大丈夫なのか!「佐伯日菜子や加護亜依のように、夫からDVを受けた人はいます。南野はいまのところ大丈夫なようですが……」(週刊誌記者)降板した斉藤由貴の代わりに大河ドラマ『西郷どん』出演を果たした南野。北川景子演じる篤姫の教育係として、これから出番が増えるだけに、仕事への影響が心配される。「万が一、夫が逮捕されたとしても、南野さんが犯したことではないので、何かペナルティが課されることはないと思いますが、彼女の仕事に対するモチベーションが下がることが懸念されます。自ら降板を申し出ることも考えられますね」(前出・芸能レポーター)『FLASH』によればK氏に離婚する意思はなさそうで、「K氏にぞっこんの南野も今のところ、離婚するつもりはないようです。しかし、芸能界の今までの例を見ると、矢田亜希子、加護亜依、山口もえなど、夫が結婚前から良からぬ噂があり、結婚後に事件を犯して逮捕された場合、離婚する確率は高いですね」(前出・芸能レポーター)彼女の周りはしきりに離婚を勧めているというから、結論は意外に早く出るかもしれない。<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。
2018年03月08日「NHKに入ったのが、およそ60年前。あなたはアナウンサー、私は放送劇団。そのころからもう気が合っていて、一緒にフランス語を習ったり、同じ洋服屋さんでお洋服を作ってもらったり」 今年6月13日に亡くなった女優・野際陽子さん(81)を偲び、そう語るのは女優の黒柳徹子さん。野際さんは’58年、NHKにアナウンサーとして入局し、’63年に女優デビュー。テレビドラマ『すっとあなたが好きだった』(TBS系)での息子を溺愛する母親役など、鮮烈な役柄を数多く演じた。 そんな、野際さんに黒柳さんが送る感謝のメッセージ。題して「“愛”を教えてくれたあなたへ――」。 「私はあなたの感覚が好きだったし、何より正直だった清らかなあなたが好きでした。長いことファクスでやりとりしましたね、流れるように美しい字のあなたのファクスは、カタカタと静かに送られてきました。大きくてガタガタの字の私のファクスは、あなたと対照的に、恐らく、ドタドタとお宅に到着したことでしょう」 そして、黒柳さんはこう続ける。 「そういえば『死』ぬときのことなんかも、話したことがありましたね。次に、あなたにお会いしたとき、どんなだったか話し合いましょうね。あなたのいらっしゃらないこの世界は寂しいです。本当にお友達がいなくなったようです。じゃ、今度お会いするまでね。お友達でいてくださって、どうもありがとう」
2017年12月16日酸素チューブはマネージャーが持つ医療用ボンベとつながっていた「打ち上げ会場にいらした津川さんの姿を見て驚きました。ジャージ姿で、鼻にはチューブが入れられていたんです。垂れ下がった先は医療器具の入ったカバンにつながれていました。おそらく、医療用酸素ボンベなんだと思います。マネージャーさんに支えられてゆっくり歩いていて、いかにも体調が悪いといったご様子でしたね」(会の参加者)11月中旬、ドラマ『アカギ』(BSスカパー!)の打ち上げに津川雅彦が姿を見せた。主演の本郷奏多や駿河太郎、田中要次などが集まる中、津川も主要キャストとして参加したのだ。「『アカギ』は麻雀を題材にしたマンガが原作です。これまで2シリーズが実写ドラマ化されました。津川さんは、主人公アカギの最大の敵・鷲巣を演じていて、全作品に出演しています。来春にはアカギと鷲巣との直接対決を描く『アカギ〜鷲巣麻雀完結編〜』が放送されることになっていて、撮影はすべて終了しました。津川さんはアカギを追いつめる闇の帝王を演じますから、1作目に続いて画面に出ずっぱりになります」(制作会社関係者)裏社会を仕切る大物という設定で、津川は重厚な演技で存在感を見せつける。しかし、’15年に撮影された1作目に比べると、今回は明らかに様子が異なっていた。「前作ではとても元気そうでしたよ。撮影の際にも“こうしたらもっとよくなるのでは”と積極的に意見を出してくれて、とても頼りがいがあるという印象でした。でも、今回の撮影が9月にクランクインすると、前とはまったく印象が変わっていたんです。見るからに表情が暗く、会話も少なくなっていました。免疫力が落ちているのか、いつも風邪ぎみだったようですね」(同・制作会社関係者)津川の体調が優れないことで、撮影のスケジュールにも影響が出たという。「津川さんの体調に合わせて撮影が進んだので、スケジュールが押したり、順番を入れ替えてほかのシーンを先に撮るといったこともありました。日程を大幅に調整しなおすことになったので、撮影は綱渡りでしたよ。津川さんの出演するパートになると“ミスを犯してはいけない”と、スタッフの間にも緊張感が漂いました」(同・制作会社関係者)■ついに体調不良で……何とか撮影に臨んでいた津川だったが、11月1日のクランクアップの日、ついに体調不良で現場に来られなくなってしまった。「4、5日後に撮り直しをすることになったのですが、津川さんの体調は回復しませんでした。時間的にもう日程を延ばすことはできなかったので、撮影できなかったシーンは以前の映像を使い回すことに。声も、あとで録音してつなぎあわせるしかありませんでした」(同・制作会社関係者)現場の努力でなんとか形にしたものの、最初に予定されていた打ち上げの日程も変更されることに。ほかの仕事が入ってしまった人もいて、重要な役どころを演じた鹿賀丈史は参加できなかった。「ドラマの内容にちなみ、打ち上げは渋谷の雀荘で行われました。それぞれが好きなものを頼んで飲むというアットホームな会でしたね。ありがちなビンゴ大会などはなく、お酒を飲みながらの麻雀大会です。スタッフやキャストも合わせて40〜50人ほどが集まりました」(前出・会の参加者)撮影に来られないほどの状態だったのに、津川は強い責任感からか打ち上げには無理をしてでも顔を出さなければとの思いがあったようだ。チューブで酸素を補給しながら、スピーチに立ったという。「いらっしゃったのには驚きましたね。ご病気の状態が気になりましたが、誰も聞けませんでした。挨拶の番が来ると、“最後の撮影では、みなさんにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。自分としてもとても悔しかった”と話されました。このことを伝えるために、わざわざ会場までいらっしゃったんでしょう。とても律義で人情味がある方だなと思いました」(同・会の参加者)会場にいたのはわずか10分ほど。ゆっくりとした足取りだったが、自分の足で歩いて帰りの車に乗り込んだ。津川には“いつもダンディーで若々しい”というイメージがあったが、かなり前から身体の不調に悩まされていたという。「40年ほど前に、肺に風船のような大きな嚢ができるという病気にかかったんです。放置しておくと穴があいてしまう危険があるので手術を受けました。それ以来、呼吸器系に不安を抱えながら仕事をしてきたんです」(映画配給会社関係者)俳優として活躍するだけでなく、マキノ雅弘名義で映画監督も務めるように。「’09年には『旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ』という作品を製作しました。無理がたたったのか、撮影中に肺炎を発症します。それでも監督だから休むわけにはいかないと、車イスに酸素吸入器を装着しながら、撮影を敢行しました」(同・映画配給会社関係者)■所属事務所に聞くと現在の体調について、所属事務所に聞いてみた。「10月末に肺炎にかかってしまい、しばらく入院していたのですが、元気になったので打ち上げに参加しました。今は体調のほうも落ち着いており、次に決まっている仕事もあるので、これからも精力的に活動していきますよ」長年連れ添った妻の朝丘雪路とは、別居生活を送っているとも報じられている。体調はよくなってもひとり暮らしでは何かと不便も多いだろう。現在も別居は続いているのか聞くと、「かなり前からふたりは一緒に住んでいますよ。もう3年近くになるでしょうか。娘の真由子ちゃんが雪路さんの面倒を見ているなんて報道もありましたが、そんなことはありません」(所属事務所)時間の経過がふたりを再び結びつけていたようだ。肺炎が治ったなら喜ばしいことだが、77歳という高齢もあり、無理は禁物だ。’14年に津川は『週刊女性』のインタビューにこう答えていた。《僕は16回入院して11回手術して、心筋梗塞にも3回なっています。もう明日生きていれば立派なもの。毎日生きていることに感謝する段階にきました》 『アカギ』で演じている鷲巣は1度、昏睡状態に陥っても奇跡の復活を果たす。役と同じような強運を津川も持っているに違いない。
2017年11月21日