和食【尾張三ぶん】和食【宮きしめん 駿】ビストロ【揚げバル マ・メゾン】和食【山虎】和食【炭焼きと日本酒 炉端ヒトイキ。】和食【尾張三ぶん】天然の魚料理と日本酒を堪能できる割烹和の趣き溢れる店内は、木の持つ穏やかさや温かみが感じられる空間名古屋駅に隣接するミッドランドスクエア4階に位置する【立ち呑み三ぶん】の姉妹店。暖簾をくぐると、落ち着いた和の空間がお出迎え。名古屋駅にほど近い好立地でありながら、店内はまるで料亭を思わせる落ち着いた和空間です。店内にはカウンター席や完全個室、半個室などがあり、さまざまなシーンで利用できます。繊細な甘味と食感の北海道産の毛蟹を贅沢に味わえる『三ぶん名物 毛蟹サラダ』天然ものにこだわった新鮮な魚介や産地直送の旬野菜天然物の魚を用いた、心づくしの割烹料理を選りすぐりの日本酒と共に楽しめます。『三ぶん名物 毛蟹サラダ』は、蟹の甲羅に上品に盛られた蟹の風味漂うサラダに蟹の身が添えられた見た目にも美しい一皿。人間国宝の作品を含めた芸術的な食器の数々が華を添えます。尾張三ぶん【エリア】名駅【ジャンル】和食【ランチ平均予算】2000円【ディナー平均予算】5000円【アクセス】名古屋駅 徒歩1分和食【宮きしめん 駿】旬の食材を使用した逸品料理と季節のお酒が味わえる気軽な一軒おひとり様でも気軽に利用できる広いカウンター席名古屋駅直結のJPタワー名古屋B1Fで、創業からの変わらぬ味を守り続ける名物『宮きしめん』をはじめ、四季折々の旬の食材をふんだんに使った逸品料理が味わえます。おひとり様でも利用しやすいようにカウンター席を多めに設置。高級感あふれる内装と落ち着いた照明が印象的なくつろぎの空間で、ゆったりと食事を堪能することができます。季節の和食と日本酒が楽しめる『利き酒セット』 1,000円(税込)名物『宮きしめん』のみならず、季節の素材をふんだんに使った逸品料理も豊富。日本酒にも力を入れており、酒屋さんと相談し月毎にお酒のラインナップを変更しています。『利き酒セット』は、日本酒とおつまみの飲み比べ人気のセットメニュー。会社帰りサクッと飲むのにぴったりです。宮きしめん 駿【エリア】名駅【ジャンル】和食【ランチ平均予算】1000円【ディナー平均予算】2500円【アクセス】名古屋駅 徒歩1分ビストロ【揚げバル マ・メゾン】名古屋の老舗洋食店が提案するカジュアルな串揚げバル店内の雰囲気はおしゃれでありながら、自然体で過ごすことができる居心地の良い空間名古屋市内の老舗洋食店【マ・メゾン】が提案する、カジュアルなスタイルで楽しめる串揚げバル。明るくカジュアルな印象の店内は、イタリアンバルらしい陽気さを感じさせる空間です。おひとり様にもぴったりなカウンター席では、串揚げが出来上がる光景をぼんやりと眺めながら優雅なひとときを満喫できます。なじみ深いおでんの新たな一面に出合う『フレンチおでん4種盛り』 680円素材の魅力をシンプルに引き出したスタンダードな串揚げ、イタリア料理やフランス料理といった洋のレシピを取り入れた創作串揚げまでバラエティに富んだラインナップが自慢です。『フレンチおでん4種盛り』は、和の素材にフランス料理のアイデアを取り入れた洋風おでんのおすすめメニュー4品の盛り合わせ。揚げバル マ・メゾン【エリア】名駅【ジャンル】ビストロ【ランチ平均予算】900円【ディナー平均予算】3000円【アクセス】名古屋駅 徒歩1分和食【山虎】『味噌おでん』×『串カツ』×地酒『長珍』、地元愛知が誇る最高のマリアージュ照明や真空管ラジオ、骨董の大皿など器にもこだわった心落ち着く空間名古屋駅から徒歩3分、味噌文化が根強い名古屋で、赤だしが濃厚な『味噌おでん』と『串カツ』が人気のお店です。カウンターでは、下町の居酒屋感覚で和気あいあいとお酒が楽しめます。土・日曜、祝日は通し営業なので昼飲みで利用ができるのもうれしい。国産和牛を使用したトロトロとやわらかい『牛すじ土手煮』(大) 800円赤味噌にこだわった名古屋めし『味噌おでん』と『串カツ』を津島の酒造・長珍酒の日本酒とともに堪能できます。地元割烹店の裏メニューや本店定番のおばんざい、地元三河湾の食材にこだわった魚料理も充実。『牛すじ土手煮』は、牛すじ肉を鍋でやわらかくもどし、愛知の赤味噌でじっくり煮込み、卵、ごま、砂糖などで合わせた逸品です。山虎【エリア】名駅【ジャンル】和食【ランチ平均予算】1000円【ディナー平均予算】3000円【アクセス】名古屋駅 徒歩3分和食【炭焼きと日本酒 炉端ヒトイキ。】和モダンな空間でこだわりの炉端焼きと日本酒を堪能活気とぬくもりを感じられるカウンター席は、ライブ感のあるパフォーマンスが楽しめます国際センター駅近く、オフィス街の一角ある炉端焼きのお店。「究極の焼魚」といわれる看板メニュー『原始焼き』をはじめとした創作料理に加え、厳選した日本酒の数々が揃います。オープンキッチンの炉端を中心にした活気あるカウンター席では、臨場感が楽しめます。とろけるような食感がリピータの支持を集める『国産黒毛牛みすじの炙り寿司』『国産黒毛牛みすじの炙り寿司』は、やわらかなみすじ肉をバーナーで炙ることで程よく脂がとけ出し、口いっぱいに旨みが広がります。店名に「日本酒」の文字があるように、日本酒の品ぞろえには力を入れており、定番12種に加え、日替わりで3種を提供しています。独自のネットワークを駆使し、入手困難な希少価値の高い銘柄を仕入れています。炭焼きと日本酒炉端ヒトイキ。【エリア】名駅【ジャンル】居酒屋【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】5000円【アクセス】国際センター駅 徒歩1分※緊急事態宣言により、営業時間が変更されている可能性があります。最新の営業時間はお店に直接お問い合わせください。
2021年02月01日俳優の宮世琉弥(みやせりゅうび)が、3月14日にスタイルブック『RB17 りゅうびセブンティーン』(SDP 1,980円)を発売すると発表した。合わせて、表紙画像と収録カット4点が公開された。宮世は昨年、若手俳優の登竜門とも言われる資生堂「シーブリーズ」のCMや、TBS系ドラマ『恋する母たち』に仲里依紗の息子役で出演し、美男子ぶりが話題に。現在放送中のカンテレ・フジテレビ系ドラマ『青のSP』(毎週火曜21:00~)ではミステリアスな生徒・佐々木悠馬役を演じており、“ネクストブレイク俳優”として今後の活躍が期待されている。同書タイトルの『RB』は“りゅうびズ・バイブル”という意味で、グラビアカットはもちろん、理想のデート企画、私服コーデや毎日のルーティーン、ロングインタビューによるヒストリー紹介など、全96ページで宮世琉弥がまるごとわかる、永久保存版のスタイルブックとなった。表紙に選ばれたのは、季節をテーマにしたグラビアページ“秋”の1枚。甘えるようにこちらを見つめる表情は、ふんわりとした優しい雰囲気のなかに色っぽさもにじみ出ている。そのほか、春は制服や体操着を着た17歳の現役高校生らしい姿が収められ、夏はアロハシャツ姿、冬は赤いマフラーなど、さまざまなシチュエーションを用意。今回公開された収録カットでは、撮影で意気投合したというポメラニアンの“たろう”くんとの仲良しショットも。宮世は同書について「こんなに素敵な自分の本を出せるなんて夢みたいです。本当に皆さんのおかげです!」と感謝をあらわにし、「この本は僕の色々なことが分かってしまいます! 完全に今の17歳の僕、宮世琉弥のトリセツです。僕のことを知らない方でも読んでもらえたら分かってしまうほどです」と説明。「是非、色んな宮世の顔を見てください。学校やお仕事に一緒に連れて行ってみんなで見てくれると嬉しいです」とアピールした。
2021年01月25日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。まだ感情のコントロールが苦手で、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまう子どもたち。他人の苦しみや欲求は、どうすれば理解できるのでしょうか。第10回『同情するならお湯をくれ。』「怒りたくて怒ってるんじゃないよ」と言われて「なら怒らなければいいじゃないか」と思ったことがあるのは僕だけではないだろう。学校からの帰り道、歩きながらノートを広げている子がいた。「危ないからノートしまって歩きなよ」と声をかけると「だってー」と返してきた。「危ないことは危ないからやめてね」と口答えを制した。理由があろうと危ないことは危ないのだ。しばらく歩いたところでお茶を飲みながら、またノートを広げていた。「しまっときって言うたやろー!」と少し語調を強めると、注意されて落ち込むというよりも楽しみを邪魔されたというような表情をした。心配していることを伝えるつもりで言い訳のように「怪我したらあかんからな。ほんで、暑いから水分しっかり取ってな」と言うと「だから飲んでてんやん」と言い返してきた。なんだかやけに反抗的だなと思いながら視線を落とすと、広げたノートに地図のようなものが書かれているのが見えた。スタートらしき場所には「がっこう」と記されており、路線図のようにいくつかの四角を線で繋げていて、ところどころに手書きの星マークがつけられていた。双六のようにも見える。「なに見てたの?」と、指摘としてではなく興味本位で尋ねた。「帰り道に暑くてお茶飲まなあかんから、飲むポイントを書いてんねん、いまここ」と言って[学校]と[学童]の間にあるチェックポイントの一つを指した。「真夏の水分補給」も子ども達に指導している交通ルールと同じく大切なことだ。それを自分たちで工夫して実践できるようにしていることに感心しながらも「いいことやけど、危ないからノート広げて歩くのはやめような」と伝えた。しばらくしてから、「おもろいなあ」とそのノートのことを思い出していた。自分たちで相談して書いたんだろうか。決められためんどくさいことも、あそびに昇華してるなんてすごいじゃないか。「いいことやけど」ってなんやねん。ただただめっちゃおもしろいやん。「いいことや」って取ってつけたように言ったけど、あの子たちには「怒られた」ってことだけが残っているんじゃないかと少し後悔した。自分で自分に「怒りたくて怒ったんちゃうねん」と言い訳した。「なら怒らなければいいじゃないか」と子どもの頃のぼくが顔を出す。危ないことは危ないからやめてもらわなきゃいけない。けれど、もっとほかに伝え方があったんじゃないか、間違いを指摘することをそんなに焦らなくてもいったん話を聞くことくらいはできたんじゃないか、と何度も考えていた。思い通りにいかないときに癇癪を起こしてしまう子がいる。諭すように話したり、思いに寄り添うように声をかけたりしてみても全く応じることはなく、言葉をかければかけるほど興奮したり、脱力して床に寝そべり駄々をこねたりする。腫れものを触るように接していき、癇癪玉が爆発したら最後「鎮まりたまえ!」と災難が過ぎ去るのを待つようになだめ、根負けして思い通りにさせるか、そうでなければ開き直って強引に言うことを聞かせるしかない。その子は好きなあそびを中断されるたびに駄々をこねた。みんなで遊んでいるときには機嫌よく過ごしているけれど、終わってしまったり中断されると手をつけられなくなっていた。ある日、その子は好きなあそびをせずに一人で過ごしていた。ひとりでのんびり過ごしているのかといえばそうではなく、かと言って別のあそびに夢中になっている訳でもなさそうで、あえてそのあそびから離れているように見えた。何かあったのか尋ねてみると、その子は少し黙ってから「もう、ああなるの嫌やねん」と小さく言った。「ああなるの」とは「キーーーッ!」ってなること、つまり「癇癪を起こしてしまうこと」だ。「思い通りにいかないことがあったら癇癪を起こす子」ぼくはそんな風にその子のことを見ていた。思い通りにいかないことを押し通そうとする姿は、半ばわがままにも見えた。その子にも制御ができないのだ、とそのときに初めて気が付いた。本人が苦しんでいるなんて思ってもいなかった。癇癪を起こさないようにしたり、それを鎮める方法を話し合いもした。けれど、それは「その子がしんどいから」ではなく、「僕たちがしんどいから」やっていた。その子が癇癪と戦っているのに、僕とも戦わなきゃいけないなんてそりゃあしんどい。僕には見守るか支えるしかできなかったのだ。もしかしたら、わがままな姿や怠慢に見える姿が、ただ気に食わなかったのかもしれない。誰も困りはしないのに何故だか許せない、そんな感情ってあるんだよね。その子が感情をコントロールできなくて、うまく表現できなくて苦しんでいるかもしれない。それを分かっていても、それでもやっぱり「自分の言う通りにしたいだけじゃないか」とか「ただのわがままなのではないか?」と感じてしまう自分がいる。考えてみれば、その子が癇癪を起こさずに言うことを聞いて欲しい、と望んでいる僕の考えも、自分の思い通りにしたいというわがままだよね。僕たちはなんで、人がわがままに振る舞っていたりサボっているように見えたりするのが許せないんだろう。たとえば危険があるとか誰かの迷惑になるとかなら分かるけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、手を抜いていたりサボっていたりズルをしていたりすると許せない。気に食わないな、と思うだけなら勝手だけれど、「その子のためにならない」というもっともらしい理由をつけて厳しくしてしまうこともある。親を甘やかしたらいけないという価値観も、保育や教育の業界から聞こえてきたりする。「気に食わない」だけで批判するのは理不尽だって誰でも分かるけれど、それが「教育」とか「当たり前」という仮面を被ってたら、そういうものなのかもと思ってしまう。しんどい人は救われるどころかさらに追い込まれていく。しんどいのなら、甘えてもいいんじゃないのかな。なんで、甘えたり手を抜いたりすることが許せなくなってしまうんだろう。あ、例えば、狩りで生きてきた時代には、サボってしまったら生死に関わるから本能的に「サボるのは許せない」と感じるのかもしれないな。とか適当なことを考えてみたけれど、「サボりたい」「休みたい」も生きるために必要な心の声じゃないか。「何個しんどかったら帰れるんですか?」中学校に勤めている友人が、保健室で生徒に聞かれたらしい。熱は無いけれどアトピーの調子が悪いし具合もよくないので帰りたい。けれど、サボりだと思われて帰らせてもらえないとのこと。甘やかしてクセになってもいけないし、だからって子どものしんどさに寄り添えないのもつらいものだ。僕は子どもの頃からアトピーなんだけれど、痒いとか痛いとかだけでなく、向けられる視線やかけられる言葉に傷付いたり、自分は頑張りたいのに頑張れないしんどさもある。学童でも身体が痒くて目の前の宿題に集中できない子がいて、それを見て「集中力がないな」と思ってしまいそうになる。けれど、絶対に「集中しなよ」と声をかけることはしない。だって、集中できるならしてるもんね。痒いから集中できなくて、集中できないからまたイライラして掻いちゃって、終わりが見えなくてボーッとしてしまうんだ。荒れた肌は見た目も良くないし、フケが服についたりするから清潔感がないとか言われる。清潔にしていないとすぐに悪化するから、一度来た服を洗わずに着ることはないしシーツだってしょっちゅう洗う。その辺の清潔感のあるイケメンよりも、きっと清潔であることを心がけているけれど、見た目の清潔感は伴わない。食生活が良くないんじゃないかとか生活習慣が悪いんだよって言われることもある。怠慢だから、サボっているからだよと病気をその人のせいにしたがる。しんどくてエネルギーを使いすぎて、いつもなら容易にできることが、ガス欠でできないこともある。当たり前にできるべきことができていないから、またやっぱりサボってるって思われる。その人のしんどさはその人にしか分からない。同じ痛みでも、平気な人もいれば、動けないくらい苦しむ人もいる。その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。病気に限らない。健康でも、その時の環境や状況でしんどい人はきっとたくさんいる。家族がケガをしたり、飼っている猫が病気だったり、失恋したり、推しが引退したり。病気だからとか障害だからとかではなくて、なにもなくてもそのしんどさに目を向けていたい。「そんなことくらいで」なんて他人が言っちゃいけないんだよね。みんなは大丈夫なのに自分がしんどくても、「そんなことくらいで」って自分で思ってしまうことも、もうやめたい。みんなしんどいことは嫌なはずだよ。そのしんどさから逃げたり解放されることを望んだりするのって悪いことじゃないはず。みんながしんどくなくて、みんながサボれる社会の方が断然生きやすいやんか。「なぜしんどいか」なんて関係なくて、そこにしんどさがあるのなら、それをまずは解消したい。甘えてなにがいけないんだろう。弱くてなにがいけないんだろう。教育というモノを言い訳に、育てるという名目のもとに、その子のしんどさを否定してはいないだろうか。まっとうに生きる。勤勉に生きる。それが幸せになるためではなく、ちゃんとした大人として見られるためなのであれば、もうそれにならなくてもいいやって思うの。ちゃんとした大人、を目指すなら、人のしんどさを自分の尺度で測らずに、想像したり寄り添える大人でありたいと思う。「正しいこと」よりも先に「生きやすいこと」を大事にしてみようよって思う。他人が大切にしているものを否定しないのと同じように、他人のしんどさを否定しない。それができたならきっと、自分の大切にしているものもしんどいことも、自分で否定しないでよくなるんだと思う。子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。少なくとも、相手には相手のしんどさがあることを知れるから、強さを求めて追い込んだり傷付けたりすることは減るだろう。みんなが強いことを望んで傷つけ合うよりも、弱さを認め合って支え合えたら。甘いと言われようと、僕はそうありたいと思うのだ。余談ですが別の日の帰り道に、「泥棒って、ご飯食べてるんかなあ」と尋ねてきた。不意に問われたその意図が分からなかったので、なるべく断定するような答えにならないように「どうやろうなあ」と返すと「食べてないんやったら、カップラーメンにお湯入れてあげたいわ」とその子は言った。ただカップラーメンをあげたい、ではなく「お湯入れてあげたい」という具体的な優しさが、哀れみとか同情ではなくその子の本当の思いであることを感じさせた。「泥棒ってお金ないんやろ、だからカップラーメンに」と繰り返す。生まれながらに悪い人、ではなく、お金がないから悪いことをしてしまう。そんなふうに考えられる人がどれだけいるだろう。悪い人の代名詞である泥棒だけれど、その子にとっての泥棒は悪い人ではなく困っている人なのだ。犯罪を犯すのはその人のせいで、貧乏なのは自己責任だと叩かれるこの社会で、この子は泥棒のカップラーメンにお湯を入れてあげたいと言っている。それを聞いてぼくが抱いた感情を、なぜだろう、うまく言い表せられない。考えを巡らせすぎたのだろうか、「あーーー」と叫んで「あかん、ほんまに泥棒にお金配りたくなってきた」と泣きそうな顔で呟いた。もしぼくが泥棒なら、って少し想像したら、泥棒でもないぼくが何故か救われたような気持ちになった理由が分かった気がした。ぼくが泥棒だったなら。きっと、そのもらったお金でカップラーメンを買うだろう。ビールを飲んだり美味しいお肉も食べたいけれど、餃子やお寿司も食べに行きたいけれど、でもきっとカップラーメンを買うだろう。そして、その子がお湯を入れてくれるのを待つのだ。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年10月27日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。保育の授業である質問をされた、きしもとさん。これを読んでいるあなたにとって『子供』とはなんですか?第9回『ちょっとずつやさしくて、ちょっとずつかなしい。』「子ども」を一言であらわすとなんという言葉を思い浮かべますか?保育の授業でそんな質問をされた。はしの席から一人ずつ「かわいい」とか「純粋」とか答えている中で、ある男が「邪悪」と答えた。その言葉は一際目立っていて、ぼくは「たしかに子どもには邪悪な一面もあるかもしれないな、おもしろい視点だなあ」と感心していた。一方、教壇でその質問をした先生は憤怒していた。憤怒なんて言葉を初めて使ったけれど、大げさではなく噴火する勢いで声を荒げて怒っていた。「子どもに悪の心なんてありません!」と。その男の言葉が宙ぶらりんになっていた。なんで「邪悪」と言ったのか、どんな想いや考えがあるのか聞こうとしないその姿勢はいかがなものかと思ったが、必要以上に怒られている当の本人は言い返すことはなく「そんな変なこと言った?」と困惑していた。どこかに隠れてしまったその男の本心を知りたくて、授業が終わってからどういう意味でその言葉を使ったのかを尋ねた。「子どもって悪気なく嫌なこととかするやん?人叩いたり悪口言ったりさ」と、いまだ怒られたことに納得しない表情で話してくれた。「それ、無邪気ちゃうん」と尋ねると「あ、それやわ!」と合点がいったようだった。まわりが子どものキラキラしている姿ばかりを言っている中でその視点を提起したのは素晴らしいなという尊敬の気持ちと、どんな言い間違いしてんねんアホやなという気持ちが入り混じり、「じぶん邪悪やな」と返すと、どう受け取ったかわからないけれど「ほんまや、邪悪やわー」と笑っていた。子どもの言葉と向き合うときに「子どもの言動をどこまで注意したらいいかわからない」という相談を受けることがある。小学生にもなると、どこで覚えたのか耳を塞ぎたくなるような暴言を、たとえば「しね」とか「ころすぞ」とか言うような言葉を軽はずみに使うようになる。そんな言葉を子どもから聞くと、ヒヤリとする。純粋無垢だったはずのその子が、悪に染まっていくようで不安になる。純粋なまま育ってほしい一心でその言葉を禁止したり、その言葉を使ったその子を咎めたりしてしまうけれど、子どもが本当に殺意を持ってその言葉を使っているのかと言えばきっと大体がそうではない。「きらい!」であるとか「むかつく!」であるとか、関西人の使う「あほか!」くらいの軽いノリの時もあるのかもしれない。どこで覚えたのかと書いたけれど、思い当たる節はいくつもある。テレビやネット動画だけでなく、日常で大人も使っていたりする。それこそ軽いノリで。自分の思いを言葉にしようとしたというよりは、まだ語彙の少ない中で相手を攻撃したり、自分のイライラする感情を表す言葉として、どこかで見聞きしたその乱暴な言葉を使うこともあるだろう。ぼくはそんなとき、自分が嫌だなって思ったことなら、それをそのまま伝えるようにしている。子どもの育ちのために、とか躾のためにとかは考えず、ひとりの人としてどう感じたかをそのまま伝える。言われたことが嫌だったなら、「傷ついたよ」と伝えればいい。誰かを傷つけるようなことをしていたら「見ていて気分が悪いよ」と自分の気持ちを話せばいい。必要以上に断罪はしない。表現の方法を間違えているだけだから、その言葉を肯定はしなくても否定もしない。否定したり禁止するということは、その子の感情に蓋をするということかもしれないからね。整理できない思いがあるのならそれを使わないようにするのではなく、その思いを表す言葉を知ることや、その感情との向き合い方を知ることの方が必要だろう。あわせて、その言葉の本心を理解しようとしてくれる存在と、受け止めてもらう経験も。それでもやっぱり根っこの感情が本当に「殺したい」のであれば「死ね」という言葉で正しいんだろうし、もしそうならば、その言葉を他人が否定することはできない。僕たち大人も自分の思いや感情を普段からちゃんと言葉にしているだろうか。そう考えたら、できていることの方が少ない気がする。「仕事いきたくなーい」ってよくいうけど、みんなは言わないかもしれないけど僕は言うんだけど、本当に仕事に行きたくないかといえば実はそうではなく「もうちょっとゆっくり寝たーい」とか「のんびり映画見てすごしたーい」とかだったりする。「細かい雑務がめんどくさーい」とか「あの上司と顔合わせたくなーい」とかかもしれないし、言葉にできなくてなんとなく言っていることだってきっとある。その感情をそのまま言葉にするのって実は難しくって、複雑に絡み合った感情を何か言葉にしたくて目の前のことにそのまま表出したりする。自分の感情をうまく言葉にできないだけでなく、自分の感情自体を正確に理解することもままならないときもある。子どもに「あっちいって!」とか「きらい!」とか「死ね!」と理不尽に言われたときに、本当はチクっと傷ついているのに、どうしてか怒ってしまったり。そもそも、感情を正確に言葉にすることなんかできるのかな。なんだかルンルンしている気持ちを「楽しい」という言葉にするから「楽しい」になる。そもそもルンルンってなんの音かわからないけれど、楽しいという言葉よりもルンルンの方が伝わることもあるかもしれない。もやもやしている気持ちを「悔しい」とか「むかつく」とかいう言葉にするからその感情が形になる。どの言葉にするのか適切な言葉をまだ知らないから、その感情からまっすぐ「死ね」とか「きらい」いう過激な言葉になるんじゃないか。その「死ね」や「きらい」は、「悲しい」かもしれないし「寂しい」かも「痛い」かも「虚しい」かもしれないし、「もやもや」とか「いらいら」とかかもしれないし、この世界の言葉にはない感情なのかもしれない。そんなときに、あなたはそんなこと言う子じゃないって言われたら、そんな思いを持つことはいけないことだって否定されてその思いに蓋をされたら、ぎゅーっと苦しくなる。それはきっと大人も同じだ。たとえばなにかお願い事をされたときにも、大人だから付き合ってあげないとって思わなくても、自分がそれをしたくないのなら断ってもいいのだ。ぼくは仕事だから子どもにお願いされたらよほど無理なことじゃなければ断らないようにしているけれど、仕事じゃないならその断る理由が「疲れた」とか「めんどくさい」でも悪いことではないと思う。ただ、そのときに「断られることも覚えないと」だとか「思い通りにいかないときの折り合いの付け方を学ぶ」とか、その子の育ちのためになりそうな理由を探しそうになるんだけれど、それは必要はない。むしろ、「相手のため」という言い訳は本質を隠すし、本心でもない。自分を守るために相手を引き合いに出す必要はない。相手のためではなく、自分のために自分を守ればいい。「いまは私が使っているから貸したくない」「疲れているから応えられない」ときちんと伝えればいい。「それはやめてね」「傷つくからね」そうやって伝えるだけでいいんだと思う。それでその子のなにかが育つとか考えるのは少し傲慢なんだ。意見の表明をして相手はそれを受け止めた。できる限り自分の本心に近い部分を伝えて、できる限り相手の本心に近い部分を受け取る努力をした。ただそのやりとりが人と人との関係なんだと思う。優しい人だねと言われたら、「そうなのかな」と思うと同時に、期待に応えようと思う。強い人だねと言われたら、弱音を吐いてはいけないような気がする。本が好きだもんね、勉強好きだもんね、優しいもんね、子どもが好きだもんね。その言葉に励まされることもあるし、道を踏み外しそうになるのを踏みとどまらせてくれることもある。けれど、その言葉が呪いとなることもきっとあるんだろう。期待に応えたいという思いとあわせて「そうある自分に価値がある」と思ってしまっていたりもする。言いかえればそれは、期待を裏切らないように、価値がないと思われないように、ということ。自分の役割に徹していると、自分の気持ちが疎かになる。そんな自分の気持ちをなおざりにしていることに気づいていなかったりもする。大人だから、子どもの言うことには傷ついたりしない。親だから、めんどくさいこともきちんとやる。長男だから下の子に優しくする。上司だから、部下だから…それぞれの立場でそれぞれの役割を演じるために、ときに頑張りすぎたりする。それってやっぱりしんどい。だから、優しくない自分もいて良いんじゃないかな。頑張れない自分も、意地悪な自分も、ネガティブな自分も、期待を裏切る自分も。「相手はどんな言葉を望んでいるんだろう」それを考えることはきっと優しさなんだけれど、本当の思いを伝えることでお互いが救われることもきっとある。それは、自分を大切にするということでも、相手を大切にすると言うことでもあるよね。子どもも同じだ。ぼくたちが抱く「子どもは純粋であってほしい」とか「子どもに邪悪なところなんてない」という期待が、子どもも大人もおいつめてしまう。自分にどんな役割があったとしても、自分がしたくないことやできないことは「したくない」と言っていい。それは、自分もひとりの人間であるという、自分が自分であるということ。命を危険に晒すとか突き放すのでなければ、相手を故意に傷つけたりするのでなければ、大人も子どもも一人の人間だ。子どもに対してだけでなく家族にでも友人にでも職場でもそうなんだと思う。当たり前にそれを我慢する必要はない。そんなこと言ったらできる人にしわ寄せがいくとか、みんなわがままになってしまう、と言われるかもしれない。「それはしたくないな、嫌だな」と思っても、それを伝えても、結局はやらなきゃいけないことはある。けど、だからって黙ってなきゃいけないとは思わない。部屋の掃除をしたくないし、洗い物がめんどくさい。だからって「掃除めんどくさーい!やりたくなーい!」と言っちゃダメかといえばそんなことないはずなんだよ。いい大人なんだから掃除するの当たり前でしょう。文句なんか言わずにやれよ。なんて言わないでほしいし、自分が自分をそうやって追い込むのももうやめたい。「めんどくさいよね、明日にしよっか」「まあでもやろっか」「だれかにたのもっか」でいいんじゃないかな。絶対に手を抜けない消毒とかもさ、やるのが当たり前でしょうではなく「めんどくさいよね、けどやらなきゃね」って自分で自分を慰めながらやってる。伝えることって立場によってはとても勇気のいることだから、言えないことが悪いことだということではなくて、自分を大切にするために、自分を追い込む必要なんてないってこと。近しい人に話したり、帰って独り言でも、SNSに吐いてもいい。「ほんとは嫌だったんだよね」「悲しかったんだよね」「むかつくんだよね」とほんとの気持ちを言葉にするだけで、自分の気持ちを大切にできるような気がする。その言葉が少し乱暴でもいいのかもしれない。もしかしたら相手も自分の感情を正確に言葉にはできていなくて、悲しませるつもりはなくて、まっすぐ正確に言葉にすれば関係が良くなることだってきっとあるんだろう。もちろんそんな簡単なことではなくて悪化することだってあるけどね。自分が誰かのその心の言葉を聞いたときに、「なら代わりにぼくがやりますね」って言うかもしれないし、「キツイですよね」って共感するだけかもしれない。けれど「あなたはこうなんだから」「あなたの役割なんだから」「あなたが言ったんだから」って、その思い自体を批判して突き放さなしたりしないように気をつけていたいなと思う。自分の思いや価値観は、人を叩くためのものではなく自分を守るためのものだ。そうやって考えるだけで、少なくとも自分の言葉で誰かが傷つくことはあっても攻撃するという事は減るのかもしれない。僕の文章も、誰かの心に突き刺さる言葉としてではなく、そこらに生えている草花を眺めるような、たまに気になったら摘むような、そんな感覚で読んでもらえていたら嬉しいなと思う。余談ですが子どものころ、たまに会いに来てくれるじいちゃんは、いつもアンパンを買ってきた。ぼくの2つ上の兄の好物だったからだ。じいちゃんがアンパンを買ってくるたびに、ぼくの中でアンパン好きの兄ちゃんというイメージが確立されていき、兄のなかでも「自分はアンパンが好きだ」という意識が強化されているようだった。兄の喜ぶ姿を見てじいちゃんは「やっぱり好きなんだな」と満足げにまたアンパンを買ってきた。そのままいけば相当なアンパン好きになるんだろうと期待できたが、意外にもそうはならなかった。ある日当たり前のようにアンパンを取ってあげたら、「おれ、あんまりアンパン好きちゃうかも」と遠慮気味に兄は言ったのだ。「自分は本当にアンパンが好きなのか、君はアンパンが好きだねと周りに言われるからそんな気がしていたのか、本当は好きじゃないんじゃないか」そんな葛藤があったかは知らない。自分が本当に好きなのはアンパンではなくアンパンが好きな自分なんじゃないかなんて悩む姿を想像すると微笑ましいけれど、当時の幼いぼくはなにか不安な気持ちになった。たしかに好きだったはずなのに飽きてしまったんだろうか、もともと好きじゃなかったんだろうか、じいちゃんはどんな気持ちになるんだろうかと、誰も悪くないのに、寂しいような切ないような言葉にできない気持ちになっていた。その事実がじいちゃんの耳に入ったのかはわからない。そのあとじいちゃんが変わらずアンパンを買ってきていたか、買ってこなくなったのかも覚えてないくらい曖昧な記憶だ。けれどたまに、嬉しそうにアンパンを買ってきたじいちゃんと、突如アンパンに別れを告げた兄を思い出す。みんなが優しいのになぜか悲しい。なんだか少し切ないけれど、誰かひとりがしんどいではなく、みんなが優しいからみんなが少しずつ悲しいのなら、そのほうがいいのかもしれない。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年09月13日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。ふとした瞬間、大人は子供から『気付き』を得ることも。きしもとさんは、子供たちと触れ合っていろいろなことを学んだといいます。第8回『とけたアイスは 冷たいジュースに。』子どもが折り紙をしていた。何を作っているのか聞けば「まだわからん。折ってたらなんかできるかなと思って」と返ってきた。折り紙というのは完成形があってそれに向けて折るものだと思っていた。「なんかできるかな」と当てもなく折って楽しむのか。自由でいいなと思った。同時に、野暮なこと聞いたなとも思った。子どもの活動を深めようとしてかけた言葉が逆に邪魔しているような気がして、言い訳するように「いいね、何ができるか楽しみやね」と返した。しばらくしてから「ほらな、適当にやったらなんかできる思ったら、やっぱなんかできたわ」と出来上がったものを見せてくれた。たしかに適当に折ったとは思えない、それっぽいものができていて感心した。なんだろう?ヨットのようにも見えるしリボンのようにも見えるな…と正解を探しそうになって慌てて「ほんまや、すごいなあ。適当にやったらなんかできるんやな」とその子の言葉をそのまま借りて、本心を伝えた。隣で見ていた子が「それなに?」と尋ねた。やっぱり気になるよね、と耳をそばだてていると、その子は「なんか!」と答えた。なんだ、なんでもない「なんか」だったのか。ああ、やっぱり僕の想像なんか飛び越えてて素敵だなとあらためて思った。折り紙や工作をしていると、その作ったものでごっこ遊びが始まったりする。お店屋さんをしたり、学校ごっこをしたり。そのごっこ遊びが発展するとそれを広げるためにまた、例えばお金だったりバッグだったり、さらに新しいものを制作していく。小学生にもなってごっこ遊びというと「幼稚っぽい」と心配されるけれど、意外とそんなことはない。子どもの発達や育ちに大きく関係していて、社会性や創造性を育む重要で質の高いあそびだ。学童で過ごす時間は短いため、あそびが盛り上がり始めたタイミングで帰る時間になることがある。そんなときには、次の日に続きをする。しなかったりもする。ある年、2、3年生の子たちがやっていたごっこ遊びが半年ほど続いた。学童にある本を並べて本屋を開いたり自分たちで本を作ったり、絵を描いたりそれをお面にして売ったり、折り紙やイラストを並べてお店屋さんごっこをすることもあれば、レジ自体を作って遊ぶ日もあった。その日その日で、やりたいことや思いついたあそびをして、次第に周りを巻き込んでいく。関係ないあそびをしている男子たちが、手を止めて色紙で作られたバッグを持ってお店屋さんで買い物をする。そんな不思議な風景が見られるようになっていった。ある子が、そのごっこ遊びをそのまま生かして夏祭りをすると言い出した。日程を決めてポスターを貼り、ダンボールで作ったモグラ叩きや輪投げを制作して、景品も折り紙などで大量に作った。僕はといえば、手出し無用とばかりに買い出しリストを渡されて、仕入れ担当に任命された。たまにお面の色ぬりをさせてもらって褒めてもらった。当日は大盛況だった。普段ごっこ遊びに興味がない子でもノリノリで楽しんでいた。お店に並んでいる子が「楽しみすぎてばくはつしそう!」と笑顔を爆発させていた。「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれて、接客応対まで本物みたいだなと感心しながら「持っていません」と答えると「ではお作りしておきますね」と、お洒落なカードを渡された。素晴らしい接客。僕がパン屋の店長だったらバイトに引き抜いているところだ。面白いのが、みんながみんな接客をしたがるわけではなくて、裏で景品を制作したりゲームの仕込みをしている子たちもいたこと。こんなこと言ったらまじめに働いている人に怒られそうだけれど、考えてみれば僕たちが生活している社会も、それぞれの役割になりきっていろんな役を演じている、ある意味ごっこ遊びみたいなものだよな、なんてことを考えたりしていた。あそびがこま切れにならずに地続きであることや、発展して周りを巻き込んでいくことは保育の一つの理想だ。といってもなかなかそんなに上手くはいかず、それは大人の都合の時もあれば移り気な子どもの気分によるところもある。無理に続けさせるようなことはしないから、自然とこんな風に行事に発展したのはすごいと思ったし、次の年に子どもたちが「今年も夏祭りしよう!」と言い出して、下の代に受け継がれながら毎年の恒例になったことも、なにか成功しているように感じた。そうすると、どのあそびもなにか成果の見えるものに向けてされるべきなんじゃないか、と期待してしまうようになる。ゴールに向かってやらないと意味のないような気がする。子どもたちが意味のわからないあそび(あくまで僕には意味のわからないという意味)をしているのを眺めながら、どこに向かって行くんだろう。と考えていた。どこに向かうにしても楽しそうだなあと思った。あれ?どこかに向かわなければいけないんだっけ?と考えた。そもそもあの夏祭りが完成形なんだろうか?夏祭りがゴールで、そこに向かうまでの活動は「準備期間」なんだろうか。きっとそうじゃないよね、と思い直した。はじめの折り紙でもう完成しているんだ。その日その時に夢中になっているその瞬間が、どこに向かっているでもないけれど、そのいまで完成している。それがどんどん広がって形を変えていく。あの夏祭りは、その日々がたまたま積み重なって、たまたま目に見えるものになっただけだった。未完成のものを完成に近づけようとすると足りないピースを埋めることを考えてしまうけれど、もう完成しているものが形を変えて育っていくと思うと、その時その時の姿を大切にできるような気がする。夏祭りが恒例となった何年目かの夏、進捗を尋ねると「まだ全然準備できてへんねん、へへへ」と笑っていた。それはサボっていたのではなく、いま楽しいことに忙しいのだろう。自分にできないことは、足りていないのではない同僚から「仕事できる人を見て、自分は全然できていないなって思うんです」と相談を受けた。その「仕事できる人」といわれている職員も、同じようなことを言っていたのを僕は知っている。隣の芝を見て羨ましがるというよりも、引け目を感じることのほうが多いらしい。あの人にできていることを自分はできていない。自分には持っていないものを持っている人を見ると、それが正しい姿のように感じて自分ができていないように思ってしまう。もともといる自分に足りてないものがあるような、例えるならパズルのピースが一つ欠けているような気がしてしまう。あの人は持っているけれど自分は持っていない。できていない。そんなことを思い始めたら、いろんな人と自分を比較して、パズルにはどんどん虫食いが増えていく。子どもを見る時もそうだ。ついついできないところに目がいって、足りないように感じて、それを埋めることや隠すことに必死になる。それが成長や教育と呼ばれたりもする。それってとてもしんどいことだよね。だからね、少し見方を変えようと思う。もともと完成していて、なにか特別にできることはトッピングみたいなものなんだと。仕事が早い、コンピュータに強い、英語が話せるとか足が速いとか。いや、特別にできることだけではないかもしれない。言葉を喋れるとか、歩けるとか、もっと当たり前だと思っている、耳が聞こえるとか目が見えるとかもそうかもしれない。うまくできるようになって完成するのではない。もう完成している。何かできることは特別なことで、それができないからといってダメなのではない。仕事が早い人を見て、「自分はなんで仕事が遅いんだろう」ではなくて、あの人は特別な力を持っているのだと思うようにする。誰かの得意を自分ができないからと言って、それは自分の「苦手なこと」ではないのだと。ただその人の得意なのだと。自己肯定感って、できる自分を誇れることでも、できない自分を認めることでもなく、今の自分の姿をそのまま肯定できることだ。難しいけれど、それができるようになりたい。あの人はなんでできないんだろう、と思ってしまう時も、「あいつ出来ないな」ではなくて、自分やるやんって思えたら。自分が当たり前にできていることでも自分が少し特別なのかもしれないと思えたら、自分も相手もしんどくないよね。今までの時代は、みんなができて当たり前だった。同じことを同じように。だから、できないことを欠点と呼んでいた。けれど、これからの時代は「みんなができなくて当たり前」でいい。みんなができなくて当たり前というのはできない状態が普通だということ。そしてそれぞれの「できること」は優れていることではなく、その人の一部として認めていく。みんなができて当たり前のことなんてないんだって知ると、できている人を見て同じようにできていない自分に引け目を感じることは少なくなるんじゃないかな。ぼくはあまり何かに挑戦したことはない。就活も受験勉強もほとんどしてこなかった。だから、何かに向けて必死になることも何かに失敗して絶望することも、それをしてきた人と比べて経験が浅いと思う。それでも、こんな未来のはずじゃなかったのになって思うことはある。失敗とまではいかなくても、思っていた未来とは違っていると、やっぱり落ち込む。その先に見ていた世界が見られないことはやっぱり悲しい。あるかもしれないと思っていた道がないことを知ると、みんなは進んでいるのに自分には進めないのかと、希望を持っていた自分は大した人間じゃないんだと思ったりする。「けれど、今の目の前のことは何も変わっていないじゃない」と友人が言った。挑戦して失敗したとしても、思っていた未来にならなくても、いま十分生きていて幸せで、それはなにも失くならないじゃないかと。たしかに、これから期待する未来がこなくても、いま大事にしてるものや幸せであることは変わらない。挑戦して失敗しても、減りはしないのかもしれない。ならなおさら、いま充たされていることが、なにかになるための、どこかに向かうための大きな礎となるのだろう。余談ですが子どもがアイロンビーズを作っていた。なにを作っているのか気になって見ていると、それを察したのか「イヌ作ってるねん」と教えてくれた。しばらくして完成したものを見せてくれた。「イヌ、かわいく作れたやん」と伝えると「ネコやで」と返された。あれ?イヌって言ってなかったっけ?と思っていると「イヌ作ってたけどネコみたいになったから、ネコにしてん」と教えてくれた。自由で素敵だなと思った。そんな風に生きていけたらいいな、とネコになったイヌを見て思う。目指したり憧れていた人生でなくても、思いもしない生き方になっても、「イヌを目指してたけどネコもいいかなって思ってん」と生きていけたら。そうやって生きていけるように子どもたちを受けとめられたら。「これ、あげるわ」と、さっきのネコと同じサイズのアイロンビーズを手渡された。ぼくが異動で会わなくなるから餞別らしい。ピンクの顔に耳が生えていて目と鼻が色を変えてつけられている。ウサギだな、と思っていたら「ウサギを作っててんけど、ブタみたいになったからブタやで」と、面白いのか照れてるのかわからない笑顔で教えてくれた。「ウサギに見えるよ」とは言わなかった。ウサギのつもりがブタになった。それを知ったらなんだか、そのピンクのブタが急に愛らしく見えてきた。先日、6歳の友人と出かけた時に、暑かったので自販機でアイスを買った。17種類ある中からソーダ味のシャーベットを選んだ。吸って食べるタイプのやつだ。はじめのうちは固くて出てこないからと絞り出すようお願いされた。しばらくしたら暑さでとけてほとんど液体になっていた。「溶けちゃったね」と言うと、「溶かしてジュースになるのが美味しいねん」と言っていた。アイスを食べてるつもりだったのに途中からジュースを飲んでいた。ぼくはなぜだか、ブタになったウサギのことを思い出した。空になった容器をゴミ箱に捨てるよう促すと、「こんなにきれいなのに捨てちゃうの?」と悲しい顔をした。ぼくが笑っていると、容器にキスをしてゴミ箱に勢いよく放り込んだ。意味がわからないけどおかしくって、ぼくはきっとずっと忘れないだろうなと思った。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年08月15日新作『いいからしばらく黙ってろ!』の著者・竹宮ゆゆこさんに、作品への思いを伺いました。人生どん底女性×崩壊寸前の小劇団。超絶にぎやかで痛快な起死回生物語。「純度100%のエンタメを目指して、振り切って書きました」映画化される『砕け散るところを見せてあげる』など、ヒリヒリした青春小説も得意とする竹宮ゆゆこさん。新作『いいからしばらく黙ってろ!』は、ひたすら笑った後でジンとくる成長物語。「最初に出てきたのは主人公のキャラクター。自分をうまく打ち出せなくて損ばかりしている人が、カオスな現場で生きる才能を爆発させる、という話が浮かびました」主人公の龍岡富士は大学卒業直後に、婚約者も就職先も住む場所もなくしてしまう。そんな時に小劇団の面々と出会い、ボロアパートに住みながら彼らを手伝うことに。「カオスな現場を考えていた時、小劇団は大変だと聞いたんです。一朝一夕で舞台監督や大道具になれるわけではないので、お手伝いする、という形におさまりました」この劇団の面々がみな個性大爆発で、富士と彼らのやりとりで笑わせる。だが、資金難などで崩壊寸前というのが実情だ。「劇団のことをよく知らないので、まず、帳簿を作ってお金の流れを決めていきました。メンバーがいくら持ち寄って、公演にいくらかかって…と考えると、劇団の歴史や、人が集まった時は嬉しかっただろうなとか、この時期は苦しかっただろうとか、感情の流れも見えてきました。と同時に、みんな生活が大変なのに続けているのは、本当に表現することが楽しいんだろうなって。リスペクトを感じました」自分勝手な劇団の面々を、富士は過去の経験を活かして説得したり、誘導したりと奮闘する。「自分の能力を使える場を見つけたんですよね。才能のある人って表舞台に立つ人ばかりじゃない。表舞台を成立させるためには、たくさんの別の才能とエネルギーが必要ですから。誰にでも自分を活かせる場があると信じているし、それを信じられたら生きることが楽しくなるはず」愉快痛快な本作だが、終盤、泣いていたかつての自分に富士が心の中で声をかける場面がぐっとくる。「あの場面が書きたかったんです。でも、キャラクターたちが騒ぎまくるのでなかなか先に進まなくて。実は、このタイトルは彼らに対する私の魂の叫びなんです(笑)」竹宮ゆゆこ『いいからしばらく黙ってろ!』大学卒業直前に婚約解消、仕事もない富士が出合ったのは小劇団。その舞台に魅了された富士は、ひょんなことから彼らを手伝うことに。KADOKAWA1700円たけみや・ゆゆこ1978年、東京都生まれ。2004年に「うさぎホームシック」でデビュー。『とらドラ!』など人気シリーズがある。話題作『砕け散るところを見せてあげる』の映画化作品は5月8日公開。※『anan』2020年4月22日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2020年04月16日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第5回は、きしもとさんが人それぞれ異なる子育ての価値観について考えます。第5回『知らないからこそ、間違うからこそ。』年度の変わり目、一年が過ぎようとしているこの時期にようやく気づく子どもの姿がある。3月の初め、ある高学年の男の子と公園で遊んでいるのを見て「楽しそうですね」と同僚から声をかけられた。その子を見ると、いつにない笑顔ではしゃいでいた。「いつにない?」本当かなとふと思った。自分が気づけていなかっただけでいつもこんな風に楽しんでいたんじゃないか。高学年の男の子たちは、大人にはあまり依存せず自分たちの世界であそびを楽しんでいる。家でゲームをしたり公園で同年代の子達と遊ぶ方が楽しいんじゃないかと感じることもある。もちろん一緒に遊ぶことはあるけれど、低学年のようにずっとくっついてくるようなことはほとんどない。すると、自然とこちらから声をかけるのが、危険なことやよくないことをしたときに偏ってしまう。楽しんでいる中で「注意してくる人」とだけ認識されたら、話もまともに聞いてくれない。危険なことなら聞いてもらわないといけないから遠慮なく伝えるのだけれど、ふてくされた態度や反論があるとこちらもつい強い語調になってしまう。そんなやりとりが多い男の子だった。あんなに毎日会っていて、この楽しそうにしている姿にぼくはどれだけ目を向けていたのだろう、と思った。全然見れていなかったかもしれないな、と。荒い口調で怒ってしまったり否定するような言い方をしたりした、思い出したくない記憶が蘇り、後悔した。「もう少し優しく接したらよかったなあ」と同僚にこぼすと、「まだありますよ、接する時間」と返された。うんそうだよなと思った。あと一ヶ月、できなかったことを嘆くにはまだ早い。いまからでもできることをしよう、と気持ちを立て直した。子どもとの関わりや子育てについての発信をしていると、共感してくれる人や参考にしてくれる方たちがたくさんいる。ありがたいことに、すごいねと言ってもらえることもある。けれど、その度に自分はそんな人間じゃないんだと逃げだしたくなる。「よく綺麗事が言えるよね、そんな清廉潔白な人間じゃないだろう。今までの失敗が無かったことにはならないぞ」ともう一人の自分が責めてくる。「あの人は間違っている」というような誰かを批判する言葉を聞くと、他人事ではなくその言葉はそのまま自分にも突き刺さる。浅はかな偏見で人を差別したことや傷つけたことがある。保育でも、強い言い方をしたり怒鳴ったり、言うことを聞かせようとしたり、そういった「適切ではない関わり」をしたことがある。体罰を与えて大怪我を負わせたことはなくても、そうなっていたかもしれない状況はいくらでもあったと思う。思い出すだけでこの仕事から離れたくなる。ぼくが今どんな人間になっていても、そのときのその人の傷はきっとそのままだ。なかったことにはできない。たまたまなのだ、いま何もない顔をして保育を語れているのは。当たり前のように子どもたちと毎日関わることができているのは。ぼくの知っているそれと、違うものたちぼくが育った家庭は、父がお茶をくれと言えば母はお茶を淹れる。返事をする母は、どちらかといえば嫌そうな顔をしているので、それはそれで嫌だろうから自分で淹れれば良いものを、父は半ば意地のように自分では淹れない。それについての是非は語れないし語るつもりもない。それは本人たちにしか分かり得ない二人だけの関係だ。ただそういう環境で育ったということは、ぼくも「それがふつう」という感覚を少なからず持っているということだ。良いとか悪いとかではなく、そこから自分の偏見が生まれていたりする。そう自覚しだしたのは成人してからだった。友人の母親が好きな歌手のライブに一人で行くというのを聞いて、不思議に思った。「母親が夜一人であそびにいくの?」と否定的な感情を僅かながら持った。恥ずかいしいことに、その時のぼくはまだ未熟で思慮が浅く世間知らずだった。なにも変なことじゃないのに、自分の知っているそれと違うというだけで違和感を感じてしまったのだ。保育や保護者支援について学んでいたし、実習にも行っていたけれど、自分の偏見や世の中の当たり前と向き合う機会はあまり持たなかったのだろう。ぼくの実家のおでんにはニンジンが入っている。小学校の頃に他の家ではニンジンが入っていないことに衝撃を受けた。そして、大人になってからタケノコのおでんを食べてさらなる衝撃を受けた。自分の経験がすべてで、それが当たり前だと思い込んでしまう。食事は手作りで手間をかければかけるほどよくて、共働き家庭もあるけれど父親が養って母親は家にいるのが普通で、子どもには両親がいて、休日は家族と過ごして、おでんにはニンジンが入っていて。なんとなくそれが当たり前だと思っていた。けれど、こういった「自分の当たり前」って、いろんなことを見て考察して考え抜いた先に見つけた揺るぎない価値観とか考え方ではなく、ただ「ぼくが知っているそれ」ってだけなんだよね。だから、そんな中で感じる他人の「間違い」は「ぼくが知っているそれではない」というだけなんだ。それは、偏見にまみれたものに限らず逆も然りなんだろう。ジェンダー意識が高くて多様性を尊重する環境で育ったとしても、そうでない人を見て「あの人は間違っている」と感じてしまうなら。「自分の知っているそれではない」という、ただそれだけの感覚が偏見となり、気づかぬうちに誰かを追い込んでしまっていたりする。だから、自分の当たり前で人を潰してしまわないように、人の当たり前で自分が潰れてしまわないように気をつけていたいと思うのだ。いろんな方法を、いろんな人がいることを、いろんな考えがあることを、完璧じゃなくていいことを、自分が知らないことがたくさんあることを、まず知ることができたら。多くのことを知るたびに知らないことがどんどん増えて、自分が知っていることは米びつの中にある米粒一粒くらいなのだと知れたら、きっと他の米粒を見て簡単に批判はできなくなる。当たり前だと思っているものに潰されそうになった時に、実はそれは当たり前ではないのかもしれないと知れたら、少し気持ちが楽になる。もし間違っていると感じる言説に触れて許せなかったり、自分は間違ってばかりだと感じて落ち込みそうになったら、「まだ知らないのだ」と思えたらいいな。その人がまだ知らないのかも知れないし、自分がまだ知らないのかもしれない。それは、卑下するという意味ではなくて。「タコは食べものではない」と言う人に「タコを食べないなんておかしい!」なんて怒ったりしないように。ただ、文化が違うのかな、食べたことないのかな、おいしさを知らないだけなんだろうなと思うように。そこでもし、食べてみてほしいなって思ったら、あなたは間違っていますよ、とはきっと言わずに「タコパしようよ」って誘うよねきっと。他のもの入れても美味しいから、一回やってみて気が向いたらタコ焼き食べてみようよって。あ、おでんにしても美味しいよね。生まれたばかりの、まだ価値観とも呼べない感覚を正面から否定されたら、自分の全てを否定されたと感じて防御反応としてその「なんとなくの価値観」に固執してしまうんじゃないかな。いろんなものを見て考えて価値観を作り上げていくのはやめて、自分が「間違い」にならないように「ぼくが知っているそれ」を正解にするための答えを探していくんじゃないのかな。そうなったらきっと、永久に考えが変わることはないんだろう。だから、批判をするなら丁寧にしたい。なんのために、どこに向いてそれを批判するのかをちゃんと考えたい。それは、いい人でありたいからではなく、間違っている自分と、これから間違うかも知れない自分のために。もし「許せない」と思いそうになったら、タコパに誘ってみれたらいいなと思う。いまの自分が10年前のぼくを思い出してそう思うように、これを書いている現在の自分もまた10年後の自分から見たら未熟で、やはり気づかぬうちに自分の当たり前で誰かを傷つけたり追い詰めてしまったりしているのだと思う。自分がもともとどんな人間かを気にしてしまったらもう人生を諦めてしまいそうになる。だから、どんな人間でありたいか、そのために今から何ができるのかを考えることにする。子どもたちを大切にできる保育者でありたいし、みんながしんどくないようになればいいなと思っている。うまくできなくても、その思いは本当なんだ。自分がした言動を変えることはできないけれど、だからこそ何度も間違う自分とともに、埋まることはない穴を自己満足で埋めることはなく、愚直にユーモラスに、できることを重ねていきたいな。いい親でいることはできないかもしれない。いい保育者であることはできないかもしれない。けれど、それでもいいじゃないか。完璧にできないし、100点を取ることはできないけれど、その時その時に最善だと思うほうを選んでいければ。その方法をみんなで出し合えたら。その中から選ぶのは、自分を追い詰めるためのものではなく、追い込んでしまう自分を救うためのものであればいいなと思う。余談ですが冒頭の話から一ヶ月経った3月の末のある日の夕方、公園から学童に戻るときにその子が「まだ遊びたい」と伝えてきた。幸い人手があったので小一時間その子と走り回った。二人で遊ぶこと自体はそんなに楽しくないはずなのに、ゲラゲラと笑っていた。「帰りの匂いがするわ」公園を出た時に、その子がふと呟いた。わかるような、わからないような、けれどその子のそのままの言葉なんだろうな、ああ、いいなあと素直に思った。意味を聞くのは野暮だとわかっていながらも、やっぱりどうしても聞きたくなって尋ねてみた。「終わったなあー寂しいなあーけどまあ明日も学童あるしなあって感じの匂いやな」と返ってきた。ぼくの目に写っているのは生意気なその子ではなく、今日を思いきり楽しんで明日に期待して充たされているような、そんな顔だった。「まだありますよ、その子と接する時間」一ヶ月前に同僚からかけられた言葉を思い出した。穴は埋まっていないかもしれないけれど、救われた気がした。ふいになにかが溢れ出しそうになり、それがこぼれないように、その「帰りの匂い」を思いきり鼻から吸いこんだ。「金曜日の夕方と日曜日の夕方、どっちが好き?」と続けるその子に、そりゃあ金曜の夕方やな。とだけ答えた。君たちのおかげで日曜の夕方が憂鬱になることはほとんどないけどね。【コラム第1回】子育てで『正解』に苦しめられたら保育者が大切にしたいこと【きしもとたかひろ連載コラム】【コラム第2回】子供を注意して「しまった!」保育者が気を付けていることは…【きしもとたかひろ連載コラム】【コラム第3回】「ヘタだからやらない」という子供その理由に考えさせられる【きしもとたかひろ連載コラム】【コラム第4回】子育ての『手抜き』で大切なこと「手を抜いてもいい」ではなく…【きしもとたかひろ連載コラム】[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年04月16日仏政府の重要建造物に指定されたシュヴァルの理想宮の誕生秘話を映画にした『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』が、12月13日(金)より日本でも公開されることが決定。予告編と実際の理想宮やシュヴァルの姿を写し出したポスタービジュアルも到着した。日々村から村をまわる郵便配達員のシュヴァル。寡黙で不器用な男がある日、愛娘アリスのために“おとぎの国の宮殿”を建てるという奇想天外の挑戦を思いつく。村人たちに馬鹿にされながらも、来る日も来る日もたった1人で石を運び、積み上げ続けるシュヴァルだったが、過酷な運命が容赦なく彼に襲い掛かる…。郵便配達員のジョセフ=フェルディナン・シュヴァルが33年の歳月をかけ、たった1人で築き上げたフランス南東部の村に存在する“シュヴァルの理想宮”。石を拾い集め、1879~1912年の33年間、9万3000時間を費やし完成。あのピカソやアンドレ・ブルトンも絶賛した。到着した予告編では、シュヴァルがある日変わった形の石に躓いたことをきっかけに、娘のために“宮殿”を建てることを決意するシーンからスタート。シュヴァルは宮殿作りに没頭し、その様子を見守る家族の微笑ましい様子が描かれるも、やがて襲い掛かる過酷な運命を予感させるシーンも登場している。周囲に変人とうわさされながらも、途方もない夢を実現したシュヴァル役は、『レセ・パセ 自由への通行許可証』でベルリン国際映画祭男優賞を受賞したジャック・ガンブラン。夫を傍で見守り支える妻役に『ゲンスブールと女たち』のレティシア・カスタ。監督は『エトワール』ニルス・タヴェルニエが務め、撮影はほぼ全編を通し現存する理想宮で行われている。『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』は12月13日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)
2019年08月20日きな粉スイーツでお馴染みの吉祥菓寮から、ギフトに特化した「きなの宮 by 吉祥菓寮」が京都タワーサンド1階に2019年4月25日(木)オープン。大豆の契約栽培から自家焙煎きな粉まで手掛ける、吉祥菓寮の「きなの宮」シリーズ。それぞれの大豆に合わせた焙煎度合を調整し各商品にあったきな粉を使い分けている。きな粉へのこだわりが詰まった新しい京都土産だ。看板商品の「きなの宮サンド」は、きな粉の美味しさを味わうのに最適。香ばしく風味豊かな“きな粉チョコレート”を、アーモンドなどを練りこんだザクザク食感のクッキーで挟んでいる。その他、きな粉と抹茶の特製クッキーに、宇治抹茶の濃厚チョコレートを組み合わせた「きなの宮サンド 宇治抹茶」もラインナップする。また、ミルク饅頭「きなの宮」もきな粉の美味しさを存分に味わえる。自家製のきな粉とキャラメルを合わせた白餡を包み、優しく焼き上げた。口いっぱいに広がるきな粉と小麦粉の深い香りや、しっとり食感がおいしい焼き饅頭だ。【詳細】「きなの宮 by 吉祥菓寮」オープン日:2019年4月25日(木)営業時間:9:00~21:00場所:京都タワーサンド 1F マーケット住所:京都市下京区烏丸通七条下ル東塩小路町721番地(京都タワービル内)<メニュー例>・きなの宮サンド 5個入 810円(税込)/10個入 1,620円(税込)・きなの宮サンド 宇治抹茶 5個入 864円(税込)/10個入 1,728円(税込)・きなの宮 5個入 648円(税込)/10個入 1,296円(税込)
2019年04月28日タレントのうつみ宮土理が漫才コンビ・ナイツ(塙宣之と土屋伸之)らと共に16日、東京の中目黒キンケロ・シアターで、ラジオ番組『うつみ宮土理のおしゃべりしましょ』(ニッポン放送/毎週月曜~金曜10:35~10:40)の公開収録を行った。うつみとニッポン放送の垣花正アナウンサーが軽快なトークを繰り広げる同番組。公開収録前には記者会見が行われ、番組初の公開収録にうつみは「最高にうれしいです」と喜びを露わにした。うつみはナイツのお笑いライブを観に行ったことを明かし、「なんて面白いのかしらと思いました。ず~っと笑えたんですよ」と、その実力を手放しで絶賛した。その上で、「『M‐1グランプリ』に優勝したのは何年ですか?」と質問し、ナイツが「あ、僕ら優勝してないです(笑)」と返す場面も。続けて、今年の『M‐1』で塙が審査員を務めていた話になり、うつみが「とろサーモンとか出てたでしょ?」と言うと、土屋が「出てないけど話題になってます(笑)」とツッコミ。この掛け合いを見た垣花アナからは「ナイツの漫才みたいですね」と指摘されていた。2015年に亡くなったうつみの夫・愛川欽也さんが設立したキンケロ・シアターでの公開収録については、「キンキンが喜んでいると思います」とコメント。愛川さんが亡くなってからの1年間はあまりのショックで「何も覚えていない」としながらも、「今はやっと落ち着きました」と告白した。「いつも見守ってくれてるなって感じがします」と明かした。公開収録では、うつみと垣花アナウンサーのトークをはじめ、ゲストの演歌歌手・三丘翔太のライブコーナー、うつみの生歌、ナイツの漫才などが披露された。収録の模様は31日の17:00~18:00に放送される。
2018年12月17日大宮璃宮のカフェ&レストラン 四季庭にて、「白雪姫のクリスマスデザートフェア」を開催。童話『白雪姫』をテーマにしたアフタヌーンティーとデザートブッフェを楽しめる。期間は2018年11月5日(月)から12月24日(月)まで。白雪姫のアフタヌーンティー「白雪姫のアフタヌーンティー」では、「ホワイトチョコとリンゴのムース」やキャラメル味の「りんごのマカロン」など、物語に登場する“りんご”をモチーフにしたスイーツをラインナップ。さらに、紫色のりんごジュレ、ラズベリーケーキ、魔法の鏡クッキーなど、魔女をイメージした少しビターなスイーツも登場する。また、ファーストドリンクにはりんごとオレンジを使用した自家製ホットワイン、軽食にはりんごとサワークリームの野菜スティックが用意されており、りんご尽くしのボリューム満点のアフタヌーンティーになっている。白雪姫のクリスマスデザートブッフェ「白雪姫のクリスマスデザートブッフェ」では、童話『白雪姫』の登場人物たちを思わせる「小人の帽子ムース」や「魔女のアップルパイ」といった約30種類のスイーツと軽食を用意。軽食メニューのクリームシチュー、きのこパスタなどは、白雪姫と小人たちとの森の暮らしを彷彿とさせる。さらに、タイムサービスで実施されるパティシエのライブパフォーマンスでは、キャラメルとりんごのソースを目の前でフランベし、ワッフルとバニラアイスにかけた特製デザートが登場。香り高いキャラメルりんごソースとバニラアイスのやさしい風味の調和を楽しむことが出来る。詳細「白雪姫のクリスマスデザートフェア」期間:2018年11月5日(月)~12月24日(月)店舗:カフェ&レストラン 四季庭住所:埼玉県さいたま市北区植竹町1-816-7アートグレイス大宮璃宮3F営業時間:ランチ 11:00~15:00(L.O.14:00) / カフェ 14:00~17:00(L.O.16:00) / ディナー 17:30~21:30(L.O.20:30)定休日:火曜日(祝日を除く)TEL:048-662-5551■白雪姫のアフタヌーンティー実施期間:2018年11月5日(月)~12月24日(火)の木~月曜日提供時間:平日11:00~17:00(L.O16:00) / 土日祝14:00~17:00(L.O16:30)価格:3,136円(消費税・サービス料込)メニュー内容:<ファーストドリンク>自家製ホットワイン<セイボリー>ザワークラウトとソーセージのタルティーヌ、人参のフラン、りんごとサワークリームのディップソース 季節の野菜スティック<三段スタンド>上段:魔女のりんごジュレ、黒い森のラズベリーケーキ、魔法の鏡クッキー中段:雪だるまのタルトレット、アールグレイブリュレ下段:ホワイトチョコとりんごのムース、りんごのマカロン、キノコのメレンゲ<自家製スコーン>プレーン、塩キャラメル<コンディメント>チーズクリーム、りんごジャム、いちごジャム<ドリンク>紅茶、ハンドトリップコーヒー等20種類以上が飲み放題■白雪姫のクリスマスデザートブッフェ開催日:2018年11月~12月の毎週水曜日開催時間:1部 11:00~13:00(最終入店11:30) / 2部 14:00-16:00(最終入店14:30)※各部90分制料金:デザートブッフェのみ 2,300円(消費税・サービス料込)、フリードリンク付 2,800円(消費税・サービス料込)メニュー内容:<ライブパフォーマンス(タイムサービス)>キャラメルりんごの温かいソース ワッフルとバニラアイスを添えて<デザート>アールグレイクリームブリュレ、魔女のアップルパイ、小人の洋なしパイ、赤いりんごのムース、魔女のりんごジュレ、スノーホワイトレアチーズ、ポップカップケーキ、りんごのマカロン、7人の小人シュークリーム、魔法の鏡クッキー、きのこのメレンゲ、ドレスケーキ、小人の帽子ムース、切り株ケーキ、ティラミス、雪だるまタルトレット、黒い森のラズベリーケーキ、キャラメルマキアート、いちごとバニラのヴェリーヌ、ショートケーキ、フルーツタルト、ベイクドチーズケーキ、プリンアラモード、ガトーショコラ、和栗のモンブラン<ライトミール>チキンと野菜のクリームシチュー、森のきのこパスタ、フライドポテト、小人の野菜スープ、三種のサラダ
2018年10月18日こんにちは。料理研究家の越野美樹です。暑かったりジメジメしたり、お天気が不安定だとご飯が喉を通らなくなってくるお子さんもいますよね。今日はあっさり食べられる「きしめんトマトソース」をご紹介します。きしめんはうどんの一種で、平たい麺が特徴です。ひらめん、ひもかわなどとも呼ばれています。うどんよりも薄いのでゆで時間が短く、つるつるの食感が楽しめます。きしめんは、めんつゆで温かくしていただいたり、ザルきしめんなどにするのが一般的ですが、今回はあっさりトマトソースと合わせてみました。フェトチーネやタリアテッレ、リングイネなどの平打ちパスタのように、トマトソースとの相性も抜群です。和麺であるきしめんには、おみそを隠し味に加えたトマトソースがぴったり。つるつるっと喉越しが良く、いくらでも食べられそうです。きしめんはあっという間にゆでられるので、ゆでている間にパパッとトマトソースが作れちゃいます。子どもの好きなえびとコーン入りで、パクパク、つるつる、あっという間になくなってしまいますよ。■きしめんトマトソース調理時間 15分レシピ制作:藤野料理教室にじ 越野美樹<材料>2人分きしめん 200gオリーブオイル 適量えび 6尾とうもろこし 50gトマト缶 300gみそ 大さじ1 <作り方>1、鍋にたっぷりの湯を沸かし、きしめんを袋の表示通りの時間ゆでる。2、フライパンを中火に熱してオリーブオイルを加え、海老の表面を焼き、トマト缶をつぶしながら入れる。3、海老の色が変わったらみそを加え、1のきしめんととうもろこしを加える。海老のだしがきいていて、みそときしめんの相性もぴったり! 肌寒い日にはゆでたきしめんをトマトソースの入ったフライパンで温めて。日差しが強く暑い日にはトマトソースをあらかじめ冷やしておき、ゆでたきしめんを和えて冷製パスタ風にいただくのがオススメです。路地のトマトが出まわって来たら、フレッシュトマトでもどうぞ。きしめんが手に入らなければ、もちろん普通のうどんでも同じように作れますよ。■「きしめんトマトソース」のアレンジ例パパッと作れる「きしめんトマトソース」。休日のランチ用でたっぷり作って、夜にリメイクも楽しめます。●アレンジ例 「きしめんトマトソース」のラザニア「きしめんトマトソース」を耐熱皿に入れ、チーズをのせてオーブンで焼けばトマトマカロニグラタンのできあがり! トマトとみそがより濃厚になって、食べ応えがありますよ。「きしめんトマトソース」の間にミートソースをはさめば、さらにボリュームアップ! 人気の一品になること、間違いなしです。「きしめんトマトソース」のトマトソースを倍量で作れば、スープパスタのようにも楽しめます。また、「きしめんトマトソース」に溶いた卵を加えてフライパンで焼けば、オープンオムレツのできあがり!「きしめんトマトソース」のリメイク料理、楽しんでみてくださいね。休日のランチや、急なお客様のおもてなし料理に、すぐに仕上がる「きしめんトマトソース」をレパートリーに入れておけば、心強いですね。これからトマトの味がのってくる季節、リピ間違いなしです。
2018年06月13日女優の宮﨑あおいが29日、東京ミッドタウン日比谷のグランドオープンセレモニーに登場した。同所は、古くから劇場やシアターが軒を連ねる日比谷エリアに29日、オープン。ショップ・レストラン・カフェの他、"映画の宮殿 THE MOVIE PALACE(ザ・ムービーパレス)"をコンセプトに造られた「TOHOシネマズ 日比谷」を含む約60店舗が集まる。宮﨑は、千代田区副区長、TOHOシネマズ社長、三井不動産社長とともにテープカットに登場。外にはグランドオープンを待つ多くの客が押し寄せる中、ロビーでオープンを祝福した。CMにも登場する宮﨑だが、撮影で同所を訪れ「ここから色々なものが生まれていくんだろうなというワクワクがありました」という。「私が好きな、普段覗かせていただいているお店もたくさん入っていますし、レストランもたくさん美味しそうなところもあった」とオープン後の楽しみを語った。さらに「願わくば映画に関わる人間としては、この街にレッドカーペットが敷かれて、その上を歩ける機会があれば素敵だなと思います」と今後の展開にも希望を寄せた。
2018年03月29日ジャニーズJr.のユニット・Travis Japanの宮近海斗が、11日深夜放送のニッポン放送系ラジオ番組『宮近海斗のオールナイトニッポンR』(27:00~29:00)のパーソナリティを務めることが1日、明らかになった。12月7日より東京・銀座 博品館劇場で幕を開ける、オールナイトニッポン50周年記念舞台『太陽のかわりに音楽を。』に出演することから、ラジオ初心者の宮近がパーソナリティに初挑戦。同作は宮近演じる『オールナイトニッポン』パーソナリティのミュージシャン・トロイが、50年前の『オールナイトニッポン』番組現場にタイムスリップするという展開で、当時の番組舞台裏の熱気や情熱を描く。今回は同作にちなみ、"実際の『オールナイトニッポン』パーソナリティ経験を通してラジオを知る"ことをテーマに放送する。宮近がラジオは一体どのように放送しているのか、スタジオの内外から様々なものを見て触ってレポートに挑戦するほか、「メールのかわりにおハガキを。」と題した投稿コーナーを設け、ラジオの原点であるはがきのメッセージを募集。「宮近クンに答えてほしいこと」「あなたのささやかなお悩み、相談したいこと」に答えていく。また、放送には舞台で共演するジャニーズJr.の高田翔、演出を担当するノゾエ征爾もゲスト出演し、舞台の魅力を語っていく。なお、ニッポン放送は28時30分までの放送となる。
2017年11月01日フリーアナウンサーの宮根誠司が、あす30日(19:00~20:54)に放送されるフジテレビ系バラエティ番組『ダウンタウンなう』で、ダウンタウンとテレビ初共演を果たす。宮根は、ダウンタウンの2人と同じ1963年生まれの同級生。松本人志とはインタビューで対面しているが、浜田雅功とは初共演となり、宮根のフリー転向の際の秘話や、ダウンタウンの東京進出当時の苦労話などで、坂上忍、MEGUMIとともに盛り上がる。また、『ワイドナショー』(フジ系)に出演する松本、『バイキング』(同)に出演する坂上に対し、「ニュースを斬るのは、局アナ出身の司会者の仕事なのに、なんで僕らの職場に来るの?」と噛みつく場面も。ほかにも、人生をかけたという超大物芸能人との大ゲンカのエピソードも明かす。収録を終えた宮根は「僕が局アナのペーペーだったころ、ダウンタウンさんはスーパースターでしたので、そのお2人と共演できたことは、正直うれしかったです」と感慨。トークでは「いろいろなことをダウンタウンのお2人に聞けたので、うれしかったですね」と満足の様子だ。さらに、「同い年だからこそ、お互いにうわべで話はできなかったです」といい、「僕自身が聞きたいことをぶつけることができましたので、ひょっとしたら、今まで皆さんがご存じない"ダウンタウンの素顔"を発見していただけるかもしれません」と自信をのぞかせた。今回の放送では、女優の長澤まさみも登場し、こちらもダウンタウンと初共演。番組のファンだというが、なぜかテキーラを酌み交わす混乱状態に発展する。長澤は「ダウンタウンさんに会えただけでもうれしかったので、そこを見ていただけたら(笑)。本当に、トークが下手なので、特に見どころはありませんが(笑)」と謙虚に語っている。ほかにも、小林幸子、永野が出演する。
2016年09月29日暑い時期、恋しくなるのが中華料理屋さんの「サンラー麺」のあの酸味、あの辛さ! あの独特の美味しさを、自宅でかんたんに再現してみませんか?ポイントは味付けのもずくを使うこと。ミネラル豊富なもずくと、リコピンたっぷりのトマトを組み合わせて、栄養面もばっちり。きしめんを加えればしっかり一品麺料理にもなります。スープだけでも夜食や軽い昼食に。もずくとトマトの組み合わせ、一度試すとやみつきになりますよ!■もずくとトマトのサンラーきしめん調理時間10分レシピ制作:フードコーディネーター 増田知子<材料(1人分)> もずく(味付け) 1パックトマト 1/2個卵 1個きしめん(ゆで) 1玉スープ 顆粒チキンスープの素 小さじ2 水 400ml みりん 小さじ1 しょうゆ 大さじ1塩コショウ 少々黒酢 大さじ1ネギ(刻み) 大さじ1ラー油 少々粗びき黒コショウ 少々 <下準備>・トマトはヘタをくり抜き、1cm角に切る。<作り方>1、鍋に<スープ>の材料を入れて火にかけ、煮たったらもずくとトマトを加えて軽く煮る。2、きしめんを加えてほぐし、一度沸騰させて溶いた卵を回し入れる。3、塩コショウで味を調え、黒酢を加える。器に盛り、刻みネギ、ラー油、粗びき黒コショウを散らす。黒酢の酸味がコクをUP。ラー油は、最後に器によそってから加えるので、家族それぞれお好みの辛さに調整できますよ。
2016年07月28日商業施設・KITTE(キッテ)名古屋が2016年6月17日(金)にオープン。JPタワー名古屋の地下1階から3階に配置される。■地下1階和洋中の個性豊かな飲食店11店舗が軒を連ねた通り「BIMI yokocho」をはじめとした、ランチや会社帰り、駅付近でのショッピングなどのシーンで気軽に利用できる飲食を中心としたフロア。南インドのカレー専門店「エリックサウス」が東海エリア初出店、名古屋で有名なあんかけスパゲッティの元祖「スパゲッティハウス ヨコイ」の直営店が約40年ぶりにオープンするなど、地元の人にとって嬉しいラインナップで展開。■1階人が集まるアトリウム、バスターミナルなど「KITTE名古屋」の玄関口となる。フランス・プロヴァンス地方の歴史あるパティスリーが食事を提供する「ラ メゾン ジュヴォー(La maison JOUVAUD)」など、ちょっとした休憩にも最適なカフェが出店。なお、バスターミナル側通路沿いの6店舗(物販2店舗、食物販4店舗の予定)は2017年4月に開業予定だ。■2階JR名古屋駅と歩行者通路で直結し、多くの人が行き交う2階。ここでは、こだわりの物販でショッピングやカフェでの飲食を楽しみたい。木製デザイン雑貨を販売する「ハコアダイレクトストア(Hacoa DIRECT STORE)」、ふぐ料理をリーズナブルな価格で提供する居酒屋「魚河岸酒場 ふく浜金」、そして駅の通り側に出店するカフェの「珈琲舎 表参道」「トゥウェンティーフォーセブン カフェ アパートメント(24/7 café apartment)」は、いずれも東海エリア初出店となる。■3階接待や歳時など特別な時間やシーンを演出する飲食3店舗が並ぶ。愛知に1号店を構えるイタリア料理店「ヴィーノ アンド リストランテ コネッサ(Vino & Ristorante CONNESSO)」は商業施設に初出店。また、「えび・蟹・まぐろ・旬料理 甲羅」は、季節の食材を贅沢に使った和食料理を提供するほか、広東・福建料理をベースに、日本人の口に合う中国料理を目指す「中国料理東天紅」など、ジャンルも豊富なラインナップだ。【施設概要】KITTE名古屋オープン日:2016年6月17日(金)住所:愛知県名古屋市中村区名駅1-1-1 JPタワー名古屋 地下1階~3階店舗面積:約4,650㎡(約1,410坪)店舗数:36店舗(物販8店舗、食物販6店舗、飲食19店舗、サービス3店舗※予定)出店店舗:・地下1階デリフランス、クラフトビヤ コウヨウエン、クチーナ イタリアーナ ペル アデッソ トウカイ、エリックサウス、揚げバル マ・メゾン、こなな、スパゲッティハウス ヨコイ、宮きしめん 駿、鶏だしおでん さもん、一番漁場 あぶりどり バリ鳥、ロンフービストロ、ゴッチーズビーフ、三喰撰酒 三重人・1階ラ メゾン ジュヴォー、JPローソンKITTE名古屋1F店(仮称)、タイムズ カー レンタル、スターバックス コーヒー・2階マイセレクトポイント、ハコアダイレクトストア、伊織、メガネの和光、魚河岸酒場 ふく浜金、JPローソンKITTE名古屋2F店、珈琲舎 表参道、トゥウェンティーフォーセブン カフェ アパートメント・3階ヴィーノ アンド リストランテ コネッサ、えび・蟹・まぐろ・旬料理 甲羅、中国料理東天紅休業日:1月1日営業時間:物販、食物販、サービス 10:00~20:00、飲食 11:00~23:00(土日祝 11:00~22:00)※地下1階店舗は、11:00~21:00、土日祝 11:00~20:00。※営業時間は一部店舗により異なる。
2016年06月16日アトムは2月4日、「ステーキ宮 町田木曽店」を東京都町田市に、「ステーキ宮 戸塚平戸店」を神奈川県横浜市にオープンする。ステーキ専門店「ステーキ宮」は、「おいしいステーキをもっと多くの人に気軽に食べてもらいたい」という願いから、栃木県宇都宮市に生まれた創業39年のブランド。関東、北陸、甲信越、東北、東海、関西、北海道など28都道府県に展開しており、今回が東京初出店だという。創業以来変わらぬ味を守り続けている「宮のたれ」は、厳選した玉ねぎ、にんにく、酢、醤油を使用し、独自の製法で熟成。おいしくステーキを楽んでもらうため、シンプルでありながらも素材の味を生かしたブレンドで造られ、栃木ではおなじみステーキソースとなっているとのこと。代表的なメニューは、「宮ロース150g」(税別1,380円)。営業時間は、11時~23時(ラストオーダー22時30分)、ランチタイムは11時~16時。席数は、全120席。
2016年01月29日フェンディ(FENDI)が10月22日、新たな本拠としてイタリア文明宮(Palazzo della Civilta’ Italiana)をオープンした。これに際して10月23日から16年3月7日まで、イタリア文明宮2階にて「ウナ・ヌオーヴァ・ローマ、エウル地区とイタリア文明宮」展を開催している。四角いコロッセオとしても知られるローマの歴史的建造物・イタリア文明宮が建立から70年以上を経て初めて一般公開される同展は、ローマ観光省文化遺産管理局の発案・進行によって開催されるもの。オーガナイザーはゼテマ・プロゲット・カルトゥーラが、キュレーターはヴィットリオ・ヴィドットと建築家のカルロ・ロココが務める。会場には、絵画やイメージ、素描、写真、映像などの数々の作品が展示される。中でも注目なのは、カール・ラガーフェルドやガブリエル・バジリコファブリツィオ・フェッリ、フランコ・フォンタナ、アンドレア・ジェモロなどイタリア文明宮とエウル地区を被写体とした写真の巨匠たち。その他、90年代に活躍した偉大なイタリア建築家たちによる設計図や見取り図、スケッチなどを設計対象や歴史的な画像と合わせて展示する。また、ロベルト・ロッセリーニ、フェデリコ・フェリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカなどの偉大な映画監督たちによる厳選した映画作品も上映される。イタリア文明宮の公開にあわせて、照明デザイナーのマリオ・ナンニによる常設照明のインスタレーションも行われる。記念碑的建造物を斬新な方法で引き立てる同インスタレーションでは、白いライトでアーケードの円柱をライトアップし、次第に強くなる陰影で光の遠近感を生み出すことでイタリア文明宮の再生を象徴する。また、現地時間10月22日19時45分(日本時間23日2時45分)には、同じくマリオ・ナンニによる「ポエム・オブ・ライト(光の詩情)」がオープンを祝して同館のファサードを照らした。この照明インスタレーションは、fendi.comでもライブ配信された。
2015年10月31日アトムはこのほど、「国産牛赤身サーロインランチ」を「ステーキ宮」各店舗にて期間限定で発売した。販売は11月中旬までを予定。「ステーキ宮」は、栃木県宇都宮市で誕生したステーキ専門店で、現在ではさまざまな地域で展開している。同メニューでは、国産牛サーロイン(120g・1,980円または180g・2,980円)に、スープバーとライスまたはパンが付いたセット。使用する国産牛赤身サーロインは、余分な脂を外してあるため、サーロインの柔らかさを保ちながら赤身肉を存分に楽しめるとのこと。そのほか、ハンバーグ150gと国産牛サーロイン60gが楽しめる「ハンバーグ&国産牛赤身カットサーロインランチ」(1,680円)も販売している。※価格は全て税別
2015年09月21日「コスパティオ」は、ゲームブランド・Keyの名作『Kanon』より、ヒロイン"月宮あゆ"が愛用するダッフルコートをリニューアルしてリリースする。発売は2015年12月上旬の予定で、価格は38,000円(税別)。オフィシャル監修の元、生地を設定に合わせた色に染めて製作。裏地や袖口のチェック柄は特注のものを使用し、見え方にもこだわって"あゆ"が愛用している可愛らしいコートが再現されている。表地にはダッフルコートの生地としてポピュラーな厚手のメルトン生地が使用されているので、撥水性や保温性にも優れ、普段使いにもピッタリの暖かいコートとなっている。9月12日(土)~10月4日(日)の期間、コスパティオ秋葉原本店にて「月宮あゆ ダッフルコート」のサンプル展示が行われるので、気になる人はチェックしてみよう。(C)VisualArt’s/Key写真は開発サンプルのため、実際の商品とは異なる場合がある。
2015年09月10日七夕や天の羽衣伝説で有名な大阪交野市にある星田妙見宮は、アンリが今年最もパワーを感じる宮のひとつです。創建は嵯峨天皇の平安時代、816年と言われています。後に弘法大師がこの地をおとずれて獅子窟寺吉祥院の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を修されると、天から地上へ北斗七星が降ったそうです。星は三か所に落ち、そのうちの一つが「三光清岩正身の妙見」として、現在の星田妙見宮で祀られるようになったと言われています。女性は星占いに関心が高いので、女性誌にはよく星占いが載っているし、朝の情報番組で流れる今日の星占いをチェックしている人も多いと思います。星は運行によって影響が出るので、それを利用して毎日又は毎月の運勢を導くことができるのです。一般的には西洋占星術が主流ですね。そもそも星の信仰とは、紀元前3000年の古代バビロニアに始まりました。星の中でも一つだけ不動の星があります。それは「北極星」、いわゆる北辰星です。3~4世紀頃仏教伝来と共に「人間の運命は北辰を中心に回るとみなす」妙見信仰が中国で芽生えます。これが朝鮮半島に伝わり北斗七星信仰と習合し、597年に百済より聖徳太子のもとへ伝わりました。これが日本における星の信仰の始まりです。聖徳太子は妙見様を朝廷の守護神として四方に祀りました。室町時代には一般の信仰を多く集めるようになり、現代でも特に西日本で信仰されています。後世には武士の守り神となり、坂本龍馬の通っていた千葉道場の北辰一刀流は、創始者である千葉周作が、代々、北辰(北極星=妙見)の信仰を生活原理としてきたことにより、その名がついたと言われています。前書きはこのくらいにして、今回ご紹介する星田妙見宮こと「小松神社」についてお話しします。七夕伝説発祥のこの地では、妙見宮の大岩を「織女石」と呼び、ここを流れる川を「天の川」と称しています。この近辺は古代、大和の大豪族であった物部氏により開拓され、穀物が豊かに実る地であることから「甘い田」と呼ばれ、その水源を「甘の川」と呼んでいました。それが現在の「天の川(あまのがわ)」になったわけです。交野の田は彦星が耕す天田とされ、妙見宮の御神体の磐座を織女石と呼ぶようになりました。平安時代になると天体の関心が盛んになり、和歌など天体になぞらえるものが多く残っています。本殿までは長い階段を登りますが、エクササイズだと思って頑張ってください。登り切ったところから見る景色は何とも言えぬ絶景で、疲れなど一気に忘れてしまうほどです。婚活中の女性は是非、織姫・彦星のように永遠の愛を誓えるお相手に恵まれますよう、本殿にて手を合わせ、星に願いを託してみましょう。興味深いことに社務所には通常の神社にはない貴重な霊符が多数並んでいます。北斗七星霊符は、7星のいずれかが貴方の守護の星であると考え、星別に販売されています。あなたをサポートして開運へと導いてくれますよ。社務所で生年月日を伝えれば、ご自身の霊符を教えてくれます。大変珍しいので、是非購入してみてくださいね。また、家宝として大切に祀るのには「鎮宅72霊符」もお勧めです。こちらも社務所で祀り方を教わってください。帰り道は是非、境内にある登龍の滝に寄ってみましょう。こちらは北斗七星の落下地点といわれる場所。全身に強い気を感じ、写真がうまく撮れないくらいパワー絶大でした。宇宙から奏でる星のエネルギーをいただき、恋愛成就しますよう、アンリもお祈りしています。お問い合せ: 星田神社、星田妙見宮
2012年12月04日三菱自動車は30日、エコアイランド化を推進している沖縄県宮古島市と、電気自動車(EV)普及に向けた協定「EVアイランド宮古島プロジェクト」を締結するとともに、宮古島市に軽商用EV「MINICAB-MiEV」(ミニキャブ・ミーブ)を2台納車したと発表した。同プロジェクトは、EV普及に向けた環境の整備を促進することで、宮古島市のエコアイランド化を後押しするもの。納車された2台のMINICAB-MiEVは、島内の公用車や広報車、または災害時等の移動可能な非常電源用として活用される予定。宮古島市と同社では今回の協定締結に基づき、充電セーフティネット構築のために島民及び観光客が利用できる急速充電設備を市内に整備、充電インフラ整備後におけるEVの使用環境向上に向けた検証、EV導入及び島に適したEV普及方策の検討、同プロジェクト推進にあたっての対外的アピール方策の検討を行うとしている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月30日SUPER JUNIORのカンインが9月8日、東京・五反田ゆうぽうとホールで上演中の『ミュージカル 宮(クン)』の舞台に立った。「もしもまだ韓国に王室が続いていたら…?」という設定の少女マンガ原作のドラマを舞台化。皇太子・シンと平凡な女子高生・チェギョン、互いに違う環境で育った身分が違う男女の恋と成長を描く。シン役は、SUPER JUNIORのカンインと超新星のソンモのダブル・キャスト。この日は、カンインの初日舞台。前日は「遠足の前日の子どもの気持ち」だったというカンインは、登場シーンから緊張なく落ち着いた様子が観てとれ、特に2幕目からはステージを楽しんでいるのが感じられた。ソンモが、クールな中に優しさを秘めたシンだとしたら、カンインが演じるのは、強さと温かさをもった“頼れるお兄さん”のようなシンだ。近寄りがたさを感じさせない、カンインそのものかもしれない。演じる俳優によって、“シンの色”は青にも赤にも、いかようにも変化する。それぞれが演じるシンを見比べてみるのも面白い。アドリブはもちろん、一瞬だけ“SUPER JUNIORのカンイン”が観られるのにも期待してほしい。そして、カンインをはじめ、キャラクターたちの心理を表すアンサンブルは惹き付けられるはず。華やかな演出で、魅力的なキャラクターたちがつむぐ物語の世界にどっぷり浸かり、時に手を叩き、歓声を上げながら楽しんでほしい。『ミュージカル 宮』は、9月13日(木)まで、東京・五反田ゆうぽうとホールにて上演。チケットは発売中。
2012年09月11日いつも笑顔で、淑やかで、それでいて芯のある女性。『天地明察』で宮﨑あおいが演じた“村瀬えん”は、そんな、女性がお手本にしたくなる女性としてスクリーンの中に居る。「最初に台本を読んだときに、とても気持ちのいい女性だと思ったんですよね。そのファーストインプレッションを大切にしたいと思いました」と語る宮﨑さんの、その口調もその表情も気持ちよく、女優・宮﨑あおいがもともと持っている気持ちのいい人柄に、えんという役が引き寄せられたのではないか…と想像してしまう。どんなキャラクターであっても自然とそこに自分を重ね合わせ、まるで自分の一部であるかのように芝居に変えていく、その演技力。宮﨑あおいは本当にすごい女優だ。そのすごさはどうやって生まれているのか──。人に、芝居に、寄り添うこと「これを大事にしようとか、こう演じようとか、現場に入る前に役を作り込むことは少ないんですよね。今回もそうなんですけど…、台本から感じた気持ちよさ、それから、はっきりした女性でもあると思ったので、その潔い感じは頭にありました」と、撮影前の自分自身をふり返る。どの作品においても、どの役においても、ガッチリ役を作り込んで挑むというよりも、現場で求められているものに寄り添い、その場で引き出しを選びながら開けていく作業、それが彼女にとっての演技のようだ。今回の寄り添う先は、もちろん、えんの夫となる人、主人公である安井算哲(岡田准一)。将軍に囲碁を教える名家の息子にして天文学者としてその名を歴史に刻む、生涯にわたって星を追い続けた男だ。「相手が算哲さんだから成り立っているというか、こういう女性だから算哲さんが成り立つというか…。普通は男性が女性を引っぱってくれることの方が多い気がするんです。でも、えんさんという女性はある意味男らしくて、気持ちのいいさっぱりとした人。だからこそ算哲さんも家の心配をすることなく、自分の好きなことに夢中になれた気がするんですよね。ウジウジしない、白黒はっきりしている、そういうところも素敵です。私自身も割りと男っぽい性格ではあるんですけど、えんさんほどではないですね」と、柔らかな笑みを浮かべながらも、まとっているオーラは凜としている。そして、命をかけて新しい暦を作ろうとした算哲に、愛しい眼差しを向ける。「算哲さんは、一つのことに夢中になると周りが見えなくなる人。それによって迷惑をかけるのはダメだけれど、彼の場合は周りがサポートしたくなるというか、こいつがこれをやるなら自分はこれで力になってやろう!という人がたくさんいるんです。それは算哲さんの人徳であり、人間として魅力があるからであって。すごく愛される人だなと思います」。もう一人、「いつもニコニコしていて、(心の)大きな方ですね」と顔をほころばせるその相手は、滝田洋二郎監督。監督の代表作である『おくりびと』が大好きだそうで、「ご一緒できて嬉しかったです。セットで撮影のときは、監督も着物姿なんですよ。それがまたカッコよくて!」と自然と声が弾む。きっと撮影現場も和やかだったのでは…と察しがつくが、初の滝田組の感想は?「私が撮影に参加したのは後半で、2週間ちょっとの短い期間でした。すでに出来上がった現場に入ることが少し不安でもあったんですが、主役の岡田くんが入りやすい現場にしてくれていて。『やっとえんさんが来てくれた!』と、みなさんに温かく迎えてもらって、嬉しかったですね。前半の撮影には過酷なシーンもたくさんあって…出来上がった映画を観たとき、みんなこんなに大変な撮影をしていたんだと、びっくりしました」。宮﨑さんが驚いたというのは、算哲らが北極出地を命じられ、北極星観測で日本を横断する旅の部分。ちなみに、彼女が気に入っているのも北極出地のシーン。滝田監督らしさが出ている微笑ましいシーンだ。「歩幅を数えながら歩いているところで、算哲さんが、『あー!分からなくなってしまった!』って戻る、その引きの画がちょっとコミカルで気に入っています。『おくりびと』もそうですけど、滝田さんの作品にはクスッとした笑いがあって、それがたまらく好きなんですよね」と嬉しそうに語る。「つながる」瞬間星、天体観測、暦というテーマゆえ難しそう…と思われがちではあるが、「なるほど!」とすんなりと理解できる面白さが『天地明察』にはある。また、宮﨑さんが引き込まれたのは、算哲というひとりの天文学者がいろいろな人に支えられながら成長していく、その姿。「人は1人では生きていけないし、いろんな人の支えがあって生きているんだな、というのを算哲さんを見て改めて感じることができました。いい人で、ちょっと抜けているところもあって、それも含めて愛されるキャラクターなんですよね。観終わったときに純粋に面白い映画を観れたなと思える、星に興味がない人であっても楽しめる映画だと思います」。そして『陰日向に咲く』に続いて2度目の共演となる岡田さんとのエピソードとして挙げたのは、算哲とえんが心を通わせるシーンだった。「前回ご一緒したときは、共演シーンの数がそれほど多くなかったので、あまり話す機会はなかったんです。今回、相手役として共演させてもらって見えてきたのは、いろんなことを考えている方だなということでした。芝居に関して、役について…とにかくいろいろ考えている人。例えば、算哲さんがえんに会った瞬間、彼女に想いを抱いたことが明確に分かるシーンがあるんですが、えんさんの場合はそれがなかった。けれど、岡田くんの中では、このシーンがえんさんのポイントになるシーンじゃないか、と考えていて。そういう話を現場で聞けたことが、えんさんを演じる上でものすごくありがたかったんです」。それは、2人で月を見ながら話をしているシーン。互いの想いが通じ合う、2人の絆が生まれるスタート地点でもあり、最後に宮﨑さんは“人とのつながり”を感じる瞬間について──「本当につながっている人とは、ずっと会っていなくてもつながりを感じられると思うんですよね。友達でも家族でもそうですけど、1~2年ぶりに会ったとしても、会った瞬間に時間がスッと戻るというか。そういうときに強いつながりを感じます」と気持ちのいい笑顔で言葉を結んだ。結局、宮﨑あおいのすごさはどこから来るのか、つかめそうでつかめなく…。そんなそこはかとない魅力が彼女のすごさでもあり、だからこそ人はまた宮﨑あおいの気持ちのいい演技を観たくなってしまうのだろう。(photo:Toru Hiraiwa/text:Rie Shintani)■関連作品:天地明察 2012年9月15日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開© 2012「天地明察」製作委員会
2012年09月10日超新星のソンモと SUPER JUNIORのカンインがダブル・キャストで主演を務める話題の『ミュージカル 宮(クン)』が9月1日、東京・五反田ゆうぽうとホールで開幕した。「ミュージカル 宮」公演チケット情報「もしもまだ韓国に王室が続いていたら…?」という設定の少女マンガ原作のドラマを舞台化。皇太子と平凡な女子高生、互いに違う環境で育った身分が違う男女の恋と成長を描く。2010年秋の韓国初演ではユンホ(東方神起)が皇太子シン役を演じ、アジア各国で話題に。昨年12月の東京公演では、ソンモ(超新星)とキム・キュジョン(SS501)がダブル・キャストを務めた。今回は、舞台セットを全面リニューアルし、劇中の曲が3曲追加される。2度目のシン役を務めるソンモは、会見での「2回目で余裕がある。もっとレベルアップしたステージを見せたい」という言葉通り、登場シーンから堂々たる演技。落ち着きを払い、シンになりきった姿は、自信すら感じさせた。そんな“ツンデレ皇太子”が、一瞬だけ“超新星のソンモ”になるアドリブはファンにはたまらないだろう。ほかの役者との掛け合いも絶妙で、よいチームワークをうかがわせた。観客はほぼソンモのファンという状態で、ソンモにとっては“ホーム”。ファンとの“呼吸”が安心感を生み、ソンモの力となっているようでもあった。シンの相手となる女子高生のチェギョン、ライバルのユル、コン内官、皇太后ほか個性的で魅力的なキャラクターを演じる役者の安定した演技も目を引く。彼らは前回も演じており、もはや“顔なじみ”。声援が飛ぶほどの人気で、演じ手と観客の間に心地よい空気感を生み出す。劇中、随所に笑いがちりばめられ、日本語が飛び交い、お笑いのギャグを入れるサービスも嬉しく、何度も笑ってしまうはずだ。前回を観ていると、おもわずニヤリとしてしまうシーンもある。“アットホーム”な舞台からは、役者陣の「観客を楽しませよう」という心意気がひしひしと伝わってきた。また、より立体的に奥行き感を出した舞台セットやLEDを使った演出にも注目だ。客席をも巻き込んだ、ファンミーティングさながらのサプライズ演出は、ぜひ楽しみにしていてほしい。「ミュージカル 宮」は、9月13日(木)まで、東京・五反田ゆうぽうとホールにて上演。ソンモは7日(金)まで出演、8日(土)からはカンインが舞台に立つ。チケットは発売中。なお、4日(火)から6日(木)までの14時公演にはソンモのハイタッチ会が行われるほか、ソンモのサイン入り公演パンフレットと『宮』オリジナルTシャツ付きの当日引換券の発売が決定している。
2012年09月03日古参の名古屋名物でありながら、昨今の「名古屋めし」ブームに完全に乗り遅れた感のある食べ物。それが、きしめんだ。きしめんはそもそも、何故に名古屋名物なのかも判然としない。ルーツも諸説あるが、どれも決め手に欠ける。第一、うどんに比べて、ナゴヤ人自体そんなに好んできしめんを食べている訳ではないことは、多少でも名古屋に住んだことのある人なら、実感として分かるだろう。では、きしめんには魅力がないのか?そんなことはない。あの平麺ならではのツルツルっと口に入ってゆく喉越しは、きしめん以外では味わえない食感だ。パスタのフェットチーネも、山梨名物のほうとうも、姿形こそきしめんに似ているが、この醍醐味(だいごみ)は到底味わえない。新幹線のホームで食べるきしめんがうまいのは、待ち時間の間にツルツルっと食べるシチュエーションも影響しているのだろう。以前、とあるうどん店で聞いた話だが、きしめんの麺の幅広さには「時代の流行」があるという。理由は定かではないが、恐らくほかの麺類の流行がきしめんにも影響しているのだろう。となると、二郎系ラーメンや油そばの太麺がはやっている今の時代なら、「極太」が流行の最先端なのだろうか。そう思い調査を開始した。実は名古屋には「まるみ亭」という極太きしめんを提供する店があったが、数年前に惜しまれつつ閉店してしまった。まるみ亭に代わる極太きしめんの店を探すと、それは名古屋市熱田区の中央卸売市場の中にあった。その店の名は「まんてんうどん」である。市場内の店らしく、営業時間は朝4時から昼の2時まで。「はい、これがきしめんの麺」。そう手渡された麺の幅を定規で測ると、なな何と、ジャスト3センチ!厚さも2ミリはあろうか。太っ!これは予想以上だ……。まんてんうどんの主人、大西景三さんに話を聞く。ここで店を開いて9年になるが、実はそれ以前に、親御さんも別の場所でうどん店を営んでいたそうだ。相撲が大好きで、力士にうどんをごちそうしたところ「普通のうどんは食べた気がしない」と言われ、発奮して開発したメニューがこの極太きしめんだったという。それが20年前。「製麺屋に刃を特注して作ってもらった」というリキの入ったこのメニューは息子に引き継がれ、名古屋でも随一の極太麺として光を放っている。普通のきしめんは平べったいので、うどんよりもゆで時間が短い。しかしこの麺は真逆だ。極太だけあって、ゆで時間は実に20分かかるという。そのため、事前に固ゆでしておき、オーダーが入ってからもう一度ゆでている。冷やしにすると、もっとゆで時間が必要だ。こりゃ店主泣かせのメニューだわ……。話をつゆに移そう。名古屋のめんつゆは独特だ。黒っぽい色こそ関東風だが、その実、ダシの主体はかつお節ではなくムロ節(ムロアジ)やササ節(宗田ガツオ)から取られている。かつお節よりもさっぱりとした味わいで、これに名古屋ならではのたまりじょうゆの本返しを投入する。やや濃い口で少し甘めの「名古屋風つゆ」の完成だ。大西さんもいろいろ試したそうだが「市場の人は昔ながらの名古屋の味を好む」ということで、結局のところ「ナゴヤスタンダード」に落ち着いたという。このつゆこそ、極太きしめんをがっしり受け止めるベストパートナーなのだ!いよいよ実食。出来上がった極太きしめんはだしの香りが高く、それだけで食欲を大いにそそる。自分の口の幅は約6センチ。それに対し、極太きしめんの幅は前述の通り3センチ。定規を手に持って 想像して欲しい!口の半分の幅に、1本の麺がツルツルと入り込んでいく光景を!!ズズズーではなく、ツツツうぅ?と”見えざる手”に導かれるように口の中に吸い込まれていくきしめん。しかし厚さもハンパない。ツルツル感に加えて、独特のモッチリ感がきしめんを新たなステージへと導いていく。トラッドなつゆが麺に程よく絡み、しっかり名古屋の味としてアピールしている。極太きしめんの冷やし麺(名古屋では「ころ」と呼ぶ)も味わってみた。つゆはざると同じもので、カツオをきかせ、かけよりも濃厚で風味が強い。冷水でキュッと締められた麺は、かけ以上になめらか。そして麺本来の強さが際立つ。麺の圧倒的な存在感に脱帽だ。開店当時は、知る人ぞ知るメニューで、手がかかるし、注文も出ない。という訳で、休止していた時期もあったそうだ。しかし親から受け継いだ大切な味。「とにかく出そう!」と決めて再開し、今は根強いファンもつくようになったという。「市場に出入りしている人は舌が肥えている。そんな人に認められた実感はあります」と大西さん。店主のきしめんへの情熱とこだわりが、この名古屋の味を全国に広めていくのかもしれない。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月22日古参の名古屋名物でありながら、昨今の「名古屋めし」ブームに完全に乗り遅れた感のある食べ物。それが、きしめんだ。きしめんはそもそも、何故に名古屋名物なのかも判然としない。ルーツも諸説あるが、どれも決め手に欠ける。第一、うどんに比べて、ナゴヤ人自体そんなに好んできしめんを食べている訳ではないことは、多少でも名古屋に住んだことのある人なら、実感として分かるだろう。では、きしめんには魅力がないのか?そんなことはない。あの平麺ならではのツルツルっと口に入ってゆく喉越しは、きしめん以外では味わえない食感だ。パスタのフェットチーネも、山梨名物のほうとうも、姿形こそきしめんに似ているが、この醍醐味(だいごみ)は到底味わえない。新幹線のホームで食べるきしめんがうまいのは、待ち時間の間にツルツルっと食べるシチュエーションも影響しているのだろう。以前、とあるうどん店で聞いた話だが、きしめんの麺の幅広さには「時代の流行」があるという。理由は定かではないが、恐らくほかの麺類の流行がきしめんにも影響しているのだろう。となると、二郎系ラーメンや油そばの太麺がはやっている今の時代なら、「極太」が流行の最先端なのだろうか。そう思い調査を開始した。実は名古屋には「まるみ亭」という極太きしめんを提供する店があったが、数年前に惜しまれつつ閉店してしまった。まるみ亭に代わる極太きしめんの店を探すと、それは名古屋市熱田区の中央卸売市場の中にあった。その店の名は「まんてんうどん」である。市場内の店らしく、営業時間は朝4時から昼の2時まで。「はい、これがきしめんの麺」。そう手渡された麺の幅を定規で測ると、なな何と、ジャスト3センチ!厚さも2ミリはあろうか。太っ!これは予想以上だ……。まんてんうどんの主人、大西景三さんに話を聞く。ここで店を開いて9年になるが、実はそれ以前に、親御さんも別の場所でうどん店を営んでいたそうだ。相撲が大好きで、力士にうどんをごちそうしたところ「普通のうどんは食べた気がしない」と言われ、発奮して開発したメニューがこの極太きしめんだったという。それが20年前。「製麺屋に刃を特注して作ってもらった」というリキの入ったこのメニューは息子に引き継がれ、名古屋でも随一の極太麺として光を放っている。普通のきしめんは平べったいので、うどんよりもゆで時間が短い。しかしこの麺は真逆だ。極太だけあって、ゆで時間は実に20分かかるという。そのため、事前に固ゆでしておき、オーダーが入ってからもう一度ゆでている。冷やしにすると、もっとゆで時間が必要だ。こりゃ店主泣かせのメニューだわ……。話をつゆに移そう。名古屋のめんつゆは独特だ。黒っぽい色こそ関東風だが、その実、ダシの主体はかつお節ではなくムロ節(ムロアジ)やササ節(宗田ガツオ)から取られている。かつお節よりもさっぱりとした味わいで、これに名古屋ならではのたまりじょうゆの本返しを投入する。やや濃い口で少し甘めの「名古屋風つゆ」の完成だ。大西さんもいろいろ試したそうだが「市場の人は昔ながらの名古屋の味を好む」ということで、結局のところ「ナゴヤスタンダード」に落ち着いたという。このつゆこそ、極太きしめんをがっしり受け止めるベストパートナーなのだ!いよいよ実食。出来上がった極太きしめんはだしの香りが高く、それだけで食欲を大いにそそる。自分の口の幅は約6センチ。それに対し、極太きしめんの幅は前述の通り3センチ。定規を手に持って 想像して欲しい!口の半分の幅に、1本の麺がツルツルと入り込んでいく光景を!!ズズズーではなく、ツツツうぅ?と”見えざる手”に導かれるように口の中に吸い込まれていくきしめん。しかし厚さもハンパない。ツルツル感に加えて、独特のモッチリ感がきしめんを新たなステージへと導いていく。トラッドなつゆが麺に程よく絡み、しっかり名古屋の味としてアピールしている。極太きしめんの冷やし麺(名古屋では「ころ」と呼ぶ)も味わってみた。つゆはざると同じもので、カツオをきかせ、かけよりも濃厚で風味が強い。冷水でキュッと締められた麺は、かけ以上になめらか。そして麺本来の強さが際立つ。麺の圧倒的な存在感に脱帽だ。開店当時は、知る人ぞ知るメニューで、手がかかるし、注文も出ない。という訳で、休止していた時期もあったそうだ。しかし親から受け継いだ大切な味。「とにかく出そう!」と決めて再開し、今は根強いファンもつくようになったという。「市場に出入りしている人は舌が肥えている。そんな人に認められた実感はあります」と大西さん。店主のきしめんへの情熱とこだわりが、この名古屋の味を全国に広めていくのかもしれない。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月14日2011年に東京で上演され、人気を博した韓国の『ミュージカル 宮』が、9月1日(土)より東京・ゆうぽうとホールにて再上演が決定。人気K-POPグループのSUPER JUNIOR(スーパージュニア)のメンバー、カンインが初出演することがわかった。『ミュージカル 宮』キャストの写真『宮』は、「もしもまだ韓国に王室が続いていたら…?」という斬新な設定が韓国で人気となった少女マンガを原作にした皇室ラブ・ストーリー。韓国で2006年にドラマ化され、世界23か国で放送されるなど大ヒット。2010年秋に韓国でミュージカル化され、東方神起のユンホが皇太子・シン役を好演し、韓国・日本をはじめアジアで話題となった。さらに、昨年6月には京都・南座にて日本初上陸を果たし、12月に東京で上演。京都公演でも主演したキム・キュジョン(SS501)と、ミュージカル初挑戦のソンモ(超新星)がダブル・キャストでシン役を務めた。2度目となる東京公演ではカンインとソンモがダブル主演し、ソンモが初日から9月7日(金)まで、カンインが8日(土)から13日(木)までシンを演じる。舞台は、伝統美を活かした豪華な衣裳と、コミカルなストーリー展開、ダンスバトルなどが見どころ。セットも全面リニューアルされるという。『ミュージカル 宮』(全23回公演)は、9月1日(土)より同13日(木)まで東京・ゆうぽうとホールにて上演。チケットは7月21日(土)10時より一般発売される。
2012年06月29日湖池屋は4月16日、名古屋名物「宮きしめん」の味を再現したポテトチップス「コイケヤポテトチップス 宮きしめん」を中京地区限定で発売する。価格はオープンで、市場予想価格は130円程度。内容量は68g。宮きしめんは、名古屋で古くから親しまれている熱田神宮が発祥。門前町として、また東海道五十三次の宿場町として栄えた熱田の古称である「宮」をその名につけたきしめんになっているとのこと。今回発売の商品は、宮きしめんの特徴である厳選した素材で取っただし汁とたっぷり乗せたかつお節の味わいを再現し、しっかりした味と華やかで香り高い旨みを楽しめるという。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年03月13日